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惨劇の夜

 地震の後に残された断層のような傷跡が、大地に深々と刻まれていた。

 吹き飛ばされた大樹の根が木々を薙ぎ倒して、粉々に砕けた残骸だけが辺り一面に散らばっている。

 仮面の魔導師と戦斧を携えた大男の後ろで、躍動する機械仕掛けの扉から不気味な音と薄い七色の光が運ばれていた。

 

「全く、これはいったいどういうつもりなのじゃ?」


 その男は、ただ立っているだけで、言いようのない圧力を放っていた。

 体躯は二メートルを優に超える。赤熱した鋼のような筋肉は張り裂けんばかりに膨張していて、丸太のような二本の腕に支えられる巨大な戦斧が、赤い魔力を纏って物々しく輝いていた。

 一際目を引いたのは、天を貫く二本の角だ。

 漆黒の角にはマグマのような赤い線が走りぬけ、荒々しい感情を表現するように魔力が迸っている。


「これはこれは、ガイルザーク将軍ではありませんか、お早い到着でございますね――将軍はなにやら勘違いをされていらっしゃるようですが――」


「――我輩、魔導師殿には穏便にと再三に渡り忠告しておいたはず――なのにこの有様であると?」

 味方同士のはずが、二人は剣呑な雰囲気であった。

 オリヴィエは思わぬ増援に戸惑いながらもルルと共に魔力を練り、緊張した面持ちで臨戦態勢を維持していた。


「あたくしは一切攻撃を加えておりませんよ? これらは全て、あたくしを排除しようとしたそちらの物騒なお嬢様方の仕業でやがりますので」

 仮面の言い分には酷く思うところがあるが、確かに攻撃行動だけは取っていなかった。

 だが、不気味な魔力と言動で、こちらの攻撃を誘発するような態度を取っていたことに間違いはない。


「被害は最小限度、ということらしいですが――この里ははっきり申し上げまして邪魔でございますわよね? 高々一集落、これからを考えれば必要最小限度の犠牲にも思えやがりますが?」


「が、それでも――貴殿の軽率な行いがなければ、征服以外の道もあったというのに」


「ガイルザーク将軍の理想は理解しましたわ。ですが、こちら側の住人からすればあたくしたちはただの侵略者に過ぎないのでございましょう。故に、どちらにせよ闘争以外の道はございませんでしょう」

 苛立ちを含むガイルザークの物言いに、こちらも対話を試みるべきかと少しだけオリヴィエは思った。

 だが、そんな考えは目の前の男すら抱いていないほどに甘い考えなのだと知ることとなる。

 

 既に、戦端は切り開かれてしまっているのだから。


 どこからともなく漂った蒼い一陣の風が空に渦巻いた、刹那――

 

「っ――!」


「ぐっ――!」


 暴風が大空より降り注いだ。

 オリヴィエも勝手知ったる精霊王の剛槌だ。全てを圧殺する暴風の槌が、一片の容赦なく押しよせた。


 猛攻は続く。

 陥没した大地の底で姿勢を崩す二人に目掛けて、エルフの部隊が精霊の加護を乗せた矢を放ったのだ。

 精鋭三十人からなる弓の正射は、スコールが降り注ぐような激しい音と共に、一切の逃げ場がない侵略者へと突き刺ささるはずだった。

 

 風を受け、矢の雨を見上げる大男が、斧を壊れるほど強く握った。全身の筋肉が膨張し、深く腰を落として戦斧を下段に構えると、左足を一歩踏み込み――


「――技能スキル――鬼の一撃――魔法技マジックアーツ――血命斬っ!」


 ――赤く染まった戦斧が、弧を描くように振り抜かれた。


 降り注ぐ風を削り、赤い刃が空へと昇る。

 まるで木の葉のように散らされた矢の残骸が、ゆったりと地に落ちた。


「――族長様、無事ですかい?」

 オリヴィエの横に、戦闘衣を着込んだフローリアが並びたった。


「よく来てくれたわ、フローリア」


「こりゃあ、いったい何事ですかねー。とりあえず族長様が剣出してたんで、中隊率いて先制攻撃させてもらいましたが――敵、ですか」


「ええ、それもタチの悪い難敵よ」

 フローリアは色めきたつ円形の扉を見て、大体の事情を察したようだ。

 矢の破片が流れ星のように降り注ぐ戦場を見据えて、険しい表情を浮かべていた。


「あの大男はちょっとまずそうですね――」


「そっちもだけど、本当にやばいのは――――え?」


 警告を口にしようとしたオリヴィエの言葉が、途切れる。

 これ以上ないほどに不吉だった、仮面の魔導師が――体中に矢を受け、地に倒れ込んでいたからだ。


「――嘘、どういうこと――?」


 オリヴィエの剣で傷一つつかなかった仮面の魔導師が、矢でやられるはずなどない。

 痛々しく倒れる仮面の魔導師を見てもなお、オリヴィエの不安は増すばかりだ。あれは、何かを企んでいる――そんな確信がオリヴィエにはあった。


 背筋を這い上がる不吉な予感は、すぐに現実のものとなる。

 矢が突き刺さったままの肢体が機械仕掛けの人形のように、カタカタと動きだしたのだ。


「――うふ、うふふふふふふふふふふふ――お返ししますわ――大噓つきの悪態バットジョーク

 

 言葉と共に、事態は急速に動いた。

 まず、


「がっ! あ、え――?」


「ぐぁあああああっ」


「げふっ!」「ごふっ!」「あ、がっ…………」


 何故か、周囲を囲んでいたエルフたちが絶叫を上げて倒れ伏した。凡そ半数のエルフが、矢に貫かれたような傷を負って戦闘不能に陥った。

 次いで、


「――――!」


 空に浮かんでいた精霊王の分裂体が、大きく仰け反ったのだ。

 オリヴィエはルルとフローリアを見るが、彼女たちも困惑していた。

 オリヴィエや精霊たちの知覚を持ってさえ、今、この瞬間に――何をされたのか、まるで理解できなかった。

 最後に、


「あらあら、まあまあ、本当にもう――酷いことをしやがりますわね――運の良い方々もいらっしゃるようでございますが、残念ながら隣人を笑う機会はございません――」


 人を小ばかにしたような声が耳に届く。

 先ほどまでの痛々しい姿とは打って変わって、飛び起きた仮面に傷の一つもついてはいない。


「――皆々様は、ここで死んで――――」


「もう、よい……!」

 

 口を挟んだのは、戦斧を持ったガイルザークだった。


「この戦は、我輩が片をつける。貴殿はもう、ここを動くな」

 荒々しい口ぶりの奥に、不本意を感じられる重い響きがそこにはあった。

 仮面の魔導師は、恭しく身を引くと、予想と反してあっさりと引き下がった。


「――ご随意に」


 ガイルザークは、深々と大地に足跡を刻む一歩を踏み出す。

 威風堂々、そんな言葉がしっくりとくる立ち振る舞いだった。


「聞けぃ! 我輩の名は、ガイルザーク・フォン・クリムゾン――偉大なる魔王陛下の御下命を受け、この地のゲートを守護するために遣わされた。貴殿らエルフへの要求はただ一つ、この扉を明け渡せ――さすれば命までは奪わぬと誓おう」


 戦場を震わせる大音声が響き渡った。

 オリヴィエは一族の長として、一歩前に踏み出し、ガイルザークの瞳を見据えた。


「――その言葉は、遅過ぎたな。もしも仮に、ここに訪れたのがお前だけであれば、私も話し合いの席をもうけたかもしれん。だが、お前の後ろに得体の知れぬそれがいる限り、お前の言葉は信用に値しない」


「それに、一方的に来て、一方的に要求する。そういうのは侵略者のやり口じゃないですかねー」

 フローリアがオリヴィエに続いてそう言った。

 どちらにせよ、はい、そうですかと言える状況ではない。


「退けぬ、か」


「そっちこそ、後ろの不吉な仮面を連れ帰って欲しいところだけどねー」


「悪いが、こちらにも退けぬ理由がある。だが、我輩も一廉の武人として女子供と戦をする気は毛頭ない。覚悟のあるもののみを相手しようぞ! さあ――――存分に、参られい!」


「フローリア!」


「はいよ、族長様。こっちは任せな――皆は負傷者の退避をやんな――んで、動ける者で覚悟のあるやつは――命を賭して、私に続きな――!」


 耳を打つ、風の音色。


「ぬっ――!」


 吹き荒れたのは横薙ぎの剛風だ。暴力的な空気の砲弾が、地面を紙のように切裂き、ガイルザークを吹き飛ばした。


「んじゃあ、死なないでよ――族長様」


「ええ、そっちこそ――処女のまま死んでしまったらつまらぬぞ――」


「それこそ、そっちこそ、ですよ――」


 フローリアとエルフの集団は風に乗って移動した。

 そうして――ただ、三人だけが、世界樹のもとに取り残された。







 






「かはっ――――!」


「ルルっ! っ――ぁ――!」


 オリヴィエとルルが大樹に叩きつけられる。

 何をされたのか理解が及ばないが、何か魔法を使われたのだと思う。

 力の差は歴然だった。

 ルルと二人がかりで齎した成果は、動かない敵の服を焼き、右手に小さな傷をつけただけに終わった。


「動くな、とは言われましたが、殺すな、とは言われていませんでしたわね。さてさて、どういたしましょうか?」


 戦いの最中でも、たった一歩さえ動かなかった仮面の魔導師は、獲物を見定めたように首を下げてオリヴィエたちの方へと向いた。


「っ――! このっ――」


「――動くな」


「あぐっ」 


 ルルが必死に反撃を試みようとしたその時、異常なまでの過負荷が体を襲い、あっさりと身動きを封じられる。


「《理の障壁》を抜かれるなんて、少々お二方を見縊っていやがりましたが、どうお礼をいたしましょうか――」


 倒れ伏す二人の少女に、仮面の魔導師が指を向ける。

 そのまま、その指を交互に刺しながら、


「ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な――――」


 なんて、不吉な言葉を紡いでいく。


「――――か、み、さ、ま、の、い、う、と、お、り」


 そんな指は、ルルの前でピタリと止まる。

 止まった指先に、暗い炎のような何かが集い、ぼんやりと揺れた。


「ダメっ! ルル――――!」


 向けられた指先から、尋常ではない力の波動が放たれる。今にもルルに向かって打ち出されそうな何か、は何故か、ピタリと止まった。


「――つまらないで、ございますわね」


 そして、仮面の魔導師はそう言った。


「今、貴方、安堵いたしましたわね?」


「何、を……」


「攻撃を受けるのが私でよかった。隣の幼女は助かる、よかった、と――そう、安堵しやがりましたわね」

 本来見えていないはずの仮面の下の表情が、酷く歪んだように思えた。

 声色には、これ以上ないほどの不機嫌が込められている。


「気が、変わりましたわ――」

 ルルに向けられていた指先が、ゆったりと動く。


「まっ――」


「――死呪カースオブデス

 

 黒く、禍々しい、怨嗟の塊のような何かが――場を生めた。


「あ、がっ――あぐぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 オリヴィエがこの世のものとは思えない絶叫を上げた。全身ががくがくと痙攣し、口から血を吐き出した。

 無意味と知っていて、体に纏わりつく容のない黒いもやを振り払おうと、オリヴィエは手を動かし、足を動かし、もがき苦しんでいた。


「き、きさまぁああああああああああああああっ! よくも、よくも――よくもよくもよくもよくも―― 殺す! 殺す! 殺す! 絶対、殺して、やるっ!!」


 ルルの怨嗟が爆発する。

 重力の力場に押さえつけられてなお、ルルは大樹の根を操り無理やり体を引き起こすと、痛みも忘れ仮面の魔導師へと襲い掛かかろうとした。


「五月蝿いですわよ、少しお黙りくださいませ」


「ぐぁ――」


 だが、振り注ぐ重みが数十倍にも増して、今度は体を支える大樹の根ごと、大地に縫い付けられてしまう。


「く、そ……ころ、す。ルルが、絶対、お前を……」

 大地が陥没し、クレータのようになった底に全身を押しつぶされてなお、呪詛の言葉をルルは零した。


「うふふふふふふふふふ、惨めですわね――まあ、弱者である貴方たちはそうやって、無意味な死をあたくしに笑われれていればそれで良いのでございますよ――」

 仮面の下から、嘲笑が響く。

 ルルの怨嗟を、小ばかにして嘲笑うのだ。


「貴方は見逃してあげましょう、そっちのほうが愉快でございます。何時か、この者が息絶え、貴方だけが生き残り、幸せな出来事が日々の生活で訪れた時に――きっと貴方も、こう思いますわ――あの時死んだのがお友達でよかった、と――人間とは、そういう生き物でございます」










 魔力を失い実体が薄くなったルルが、引き摺るように身体を運ぶ。

 ただ、真っ直ぐに。

 足を動かすのにも信じられないほどの苦痛を伴ってはいたが、ルルはそれを意にも介していなかった。


「オリ、ヴィエ……」


 ぐったりと倒れこむ小さな幼女は、全身を黒い斑点に侵され、時折苦しそうに声をこぼしていた。


「オリヴィエ……!」


 名前を呼ぶ。

 ルルが呪いに犯されたオリヴィエに近づこうとしたとき、ピクリとオリヴィエの手が動いた。

 その手は弱々しく広げられ、まるでこちらに来るなと言っている様に感じられた。


「オリヴィエ!」

 駆け出そうとするルルに、声が届く。


「……め、…………ちゃ、だめ……」


「なん、で……今、助ける! ルルが、オリヴィエを、絶対、助けるから」

 オリヴィエは、動ける状態でないにも関わらず、最後の力を振り絞り顔を上げる。

 半開きの瞳で、ルルの姿を微かに映すと、消え入りそうな声をこぼした。


「……った…………ルル……が、無事…………で……」


「全然、よくない! よくないよ…………ルルは、何にも……何にも、守れなくて……」

 植物から生まれた精霊の瞳は、これ以上内ほど大粒の涙で溢れかえっていた。


「……ご……ね、……そく……まも…………」


「そんなの、いいから! 約束、オリヴィエは、ちゃんと、守ろうと、してくれた――」


「ふふ――――よ…………かった…………」

 静かに瞳を閉じるオリヴィエに、ルルはなりふり構わず駆け出していた。


「ダメ! 一人で、なんて、絶対、ダメ! ルルが――絶対、助ける!」

 ルルは、オリヴィエの手を握る。

 黒々しい呪いがルルの身体さえも侵食しようとしてくるが、ルルは気にも留めずオリヴィエを抱き上げると空を飛んだ。


 精一杯の魔力を使い、足りない力は生命力を削りながら大樹のもとへとオリヴィエを運ぶ。


「オリヴィエ、言った――生まれてから、死ぬまで、一緒――だから、ルルも、オリヴィエと、一緒っ!!」


 大樹のもとで、ルルの身体が解けていく。

 世界樹を通して送られるすべての魔力を生命力として補い、それをオリヴィエへと注ぐ。

 この身の全て、魔力の一滴までも余すことなく、力を集め――唇を重ねる。

 この身が消え、オリヴィエと同化していく最後の一瞬――


(ルルの、分からず屋)


「うん、知ってる」


 ――そんな言葉を、交わした気がした。

 



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