テラ救世主《メシア》
一体誰が最初に言い出したんだろうか。
現世において善行や布教に励めば天国に行けるとか来世で救われるとか。
信じなければ地獄行きだとか畜生に生まれるとか。
一体誰がそんな都合の良い話を始めたのやら、今の僕はほとほと理解しかねている。
だって善人か悪人かと問われれば悪人だったと思んだ。
友達に借りた金を返さなかった。
時に暴力を振るう時もあった。
心ない一言で誰かを傷つけることも多かった。
神様なんてもちろん信じてなかったし、それを寂しがりの傷の舐め合いくらいにしか見ていなかった。
何より親より先に死んでしまったのもいただけない。きっと両親は僕の死を悔い続けるだろう。
なのに……なのにおかしいんだ。
だからそんなはずないんだ。僕にそんな価値はない。
そんな価値なんてないはずなのに僕に与えられたの来世ってやつが……。
・
いやおかしいでしょ。
それが生まれながらに救世主として誕生していました。
今年で12です。かれこれずっとずっと神殿で暮らしています。
特技は奇跡です。石をパンにしたり水をぶどう酒にしたり偉い人を奇跡の力で復活させます。
動物の言葉とかも聞こえちゃってちょー面倒です、それがうるさいのなんのって疲れちゃいます。
さらに動物だけならまだいいんですが、たまに父親風吹かせる主神って絶対神様から神託が下ります。
それが辛気くさい上に身勝手でプライベート無視の一方的ビデオ通話状態。
もちろんそこに親子の愛情だとか、団らんだとか呼べるものなんてどっこにもっ無いです。
もう何とかこのクソ迷惑な神託をブロックしたいものです。切実に。切実に。切実に。切実にアフィ広告以下のこの神託をブロックしたいのです!
とまあ……因業な来世といえば来世なんですが、何もこんな小悪党の自分を救世主にしなくても良かったんじゃないかと。
おまけにコレ、僕が何してもみんながみんな前向きに勘違いするんだよ。
たとえば神交りの鏡とかいうバカでかい神代遺物をホワタァー!っと跳び蹴りでぶち割ったんですが……。
鏡に悪魔が乗り移っていたのじゃぁ、さすが救世主様っ! とか何とか勝手に超解釈され事なきを得ました。
悪のりで神官の幼い女の子を口説いたら、その晩すぐにその子の一家一同が寝室に総登場です。娘を救い主様に捧げますとかなんとか……もうね、コレ、もう、ああ、ああああ……おかしいんだ……絶対……絶対……。
……そうだね、もうイヤだよ。
もうイヤだ、もうイヤ、こんなのバカじゃないか。救世主って一体何なのさ。僕はそんな立派な人間じゃない。
「もう救世主止める!」
「へ……止めると申されましても貴方は生まれながらにして……」
主神にも等しい僕が宣言すると一番偉い教父は意味がわからないと首を傾げる。それがまた気に入らない。
「いやだからもうそういうのいいから! 止めるったら止めるからっじゃバイバーイ!」
「なっ消えっ、きゅ、救世主様っっ?!!」
どうして最初からこうしなかったんだろ。
神殿を脱走した僕は追っ手をかいくぐるために人類の対立陣営……つまり魔界を目指した。
魔界と人間世界を隔てる巨大長城を、奇跡の摩訶不思議イリュージョンで素通り突破して、さあっいざ自由の魔界世界へ!
さあ来たっ、迷いの森っ、酸の沼っ、魔物の巣窟っ、息をも止める毒ガス地帯っ。
自由の旅路をエキサイティングなアトラクションが彩り、僕を全力接待してくれる。
最高だ、こういうのを待っていたのだ、もっと荒ぶれ魔界、もっともっとすごいの来い。
そうやって面白おかしく観光していくと巨塔と町が見えてきた。
どうもそこが魔界の首都らしくて、だからこれ幸いと僕はその巨塔に勝手ながら招かれることにした。
当然招かれざる客に期待通りの歓迎をしてくれたので、お気持ちに応えなきゃと上位魔族たちと拳で語り合う。
するとやっと巨塔の主が会ってくれると言ってくれた。
その巨塔はバンモデウムと言うらしい。やっぱりこれが王城だったみたいだ。
「帰って下さい」
塔のその最上階で顔を合わせるなり、地獄の総指令ルシフグスさんがそんなつれないことを言い出した。
迷惑でたまらないと邪険な態度で、美しい山羊角青肌の貴公子様が人の前で頭を抱えている。
「まあそう言わず話を聞いてよ。僕、救世主、父は主神なんとかかんとか。全部もうだるくて家出してきたからかくまって、地獄の軍門にでも何でもつくからさ」
「帰って下さい!」
彼とは友達になれそうな気がする。
そんなわけでちょっと強引にそのカッコイイ彼の邸宅、バンモデウムに住み着いた。
「帰って下さいって何度も言ってるでしょ!! このままじゃ戦争になるじゃないですか!!」
するとその晩ルシフグスが僕の部屋に来てくれた。
奇跡の力で石をパンにして家財道具を魔族たちから買い取り、それなりの住環境が出来上がった頃だ。
「え、キミら主神なんとかに反乱起こしたんでしょ、むしろ何で戦わないのさ」
「そんなものは二世紀以上前の話です。いいですか普通に考えて下さい、いつまでもいつまでもそんなありもしない恨みを引きずるとかバカですか。そんな殺し合いをさせたいのは貴方のお父上くらいですよ。もう一度言います、バカですか貴方がたはっ!」
何か想像してたのと違う。
ごもっともだけどそれじゃつまらない気もする。
「ああそう、じゃあ僕ここに住むからあらためてよろしくねルシフグス。そうそう飲み物ないからお酒ちょうだい、奇跡の力で水に逆変換するから」
「人の、話を、聞かない、人ですね!! 帰ってっ帰ってっ帰ってっ帰ってっ帰って下さいよぉぉっ!!」
美しき貴公子様が長い銀髪をかきむしり、それから毎朝毎昼毎夕毎晩その言葉を僕に繰り返してくれた。
やっぱりここは天国だ。彼の邪険な言葉が僕の魂にしっとりと馴染む。
・
それから一月後。
魔界の諸侯たちと仲良くなってそう経たないうちに、人類圏との大戦争が勃発していた。
「っっ……。誰のせいでこうなったと思ってるんですか……」
「うんもちろん僕のせい」
でもそんな事情知ったことじゃない。もう救世主様はイヤだ。
「貴方は救世主なんかじゃなくて正真正銘の悪魔ですよ……ぁぁ、胃が痛い……」
「ルシフグスはそう言ってくれるから好きだよ。そうだよ、僕は救世主なんかじゃないんだ」
彼を含めた魔界の大物たちが好きだ。
彼らはちっとも僕をあがめようとはしない。武闘派なんかは僕の運んできた戦乱に大喜びしている。
「帰れ……」
「やだなぁ今さら戻れないよ。ルシフグス、もう誰にも止められないんだ、もちろん僕にもね」
救世主様を救わんと人間たちの連合軍が魔界を侵略、各地にて激戦を繰り広げた。
それから10日くらいが経っただろうか。
バンモデウムの居候の身に朗報が入った。
人類および主神勢力が偽救世主、偽りの救世主の称号を僕にくれたのだ。
つまりこれでメシアのお仕事も晴れてお払い箱だ。ついに目的が叶った。
というわけで感謝を込めてルシフグス総司令に協力を申し出た。
「もうこれ以上かき回さないで下さい! どんだけ身勝手なんですか貴方!」
「そうは言ってもルシフグス、手を貸さなかったら貸さなかったでキミは怒るだろ」
「フ、フフフ……私はね……もう怒りの感情も枯れ果てたよ……貴方にはあきれ以外のどんな感情も抱かない……」
ちょっといじめ過ぎただろうか。
不思議と嫌われてる感じはしないけど、やっぱり念のためここで媚びを売っておこう。
「まあまあそう言わず。僕の安っぽい奇跡で戦線をひっくり返そうじゃない」
「ククク……いいだろうもうヤケクソですっ! やれるものならやってみて下さいよこのペテン師め!」
「いいね、それも反救世主らしくてすごく良いよルシフグス。さ、じゃあ段取りだけどね……」
簡単な話だ。
人類たちには長城という堅固な補給線と退路があった。
これのせいで魔族は守りを余儀なくされ、ここが恐怖の魔界であるにもかかわらず人々の士気が保たれていた。
だから救世主様のミラクルチートでこの長城を素通りさせた。
長城の向こう側、手薄な森林地帯に精鋭主力を移動させて、背後と正面から襲いかかった。
結果いともあっさり長城の半数が陥落した。恐慌に陥った人類連合軍を魔軍総力で電撃侵攻して後退させ、やがては我が故郷である神殿まで追いつめた。
ここまで戻って来てみると、すっかり主神パパの神託が下りなくなって久しいと感慨に浸る。
魔界での生活に順応し過ぎたせいか、この栄華ある白亜の大神殿ってやつが醜く野暮ったく見えてしまう。
ああ、何て人間世界は醜いのだろう。
「お兄様!!」
そんな僕の前に見目麗しき聖女様が現れた。
茨の冠と絹のドレス、美しき金髪の……あれれ、何か僕によく似た女の子だった。
「お兄様は堕落しました!! 人類と神を裏切った反救世主よ、貴方の罪をわたくしが裁きましょう!!」
何となくその言葉で理解できた。
彼女はきっと代わりなのだろうと。
「ああっ我らが主神はこうおっしゃいました、裏切り者の腸を我が供物とせよ! それが腹違いの兄のものであったとしても、と!」
「あれが貴方の妹ですか。なるほど人の話を聞かないクズっぷりがよく似ている」
「知らん知らん、初めて会ったし僕」
この大神殿を陥落させればこの戦い勝ったようなものだ。
人類の仮初めの同盟も盟主を失えばたやすく瓦解するだろう。
「ガキがなに偉そうなこと言ってやがる、死ねぇぇっクキャァァーッッ!!」
救世主の代役さんに命知らずのアークデーモンが飛びかかった。
「天罰です」
けれど彼女が軽く手をかざすだけで聖光が放たれる。たかがちょっとまぶしいだけのその光が、アークデーモンと背後の軍勢ごとを灰へと変えていた。
「さあお兄様、惨たらしく殺されたくなかったら自らその心臓を主へと捧げなさい。偽りの救世主にも情けくらいは与えられるでしょう」
それは奇跡としか言いようのない桁外れの力だった。
僕の目の前にいる女の子は正真正銘の救世主だ。僕と同等の力を持っている。
「ははは……」
笑う。
「ええそうでしょうお兄様、笑うしかありませんね! その気になればわたくしはお兄様のお友だちをあっと言う間に蒸発させることが出来るのですよ!」
「ハハハハ!!」
超笑える。
「さあひれ伏しなさい! 神に、わたくしに、醜い裏切り者の臓物を捧げるのです! そうすればお友だちだけは救って……」
「アハハハハハハッ、アーッハーッハッハッ!!」
メチャクチャ笑える。
「お、お兄……様……?」
「おい貴様、笑い事ではないぞ! やっぱり貴方は疫病神だ! この状況でなぜ笑うっ、つくづく貴方という人はっ!」
ルシフグスの不平も真救世主様の勝利宣言も笑いを止める力にはならない。
彼らは戸惑い、僕の気が狂ったのではないかと疑いだした。
「なにがそんなにおかしいのですお兄様っ、わたくしが本物で貴方が偽者! 早く惨めに助けを媚びなさい!」
この子もだいぶ歪んでいる。
やっと笑いが収まって僕は高く青ざめた空を見上げた。
「……何が救世主だ」
強烈な否定の感情が低く重く吐き出される。
ギョッと彼女の瞳が戸惑い僕を見る。
「何がメシアだ……安っぽい……」
「わ、わたくしが安っぽいですってっ?! っ……!」
やっぱり僕は悪人だ。
陰気で邪悪な僕が目を向けると彼女は怯え一歩後ずさる。
「その気になればいくらでも生み出せるんじゃないか」
自分を作り物と断定されて美しき妹君が歪む。
「この肉体に生まれついてよりずっと思っていたよ。奇跡ってずいぶん安っぽいね。そんなものに頼ろうとする人間も、ちょっと脱走しただけで替え玉たてようとするその社会も神様も……」
「わ、わたくしは替え玉なんかじゃありませんっ! お兄様なんかよりずっと神に忠実な……っ、世界の救世主なのですわっ!」
下らない。救世主も、神も、人も、全て下らない。
特に彼女は僕が心より拒絶するものの一つだ。だけどいつか彼女も僕と同じようになるだろう。
救世主のお仕事というものがいかに下らないか、その身をもって知るだろう。
「ずっと思っていたよ。ずっとずっと、ずっとね。この12年ずっと思っていた。だからありったけの力を込めて偽救世主は奇跡を起こそう。これで力が枯れたってかまわない」
天へと両手をかざし僕は願った。
まばゆき光が地から天へと立ち上り、柱となって偽救世主の願いを飛翔させる。
「おお偉大なる主神よ……。今よりこの地に生まれし子という子に異形の呪いをかけたまえ……。人の子は魔族の姿に、魔族の子は人の姿に……愛しい貴方の迷い子らにアベコベという名の試練を与えたまえ!」
光柱がつむじ風を生み天空の雲を貫く。
救世主の力は副次的なものに過ぎない。
救世主とは一つの鍵だ。
救世主だけが被造物代表として神との契約を結べる!
「止めろっ貴方は何て願いを勝手に……っ!」
「そんなっ、そんな願いを神が叶えるはずがないですわ!! お兄様は既に神に見放されているのですっ、偽救世主の願いを聞く神がどこにいるというのですっ!!」
けれど応えるように天よりまばゆき光が降り注いだ。
それが大地を白く白く目も開けていられないほどに照らし塗りつぶす。
虚空より威厳ある声が響いて大地を揺らした。
「そなたこそ救世主、そなたこそ我が子。なればその願いを新たなる契約として結ぼう。全ては我が子らへの愛ゆえに。今日より我は祝福する。人の子は魔となり、魔の子は人とならんことを……」
その日より人間の腹から魔族の子、魔族の腹から人間の子が生まれる世界が出来上がった。
人々は主神の慈悲深さに震えおののき、それどころではないと人間と魔界の戦いもただちに膠着、停戦を迎えていた。
なぜなら片方を滅ぼせば、自種族の根を断ち切ることになってしまうのだから。
これは争いを続ける者たちへの罰なのだと、人間たちは勝手にまた安っぽい勘違いを始めていたのだった。
・
――バンモデウム最上階・ルシフグス邸――
「とんでもないことをしてくれましたね……。何て無慈悲なことをしてくれたんですか偽救世主……っ。争いこそ収まりましたが……今や世界中が絶望の叫び声を上げていますよ!」
「そうだねルシフグス、僕もあの日ほど自分のことを悪人だと、悪魔だと思った日はない。若気の至りって怖いね」
多忙な政務にルシフグスの顔に深いクマが張り付いていた。
日に日に魔族の腹から人間が生まれ増えてゆく。
その子らをどうするべきなのか、答えのない究極の選択に断言下す会議が連日連日と続いた。
けれどもう答えは出ている。
生まれたばかりの子を輸送なんて出来ないのだから、この魔界で育てる他にない。
それは人間の世界でも同じことだ。
「しかし……どうして主神はこんなバカみたいな願いを受け入れたのだろうか……。人間の勢力だって何の特もしないではないですか……わけがわからない……」
答えをくれとルシフグスが僕を見た。
げっそりと疲れた顔に好奇心が浮かび、それがどこか若々しく彼を飾りたてる。
「さあね。でも長い救世主生活をしてきて気づいたんだ。……というより知らなかったのかい?」
「ええ知らないですね……知るわけがありませんよ……」
そんな邪険な態度をとられると嬉しくなってしまう。
その心の底では僕のことが大好きなんだろう。
……とか言ったらヘソを曲げそうだ、黙っておこう。
「ルシフグス、神様ってヤツはどこの世界でも意地悪なんだよ。だって世界の外側からこちらを見つめて干渉してくるような暇人だよ。世界が面白おかしくドラマチックに動くのなら、どんな願いだって受け入れるだろう。しかも他ならぬ人類の代表、救世主の願いなんだ。試練という大義も立つわけだから断る理由もないよね」
「ああ……なるほど……キチガイの発想はキチガイにしか理解出来ないということですね、よくわかりましたよ……やっぱり貴方は疫病神です……」
うんそりゃ言い得て妙だ。
やっぱり僕って悪人だ。
ああそうか、救世主ってだから悪人じゃなきゃなれないのかな。
そう考えて見れば納得だ。
過去に結んだ約束を反故にして身勝手に上書きを宣言してしまえる無責任な人。
それがきっと救世主の資質だったんだ。
「さあルシフグス」
まあそれはそれとして……この際だから最後まで貫き通そう。まだ僕らの戦いは終わっちゃいない。
「これで人類と魔族が共依存の関係で結ばれた。もはやこの契約が続く限り離れることは出来ない。ならば準備を始めよう……」
僕の狙いをみんな勘違いしている。
僕は別に戦争や仲違いを終わらせたかったんじゃない。
彼らを一つにまとめるために神様を騙しただけだ。
「偽救世主は偽救世主らしく、魔族は魔族らしく、キミらの祖先がしたのと同じことを始めよう。もううんざりだよ僕は……」
魔界の辛いぶどう酒をグレープジュースに変えてそれをあおる。
「……ッ?! ま……まさか……まさか貴様……ッ」
その言葉を大きな声で告げるのはさすがにはばかられて、だから僕は魔族の長い耳元に唇を近付けて言ってやった。
「始めようルシフグス」
少年の甘く高い声でそれを告げると、魔族の貴公子ルシフグスはその身をゾクリと震わせた。
「神への反逆を……」
人と魔族の力を結集して神とこの地の繋がりを断つ。
全ては神の過ちだ。
僕という悪を救世主に選んでしまった、愚かな神の過ちだ。
「私は間違っていたようです。貴方は救世主でも偽救世主でもない」
ルシフグスはたかが12歳に過ぎぬ僕の足下にひざまずき、細い足首へと接吻した。
それから熱を込めた瞳が僕を見上げる。
「我が主よ、貴方こそが反逆の魔王だ」
人造メシアは自動的にカオスルートに走るフラグが立ってると思います。