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18/69

18 狙われた少女

 かつてのラグランジュ王国は、半島に数ある小国の一つに過ぎなかった。

 それがいくつもの戦乱を経た末に半島を統一し、今の領土を持つに至る。


 だが当時の国王は、それだけでは満足しなかった。

 貪欲な野心の命じるまま、大陸へと進出しようとする。


 だがその野望は、人ならざる者の手によって潰えることとなった。


 水と緑に恵まれた豊かな土地に目を付けた邪竜フェクダが、そこをねぐらとしたせいだ。

 結果、大陸への出入口を塞がれ、王国の快進撃はあっさりと終わりを迎えた。


「……だが、それで良かったのだ。あのまま大陸へと手を伸ばしていれば、我が国は崩壊していたやもしれぬ」


 初老の男性が革張りの執務椅子に深々と腰を沈めながら、神経質な顔立ちを更に歪ませる。


 この男こそが、宮廷魔導師筆頭であるオルバース伯爵その人だ。


 彼はティーカップを手に取り、乾いた唇を潤してから、独り言を続けていく。


「邪竜の存在とて、悪い事ばかりではない。アレのおかげで連邦と事を構えずに済んでいるのだからな」


 この国と、トロヤ連邦との国力差は歴然だ。


 単純に国土面積だけを比較しても10倍近い差があり、一度や二度の勝ちならば拾えても最終的な負けは目に見えている。

 となると目指すべきは外交を織り交ぜた勝利となるが、現状ではそちらも難しい。


 半島国家という性質上、四方を海竜などが跋扈する危険な海で囲まれており、他国との交流がほとんどないせいだ。


「魔力持ちの娘はちと惜しいが、国の平和には変えられぬからな」


 年にたった一人か二人の犠牲で、多くの国民が救われる。

 なら安いモノだとさえ彼は割り切っていた。


 そんな時だ、養女であるテティスから連絡が届いたのは。


「なに!? 邪竜が死んだだと!? これはマズイ事態となったな……」


 連邦との間に戦端が開かれていないのは、ひとえに邪竜の存在のお蔭だ。


 もっともそれが取り除かれたとて、即座に向こうが攻めて来るとは考えてはいない。

 彼の不安は連邦側ではなく、むしろ王国側にあった。


「ハーシェルの奴め。余計なことをしでかさねば良いが……っ!」


 あの家は古くからあるこの国の重鎮だ。

 半島統一の原動力でもあり、この国きっての武門の名家でもある。


 だが邪竜の襲来により英雄たる先代当主を殺され、あの家は領地拡大の――戦の機会を奪われた。

 今でこそ大人しいが、もし邪竜が滅びたと知ればどのように動くか……。


「やむを得ぬ。今連邦と事を構えては我が国はおしまいだからな」


 そう考えた彼はすぐさま国王へと上申を行い、国軍の派遣を取り付ける。


 表向きの名目は邪竜の死亡調査としつつ、実際には連邦の侵攻に備えての国境防衛の任が彼らには与えられた。

 しかしその本当の思惑は別にある。


「分かっておるな? ハーシェルめの独断専行を決して許してはならぬ。今連邦と戦えば我らは破滅するぞ」

「むろん心得ていますよ、オルバース閣下。どうかこのシェゾーめに全てお任せあれ」


 芝居がかった態度で、自信たっぷりにそう答えたのは、薄紫のくせっ毛が特徴的な青年貴族だ。


「ふふっ。ですから、この役目が成った暁にはテティス嬢との婚約の許可を是非に……」

「……分かっておる。まったく、あんな貧相な娘のどこを気に入ったのやら……」

「だから良いのですよ。では準備がありますので、僕はこれで失礼しますね」


 去っていくシェゾーの背中を見送りながら溜息を吐く。


「やれやれ、これでやっと一息つけるな。つかみどころのない男ではあるが、実力だけは確かだ。奴に任せておけば、ハーシェルとて好き勝手には出来ぬだろう」


 派閥内で最も武勇に優れた男であり、これまでずっと彼に忠実であり続けたシェゾーを、なんだかんだと信頼していた。

 でなければ養女といえど婚約を認めるはずもない。


「まったく邪竜め。せめて後5年ほど生きておれば良かったものを。どれだけ膨大な魔力と生命力を持とうとも、所詮は欲に支配されたケダモノに過ぎぬか……」


 彼の派閥がこの国の最大勢力となってからまだ2年足らず。

 その間、権力の掌握に務めていたが結局間に合わなかった。


「まあ良い。この機に上手く立ち回れば、我らの立場もより強固なものとなるだろう」

 

 そうほくそ笑む彼だったが、しかし事態は思わぬ方向へと転がっていく。


 

 邪竜の棲み処の南西――国境沿いのこの地でハーシェル侯爵は配下の領軍を率いて対陣していた。


「向こうに攻めてくる気配はないか。やはり、こちらの侵攻を恐れての防衛布陣に過ぎぬようだな」


 彼の目の前には、砂埃ばかりが舞う赤く乾いた荒野が広がっていた。


 かつてはまだ人の手が入っていなかったこともあり野生動物たちの楽園だったその地だが、今は荒れ果て以前の豊かさは見る影も無くなっている。


 そしてそれを超えた先にはエウレカ王国の領地があり、そちらの国境沿いではトロヤ連邦が軍勢を展開していた。


 今の所、両者ともに動く気配はなく、ただ互いを警戒し睨み合っている状況だ。

 そんな中、王都から派遣された軍勢が彼の下へと訪れる。


「これこれは。ご健勝そうでなによりですな、ハーシェル侯爵閣下」


 指揮官であるシェゾーが、気取った口調、手ぶりでそう挨拶をする。

 しかし、その金色の瞳には目上に対する敬意など一切宿ってはいない。


「……まさか貴様が指揮官なのか? 王都の連中め、何を考えておる?」

「これはこれは、なんとも酷い言い草ですねぇ。これでも僕は割と繊細なので結構傷つきますよ。ほら、そのせいで髪がこんなに」


 くせ毛をぴょーんと引っ張りながら、シェゾーがニタニタと笑う。


「ふんっ、知った事か。それでこのような大勢で何の用だ?」


 挑発を受け流しそう問い返す。


 シェゾーの背後には、どう見ても調査隊の規模とは思えない軍勢が控えていた。


「あれれ? 連絡いってませんでしたか? これはおかしいですねぇ」

「……邪竜の調査であれば、わしに任せてさっさと帰るのだな」

「やだなぁ、違いますよ。僕の役目は国境の防衛ですってば。今戦争になると困る方が多いのですよ」

「ならば尚更だ。そのような大勢を連れては、連中をいたずらに刺激するばかりだぞ?」

「ふふっ、そう言われましてもねぇ。僕はただ与えられた役目を果たすだけですので」

「貴様……何を考えておる?」

「さぁて? ともかく以後はこちらで引き継ぎますので、侯爵閣下はどうぞお下がりください。ねっ?」


 爵位ではハーシェル侯爵が上でも、国軍と領軍では国軍の方が立場は上だ。

 そして緊急時である今は後者が優先される。


「くそっ、あのような若造に指揮官を任せるとは……。オルバースの奴め、どういうつもりだ!?」


 そう憤りながらも、ハーシェル侯爵は引き下がる他なかった。



「指揮官殿より、出頭せよとのお達しです」


 結界突破のための準備を着々と進めていたテティス。

 そんな彼女に、国軍からの呼び出しが掛かった。


「ボクに何の用だろうね? ごめんねオルト。悪いけど、ちょっと行って来るよ。留守番は任せるね」

「なぁ、俺もついてかなくて大丈夫か?」

「うん。問題ないよ」


 国境付近が何やら騒がしいことには気付いていたが、今の所争いに発展する様子はない。

 なら軍属でない彼女が、そう長々と引っ張り出される理由もない。

 大方、邪竜の情報について何か確認したいことがあるのだろう。


 そう考えていた彼女だったが、陣地で待っていた男の姿を見てすぐに後悔する。


「シェゾー子爵……まさかキミだったとはね……」


 嫌悪感も露わに「来なきゃよかったよ」と聞えよがしに呟く。


「やぁ、我が愛しのテティス。今日も変わらず君は美しいね。それと僕の事は親しみを込めてディルクと呼んで欲しいかな?」


 しかし当のシェゾーは気にした様子はまるでなく、凹凸の少ない少女の身体を舐め回すように見つめてくるばかり。


「……童女趣味だって噂の君に褒められても、全然嬉しくはないけどね」

「それは誤解というものだよ。女性の年齢に拘ったことなど僕は一度もないさ」

「……どうだかね。で、それよりボクに何の用かな?」


 急いで帰りたいテティスは、さっさと本題へ移ろうと促す。


「なに、今日君を呼び立てたのは他でもない。未来の妻に少し挨拶でもと思ってね」

「……妻? ……何を言ってるのかな?」 

「君の養父上(ちちうえ)からやっとで許可を頂けたんだよ。この一件が無事片付けば、晴れて君は僕の婚約者さ」

「そんな……」


 その言葉に、呆然と立ち尽くすテティス。


 この顔立ちこそ整っているが、気持ち悪さがどうしても拭えない男が、好奇の視線を向けているのは知っていた。

 しかし幼い容姿にコンプレックスを持っていた彼女は、まさか本気で女性として見られているとは考えもしなかった。


 同時に彼の内側に潜んでいた本当の狂気についても知る事になる。


「ああ、本当に素晴らしいねぇ。1年ぶりの再会だというのに、君はまるで変わってちゃぁいない」


 コツコツとゆっくりとした足取りで近づいた彼は、テティスのアゴへと手を添え、クイッと傾ける。

 それに対し彼女は何も言えずに、ただ嫌そうに視線だけを背ける。


「他の女どもはやっぱりダメだ。どれもちょっと時間が経つだけで、すぐに劣化してしまうからね」

「そんなの。ボクだって、あと何年かすれば……」

「君は……君だけは大丈夫さ。5年でも10年でも……100年経ってもその美しさを保つ。僕にはそれが分かるのさ」


 そう耳元でささやきながら、ぬめっとした吐息を吹きかける。


「ひゃっ!」


 突然生じたおぞましい感覚に、テティスが悲鳴を上げながら後ずさる。


 それに構わずシェゾーは両手を大きく広げ、狂気染みた弁舌を振るい始める。


「ああ……テティス! テティス!! やはり僕の目に狂いはなかった! そう、君が……君こそが僕の本当のママに相応しい女性なのさぁ!!」

「え、はっ……? ママ……!? キミはなにを言って――」

「そう! 晴れて結婚した暁には、君には僕を産んでもらうのさぁ?」

「産む……? ボクが……? キミを……?」


 その言葉の意味を全く理解出来なかったテティスだったが、それでもおぞましい劣情の猛りだけはありありと伝わってくる。


「ああ、この中にはどんなステキな世界が広がっているんだろうねぇ?」


 腰をおろしたシェゾーが手をにゅっと伸ばし、ぴらりとシャツをめくり上げた。

 テティスのぷにぷにの白いお腹が露わとなる。


「ああぁぁぁ~。やっぱり最高だぁぁ!! もう僕は……僕は……っ!」


 両手で自分を抱きしめながら、くねくねと悶えるシェゾー。


「ね、ねぇ。お願いだからさ。ボクの分かる言葉でしゃべってよ……」


 その姿を見下ろしながら、テティスはガタガタと恐怖に打ち震える。


「この中で至福の300泊を過ごした後、一体僕はどんな産声をあげるんだろうねぇ? もうすぐ坊やが行くから、待っててねぇ」


 ついにはそこに顔を寄せて、ほおずりを始めてしまった。


「そ、そんなの知らない! 知る訳ない! やめてよっ!」


 あまりに理解不能な言動の嵐を前に、生理的にも心理的にも限界に達したテティスは、反射的に彼を押しのけようとする。

 だが細いながらも良く鍛えられた肉体に逆に押し返され、よろけて尻餅をついてしまう。


「おっと、つれないママだねぇ。でも時間はまだまだたっぷりとあるからね。……おい!」

「はっ!」


 配下の騎士たちが前へと進み出て、倒れたテティスの両側をつかむ。


「き、キミたち何を……! 放してよ!」

「万が一ママがどこかに消えたらさぁ。僕ってば、何のために頑張ればいいのか分からなくなっちゃうよねぇ? だからさ、念のため確保させてもらうよ?」

「……初めからそのつもりでっ! こんなことして、本当にタダで済むと思ってるの! 伯爵閣下に言えばいくらキミだって!」


 養女とはいえテティスは一応伯爵の娘だ。

 そんな彼女をぞんざいに扱えば、子爵である彼とてタダでは済まないはず。


 しかしそのことはシェゾーも織り込み済みだ。


「安心しなよ。何もしないさ。今はまだ、ね」


 逆を言えば、この戦いが終わり彼の妻となることが正式に決定すれば、どうなるか分かったものではない。

 整った顔を醜く歪ませながら、ペロペロと舌なめずりを続ける彼の姿がそれを強く物語っていた。

 

「助けて……オルト」


 すぐ先に待つ絶望的な未来を想像し、テティスは力なくそう呟いた。


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