地底城にて
複雑怪奇に入り組んだ街の中央には、城と呼べるものが存在していた。
ソーラスの拠点と呼ぶべき豪奢な城。それは荒んだ街並みの中で、異質なほど煌びやかな城だった。
だが、一家の――ミナリアの言う城はそれではない。
何処をどうやって歩けばたどり着けるのか、少なくとも三度そこに足を運んだことがあるはずのデュランは、その場所に一人でたどり着く自信がない。複雑怪奇に入り組んだ分けの分からぬ道には、外敵を阻む何らかの魔術的仕掛けがなされているのだろう。
ミナリアの背を追って歩いていると、いつの間にか辿り着いた街の地下に、本物があった。
「ようこそ、我が城へ――」
城一つ、どころか小さな街であればそのまますっぽりと収納してしまえそうなほど広大な地下空間に、色取り取りの草木や大輪の花を咲かせる庭園を抱えた優美な城が屹立している。
決して、煌びやかではない。むしろ、大人しく、それでいて美しく自然と調和した佇まいであった。
「――貴様たちが、最後の客じゃて」
デュランとネロが通されたやけに広い一室には、巨大な円卓が置かれていた。
一歩足を踏み入れて、思わずデュランは息を飲む。
それは決して、豪華絢爛な場の空気に気圧されたわけではなく――あり得ない物を見た、そんな純粋かつ明瞭な驚愕であった。
円卓を囲う者達の顔ぶれは、ここにいるはずがない――いや、いてはならない、とそう思えるほどに豪華だったのだ。
「ガッハハハハハハハハハハっ!! 最後の客はお前だったか、糞ガキ!」
天地を震わすような笑い声と共に、獰猛な牙がギラリと覗いた。その体躯と比較するとこじんまりとして見える椅子に豪快に腰掛ける人物をデュランは知っていた。
「久しいな、とでも言えばいいのか――獣王」
七国東側陣営において、最も苛烈な弾圧を受け、最も苛烈に抵抗を示す獣王国リヴァティス、その玉座にあるべきはずの人物が目の前にいた。
百獣の王――レイウォード・アルベレスタ。
二メートルを優に超える圧倒的な巨躯、その全身には荒々しい傷跡が無数に残されていた。獅子の血が齎す長大な牙と爪が、ただそこにあるだけで鋭い威圧感を無造作にばら撒いている。愛くるしさの欠片もないこれが、ネロと同じ獣人だとは思いたくもない。
「何故ここに、と問うのは些か馬鹿らしいな」
デュランはざっと辺りを見る。
歴戦の戦士であるデュランの視線を受けても、誰も身動ぎ一つしない。それだけで、集結している者たちが只者ではないと分かる。
実際、只者ではなかった。
多数の種族を受け入れ、その文化に研究というメスを入れ続ける学術国家アーケリオンの学長、ルーテシア・リンベル。
七国最北に位置する鉄と鍛冶の国、鉱山国家ギルガンの王、エドワルド。
この部屋にいる者は皆、国を預かる者達だった。
当然こんな場所に顔を揃えられるほど、彼らは暇を持て余していない。獣王など、戦地にいることのほうが当たり前な人物だ。
彼がいないだけで、今だ小競り合いを続ける戦場は酷く混乱するだろう。
「かかかっ――それは無論、我が呼んだからに決まっておろう」
首謀者である暗殺国家の家長、ミナリアは悪びれる所か愉快そうな笑みさえ浮かべていた。
彼女が全ての元凶で、だからこそこの異常な参加者たちを集めることができたのだ。彼女が一声獣王はリヴァティスにいると情報を流せば、獣王はこの場にいないことになる。飄々としている少女に見えて、それだけの力を彼女は七国で握っているのだ。
「まあ、そう警戒せずともええ。坊やも座るがよいぞ」
国家の代表が囲む席に、一つだけ空席があった。
デュランはそこに座ることに一瞬だけ躊躇した。身分の違いを意識したわけではなく、ただ単純に子供を立たせたまま、デュランだけが椅子に座ることに躊躇いを感じたのだ。
かと言って、獣王を見た時から固まったり、呻いたり、右往左往して正気ではなさそうなネロを彼らと同じ席に座らせるわけにもいかないだろう。
仕方なく、デュランは椅子に座ると――不安そうに立つネロを手招きで呼ぶ。
ねぇ、おじさんこれ、夢、それとも幻、などと呻くネロを若干強引に引き寄せ、膝の上に座らせてやる。
「残念ながら現実だ、諦めろ」
しゅんとうな垂れるネロのネコミミを見つつ、デュランはぐっとため息を飲み込んだ。
「ガハハハハ! また子連れか、糞ガキ! 攫ったんじゃねーだろーな!」
「誰が好き好んでガキを攫うか、獣王――お前の民だろうが、保護くらいしてやれ」
「そりゃあ俺様はそれでもいいが、そっちの嬢ちゃんがそれを望んでんのか、ああ?」
ネロは気圧されながらもフルフルと首を振る。
デュランもそう答えるだろうとは思っていたので一々気にはしていない。
「ガハハハハハハ、人間の癖に随分と懐かれてるじゃねーか、おい! まあ、それならそれでいいんだがよう!」
「坊やは少女に懐かれる特殊な武術を習得しておるからのう」
「それはそれは、非常に興味深いですね!」
ミナリアの軽口に、沈黙していたルーテシアが薄っすらと口元に笑みを浮かべてそう言った。だが、その目は真剣そのもので、まるで冗談だと受け取っていない。
「本気にするな、反応に困る」
「あら、冗談でしたの――残念ですわ……」
「ま、坊やの危ない性癖の話はこれくらいにして――」
「…………」
最早突っ込みを入れる気力さえ湧かないデュランは無言にて応じた。
「――良く集まってくれたな諸君、人の支配に抗う者の長たちよ」
本当によく集められたものだ、とデュランは思わず関心しそうになる。
そもそも、東側陣営と言っても、明確で強固な同盟関係など存在しない。リヴァティスは力で、アーケリオンは学問で、ギルガンは技術で、それぞれがそれぞれのやり方で迫害を続ける人の――選神教の支配に抗っているに過ぎない。
ただ、人口に占める人の割合が少ないから、東側と呼ばれているのだ。少なくとも、デュランはそう認識していた。
だが、彼らはこの場にいる。
それは、ミナリアが身内にしか明かしていないはずの情報を開示して、中立を貫く情報国家としての本質さえも無視し、裏世界の女王が動いたということなのだ。
「お前、本気で――」
本気で、国を――七国を滅ぼすつもりなのか。
デュランがそう尋ねる前に、ミナリアは言う。
「無論、本気じゃて――でなければ、我が直接坊やや王たちを招く必要もあるまい」
「何故、今更お前が動く?」
「かかかっ! 何を言っておる! 我は最初から動いておるぞえ。それこそ、坊やたちが生まれるよりも遥かに前から、ずっとだ。坊やもシドニスの時は手を貸してくれたではないか」
どこか、遠くを見るように、ミナリアは視線を上げた。
「まあそれでも、切っ掛けがなければこれほど大胆に我も動かん――分かってはいるだろうが、七国の崩壊も、多種族陣営の勝利にも、意味などないのだからな」
ミナリアの言葉に、バキリと鈍い音が返ってきた。
「癇に障る言い方だな」
静かな声とは裏腹に、机の一画が陥没した。
獣王は射殺すような視線をミナリアに向けるが、ミナリアは何処吹く風だ。
「事実じゃろう――この国の命運は、我らが握ってなどおらぬ。全ては選神教が握っておろうて」
人と人ならざる者の終わらぬ戦い。
その裏で、選神教が利益を得る。そのためだけに、この国はあるとさえ言える。
遥か数千年前には、この場に魔族の国があったという。七国の源流、それは魔族を中心とする多種族国家だったのだ。
選神教は人魔大戦のおりに全ての魔族を掃討すべく軍を派遣し、この地は苛烈な戦火に塗れた。軍の撤退後、点在していた街や軍事的拠点が取り残され一部の軍人には褒章として土地が与えられ、人の国ができる一方で、それに反発した現住民や多種族国家もまた国を興した。
七つの国に纏る前には、二十を超える国が乱立したこともあった。
そんな人対魔族の構造は、都合よく利用されることとなる。
戦場とは、一部の人間にとっては富を得るための市場でもあるのだ。
食料や武器の販売、程度ならばまだ可愛気があるほうだろう。だが実際には新兵器の実験や、非人道な奴隷の売買まで行われているのが現実だ。
レイウォードは、戦場の王として、その現実に抗い続ける戦士だった。
「貴様の抵抗も大局的に見れば無意味じゃろうて、獣の王よ」
「小娘がっ!」
咆哮と共に、巨体を支えていた椅子が弾け飛んだ。
「大局的に見れば、と言っておるだろうが小僧――貴様の手で救った者も、救われた者もおる。長き時、傍観を決め込んだ我らよりも貴様の抵抗は輝かしい――だからこそ、貴様の闘争を無意味などとは言わぬさ」
「では、なぜ私たちは表社会に決して顔を出さなかった貴方が直接動いてまで、ここにお呼ばれしたのでしょう、ミナリア様?」
朗らかな声で、ルーテシアは問う。
ミナリアは取り繕ったような笑顔から、悪戯小僧のように怪しげな笑みへと表情を変えた。
「言ったであろう、人の支配を終わらせると――七国を滅ぼしてやると。決して逃すことのできない絶好の機会がもう間近に迫っておる」
「その機会とやら、まだわしらは聞いておらぬがのう」
沈黙を保っていたエドワルドが重々しく言った。
「おいそれとは口にできぬ、なにせ――――」
ミナリアは溜めにためてから、やっとのことで続きを発した。
「――――これから世界を巻き込む大戦争が起こるのじゃからな」
「っ!」
「はっ――?」
「――?」
ミナリアはやけにあっさりと、そう言った。だからこそ、認識が――理解が追いつかずに声が漏れ出る。
「戦争が起こる。だから、選神教は七国に介入する余裕など吹き飛ぶであろう。その結果がどちらに転ぶにしろ、国を壊し、新たな秩序を築くにはまたとない機会であろう?」
「っ――! それは、いったい――!」
くぐもったレイウォードの声は、この場に居合わせた全員の声を代弁している。
「我の正体は既に明かしておるじゃろうて、だから分かるじゃろう?」
教師の真似事をしているかのように、ミナリアは言った。
「それでは、まるで、人魔大戦…………」
「間違ってはおらぬ。もっとも、第二次じゃがのう」
ルーテシアの言葉に、ミナリアは上品に笑む。
「だから安心せい――選神教の支援も殆どなく、神聖騎士団も動くことはないであろう」
「我ら三国は、その期に乗じて戦争をせよとおっしゃりたいのですね?」
「有体に言えば、その通り――だがその前に、坊やには一つ頼みたいことがあるんじゃがのう」
ゆっくりと、わざとらしく向けられるミナリアの視線に、デュランは耐え切れず、ため息をこぼした。




