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開戦

 窓から差し込む青白い光が、白に染まっていく。

 朝を告げる小鳥の囀りが聞えなくなった頃、アイシャは広すぎると感じるベットの上でゆっくりと目を見開いた。

 そのまま体を起こそうとして、失敗する。

 ぼんやりとした意識のまま、お腹に感じた重さに目を向けると、シュテルが気持ち良さそうに寝息をたてていた。どうやら、朝食作りのためにいつも一足先に起き出すナハトの代わりにアイシャのお腹を枕にして眠っているようだった。 

 本当に寝相がやんちゃな子である。


「んみゅ……やや、かため…………」


「失礼ですね!」


「ふにゅ! ……うみゅう……」

 

 幸せそうに眠るシュテルの頭をそっと枕に乗せ変えて、アイシャは広いベットの隅へと這いながら移動して、身支度を整えると再びベットに腰を下ろした。

 幸せそうに眠るシュテルを見て、お寝坊さんだな、とそう思ったのだが、どうやらアイシャのほうがいつもより早く目を覚ましてしまったらしい。

 

 原因はなんとなく分かっている。

 緊張、しているのだろう。

 シュテルを守るための、アイシャの戦い。覚悟はあっても、根っからの村人なアイシャは緊張を抑えきれないでいた。昨日も少しだけ、眠りが浅かった気がしている。

 

 意図したつもりはなかったが、ちょうど時間もあったので、アイシャの手は自然と動いてしまっていた。

 ナハトから受け取った何でも出てくる不思議な袋から、水滴のように透き通る透明な宝玉を取り出した。

 二人を結ぶ大切な道具に向けて、アイシャはそっと声を投げかけた。


「もしもし、聞えますか――イズナ」

 

 心臓が強く脈打った。

 親友と会話をするのは随分と久しぶりなせいもあってか、若干緊張して声がいつもより高くなった気がする。


「――アイシャ! うん、聞えてるよ!」


 透明な水晶の内側に、一人の少女が映し出された。

 夜空に瞬く星の輝きを、これでもかと詰め込んだような鮮やかな瞳が嬉しそうに見開かれていて、かつてのイズナを知る者からすれば信じられないほどに真っ直ぐな輝きが目に飛び込んできた。日に日に輝きを増す笑顔に若干気圧されながらも、アイシャは微笑を返した。

 

「ごめんね、こんな朝早くに――今、時間大丈夫ですか?」


「もちろん、大丈夫! 私にとって、アイシャとお話するより大事な用なんて、ない!」


 一切の迷いなくそう断じる少女は、朗らかな笑みと共に、一心不乱にアイシャを見ていた。あまりの眼力にアイシャのほうが慄きそうになりかける。


「それで、どうしたの、アイシャ? なんだか不安そう……はっ、まさか! あの性悪主に何かされたっ!? 大丈夫、アイシャ?」


「いえ、その、違いますし大丈夫ですよ。ナハト様には何も――」

 と、そこまで口にして、ここ数日の特訓を思い出し、思わず顔が赤くなる。


「…………いえ、その、色々とされましたけど……アイシャは大丈夫です!」


「なぁっ――! あいつ……私のアイシャにいったい何を…………」


 イズナは目を見開いてアイシャに言う。


「アイシャ! 嫌になったらいつでも私の傍に来ていいんだからね! 私の隣はいつでも空いてるからね!」 


「えっと、はい、ありがとう?」

 

「うん! それで、どうしたの?」


「いえ……あの、……その、なんとなく、イズナの声が聞きたくて――」


「何か、あったの? ううん――何か、するんだね――アイシャ、なんだか緊張してる」

 アイシャはこちらの内心を見透かしたようなイズナの言葉に、息を呑んだ。


「イズナに隠し事はできませんね――ちょっとだけ、戦わないといけなくて……でもアイシャは小心者ですから、いざってなると緊張しちゃって、だからイズナの声がふと聞きたくなったんです」

 おかしいですかね、とアイシャは笑う。


「敵? 大丈夫? なんなら、今から駆けつけようか!? あ、でも今帝国領だから、ちょっと時間かかるかもだけど――アイシャのためなら、私、行くよ」


「ふぇえええええ? いや、駄目ですよ……イズナはちゃんと、イズナの目的を果たしてください」

 そうでないと、エストールで別れた意味がないから。

 アイシャのちょっとした我儘のためにイズナの行動を縛るのはアイシャの本意ではなかった。


「そう? でも――助けが必要なら絶対呼んで。何時でも、何処にでも、今度は私がアイシャを助けに行くから」


「うん、ありがとう、イズナ。ふふ、なんだかイズナの声聞いてたら、元気でました! 私も頑張るから、イズナも頑張ってくださいね!」


 アイシャは久しぶりにイズナと話せて、自分でも気がつかないうちに気分が高揚していた。

 そのせいで、すやすやと眠るシュテルの傍であるにも関わらず、少し大きな声で話しすぎてしまっていた。それは、朝寝坊をするシュテルを起こし出すには、十分すぎる声量であった。


「……んー、パパ…………?」


 くりくりとして愛らしい目をぼんやりと見開いて、アイシャのすぐ傍まで寝ぼけ眼のシュテルが寄ってきた。

 

「えへへ……パパと一緒~……」


 どうやらまだ完全に目は覚めていないようなのだが、にじり寄ってアイシャの手を掴もうとするシュテルの声や姿は、《うつしみの水晶》を通じてはっきりと映し出されている。


「……ねぇ、アイシャ……その子、誰……?」


 明るかったイズナの声が、抑揚を失い、冷え込んだ。

 まるで、イズナと出会ったばかりのころの深い闇を感じさせる音色だった。


「パパって……いったい、どういうこと……?」


「えっと、その、これには、なんというか深い事情が……」

 イズナに気圧されてたじろぐアイシャ。イズナは一層冷えた目でアイシャを見据える。


「はっ……まさか……いろいろされたって、そういうこと……? ちょっと目を離した隙に、私のアイシャが……こ、こ、子供を…………」


「あの、イズナ、きっと、今イズナが考えてることは、すっごく大きな誤解だと思うのですけど……」


「…………こんなことになるなら、あの時私も…………」


「あ、あの、イズナ? きっと、絶対、イズナは勘違いしていると思います!」


「うん、アイシャ……分かってる……私が間違ってた……」

 イズナはハイライトを失った瞳のまま、小さな声で淡々と続ける。


「……今すぐそっちに行くから……! あの色ボケ主、成敗する……!」


「あー! 絶対分かってないやつです! 違うんです、元はと言えばアイシャがお願いしたからで、と、とにかく違うんですー!」


「っ! 大丈夫、わかってる。アイシャは何も悪くない、悪いのは全部あの理不尽主!」


「だから、違うんですってばぁーーっ!」


 アイシャの絶叫が、部屋の中で木霊した。

 










 早朝の喧騒よりおよそ三時間。

 完全武装したエルフの集団が世界樹を背に、隊列を組んでいた。

 重装な鎧を着こむものはいない。その代わり、魔術刻印が成された霊装を着込むエルフたちが弓と剣を携え並ぶ。

 静かに佇む容姿端麗なエルフの一団は、まさにファンタジーそのものに思える。

 そんな集団の先頭には、アイシャが疲れ切った顔で立っていた。


「おい、大丈夫か、アイシャ――緊張、じゃないな……なぜ、戦う前から慢心創痍なのだ、お前は……」

 隣に立つシルフィーが呆れながらそう言った。


「いえ……その……色々とありまして…………」


「まあ、いいが……しっかり頼むぞ、アイシャ――今日は私たちの活躍次第で、戦局が大きく動くからな」


「は、はい。が、頑張ります!」


「ふふ、頼りにしている」


 上ずった声のアイシャに、シルフィーは穏やかな笑みを返した。

 各々が緊張や高揚で落ち着きがないそんな中、ナハトはゆっくりと視線を下げ、戦士たちの顔を見た。


 士気は高くもなく、低くもない。

 決意に燃える者がいる反面、かつての日を思い出し震える者もいた。

 

 ナハトがそっと仕草を正し、ゆっくりと佇むだけで誰もが皆感嘆するようにナハトを注視した。人知を超えた造形が齎す戦女神のようなナハトの姿は、ただそこにあるだけで、体と心を鷲掴みにする。

 誰一人として、目が、離せなくなるのだ。


「さて、諸君――」


 厳かな声が、静寂を裂く。


「絶対的な戦力差、圧倒的な兵力差、絶望的な状況――人がそれらに立ち向かわなくてはならない時、最も必要なものは何だと思う?」


 ナハトは、誰にも分らない幻を見るかのように、そう言った。

 その言葉は、以前ギルド長が、一人の仲間ギルインに向けて言った言葉であった。


 まだ、異世界喫茶ギルドに加入したばかりの新人が、とてつもない幸運を発揮して、ある騒動を呼び込んだことがあった。

 数ある未達成クエストのうちの一つ、《幻獣王の秘宝》のフラグとなるレアモンスターのテイミングを成功させてしまったのだ。そんな彼女を巡って、数多のギルドを敵に回す抗争が起きてしまった。


 実装から一年を超えてもなお、未達成だったそのクエストは最低でも新種の古代級エンシェント、もしかすれば究極宝具アルティメットアイテムなのでは、と噂になるほどのものだった。ネットゲーマーの闇は深く、あの手、この手で横取りを狙う者が出てきたのだ。


 長年、クエストを研究してきたギルドも存在していて、小さな火種はギルド間の抗争さえ発生させた。

 責任を感じた少女は、引退を考えたり、ギルド脱退を申し出てきたこともあった。


 そんな一つのクエストを巡る、決戦当日。

 ギルド長は、皆の前でそんなことを彼女に聞いた。

 事前の備えである、という者もいれば、レアアイテムに違いないと言う者、あるいは知略と戦術だと答えたものもいる。


「あの人は、断言していた――最も必要なものは、背を預けるに足る仲間である、と」


 記憶に焼き付いて離れない、仲間たちの姿を思い、ナハトは口を開いた。


「諸君が苦しい時間を共有し、命を懸けて共に戦ってきた隣に立つ仲間たちは、信用に足りるだろう。信頼がおけるだろう。ならば、戦うために必要なものは既に皆手に入れているわけだ」


 あの人は、自信満々に言っていた。

 俺のギルド全員がお前の味方だ、何を恐れる必要がある、と。

 だから、ナハトも口にする。


「何を恐れる必要がある? 後は、戦って、勝つ――それだけだ」


 ナハトの言葉に、戦士たちの目が変わっていく。

 静かに、だが闘志を燃やすその瞳が威圧にもにた大気の震えを呼び起こしていた。

 知らず知らずの内に溢れ出る魔力が、一層うなりを激しくしていって。


「さあ、存分に戦うといい。活躍したものには、このナハトちゃんがご褒美をやろうではないか」


 鬨の声が、場を埋めた。 

 鳴りやまぬ喧騒の中、アイシャとシルフィーが先頭に立ち、手を掲げた。

 集中を重ねる二人の元に精霊が集う。


 すると、唐突に音という音が消えていった。

 吐き出す息は白に染まり、降り注ぐ陽光がなくなったのではないかと思えるほど、辺りは暗闇に近づいていった。

 

 日の光を遮ったのは、深い霧だ。

 自陣は勿論のこと、結界を覆うように敵陣にさえ霧は立ち込め、今――二度目となるエルフと魔族の戦いが、始まった。

 

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