傍にある力
「ほら、シュテル、あーん」
午後の陽気を木々の広げる葉がちょうど良く遮る木陰にて、ナハトはシュテルにクッキーを差し出した。
「あーんっ!」
シュテルは目を輝かせながら、ナハトの指まで噛み付く勢いでクッキーに口を伸ばす。
レジャーシートの上には、香り高いハーブティーと目移りしそうなほど豊富なお茶請けが置かれ、ナハトは愛する娘と共に昼下がりのティータイムを堪能していた。
シュテルの正面に座るアイシャが、そんなナハトたちを見てそわそわとしている。
アイシャも混ざりたいのだろうが、中途半端に大人ぶるアイシャは少し気恥ずかしいのだろう。
様子を伺うようにお茶に手を伸ばすアイシャに、シュテルのほうが楽しそうに手を伸ばした。
「はい、パパもあーん!」
「あ、アイシャはちゃんと一人で食べられますよ――?」
「あーんっ!」
だが、頑なに手を差し出すシュテルに敵うはずもなく、
「じゃ、じゃあ、あーん」
口を開くアイシャへと、乱雑にクッキーが放り込まれる。用意してあるお菓子は、アイシャでも食べられる素材しか使っていないので、ナハトは楽しそうに二人のやりとりを見届けていた。
アイシャは若干慌てながらも懸命に咀嚼して、楽しそうに笑みを浮かべた。
「おいしいですよ、シュテル」
「うん! おいしーね!」
爽やかな風を受けながら、お茶を嗜む家族の団欒。
そんな平和な時間を、
「あーん、じゃない! 何をしているんだお前たちは! 今は一分一秒が惜しいのではないのか!」
シルフィーの怒声が遮った。
「なんだ、シルフィー。お前も食べたいのか? それとも、あーん、して欲しいのか? 遠慮せずにこっちに来い、ナハトちゃんが食べさせてやるぞ?」
ナハトは冗談めかしてそう言う。
「ふざけるな! 私たちに遊んでいる暇などない!」
「もっと心にゆとりを持つべきだな。焦るだけでは事態は好転しないと教えただろう、がむしゃらも過ぎればただの空回りだ」
ナハトはただ忠告をしているつもりだった。
「っの――上から目線でっ!」
だが、シルフィーはそんなナハトの態度が気に入らないらしい。
「はぁ、この際だからはっきり言おう――シルフィーの憎むべき、大鬼。あいつは少し強すぎる。多少は成長したといえ、このまま単純作業の如くレベリングを続けるだけでは、敗北に終わることだろう」
二人のレベルを四十程度と見積もっても、相手は推定レベル七十。
その差は、三十と大きい。
大きすぎる。
この世界の常識にリアルワールドオンラインのレベル制は恐らく通用しないが、かつての世界でいうレベルとは基礎ステータスの証でもあった。レベルが高ければ高いほど、成長の過程で振り分けることのできるAPに関係なく、単純なステータスは上昇する。そこに自らの手で振り分けるステータス強化があって、魔法が強い、物理が強い、耐久力が高いなど、個性が生まれるのだ。
だからこそ、三十の差は並大抵のことでは埋められない。
無論、方法がない訳ではない。
ナハトの持つレアアイテムに装備、課金アイテムをこれでもかと二人に使わせれば、その差をなんとか埋められるだろうが、それでは何の意味もない。ナハトが代理で戦うのと同じである。
自らの力でなく、誰かの力だけで全てを終わらす。
そんな結末は、シルフィーもアイシャも、エルフたちも、望んでいないことだろう。
それに、アイシャは言ったのだ。
シュテルを守る、と。
だから、ナハトはそんな彼女の決意を台無しにするような真似は決してしない。
「なら、どうすれば――」
「少しは頭を使えと言っただろ、駄目っ娘エルフ」
「誰が、駄目っ娘だ! 誰が!」
「目的があるなら、最善を尽くそうと努力すべきだ。たとえそれが報われないとしても、報われるよう努力すべきだ。お前が果たすべき目的に、何が足りてなくて、何が必要か、少しは考えたらどうだ?」
シルフィーは若干不機嫌そうではあるが、冷静になると、頭を悩ましていた。
手で頭を抱え、思考に耽り、首を振っては、考えを直す。
一分近い思考の果てに、シルフィーはやっとのことで口を開いた。
「――力が、足りない」
「なら、何が必要だ?」
ナハトはシルフィーに尋ねる。
「私が、もっと強くならなければ――」
「それじゃあ今までと同じ――何も変わらず、何もなせない」
ナハトは冷たくそう言い切る。
「じゃあ、どうすれば! 私は――この手でユリスの仇を討たなきゃならない! 誰でもない、私がユリスの仇を…………」
押し黙るシルフィーに、アイシャがそわそわとして、言葉をかけたそうにしていた。
アイシャは、既に答えを知っているのだろう。
ナハトは少しだけ頭をかくと、アイシャに向けて言葉を発した。
「まったく、アイシャは本当に優しいな――」
そんなナハトの呟きに、アイシャは照れくさそうにしながらも前に出た。
「アイ、シャ……?」
呆然としたシルフィーの言葉さえも、アイシャは優しい微笑で受け止める。
「あの、その……こんなこと言うと、偉そうなんですけど……その……」
歯切れ悪く、もじもじしながらもアイシャは言う。
「――どうして、アイシャを頼ってくれないのですか?」
「――え?」
「だって、一人じゃ駄目なんですよね? じゃあ、頼ってくださいよ。アイシャはナハト様と違って頼りないですけど、頑張ってお力になりますよ!」
復讐に囚われたエルフの少女は、一人になったつもりなのだ。
最愛を亡くして、もう何もないと思い込んでいるかもしれないが、そんなことは決してない。
今もなお、必死に彼女を支える者が目の前にいると言うのに、彼女自身が目を塞いで、何も見ようとしていないのだ。
「独断専行で、突っ走った馬鹿を未だに守り人だと認めているのは誰だ? 命令無視の常習犯を隊に置いて支えているのは誰だ? 戦場を駆けるときお前は誰と共に在る? お前の戦う力はお前一人のものだったか? 本当に、一人だけで戦っているつもりなのか? 出会った時から、お前はまるで変わっていない。幼稚なままだ。幼子のように、支えて貰っていることを理解しようともしない。その有様で、いったい何をなすという?」
一片の容赦もない、ナハトの言葉が鋭く刺さる。
シルフィーは震える体を懸命に抑え込んでいた。
「わた、わたしは……」
「あの日曖昧にした貴様の疑問に、私の考えを述べよう。私は私の最愛を傷つけた者を断じて許さん。復讐も報復も行うつもりだ。先に進むための、手段として――」
復讐の先に、何があるのか。
シュテルとなった今の二人が明るく笑える未来を目指して、最善を尽くすことがナハトの復讐だ。
「果たしたい目的があるのだろう。ならば、戦え。休むな、抗え。言い訳するな、前を向け。そのための最善を必死になって考えだせ――それが人に与えられた力だろうが」
知恵とは、一時の閃きでもなければ、与えられた才能でもない。
ただ、考えること。
どれ程悩ましくて、どれ程混乱して、どれ程迷走して、どれだけ諦めそうになったとしても――それでも思考をやめなければ――いつしかそれが、知恵に変わる。
シルフィーは、やや間を置いて、アイシャに問うた。
「アイシャは……こんな私に力を貸して、くれるのか……?」
歯切れが悪く、酷く脅えた声色だった。
怨嗟に塗れ、猛々しく刃を振るうシルフィーの姿は何処にも見当たらない。本来は、臆病で子供っぽいのが彼女の素顔だとナハトは感じている。
そんなシルフィーに、アイシャは裏表など存在しない純粋な笑みを向けていた。
「はい――というか今さらですね。もう何度も力を合わせて戦ったじゃないですか」
アイシャは実に堂々とそう言った。
これでは、どちらが年上か分からなくなってくる。
「私は――」
シルフィーはまるで懺悔するように言葉を紡いだ。
「――私は無力だ。だから、無力な私に力をかして欲しい、アイシャ」
「はい、喜んで――二人でママとシュテルをいじめた悪者を成敗しちゃいましょう!」
真っ直ぐと。
アイシャは張り切る子供のようにそう言った。
それを聞いて、やっと。
ほんの、ほんの、少しだけ。
「ふふ」
シルフィーは、冷たく険しい表情に笑みを浮かべてみせたのだ。
「ありがとう、アイシャ」
アイシャの手を無造作に握り、微笑みかけたかと思うと、すぐにその笑みは消え去って、つんけんした顔をナハトに向けてきた。
「ふん、できればお前の力など借りたくないのだがな!」
その言葉の裏には、しょうがないから借りてやる、的なニュアンスが往々にして含まれている。
ナハトにはまったくデレないこのツンツンエルフに、わざとらしいため息を返すのだった。
◇
「では、駄目っ娘が少しは成長をみせた所で本題だ」
ナハトの茶化すような言葉に、返事を返したのは白銀の刃。
シルフィーが投擲したナイフを、ナハトはあっさりと掴むと、何事もなかったかのように言葉を続ける。
「敵は強大で、己の力だけではどうしようもない――で、あるならば、力をかして貰えばいい」
他人に頼ることは恥ではない。
むしろ、頼るべき他者がいることを誇りに思うべきであろう。
「鍵は二つ、一つ目はシルフィーに愛想をつかした風の精霊王。そしてもう一つは、アイシャの中に眠る力だ」
「私は愛想などつかされていない!」
「ならば、そっぽを向かれた、とでも言い直そうか?」
「っくおぉの! お前はっ!」
二本目の刃がナハトに飛来しようとしたその時、
「はいはい、二人とも駄目ですよ喧嘩しちゃ。ナハト様、シュテルの前ですよ、少しは自重してください」
割って入ったアイシャに、ナハトとシルフィーはピタリと動きを止めた。
すっかり父親が板についたアイシャの貫禄の前に、ナハトはシルフィーをからかうのを止める。
「で、二人はこれからマンツーマンでみっちり特訓だ。アイシャは私とだな」
「はい、よろしくお願いします、ナハト様。あれ、でも、それじゃあ――」
「おい、じゃあ私はどうするんだ?」
二人の疑問、その答えは目の前にある。
「マンツーマンと言っただろう。私がアイシャに教えるなら、お前の相手は一人しかいない、な、シュテル」
「あい、シュテルにお任せなのだー!」
胸を張るシュテルは、ナハトの手によって、いつの間にかその服装が変わっていた。だぼだぼの白衣に眼鏡をのせた幼女教師の姿がそこにはあった。
「ナハト様……本気、ですか?」
もと族長に文句を言うわけにもいかないのか、押し黙って震えるシルフィーの代わりにアイシャが問うた。
「私はいつでも本気だぞ。それに、シュテルほど精霊魔術に精通した者はいない。エルフの上位種は伊達ではない、的確な人選と言えるだろう」
「あい、シュテルが教えてあげるよ、おねーちゃん」
「うっ、くっ、は……はい、お願いします、族長様……」
どうにかして、言葉を絞りだしたシルフィーは、いろいろと複雑そうな感情を表情に表していた。
「さあ、残された時間はたった四日。きりきり動けよ、二人とも――」
辺りでは、獣の遠吠えと共に絶叫が絶え間なく響いていた。
流れ出す、血と汗で――大地はすっかりと赤く染まり。
決戦の日は、すぐそこまで、やってきていた。




