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城砦結界

 城砦結界。

 城の如く雄大に、その存在を示す自らの魔法をフィルネリアはそう呼んでいた。

 八角錐の頂点にそれぞれ刻んだ魔法陣を結び、天を閉ざす砦を構築する。その構築にかけた時間はおよそ三ヶ月。後、魔力を注ぎ続けること二十年、かけられた時間が齎す濃密な魔力が肌を何度も叩いてくるような錯覚さえ感じられる。

 

 普段は無色透明なのだが、今は薄い青色の光を発して可視化してあった。魔力に対して鋭敏な感覚を持つエルフに対し城砦結界を隠す必要性は薄いだろう。

 それに、鮮やかな光は威圧と共に警告を発しているのだ。

 近づく者には容赦しない、と。


 もっとも、可視化する理由はそれだけじゃない。

 城砦結界は、分かりやすい囮なのだ。

 

 そんな、フィルネリアの目論見どおり、結界の外で陣を成すエルフの先頭から魔力の高まりを感じた。


「うぉおおおおおお゛いっ! 敵さん、やる気まんまんだぞぉ! ほっといていいのか、ああん?」

 荒々しい声で、名目上は副官である妖鬼、ジンがそう言った。


「はぁ……ほんと馬鹿、救えない馬鹿……いいのよ、これで」


「ああ゛?」


「私がこれに今までどれだけの魔力を溜め込んだと思ってるの……あの化物はともかくとして、分裂体なら精霊王の魔法でも数発は余裕で耐える……だからいいの、このままで……」


「言うなれば、囮、というやつじゃのう」

 戦斧を携えたガイルザークが言う。


「どういうことだぁ、大将?」


「この結界は言わば城壁ということじゃ。あやつらは城壁を破るために全力を尽くすことを強いられる。だが、これはそう簡単に壊れる代物でもない。なにせ二十年もの間、参謀殿が魔力を注ぎ続けた努力の結晶であるのじゃからのう」

 仮にガイルザークがこれを攻めたとしても、一時的な穴をあけるならともかく、破るとなれば相応の時間を必要とする。

 魔族の中でも一部の別格を除けば、両の指に収まるほどの実力を持つ古き魔族の一人、ガイルザークを止めることが可能な結界であるのだ。

 それは最早、結界魔法として、一種の完成形といえるだろう。


「あの化物を除いて、一番強そうな二人が最初から全力で城砦結界破ろうとして、自分から満身創痍になってくれるならそれはそれでいいの――仮に破られたとしてもこっちは万全の状態で迎撃できるしね」

 勿論、ただ一方的に攻撃を受けてやる義理はない。

 各地に配置した配下から、時折妨害を仕掛けて疲労を誘うつもりなのだ。最も警戒すべき化物の従者、それに加え復讐に燃えるエルフの守り人、この二人が同時に戦線を離れれば勝負はついたも同然だ。


「戦いは始まる前に終わってるの……兵力、武装、陣地、策略、より潤沢に備えた方の勝ち……普通はね……」

 フィルネリアは空を扇ぐ。

 不安げな視線を隠すように。


(普通は勝てるはずなのよね……普通は…………)

 

 だが相手は得体のしれない化物だ。

 数十年前から魔王の指示で動く不気味な側近。実力はともかく、いい噂を聞かない仮面の魔導師が齎した陰惨な呪いを、たった一日――それも僅かな時間で解放してしまう化物なのだ。

 直接は手出ししない、と明言してはいるものの――それは直接でなければ手を貸す、という意味にもなるのが困りものである。

 何時になく――いや、いつも通り不安で押しつぶされそうなフィルネリアの予想は、早速的中してしまう。


「む……」 


「おいおい、んだこりゃ?」


「……これは、霧、か?」


 ガイルザークの声を合図に、一瞬にして、結界の外が霧に覆われた。つい先刻まで、目の前で隊列を組んでいたエルフ達の姿を目視することができなくなってしまっていた。

 それはまだいい。

 大規模攻撃魔法による結界の破壊を想定していたが、まずはこちらの視界を奪うつもりなのだ。結界を破壊する魔法の行使の際に一方的な攻撃を受けないようにするつもりなのだろう。

 そう、それはまだ分かる。


 だが、これは異常だ。


「なんで……結界の、内側まで……」


 資格を持つ者意外は、純粋な魔力であろうと拒絶する城砦結界の内側にまで、深い霧が立ち込めてきたのだ。

 足元から這い上がる冷気に、体が僅かに反応する。

 耳にざわつく、腹立たしい精霊の声。シルフィーは苛立ちながらも思考を重ねる。


(嘘……侵入された……? こちらに一切感知されずに……?)

 

 馬鹿げている。

 敵はどんな手段を使ったのか、結界の内側にまで精霊魔法を行使したのだ。

 

「おい、こいつはどういう――――」


 取り乱すジンの声が、消えた?

 否。


「――――」


 消えたのは、己の声も同様だ。


(これは――いったい……?)


 フィルネリアの疑問に答える声は響かなかった。

 音と光が失せた世界で、何故だか、結界の内側に設置していた罠が作動し、土煙を巻き上げ無音の爆発が発生していた。

 フィルネリアは頭上を見上げる。

 そこには輝きを放つ結界が、今だ無傷のまま顕在していた。


 あの化物が参加しなければ、一方的に有利な戦いになると、そう思っていた。

 だが、戦いの水勢は、開戦直後にも関わらず混迷を極めていくのだった。











「おい、この攻略本とやらには肝心の結界のことが書かれていないぞ、どうなっている!?」

 家族で食卓を囲う早朝、走りこんできたシルフィーがいつものように喧騒を持ち込む。


「あ、おねーちゃんだ! おねーちゃんもごはん食べにきたのー?」


「シルフィーさん、おはようございます」


「ああ、おはよう、っとそうではなくてだな、答えろ化物――!」


「いきなりだな、ツンツンエルフ。お前も食べていくがいい、ナハトちゃん特製雪豆のシチューは中々の出来だぞ」

 エプロンドレスを翻し、フライパンを片手にナハトは言う。


「む、ならばいただこう」

 

 そう言って、やけに素直なシルフィーが腰掛けると、シュテルが嬉しそうに微笑んだ。


「ママのおりょーり、すーーーーっごくおいしいんだよ~!」


「こらこら、お行儀が悪いですよ、シュテル」

 シチューを掬った匙を片手に、椅子の上で盛大にジェスチャーするシュテルをアイシャが諌める。


「はーい」


 シュテルはぴたん、と椅子に座りなおし、あいも変わらずニンジンをさけたシチューを頬張る。

 元々はアイシャの母の屋敷だけあって、食卓を囲う部屋も随分と広い。

 普段は三人だが、今日は四人。それでもまだ随分と余裕のある食卓をナハトたちは囲った。


「それで……はぐはぐ……何故……んぐ……あの本には……ふぅ……あの城壁とでも呼ぶべき結界のことが記載されていないんだ?」


「食べきってから喋れ、お前も行儀が悪いぞ、全く」


 ナハトは紅茶を軽く口に入れ、ゆっくりと飲み込む。


「まあ、言ってしまえば結界は今回、無視することにした。ただでさえ戦力で劣り、実力でも劣っているのだ――あんな物を一々相手にしていれば、勝ち目など最初からなくなる」

 ナハトの言葉にシルフィーは首を捻る。


「無視、だと? 少なくともあれは、そう簡単に突破できるものではないし、かといって放置できるものでもないだろう」

 現に二度、単騎であの場所に攻め入ったシルフィーは言う。

 なんでも、一度目は無理に破ろうとして結界を破壊した所で力尽き、二度目は力を集約させ一点に火力を注ぎ込むことでほんの数秒、人が一人か二人入れる程度の穴を開けることに成功したらしい。


「もっとも、すぐに修復されていたし――一部を大掛かりに破壊でもしなければ、攻め入ることはできないだろうな」


 それはまさに、城壁と言える代物だった。


「ふむ、やはりあの夢魔は中々にやり手だな――だが、気にすることはない。戦いを邪魔するあの壁は私がなんとかしてやろう、感謝するがいい」

 少しだけからかうようにナハトはシルフィーを見た。


「なんだと……?」


「でも、ナハト様……その……いいのですか?」


 アイシャがナハトにそう尋ねる。

 直接手出しはしない、一度そう発した前言を撤回するかのような振る舞いをナハトが取ろうとしたからだ。

 無論、アイシャのためならば一度口にしたことさえ曲げて見せるが、その必要はなかった。

 ナハトは楽しそうに笑いながら、一枚の紙を取り出した。


「こいつを覚えているか、アイシャ?」


「それって、アイシャたちが宣戦布告に行った時に貰ったあの紙ですか?」


「その通り――高質な呪文書スクロールに術式を刻み込んだ通行証のようなものだ」

 ナハトはあの日受け取った一枚の紙を指の間に挟んで言う。


「それがあれば結界を通り抜けられました! じゃあ、それを使えば――」


「いや、アイシャ。敵もそこまで無用心なはずがない。こいつには色々と仕掛けがあって、既にこれは通行証の役割を失っているさ」


「ぅぅう……ですよね、残念です……」

 落ち込むアイシャの横で、シルフィーがナハトの手にある紙をじっと見つめていた。


「その文字……どこかで…………」


「知ってるんですか、シルフィーさん?」

 シルフィーは首を捻りながら、過去の記憶を必死で探っていた。


「昔、長老たちの書庫で見た気がする……古代文字の一種か……?」


「博識だな。正確に言えば文字は文字でも、これらは数字だ。あの夢魔は合理主義者なのだろう。パスワードを決めるとすればこれ以上に効率的なものはない」

 即ち、0~9までの数字、その十桁の数が通行証のパスワードになっているのだ。

 最も、古き時代に使われた古代文字で記す辺り夢魔の警戒心はかなり高い。普通ならばまず読むことさえできない。ナハトがそれらを知っているのは、アイシャと共に交易都市で勉強した際に、無断で侵入した禁書庫を含む一万冊以上もの蔵書を全て暗記していたからだ。念のため最高齢の長老であるグレイスに確認もしているので間違いないだろう。


「十桁の数字が合致し、尚且つ刻まれた魔力がフィルネリアのものであって初めて、その通行証は機能するようだ」


「ならば複製はまず無理だな――そもそも、同じ魔力の波長を持つ者などこの世に一人いるかいないかだぞ。あれを壊さずに侵入するのは不可能だ……」

 匙を投げるようにシルフィーは言った。

 一度体内で生成された魔力は、微細な波長に様々な形質を持つ。

 その魔力が全く同じ者など、世界中の全ての人間を当たれば一人はいるかもしれない、そんな僅かな可能性があるだけなのだ。


「そうでもないぞ?」


 だが、ナハトはシルフィーをからかうように言った。


「はぁ――?」


 シルフィーはそんなナハトをまるで信用していないようだった。


「まず、魔力を真似る方法だがそれは存在する――」

 最も、それはナハトにしか扱えないだろうけれど。


「不可能だ、私はそんな魔法聞いたこともないぞ!」


「――私は魂を掌りし魂魄龍ソウルドラゴンの龍人なのだぞ? できないはずがなかろう」


 魂魔法ソウルマジックの中には真なる魂の模倣者ソウルイミテーションという他者の魔法を制限付でトレースすることのできる魔法が存在しているのだ。

 レベル差などによって成功率が格段に下がる上、コピーできた所で魔法には得手不得手が当然あるので、劣化コピーの域を出ることはない。しかも、攻撃魔法に至っては自らが攻撃を受け止める必要さえあるのだ。回避特化型のナハトにとって攻撃を受ける、などという選択肢はない。まさに、使えない魔法の筆頭であった。

 だが、他者の魔力を模倣するという意味で、これ以上に便利な魔法はない。


「でも、肝心の数字が分からないと、あの結界の中には入れませんよね?」

 アイシャの言葉にナハトは頷く。


「うむ。だが、それも無問題だ、奴は警戒心の割りに重大なミスをしているからな」


「ミス、ですか?」


「そうだ。確かに数字による識別は効率的だ。だが、些か数が少ないだろう――そうであれば力技が利く――さて、アイシャ、十桁の数字、最もただ並べるだけだから数である必要はないとすれば、十桁のパスワード、何通りある?」


「えっと、え~っと、すっごくいっぱいだと思います……」


「十の十乗は百億ですよ、パパ」

 片目を閉じたシュテルが言った。


「ぅぅう……シュテルは頭がいいですね……というか、十分すぎるほど可能性は多いと思いますが……」

 

「なに、大したことはない――数は限られているんだ、当日の朝にでも手当たり次第に試しておくさ、そうすればあの結界は意味をなさないぞ」

 アイシャ、そしてシルフィーはただ呆然とナハトを見る。

 仮に、その方法に行き着いたとして――普通実行しようとはしない。いや、できるはずがない、とそう誰もが思う。

 あの結界を構築した魔族とて、それは同じであろう。


 だが、ナハトの膨大な術式領域は、そんな人の思慮を嘲笑うかのように、あっさりと正当を導き出すのであった。











 ただ数字だけを使ったパスワードを嫌う風潮はかつての世界では馴染みがある。

 実際、ログインパスワードを抜かれた、などという物騒な話も幾度か聞いたことがあった。

 だからこそリアルワールドオンラインでは、自らのログインIDとパスワードは十二桁の大小を組み合わせた文字で設定していたのだ。


「ふむ。次があれば、文字も組み合わせて見るがいい」

 

 取り残されてなお輝きを放つ結界を見ながら、ナハトはぽつりとそう零した。

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