攻防の末に
エルフたちの矢は雨のように降り注ぐ、なんて生易しいものではない。
精霊の加護を受ける矢は弾丸のように直進し、肉を容赦なく貫く。霧の奥深くから超高速で迫るそれは、魔族のずば抜けた反応速度といえど避け続けることは不可能だ。
だが、魔族の精鋭は並ではない。
粘生体が進化したであろう魔物が矢を防ぐように姿を変えた。
一瞬前まで人型であったはずの生物が突如として口を開くように姿を変えると、飛来した矢そのものを飲み込んで、瞬く間に消化してしまう。
霧の奥深くで気配を消すエルフたちだが、それでも魔族からの攻撃が止むことはない。
魔力を察知して攻撃を仕掛けてくる者、気配を察知してくる者、あるいは何となく、で攻撃をしてくる者までいる。
種族によっては酸を飛ばしてきたり、針のような体毛を飛ばしてきたり、強大な魔法を放ってきたりと、対応するのは難しい。
個で戦う魔族に対して、エルフは容赦なく集団戦を仕掛けることで対応する。
だが、それでも押し切れず戦線は緩やかに硬直していく。
「ここまでは、概ね想定どおり――」
霧が覆う戦場に時折魔法の光が音を唸らせ輝きを発する。白い霧に血の雨が混ざり合い、戦いは一層激しくなっていった。
そんな戦場全域を監視する六つの瞳を通じて正確に見据えながらナハトは言葉を零した。
親衛隊筆頭の錬金術師が手がけただけあって、浮遊する六つの瞳は最高位の隠密性と霧などものともしない高画質の映像をナハトに届けている。
異世界喫茶の中で、男性にだけ渡されたそれは変態の長がプレイヤーは勿論のことゲームシステムさえ相手取って覗きを行うために製作されたという、残念な経歴を持っている。
(あの人は……本気で女湯《システム的不可侵領域》を覗くつもりだったな……)
可能性があるとすれば、一部の究極宝具だけだろう。
そう言う意味では、あの人は本気で――己の手で究極宝具を作り出すつもりだったのだ。
動機は不純だが、生み出された作品はどれも素晴らしいから困りものである。
今もこうして、離れた場所から戦場の全てを見通すことができるのだ。
「ママ……」
不意に、シュテルの不安そうな声が耳に届いた。
ナハトは小さなわが子を膝に乗せて、優しく声をかける。
「どうしたんだ、シュテル?」
「パパ、助けなくていいの……?」
不安そうなシュテルの言葉に、ナハトは軽く笑って見せる。
「これはパパの戦いだからな――私が余計な茶々を入れるとパパに叱られてしまう」
ナハトは最も険しい戦場に立つことになるであろうアイシャを思いながら、言葉を紡ぐ。
「それにな、パパは強いぞ。私たちが思うよりずっとずっと強い」
小さな体に、大きな信念を宿し、ナハトの考えのさらに先を行くアイシャは、強い。
ナハトは誰よりもそのことを知っている。
「シュテルは……戦わなくて、いいの……?」
脅えるように、シュテルはナハトを見上げてきた。
小さな体が微かに震えている。
無理もない、彼女は魔族に一度殺されたと言っても過言ではないのだから。
「アイシャは勿論、エルフたちもシュテルを守るために頑張っているんだ。だからシュテルは目を逸らすな――皆が、パパが一生懸命戦っている姿を見ることこそがシュテルの戦いだよ」
小さな体を震わせて、それでもシュテルは真っ直ぐと前を向いた。
「あい、シュテル、パパを応援するっ!」
「うむ、一緒にパパを応援するとしよう」
そう言って、ナハトは優しくシュテルを撫でる。
酷く穏やかな雰囲気とは対照的に――
「はぁ……で、なんで僕はまた呼ばれたんだい、主様――それも、こんな楽しそうなことやってる場所にさ」
ひどく不機嫌そうなレヴィがナハトの背で毒を吐いた。
「ふむ。いたのか、レヴィ」
「いたのか、じゃないよ! 呼んだのはあんたじゃないか、主様っ!」
「まあ今は別に、お前に用はないのだが――」
「――じゃあ呼ばないでよ! ってあれ、なんか既視感が……」
だらだらと不満を零すレヴィにナハトは告げる。
「お前は保険だ、レヴィ――最も、必要になるかどうかは相手次第だがな」
◇
ガイルザークが豪快に佇む本陣は、他の場所と比べても比較にならないほど濃い濃霧に覆われていた。
それに加え、音は響かず、外からの伝令も一度来たきり、二度目はなかった。
戦闘に夢中になっているのか、それとも既にやられたか、それとも濃霧に阻まれ侵入が難しいのか、思考を巡らす間にも少しずつ時間は過ぎていく。
(……してやられたのう)
参謀を見るも、流石に予想外であったのか、様々な手段を用いて外と通信を取ろうと奮戦しているようだった。
一歩飛び出せば、そこは罠かも知れない。
そんな危惧もある以上、迂闊に動くことも難しい。
(簡単に負けるような柔な連中ではないが、このままというのも面白くないのう)
それに、苛立つジンが無音で金棒を叩きつけている辺り、そう長くは我慢が利かないだろうとも思う。
圧倒的有利となるはずの結界は何故か機能せず、逆にこちらが結界に囚われる有様だ。
正面から力でねじ伏せる根っからの武人なガイルザークの趣味と、戦場全てを見通すためにという実用性から高所に設置した本陣は敵からも見えるが故に、こちらの位置をあっさりと伝えることになった。こんなことになるなら、と考えなくもない。
ガイルザークは馬鹿ではない。
深く、思慮深く立ち回ることが嫌いなだけだ。
そして今も、考えることが面倒くさくなってきている。
知略でいかに上手く戦おうとも、圧倒的力で捻り潰せばいい。それがガイルザークの本心だった。
百計をただの拳で粉砕する。
そんな在り方を体現した者がいたのだ。遥か昔に憧れたあの人の姿が、ガイルザークの理想でもあった。
その姿に、ナハトという少女が何処か重なるようにも思える。
(緒戦は間違いなく相手が上手――だが、それだけじゃな――)
この時、ガイルザークは決心した。
戦局を大きく動かすことを決めたのだ。
立ち昇るは赤く、猛々しい鬼の気。
荒々しく昇った気が、人の身の丈を軽く越える巨大な戦斧に纏わりつく。
その威圧は、音のない世界で空気を叩き震わせる。
そんな、ほんの一瞬で――辺りの霧が逃げるように僅かに散り、
「――――――かぁあああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
裂帛の咆哮が、世界を震わせた。
「だ、大妖鬼の戦声……やるならやるって言いなさいよ…………」
濃霧が逃げ去るように、僅かに晴れる。
ガイルザークたちを包む霧は精霊王の従えし精霊たちだが、ガイルザークの圧倒的意思を乗せた咆哮は二柱が従える精霊さえも打ち払って見せたのだ。
「む、やはり完全には破壊できぬか――敵もやりおる。さて、手短に――現状外はかなり混乱しておるだろう。故に、参謀フィルネリア、副官ジン、両名は二手に分かれて指揮を取り、侵入者共を打ち払え」
「っと、それでいいのか? 大将が手薄に――」
「がはははは――童が! いっちょまえに我輩の心配か――だが、無用じゃ」
鋭い瞳がジンを見据える。
その瞳が異論は認めんと、告げていた。
「はぁ……了解……行くわよ馬鹿――どうせその人、殺したって死なないから」
フィルネリアは渋々、といった感じに了承を示す。
懸命な判断だった。
結界は完全に破れておらず、いつ修復され音が消えるか分からない。
今はただ、一刻が惜しい状況だった。
だからこそ、フィルネリアは承諾したのだろう。
「ちっ、了解だぁ! こっちも暴れたかったし、ちょうどいいぜっ!」
薄くなった霧を突き破るように、ジンとフィルネリアが駆け出していく。
敵がいかなる策を用いて来ようと、それ以上の純然たる力でねじ伏せればいい。
本陣に残るガイルザークは、濃霧の奥の戦場を静かに見据える。
(切り札は切った――これで、少なくとも前線の勝利は揺るがぬ)
両者とも性格に難はあるが、実力はガイルザークも認めている。
物理的、また精神的攻撃魔法のエキスパートである夢魔フィルネリアと、近接戦闘能力で他の追随を許さぬ妖鬼ジン、並みのエルフでは相手にもならない。
可能性があるとすれば、この結界を張った者だけ――
――と。
そう、思考したガイルザークの脳が、急激に冷える。
使うつもりのなかった思考が、今になって高速で動く。
(敵はこちらの指揮を乱し攻め込んできた――おそらく、これほどの結界を維持している以上、直接には戦闘に関わっていないだろう)
実際、敵の張った結界は、大規模攻撃魔法に優るとも劣らない成果を上げているといえる。
だからこそ、ガイルザークは指揮官であると同時に強大な戦力である二人を前線に投じたのだ。
だが、明らかに今までの全てが相手のペースだ。
だからこそ、戦力を投入させられたと、そう思える。
この策謀を描いた者が最も望む戦局が今の状況だとするならば――
二枚の駒を動かした今、ジンが危惧していたように手薄になった場所はガイルザークのいる本陣だ。霧に覆われたこの場所は、今、この瞬間にこそ、完全に孤立したと言えるだろう。
(結界を張った術者は何処に――)
思考すると、同時。
反射的に身体は動いた後だった。
血に染まっているかのような戦斧が半円を描くように、後方へと振るわれる。
霧に覆われ、空気さえも歪み、何もなかったその空間で――金属がぶつかり合う高い音が鳴り響いた。
「ようやく会えたな――」
霧と言わず、空気までも切り裂く白銀の短剣を携えた一人のエルフがそこにいた。
光と言わず、存在さえも歪ませているようなローブを纏い、
風の精霊をその身に宿し、
瞳に烈火の意思を携えて、
シルフィーはその刃を振るったのだった。




