16 魔術と魔法
眠っていたテティスが目を覚ます。
「あれ……ここは?」
見慣れたベッドから上半身を起こすと、すぐ傍にはマントを羽織った大男が立っていた。
「おう、やっとで起きたか?」
「なんでキミがここに!? ああ、そっか……。ボク気を失ってたんだね。なんだか手間をかけさせちゃったみたいだね。ゴメンよ、オルト」
眠気まなこをこすりながら、ペコリと可愛らしく頭を下げる少女。
「はん、気にすんな。それよりもよぉ、もうちょい肉食ったほうがいいんじゃねぇか? 軽すぎんぞ」
「……余計なお世話だよ。てか、よくよく考えれば、悪いのは全部キミじゃないか……」
ようやく頭に血が巡り始めたのか、こうなった経緯を思い出した少女がジト目を向ける。
「まあ細かいことは気にすんなや。んで、どうだったよ?」
「はぁ、まったくどこが細かいのさ。別にいいけど。……結論から言うと、結界を抜けるだけなら多分可能だよ」
「マジか! やっぱおめぇスゲェ奴なんだな!」
真っ直ぐな誉め言葉が嬉しかったのか、テティスは照れたようにして自分の青い髪をもてあそぶ。
だがすぐに緩んだ表情を引き締め、言葉を続ける。
「ただね。色々とこっちも準備が必要だから、どうしても時間はかかっちゃうと思う」
「……時間てぇと、どのくらいだ?」
「そうだね。少なくとも一月は見て欲しいかな?」
「そんなもんか。俺は別に構わねぇぜ」
もっと長期に渡る可能性も覚悟していたのか、拍子抜けといった反応だ。
「何か手伝えることはあっか?」
「うーん、大丈夫だよ。今度はボクに任せといてよ」
「そっか、んじゃまあ頼んだぜ。んで報酬だがよ……」
何かを頼む以上は、対価を支払うべき。
そんな常識を一応彼も持ち合わせてはいた。
しかしマントの下に着た黒スーツ以外に、彼の所持品はない。
地球に帰りさえすれば、口座にはそれなりの金額があるのだが、それが出来ないから困っている訳で……。
「ああ、そんなの要らないよ。フローラを助けてくれたせめてものお礼さ」
「いいのかよ?」
「うん。それにちょっと――いやかなり怖かったけど、ボクとしてもあそこに行けてよかったしね」
そう言って顔を天上へと向ける。
あまりに急だったため戸惑ったのは事実だが、あんな大空高くまで行ける機会なんて普通はない。
僅かな時間とはいえ雲の上から自分の住む世界を眺められたこと、何より魔法陣の存在を直接確かめられたことは、テティスにとっても得難い経験だった。
「ん? 気に入ったんなら、いつでも連れていってやんぞ?」
「ははっ、それは嬉しい申し出だね。けど行く前にちゃんと断ってからにしてよ」
「おうよ」
◆
それから一週間ほど、二人だけの穏やかな生活が続いた。
といっても特に甘い感じなどはなく、テティスは殆ど屋敷の自室に籠り作業に没頭していた。
一方のオルトも低重力下での筋力の衰えを気にしてか、一日中トレーニングに勤しんでいた。
二人が一緒に過ごすのは主に食事の時間だ。
「んー、調査隊の到着がやけに遅いね? なんでだろ?」
食後のお茶をすすっている最中、テティスがふと思い出したような顔でそう零した。
「ん? 昨日来た奴じゃねぇのか?」
「あれはタダの先触れだってさ。ボクから事情聴取したら、すぐに王都にトンボ返りしたみたいだし」
「はぁん、あのクソトカゲの生死なんて、上の連中にとっちゃ案外どうでもいいってことか?」
「まさか! そんなこと絶対にあり得ない! ……はずなんだけど」
テティスは勢いよく断言した後、すぐに自信なさげに顔を逸らしてしまう。
これまでの彼女の人生において、邪竜フェクダの存在こそが最大の障害であった。
始まりはその身に宿す魔力を見出されて、いけにえに選ばれたこと。
だが彼女は与えられた僅かな時間の中で必死に魔術を学び、自らの才覚を――利用価値を周囲に認めさせ、死の運命から免れる。
だがその身代わりとして、今度は親友のフローラがいけにえに選ばれてしまい、それを救うための研究に打ち込むこととなった。
さながらどこまでも追いかけて来る影のような存在であり、それを打ち払うために多くを捧げてきたと言える。
それもあってテティスは人一倍邪竜フェクダの存在を重く見ていたが、その脅威に直接晒されていない王都の人間たちが果たしてどのように考えているのか、イマイチ確信を持てずにいた。
「なぁ、あのクソトカゲってそんなにヤベェ奴だったのか?」
「当たり前でしょ! ねぇ、ドラゴンが人間よりも遥か上位の生命体だってことくらいは知ってるよね?」
もちろんオルトは知らないが、話の腰を折るまいと黙って続きを促す。
「その中でも頂点に立つ八大竜、そのうちの一体があの邪竜フェクダなんだよ。膨大な魔力を持ち、強力な闇の魔法を操る絶対的な存在。本来なら人間がどうにか出来る相手じゃないのさ」
「なぁ、前から思ってたんだがよ。その魔術とか魔法とかって何なんだよ?」
どちらも魔力を使った不思議な技だということは、何となくだが分かる。
ただその2つの用語をテティスは明確に区別していたが、どこがどう違うのかがサッパリだったのだ。
「ああ、その辺も知らないんだったね。じゃあちょっと外に出ようか」
というわけで屋敷の裏側にある広場へとやってきた二人。
ここはテティスが魔術の訓練場として普段用いているスペースだ。
「あそこに小さな岩があるでしょ? 見ててね」
テティスの目の前に、拳大ほどの小さな炎が出現した。
彼女が杖を振ると、その動きに合わせて小岩へと飛翔していく。
「おおっ!? 何の手品だよ、そりゃ?」
炎が小岩を吹き飛ばしたのを見て、オルトがそんな声をあげた。
「もう! 手品なんかじゃないよ。これが魔術さ」
「はー。すげぇんだな」
オルトは感心ながら、杖と岩の残骸へと視線を往復させる。
だがまだ説明は終わっていないらしく、杖の矛先が変わる。
「今度はあっちにいくよ」
そちらには、さっきよりも何倍も大きな岩があった。
またテティスが目の前に炎を生み出す。
だが様子が異なった。
「あん? なんかさっきのより大分デカくねぇか?」
オルトの反応にニヤリと笑いながら、テティスがまた杖を振る。
再び炎が飛び、今度は大岩を粉砕した。
「はー。そんなんも出来るのか。魔術ってのは便利なんだな」
「感心してくれるのは嬉しいけど、本題はここからだよ。ねぇ、最初のと今の、使った魔力にどのくらい差があると思う?」
「使った魔力の差だぁ? ……まあそうだな。岩のデカさから考えりゃ、10倍くらいってとこか?」
2つの威力を比べ、それくらいの差があると判断を下す。
「うん。君の感覚は正しいよ。けど残念ながら不正解だね」
「ああん、どういうこった?」
「威力が10倍くらいなのは合ってるよ。けど消費した魔力は更にその10倍。ざっと100倍くらいなのさ」
「ほー、そりゃまた……」
随分割に合わない話だと、怪訝な表情を浮かべるオルト。
「君の言いたいことは分かるよ。魔術は魔力を対価にして奇跡を起こす。けどね、規模が大きくなるほどに要求される対価が加速度的に増えてしまうのさ」
「ほー、そんなんじゃ威力上げる意味なんてねぇな」
「だと思うでしょ? でも、そうもいかないんだよね」
「けどよぉ。あのクソトカゲは、現にそうしてたじゃねぇか?」
オルトが言っているのは、邪竜フェクダが彼に使った闇の魔法についてだ。
当時はそれが魔法だということにさえ気付かなかったが、今なら分かる。
魔法を同時に複数扱う事で、その威力を上げていたことも。
「そう。そこが魔術と魔法の一番の違いなんだよね。魔法はそういった並行発動が割と容易なんだけど、魔術はそれが出来ないのさ。まあ人によっては2、3くらいまでならなんとかなるらしいけど……」
「ああ、そういう意味かよ。けど、なんでまたそんな不便なのをわざわざ使ってんだ?」
話だけを聞けば、明らかに魔法の方が優れている。
「その理由は簡単さ。ボクは――いや人間には魔法は扱えないんだよ。魔術はね、ドラゴンなんかの高位生命体が扱う魔法を、弱い人間にも扱えるようにした、いわば劣化版に過ぎないのさ」
テティスが己の無力さを嘆くような表情を浮かべながら、淡々とそう告げた。




