エルフたちの意地
ウルスは理解している。
それがくだらない意地でしかないことを。
最善を尽くすならば、全てを投げ打ってでもナハトの助力が得られるよう掛け合うべきなのだ。
頭を地に伏せ、慈悲を請うべきなのだ。
そうすればきっと、心優しいナハトの従者は主に頼み込んでくれるだろうし、本人も言っていたように彼女の母の故郷を救ってくれただろう。
だが、ウルスは――いや、ウルスたちは戦うことを選んだ。
何度も何度も死に目にあって、それでもなお自分たちの手で仲間たちの仇を討ち、過去と決別することを選んだのだ。
(ユリスが……あいつが最後まで戦って、なぜ俺が目を背けられる!)
シルフィーに偉そうなことを言っておきながらも、ウルスは心の奥で燃える炎を消すことはできないままでいた。
凄惨な過去であった。
多くの者が癒えぬ傷を負った。
だが、それでも――
「――俺たちはまだ、戦える」
ぽつりとこぼれたウルスの声を合図に、霧の中で二手に分かれたエルフたちが駆ける。霧の中、といえど所詮それは精霊が起こした現象なのだ。エルフにとって、そんな精霊と心を交わし道を知ることなど実に容易い。
眼前には、ありとあらゆる生物を拒絶しているかのような強大な結界があった。シルフィーに聞いた話だが、精霊王の槌でさえ弾き返す上に自己修復の術式まで組み込まれている代物だった。
だが、そんな壁も――今は駆け抜けられる。
青白い壁も、疾走するエルフたちが通り抜けるとなれば、通過するのに要する時間は一秒未満だった。
随分とあっけないとは思うものの、ここまでは予定通りでしかない。
「一斑、左方の術式攻撃陣の破壊、二班、右方から回り込め、罠には十分に注意しろ」
手短に指示を交えつつ、ウルスは先陣をきって駆ける。
すると、唐突に――眼前の土が不定形に隆起した。
唸るような響きと共に、見る見る姿を変える土は瞬く間に防壁を築き上げてしまったのだ。
(知ってはいたが……簡易というレベルではないな……)
侵入者に備えて、二つ目の防壁が作動した。
エルフたちが土の精霊に意思を通わし組み上げる土壁とは訳が違う。表面は魔力を帯びて硬質化し黒々とした色を放ち、至る所に弓や魔法の射線を通す微かな隙間が設けられている。
そんな簡易防壁の上部に位置する場所が、微かに光る。
ウルスがそれを視界に入れた瞬間――
「散開っ!!」
――叫ぶと同時、エルフの密集する場所に着弾した火炎魔法が炸裂した。耳を劈く轟音と共に、背後では熱波が荒れ狂う。
風の精霊に頼んで背後からの衝撃を緩和し、水の精霊の助力で熱波を遮断する。
ウルスは突出した力を持っていない。
自分が器用貧乏であることを自覚しているのだ。
炎の精霊に強く呼応する烈火のような怒りも、水の精霊に呼応する優しい思いやりも、風の精霊に呼応する自由な意思も、土の精霊に呼応する揺るがぬ信念も、持ち合わせてはいない。
感情よりも現実を見て判断を下すそんな性格をしているが、完全に感情を殺すほど冷静にも、非常にもなれない。
だが、それでも――己の力を十全に活かすことはできる。
「力を貸してくれ」
一言。
告げると地面が軽く隆起して、歩きやすい道を象る。
駆けると共に空を飛ぶと、空中に水の足場が顕現する。瞬間的に凝固させた水の足場、それを踏み締め風の精霊の補助を受けて空を昇る。
圧倒的高所、と言えるだろう簡易防壁のさらに上へ――上空に位置したウルスは先ほどと同じ赤い光を見た。魔族、恐らくゴブリンの上位種、ゴブリンメイジがさらに進化し、魔族へと至ったであろう存在が杖を構えて魔法陣を編んでいた。
「遅いっ!」
ゴブリンの魔法が発動するよりも早く、ウルスが意思を通わせた炎の精霊が業火を生む。
「ギュアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
顕現した業火に包まれてなお、ゴブリンが憎憎しそうに視線を向けてくる。
(流石に精鋭か……だが、押し切れる!)
そう判断し、追撃を加えようとするウルズが咄嗟に半身を逸らす。
風切り音が走りぬけ、まるで精霊の加護を浮けたかのような矢がウルスの頬を浅く裂いた。
(そううまくはいかないか……)
ゴブリンメイジにゴブリンアーチャー、剣を携えたソードゴブリンが二匹のフォーマンセル、それも全てが将軍級とも呼べる上位種だった。
「ギギ……ジャマヲスル、ナ……アレハ、オレノエモノダ……」
「ウルサイ……オマエノマホウ……オソスギル……オレノヤノホウガツヨイ」
「ヤルノカ?」
「ジョウトウ、ダ!」
「ケンカ、スル、アイテ、チガウ!」
「ゴズ、ト、メズ、ニ、コロサレルゾ、オマエラ」
同じ種族であるが故に息のあった連携攻撃を仕掛けてくると思っていたが、そうでは無いらしい。彼らはお世辞にも息が合っているなどとは言えない。
ゴブリンたちは渋々といった感じで、各々の武器をウルスに向けて構えた。
(ナハト殿の言っていた通りか――これならプランAでいけるだろう)
ウルスはそう確信する。
「――魔族というのは四対一で相手を嬲り殺す卑怯者だったんだな」
「「ナンッ――」」
「「――ダトォ?」」
わざとらしい挑発だったが、ゴブリンたちは面白いように反応を示した。
「ははは、そうではないか。強者を気取っているだけで、結局は自分たちが有利でなければ戦えない臆病者なのだろう?」
大袈裟に、嘲るようにウルスは言う。
「違うと言うなら一対一で俺と戦うといい。まあ、どうせ、無理だろうがな」
「ググッ、キサマッ! ナラバ、コノ、メイジゴブリンガマホウニテ――」
「マテッ! コイツハオレガキリフセル!」
「イヤッ! オレガイヌクッ!」
俺が、俺が、と口論し出したゴブリンたちの雑音を聞き流しながら、ウルスは精霊魔法を密かに起動する。
話を振って、時間は十分すぎるほどに稼がせて貰った。
「火の精霊よ、燃え上がれ!」
「「「「ナッ――!!」」」
地より噴出した炎の柱は天を貫くように燃え上がる。
「ガァアアアアアアアアッ!! ギサマァ!!」
業火の中、殺気の篭った視線がウルスを見据える。だが、ウルスはただ精霊とだけ意識を通わせる。
「風の精霊よ、逆巻け!」
火を煽る風の手が、炎を包み、逆巻く火の竜巻を生んだ。
燃えさかる熱波が、簡易的に組み上げられた砦の地面をも赤熱させて、ぼこり、ぼこりと物騒な音を奏でていた。
「グァアアアアアアアアアアッ!! ゴノ、ヒキョウモノ、ガ…………」
「何を勘違いしている――俺たちは喧嘩をしているんじゃない、戦争をしているのだぞ」
意地を張っていると理解している。
だが、それでも全てをナハトに任せて、自らは手を尽くさないというのはどうしても納得できなかった。
痛々しい断末魔と共に、散り行く灰にウルズは静かに踵を返した。
◇
「にゃおーんっ!」
霧の最中、先陣を切るタマが高く鳴いた。
視界は一寸先も見えないほどの深い霧に覆われている。だが、タマの瞳は霧の中でなお輝き、類い稀なる知覚は罠を察知しては避け続ける。
「進めっ! 進めっ! タマ様に遅れを取るなよ!」
「タマの姉御に続けー!」
タマが駆け抜けるその先で、多碗の魔物が弓を番える。
空を切裂く疾走音。
同時に地面には亀裂が走り抜ける。
魔族の小隊の連携攻撃がタマを襲うが、崩れた地面に足をつくタマは不安定な足場を異にも介さず加速する。
影を置き去りにして加速したタマは、獰猛な牙を二度閃かす。
今、まさに、タマの額に突き刺さろうとした矢を、噛み砕く。
木片は空に舞い、霧散した魔力がバチンと音を立てて消えていった。
「なっ――!!」
魔族の驚愕もまた一瞬。
だが、そんな一瞬さえも、タマにとっては格好の隙でしかなかった。
閃く爪が弓を折り、獰猛な牙が喉を抉る。
飛び出る鮮血は白に輝くタマの魔力に弾かれ、空しく地を赤く染めた。
「タタキツブスッ!!」
間髪煎れず、巨大な棍棒がタマの頭上に迫っていた。
建物を支える大黒柱のような棍棒は、巨人の魔物が全身全霊で振り下ろしたこともあって、風圧ですらよろめきそうになる破壊力を纏っていた。
だが、それでもタマは動じない。
細められた目はただ、次の獲物を見据え――頭上から迫る棍棒と交差するように疾駆したタマが鋭すぎる爪を閃かす。
速い。
あまりにも速いタマの爪は、光の線であるかのように映っただろう。
現に、巨人は己が首が地に落ちるその瞬間まで、光を追うように瞳を動かし続けていたのだから。
◇
「おいおい! 魔族ってのはどいつもこいつも引き篭もりか、ああん?」
「止めたげてくださいよ隊長――やつら、大将がいなきゃ何もできない無能ですぜ」
「ははっ、それもそうだな。まあ、卑怯者共は安全圏に引き篭もってママの乳でも吸ってりゃいいぜ」
「……ちょっとぉ……男子……下品……」
分かりやすい挑発だった。
訓練を受け、統制の取れた軍隊であれば全く持って意味のない行動であろうことは間違いがない。
だが、ナハトは見抜いていたのだ。
『やつ等は軍に見せかけているが、実際には軍の様相を成していない』
魔族とは力を重んじる、と伝えられており、それはジンを見れば一目瞭然であった。
魔族の根本には力を重視し、尊重し、従属し、服従する、そんな思いが大なり小なり存在し、己も力によって成り上がってきた者たちなのだ。
だが、それでも軍という組織を運用する以上、そこには秩序と上下関係が存在する。
大して実力差がないにも関わらず上下関係が存在したり、認めたくない相手が上司になったりと、そんな当たり前は何処にだって存在しているのだ。
あの脳筋である副官は、宣戦布告に赴いたナハトとの会話の中で二つ、大きな情報をくれた。
一つ目は、自分が副官になれるほど魔族全体の知性は低く、口を開くよりも拳を突き出すほうが好きな戦闘狂が多いということ。
そして二つ目は、挑発に乗りやすく、それでいて力には素直に恭順する性質を持っているということ。
『だからこそ、やつ等は軍勢に見えて、実は素人の集まりに違いない』
ナハトはそう判断をする。
それでも曲りなりに軍事行動を取ることができるのは、まさに次元の違う絶対的強者が彼らの頂点にいるからだ。
ガイルザーク・フォン・クリムゾン。
あいつが命令を下すからこそ、魔族は軍勢でいられるのだ。
だからこその、霧であり、音を閉ざす仕掛けであった。
アイシャとシルフィーが風と水の大精霊の力を借りて組み上げた擬似結界。
視界を覆うのは潜入のときに位置取りを曖昧にしたりする目論みもあったが、実は指揮系統の封殺という意味合いが最も強い。
大精霊二柱がかりの擬似結界は相手の移動を疎外したり、攻撃に転じたりすることは一切できないが、その代わり三名の指揮官の指示を封じることができる。
そうすれば、魔族は最早力を生かしきれない烏合の衆であるのだ。
「やろう、俺様がぶっ殺してやるっ!!」
「おいっ! ばかっ! 出て行くなっ! そこは――」
「ぬぁあああああああああああっ!!」
飛び出た魔族の地面に魔法陣が浮かび、爆発した。
確かにフィルネリアの築いた防衛陣は素晴らしい。だが、それをいったい何人の魔族が把握しているだろうか。まして、その有用性を理解しているものがどれだけいるのだろうか。
なにせ、あのジンがマシな部類に入るほどの脳筋集団なのだから。
一言、持ち場を離れるな、とフィルネリアから指示があれば彼らは曲りなりにも纏るはずだ。
だが、アイシャとシルフィーの結界は音は勿論、魔力による通信も妨害してみせる。
個の強さであれば、レベルを上げたエルフたちよりもまだ魔族は上にいるだろう。
だが、エルフたちは皆が皆ナハトの攻略本を読み込み、敵の弱点から砦の構造に至るまで頭に詰め込んだ精鋭の軍隊なのだ。
復讐に燃え、故郷と仲間の仇を必死になって取るつもりのエルフたちは、戦争へと望む覚悟が違う。
勝機は往々にして存在すると、ナハトは確信していた。




