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災厄の訪れ

 エルフの里のはずれに、小さな小屋が仕立てられていた。

 みすぼらしい小屋に備えられた小さなテラスから木々の向こう側に大きく開けた空が見える。深い森林に覆われたジェラリアの森で生活していれば、開けた空を見ることなど木々の上に上りきらなければ見られるものではない。

 そんな空に向かって聳える大樹が一望できる場所を選んで、里のはずれにオリヴィエは住居を構えていた。

 これだけ世界樹に近ければ、オリヴィエの魔力なくしても、甘えん坊のルルが自由に行き来できると思ったためだ。


「それに、あまり広い部屋は落ち着かないし」


 里の会議室は、やけに物々しくて、意匠が散りばめられていて、見下すような位置にある席に座ることがあまり好きではなかった。それと、あの椅子は少し大きくて足が床に着かないのも問題である。

 いずれはあれも円卓にするか、などと考えていると、部屋の隅のこじんまりとした窓がコンコンと叩かれた。

 月が昇った頃に玄関ではなく窓から訪ねて来る酔狂な人物は、思い当たる限り一人しかいない。月明りを受け入れる窓を開くと、空中に漂う少女が遠慮の欠片も無くオリヴィエの家に侵入してきた。


「――オリヴィエ、ルル、お腹、空いた」

 部屋にはいるや否や、ふよふよと浮かぶ少女は不躾にそう言った。


「植物は水と日光があればいいんじゃないのか?」

 それに対しオリヴィエはもう何度目になるか分からない、戯れの質問を投げかける。


「むー、ルルの好物、柔らかい、お肉。でないと、お腹は、膨れない」

 精霊に五感があるのか、今だに疑問は尽きないが、クンクンと匂いをかいでお腹を鳴らすこの不思議生物には間違いなくそれらが備わっていそうだ。


「この、匂い――今日は、シチュー。ルルはお肉、オリヴィエは、またお豆?」


「獣臭いのは苦手なの」

 

「好き嫌い、すると、大きくなれない、よ?」


「これは体質よ。だから私は大きくなれるわ」

 ルルはどこからどう見ても幼女なオリヴィエを値踏みするように見定めていた。


「後、何千年、必要なのか、ルルには、分からない……はぁ……」


「ちょっと、露骨なため息はやめてよ! 私の希望ある未来を馬鹿にしないで」

 ルルは何か悟るような表情を繕うと、そのまま小さな口を開いた。


「まあ、がん、ばっ、て……」


 そう言うと、そそくさと席に着き、勝手にシチューを貪るルル。

 消沈するオリヴィエを置いておき、用意しておいた食事を食べ始めるルルに、温厚なオリヴィエも思わず手を握った。


「ちょっと、食事前は手を洗いなさい! それと、ちゃんといただきますを言いなさい」


「怒るとこ、そこ?」

 

 ルルの食事の手がピタリと止まる。

 原始的な欲求を満たすときのルルは多少なりとも表情が豊かになり、執着する部分があるので、そんなルルが食事を中断するのは珍しかった。

 だが、オリヴィエとしてはそれほどおかしなことを言ったつもりは無い。


「私の家にいる時に、勝手にご飯を食べるなとか、遠慮しなさいとか、他人行儀な言葉なんて要らないでしょ?」

 ルルは、ほんの少しだけ表情に困惑を浮かべ、何かを考え込んだ。

 そして、中空に小さな水球を浮かべて手を突っ込むと、すぐに要らなくなったそれを水場に捨てた。


「む……、いただいて、ます」


「はい、よくできました。じゃあもう、私も食べるわ。大きくならないといけないからね」


「千年後に、期待、する」


「見てなさいよ、その内成長した私の魅力でルルを見返してやるんだから」

 そう言って、ない胸を張るオリヴィエ。

 座高を調整するために用意してある特大クッションの上で精一杯胸と身長を誇示してみせるオリヴィエの涙ぐましい努力に、ルルはほんの、ほんの少しだけ口角を吊り上げた。


「そうなったら、そうなったで、ルルが、おいしくいただく。問題、なし」


「それは、どういう意味で……?」


「無論、性的な、意味、で」

 フォークに突き刺した肉を、艶かしく舐めるルル。


「……やっぱ……大きくならなくていいわ…………」

 獲物を見定めた肉食獣の瞳を見て、オリヴィエは思わずそうこぼしていた。


「今のままでも、それはそれで、あり」


「ルル、今日から寝室は別にしましょう、身の危険を感じるわ」


「む、オリヴィエ、つれない」


「もう――冗談言ってないで早く食べちゃってよね」


「むむむ」


 そんな下らない会話の心地よさにオリヴィエは心を休める。

 きっと、こんな毎日がこれから先も、ずっと続くと、彼女はそう信じていたのだ。


 







 夜の帳がすっかり降りて、里は森閑として寝静まっていた。

 いつもと変わらぬ静謐な夜だ。

 オリヴィエと共に、小さな寝台にちょこんと座るルルは、すやすやと寝息を立てるオリヴィエを無機質に見つめ、時折その髪を触る。


「ん……」


 穏やかに眠るオリヴィエを見守るのは、睡眠欲の薄いルルの日課だった。

 だからだろう。

 里の中で最初に異常に気づいたのは、ルルだった。


「っ――――!」


 時が止まったかのように、呼吸を忘れた。

 おぞましい魔力の波動が、空へと立ち昇ったかと思うと、薄い七色の光が不躾に入りこんで夜を照らした。

 光が駆け抜けたのは、ほんの一瞬。

 世界樹そのものと言ってもいいルルは、自らの背後にある開かずの扉が、うなるように脈動しているのがすぐ傍での出来事に感じられた。


「ルル――っ!?」

 

 異常を察知したオリヴィエが飛び起きて、ルルにいったい何が起きたのか聞こうとした。この森のことならば、彼女以上に詳しい者などいないからだ。

 だが、ルルにはオリヴィエの質問に答える余裕などなかった。


「……なに……これ……動いてる……なんで……なんなの……」


 背筋を這い上がる不気味な魔力が、扉を中心に森を埋めた。必死に呼びかけるオリヴィエの声もどこか遠い。

 仄暗い翳りを携えた魔力の波動が、大樹を通して間近に感じるのだ。

 恐ろしく禍々しい負の魔力。それだけで、その人物が好意的な者ではないと理解できる。

 喉もとに鋭利な刃物を突きつけられているような感覚だった。大樹の精霊たるルルが、抗いようのない死の気配をひしひしと感じる。

 扉の先にいるであろう者は――それほどまでの存在だ。


「…………げて……」


「――え?」


「逃げて、ルルが、時間、稼ぐから」

 ルルはたった一人の身だけを案じていた。どの道、根を生やした大樹の精霊であるルルは逃げられないのだから、少しでも時間を稼ぐしかできることがない。それで、オリヴィエが生き残れればいいと思った。

 一度決めれば即行動とばかりに駆け出そうとするルルの手をオリヴィエが止める。


「待って! この気配、扉の方からだよね――何があったの? ちゃんと言って! 私も戦うから!」


「扉が、動いて、空間が、繋がった。向こう側から、誰か、来る。多分、敵! 絶対、敵! だから――」

 今だかつて見たこともないほどに声を荒げるルルに、オリヴィエは声を重ねた。


「――――なら、一緒に戦おう」

 

「待って!」

 

「そんな時間ない。精霊魔法スピリットマジック――精霊武装エレメントウェポンウィンド

 

 深緑の風が身体を覆った。光の鎧は小さなオリヴィエの体を空に浮かべた。

 そのまま重ねていたルルの手を引く。

 窓を開く手間すら惜しんで突き破り、割れたガラスの断片が飛び散るままに、空へと飛翔した。


「待って! ルルじゃ勝てない……オリヴィエも勝てない…………」


「それでも、私は戦う。私はこの里の長だから」


「そんなの! ――オリヴィエが、死んだら、意味、ない!」


「ルル――――ごめん、さっきのじゃ半分――私はルルを見捨てない。だから戦う。むしろこっちが本音。ほら、こうやって考えると、逃げ出す理由なんて一つもない。生まれてから、死ぬまで、一緒。そうでしょ、ルル?」


「オリヴィエ、でも……でも…………」

 ルルの手を引いて、世界樹の枝葉の隙間を潜り、そのまま大樹の裏に回りこむ。

 里とは反対方面に、太古の時代から動くことのない扉はある。

 そこまで近づいてなお、ルルは覚悟が決まっていなかった。

 そんなルルにオリヴィエは言う。


「ねぇ、ルル。憶えてる? 私たちが初めて会った日のこと――」

 オリヴィエは子供に言い聞かせるように優しく語る。


「私は憶えてるわ。小さな子供に過ぎなかった私が、戦火と汚染の進む森で朽ちていくしかなかった時、勇者様と貴方が全部全部救ってくれた。だから、今の私がここにいて、エルフの里がここにある。死んでいたはずの私を生き返らせてくれたのは貴方なのよ、ルル。だから、生まれてから死ぬまで一緒。戦うときも、一緒だよ?」

 煌々と輝くオリヴィエの瞳を見て、ルルはすねたように呟く。


「オリヴィエの、分からず屋」


「うん、知ってる」


「死んだら、許さないから」


「じゃあ、絶対勝たないとね」


 大樹の枝から、眼下を見下ろす。

 古い遺跡のような建造物の入り口が、ここからでも見て取れた。

 侵入を防ぐために施した封は、先ほど内側から溢れた魔力の過負荷に耐え切れずあっさりと霧散していた。


 地獄の門のように見える遺跡の入り口から、不吉が色をつけて漂うような幻影が浮かび上がった。その次の瞬間、古めかしい石造りの遺跡の上部が、爆ぜた。


 凄まじい爆音と共に、圧壊した土塊が砂塵となって周囲を埋める。

 そんな土煙の奥には、薄い七色の光を放つ円形の扉。

 何を、何処と繋いでいるのかも分からない、複雑怪奇な一枚の扉。妙に生々しい機械仕掛けの回路が魔力を受けて輝きを放っている。それは、恐らく魔導器であり、魔力を注ぐことで起動する道具であることは間違いないが、ルルの魔力でも、オリヴィエの魔力でも、到底機能しないほど膨大な量の魔力を要求される超古代文明の遺産だった。

 竜種級の魔力を要求されるその扉を勇者以外に扱う存在を見たことがない。だからこそ、それが向こう側から使用されるような事態を想定もしていなかったのだ。


「っ――! 来る、よ……」


 ルルの声が、張り詰めた空気の中、響き渡った。

 微細な粒子を放つように輝く扉に、青々しい灯火が点在しては消えていく。

 幻想的な景色の奥深き場所より――


「――――うふふふふふふふふふふふふ、まあまあまあまあ、随分と魔力が持っていかれやがりました。でも、まあ、案外簡単な仕事でやがりましたわね――」


 

 ――災厄が、顕現した。









 目の前に佇む何かは、笑い声を上げていた。

 だが、不気味な仮面をつけているせいで、その下の表情はまるで伺えなかった。黒と白だけで象られた道化師の面は、目元に傷跡と涙があしらわれていた。一見して、泣いているように見えるその面は、口元を見ればそれが間違いだと気づける。不気味なほど釣り上がった唇は、邪悪に笑う悪魔そのものであったのだ。


「あらあら、まあまあ、可愛らしいお嬢様が二人――下等生物にしては殊勝な態度でございますわね、歓迎会の準備はできていやがりますか?」

 

 オリヴィエは警戒と敵意の入り混じる視線を向ける。

 すると、それは女とも男とも言えない中性的な声色でケタケタと笑った。


「おやおや、はあはあ、なーるほど。うふふふふふふふふふふ、これはこれは勇ましいことで、愚かにもあたくしの前に立ち塞がるつもりでいやがりますか。いいですよ、いいですよ、実に愉快でございます。つまる所、貴方方は最初の贄、苦労してゲートを開いたあたくしへのご褒美でございましょう?」


 それは、笑った。

 仮面の裏に素顔を隠し、涙を浮かべる面が嗤う。

 上品そうに見せかけて、その実酷く残虐に、見下すように笑うのだ。


「ああ、なんて良き日なのでしょう! 我らが神よ! 今日というこの日の巡り合せに感謝いたします! ――さあ、終わりの始まりを創めましょう!」


 それを見たオリヴィエは、一瞬にして理解した。

 目の前の何かと、言葉を交わす意味はない、と。

 あれが身に纏う狂気は、人間には到底理解できるものではないと、そう確信させられたのだ。


「――――集え」


 だから、オリヴィエは声を投げかけた。この場に存在する全ての精霊に向けて。

 周囲に清らかな魔力が溢れる。

 そんな魔力に引かれて、次々と精霊が顕現し、色鮮やかな光が闇を圧して夜の世界を照らし出した。


 古耳長族エンダーエルフであるオリヴィエの種族技能オリジンスキル――精霊の楽園スピリットガーデンは、属性に関係なく一定区内の精霊全てを制御下におくことができる。

 膨大な精霊の意思が脳を焼ききるような負荷を齎すが、オリヴィエは絶対の意思にてそれらと心を通わせた。


精霊魔法スピリットマジック――四大精霊の剣エレメントソード

  

 天空に向けて、オリヴィエが手を掲げた。

 四色が混じり合う光の塊は、天を貫く一振りの剣へと姿を変え、全てを割断する斬撃を生んだ。


「あらあら、まあまあ――――」

 

 空気の層が鋭く断ち切られた、次の瞬間。身動き一つ許すことなく、精霊の剣は大地諸共全てを両断していた。

 

 切裂かれた大気が荒々しい気流を生み、割断された大地より土塊が盛大に空を舞う。

 オリヴィエは持てる全ての力を振り絞り、必殺の一撃を放った。

 だが――


「うふふふふふふふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふ、何でございますか、それ? 遊んで欲しいのでございましょうか?」


 砂塵の奥に佇む仮面に、傷跡一つついていない。

 

「あらあら、気を落とす必要はございませんよ? 《理の障壁》を多少なりとも削った貴方の一撃は、そこそこに愉快でございました! ええ、ええ、心躍りましたとも。弱者が無意味に足掻く様は、滑稽で、滑稽で、あたくし失笑してしまいますわ」


 響き渡る、笑い声。

 狂気に満ちた、嗤い声。

 オリヴィエの全力を歯牙にもかけず、見下すようにそれは笑う。あえて、回避もせずに真正面から受け止めたのは、オリヴィエの闘争心を折るために違いない。

 少なくとも、先ほどの攻撃は全力だった。あらん限りの精霊を従えて、自らの魔法に精霊の力を上乗せした精霊魔法の真髄とも呼べる一撃だった。

 

 だが、それが齎した結果は――分かりきっていた現実を再認識させられるだけに終わったのだ。

 満ち満ちて、充足した絶望が、心の奥で花を開いた。


「ひっ――」


 体を這い上がる狂気に、オリヴィエは思わず声をこぼしてしまった。

 不気味な笑い声が、恐怖を生んで。そんな恐怖に立ち向かう術がないと知ると、思わずそうこぼしてしまった。

 そんな自分が酷く情けなくて。

 戦おうと言ったのは自分なのに、弱音をこぼしてしまった己を恥じた。

 そんな時――右手に、温かい感触が伝わった。


「勝手に、一人で、戦わないで。一緒に、戦う、オリヴィエ、ルルに、そう言った」


 暗闇だった心の奥に、ほんのりと光が射す。

 不安が消えた訳ではない。

 だが、諦めそうだった心に、希望が満ちた気がした。


「ごめん、ルル――ありがと」


「ん、じゃあ、ぶっとばす」


 そんな二人を見てか、狂ったような笑い声がピタリと止んだ。


「ああ? なにそれ? つまんないでございますね。ゴミが二匹、集まってもただのゴミ。友情が、親愛が、友愛が――そんな存在もしないものが、力になるとでも思っていやがる顔ですわ――酷く酷く、不愉快でございますわ」


「あなたの感情なんて気にするつもりは最初からないわ。さっきのは警告よ。聞きそびれちゃったけど、大人しく帰ってくれないかしら? ここは私たちの大切な場所なの」


「あらあら、まあまあ。何それ? 何それ? なーにそれ? あたくしに命令? 下等生物が、あたくしに命令? うふふふふふふふふふふふ――随分と、笑わせてくれるではありませんか」

 

「そう、じゃあ――そのままずっと笑ってなさい――ルル――!」

 

 オリヴィエの魔力を受け、ルルが大地より攻撃を放った。

 茨のように刺々しく、圧倒的な質量を持つ巨木の根が、鞭のように振るわれた。触れるだけでもただでは済まない凶器が、音速に迫る勢いで襲い掛かる。


 だが、複数本の大樹の鞭は、瞬きを一つするそんな間に――衝撃音と共に爆砕していた。

 荒々しい攻撃だった。

 だが、仮面の敵は身動き一つしていない。

 代わりに、いつの間にかそのすぐ傍に現れた大男が、目にも止まらぬ神速を持って巨大な戦斧を振るっていた。


「やれやれよのう。ちょっと目を離した隙に、この有様とは――できる限り穏便にとは、吾輩たちが魔王様より承った御下命であったはずじゃが――どういうつもりであるかのう、魔導師殿」

 

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