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母をたずねて母となる

 クズクズになった唇を、愛おしそうにナハトは吸った。

 溶け出した肉の味が口の中に広がる。腐肉を味わうような不快感が襲うが、ナハトはそれを意にも介さない。

 死者ゾンビのような肉体は、二十年もの間、地獄の業火に耐え切った勲章であるのだから。

 そんな少女を称えるように、口づけを落とす。


 大地に幾何学模様が重なる魔法陣が広がった。

 天を吹き抜けるは、祝福の風。


 ボロボロになった肌が、失われた手が、崩れた肉が、溶けた内臓が、再生する。

 再生は肉体だけに留まらない。

 チグハグニなり、不均衡に混ざり合った精神が一つになって、再構成される。ボロボロの魂に新たな力が宿ると共に、深淵な輝きを放っていた。

 

 それは再生であり、創造でもあった。

 極光が目を、視界の全てを埋め尽くす。新たな戦士の誕生を祝う光だ。

 そんな光の奥で、微動だにしなかった小さな子供がゆっくりと瞳を開いた。


「――おはよう。もう、大丈夫だ。怖い夢は私が全て追い払ったぞ」

 少女の身体は、がくがくと震えていた。傷が癒え、目を見開き、自らの無事を確認してなお、痛々しく震えていた。

 苦痛の余韻があるのか、時折苦しそうに目を開いては、また閉じる。無くなっていた耳や腕を幾度となく触り、じんわりと幼女の目元に雫がたまった。


「……いた……かったよ…………」

 ナハトの類い稀なる聴覚で、やっと聞き取れるほど弱々しい声が、そっと伝う。

 

「――ああ、よく頑張った」

 ナハトは慈しむようにただ抱いて、さらさらの髪を、優しく撫でた。


「……くるし……かったよ………」

 綺麗に再生した顔に、一筋の雫が伝う。

 心の内で叫んでいたであろう声が、感情がごちゃ混ぜになった涙が、続くように溢れだしていた。


「――ああ、よく耐えたな」


「………………がまん……するつもり、だったのに……できなくて……しんじゃいたいくらい……つらかったよ……」


「ああ、私はお前たちを誇りに思うぞ」


「ふぐっ――ぅぅぁ――う、う、う、うわああああああああああああああああん――――えっぐ……ぐす……」

 耐えて、耐えて、耐えて、その苦しみを全て吐き出すように産声をあげた。涙をこぼして、その身の全てをナハトに預けている。

 後になればなるほど穏やかな泣き声が伝わってくる。まるで生をうけた赤ん坊のようだった。

 輝かしい小さな子を、ナハトが聖母のように抱く。

 そんな光景を見て、


「綺麗……」


 アイシャが思わずそうこぼしていた。

 黄金よりも色濃く、鮮やかに輝く金色の髪が天使のような子顔を包み込んでいた。エメラルドと紅玉の瞳はぱっちりとしていてより幼げに見える。ぴんっと飛び出したエルフ特有の長い耳がナハトの琴線をさりげなく揺さぶった。

 小さい身体と、一層小さく見える手があった。

 あったかい、子供の手だ。

 生まれたばかりの彼女は零歳だが、見た目は四、五歳の子供だろう。

 思わず見惚れていると、


「はっ……ナハト様、浮気なんじゃ…………」


 なんて声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいである。そうに違いない。

 金色の髪を優しく撫でる。

 子供をあやすようにそうしていると、不意に声が聞こえた。


「…………ママぁ……!」


「――え、ちょ、はぁ!?」

 声を上げたのはアイシャだ。

 しかし、幼女は気にもせず、強くナハトに抱きつくと繰り返し言う。


「まーま! ママ、ママ!」

 甘える子供のように、抱きついて、涙でくしゃくしゃになった顔を胸に埋めてきた。


「よしよし」

 甘える幼女をあやしながらナハトは撫でる。心の奥に湧いたなんとも言えない穏やかな気持ちは、母性なのか、それとも親心なのか――前世で結婚どころか、童貞でしかなかったナハトに分かるはずもないのだが、少女の涙と鼻水で汚される感覚に不思議と嫌な感情は抱かなかった。


「ちょ、え? ナハト様まで!」

 取り乱して、声を荒げるアイシャに向かって、 

 

「……まま、パパの顔、怖い…………」

 

 なんて、幼女は泣きそうになりながら言い放った。


「誰がパパですかっ!!」

 

「ひぅ……パパ、こわいよ……」


「はは、アイシャパパは怖くなんてないぞ。状況についていけず、ちょっと戸惑っているだけだ」


「ぅぅえ? 悪者はアイシャですか? ってかナハト様までパパ呼ばわり! せめて私もママにしてください!」

 そうアイシャが言うと、幼女が膨らみかけで、小ぶりなナハトの胸をふにふにと触る。

 そして次に、見比べるように地平線のようなアイシャの胸を見て、確信を持って頷いた。

 

「パパっ!」


「何でですかッ!? い、い、今凄い失礼な結論に至りましたよね!? 絶対アイシャの胸を男みたいに膨らみがないって馬鹿にしましたよね!? ね!?」

 物凄い剣幕で、この世のありとあらゆる怨嗟を吐き出しそうなアイシャ。思わず幼女がナハトの背に隠れてしまった。


「まあ落ち着けアイシャ。私がママならアイシャはパパ。私がパパならアイシャはママ、それだけの話だ」

 ナハトの言葉は予想外だったのか、ふぇ、と真っ赤になって黙り込むアイシャ。

 そんなやりとりを楽しんでいると、傍で愕然としていたウルスが幻を見るように涙をこぼしていた。


「……ああ……オリヴィエ様……よくぞ……! よくぞ、ご無事で!」


 だが、オリヴィエと呼ばれた幼女は首を振る。


「……違う、オリヴィエ、違う!」


「……オリヴィエ様…………?」

 だが、幼女はじっとナハトを見上げる。

 

「ママ、パパ――名前、ちょうだい」

 幼いながらも、どこか覚悟の篭る真剣な表情にナハトは静かに考えを巡らす。


「パパという呼び方を改めれば考えなくも――」

 そんなアイシャの言葉に割り込んで、ナハトは言う。


「意地悪なパパの代わりに、私が名付けよう」

 また悪者はアイシャですか、と不貞腐れるアイシャを少しだけ放置してナハトは口を開く。


 ――シュテル――


 暗がりを切裂くように、ナハトの声が力を持って木霊した。


「お前の名だ。私とアイシャの中で、傍で、隣で、めいっぱい輝くといい」


「シュテル――シュテル! わたしのなまえ――」

 シュテルは大切な宝物を抱くように胸に手をあて、何度も何度も嬉しそうに名前を繰り返した。  

 そうしてナハトに、娘ができた。









「で、これはいったい全体どういうことか説明していただけますか、ナハト殿っ!」

 今までにないほど凄まじい剣幕でウルスが詰め寄ってくる。

 無論、説明してほしいというのは、ナハトをママと呼んで、今も離れようとしないシュテルのことを言っているのだろう。

 言葉と視線に、鬼のような怒気が篭るのも無理はない。何せエルフの里の族長が一転して部外者の娘になってしまったのだから、怒りたくもなるだろう。ウルスは中々に常識人なので、苦労するタイプだとナハトは確信していた。


「そうですね、ナハト様。是非とも説明して欲しいですね!」


 しかも何故かアイシャまで敵に回っている。一応アイシャの提案、お願いに応えた結果だというのに。


「まあ落ち着け二人とも――何をそんなに怒っているのだ。二人の要望どおり、呪いを解除し、族長を助け、ついでに世界樹も癒しておいた――じきに森の魔力も落ち着く、ほら問題なし」

 そうナハトが言ってみるが、二人は納得していないようだ。


「で、なんでその結果、ナハト様に娘ができているんですか!?」

 

「ナハト様に、とはつれないな――私たちの子だぞ?」


「違います!」

 即答するアイシャにナハトは愉快そうに惚ける。


「そんな――あんなことまでしておいて!」


「むしろ、あんなことをされるのは何時もアイシャのほうですよねっ!?」


「アイシャがしようって言ったんだぞ。やることだけやって責任逃れは格好悪いと思うな。ちゃんと私たちの子として愛していこうではないか」


「違います! まだ、わたしはナハトさまとそういうことは……し、してないです」

 恥ずかしそうに言うアイシャに、シュテルは不満そうだった。


「ちがうくないもん! シュテルはママとパパの子供だもんっ!」


「そうだな~、シュテルは可愛いなー」


「えへへ」

 はにかむシュテルに頬ずりしていると、アイシャの機嫌が一層悪くなる。


「誤魔化さないで下さい! それと、誰がパパですかっ!」


「そう言うな、ほれ――パパも抱いて見れば分かるさ」

 そう言って、ナハトは抱いていたシュテルをアイシャへと渡す。

 シュテルも両手を伸ばして、アイシャの胸に飛びついたので、否応なくアイシャは受け止める他ない。


「えへへ、パパのおてても――あったかい」

 無邪気な笑みで見上げてくるシュテルに、アイシャは心の琴線揺さぶられたのか、


「うぐっ……か、可愛い…………」

 なんて、うめき声を零したあと、その髪をわしゃわしゃと撫でていた。


「パパ抱っこ、抱っこ」

 ピョンピョンと飛び、アイシャの小さな手に持ち上げて貰おうと必死になるシュテルに、アイシャは思わず手を伸ばす。

 暴力的なまでに愛らしい笑みは、問答無用に庇護欲を掻き立ててくるのだ。ナハトの魅了耐性すら打ち破りそうなその姿に抗う術はない。


「も、もう――しょうがないですね」

 すっかりアイシャもシュテルの虜である。

 我を忘れ、楽しそうにシュテルと戯れるアイシャが、冷静になって我に返る。


「って、そうじゃなくて! どうしてこの子は私たちの子供になってるんですか? この里の長じゃなかったんですか?」

 アイシャの言葉にナハトは笑う。

 意識しているかは分からないが、アイシャもシュテルを受け入れかけているようだ。


「オリヴィエと呼ばれていたかつての少女と、世界樹の精霊はどちらもボロボロで、外傷以上に傷ついていた。たとえ表面上の傷が癒えたとしても、物言わぬ廃人になっていたことだろう。だから、『龍の従者』を使ったのさ――与えたのは、『龍騎士』の力だ。介在していた二つの魂は祝福によって、再生され、生まれ変わった――それが私たちの子であるシュテルだ」

 オッドアイになったその瞳は、少女と同化した精霊の表れにも見える。


「それって――私と――」


「厳密に言えば同じではないが、類型だ。私には彼女を救う手段はこれしかなかった。アイシャは私の行動を、あるいはそれを促した自分を後悔しているか?」

 そんな意地悪な問いに、アイシャは思考するそぶりさえ見せずに言った。


「まさか、するわけないじゃないですか」


「はは、私もだ」 

 そう言うと、何故か口元に笑みが浮かぶ。見れば、アイシャも笑っていて、シュテルだけが不思議そうに首を傾げていた。


「それにしたって、じゃあ何でナハト様が母親なんですか? そ、し、て、何で私が父親なんですかっ!?」


「それはシュテルがそう認識したから、としか言えないな。同じ魔力を分け与えたのだから、家族と認識してもおかしくはないだろう。それに、いいじゃないか。結果として私とアイシャに子供ができたのだからな」


「父親じゃなければ歓迎しましたけど……これでもアイシャは女の子なんですよ?」


「ははっ、アイシャは可愛いな――なら私が父親でもいいが」


「やっ! ママはママだもんっ!」

 だが、シュテルはそう言う。


「はは、我慢をするのは我慢ができる大人のほうだぞアイシャ」


「ぅぅ……仕方ないですね……私は、おとなですから!」

 強がりながら大人を強調して言うアイシャの頭をナハトは撫でる。

 彼女もシュテルを受け入れたようだ。

 一安心と思っていると、再び声が乱入してくる。


「って、そうではなくてですね!」

 なにやらデジャブを感じる言葉とともに、ウルスが勢いよく迫る。


「オリヴィエ様! いえ、シュテル様ですか……お教えくださいませんか? 二十年前のあの日、いったい何があったんですか? あの仮面の男は? それに、フローリア様は……」

 だが、そんな言葉は最後まで続かなかった。


「やっ…………」

 青ざめるシュテルを見て、ウルスは思わず口を噤んだのだ。

  

「やっ……! いや……! いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! いやいや、痛い、いやっ! いたいのはもういやっ!」

 詰め寄られたシュテルは、何かを思い出してしまったのか、狂ったように叫びだした。

 アイシャが慌てて駆け寄って、その体を抱く。


「っ――! オリヴィエ、さま……」


「いやっ! こないで! こないで! くるしい……いたいよ! いや、もう、ままぁ――ぱぱぁ――!」


安息の眠りスリープ――――幸福の夢ハッピードリーム

 ナハトがアイシャに抱かれたシュテルに魔法をかける。

 力の抜けたシュテルは、やがて安らかな寝息をたてた。


「そこまでにしておけ――無理に思い出させる必要はない」


「ですが、ナハト殿――」


「――案ずるな、ウルス。事実など、誰かに聞かずともこのナハトが導き出して見せよう。それにだ、あの子を苦しめた元凶は――私が必ずこの手で潰す――!」

 いつになく感情的にナハトが言った。


「ナハトさま――?」


「シュテルを呪った死呪は――故意に手加減されていたはずだ」


「っ! それってどういうことですか!?」


「何処の誰が使ったかは知らんが――わざと抵抗する余地を残し、死に向かうまでの苦しみを長引かせようとしたはずだ――悪趣味で、虫唾が走る」

 本来、ナハトの知る死呪は受けてから三日後に、必ず対象を殺すという――死の宣告のようなものだった。

 抗う術は、回数制限さえある高位回復職の技能スキル、もしくは黄昏の雫など、カンストプレイヤーが合成した特別な薬だけだ。ゲーム時代では、一度受けると解呪にめちゃくちゃ金のかかる呪い、などといった認識があった。


 だが、こちらの世界でのそれは――まさしく命を蝕む劇毒だった。

 魂さえも蝕む呪いだ。

 それを、お遊びのように行使して、シュテルを苦しめていたのだ。

  

「体が朽ちていく痛みを私は知らん――だが、シュテルの魂に触れれば、その痛みがどれ程凄まじいかは理解できる」

 ナハトはアイシャやシュテルの手前、勤めて平静を保とうとしていたが、内心ではこれ以上ないほどに激怒していた。

 迸る魔力の波動が、木々の葉を散らしていく。一瞬にして広がった力強い波動が、大気に波紋を刻んでいった。

 ありとあらゆる生命の命を奪いそうな嚇怒がナハトの握りしめた手の内側に溢れる。うっかり力を解放すれば、折角直した大樹を薙ぎ払ってしまいそうだ。

 ややあって、手を開いた瞬間には――限界まで抑えた余波として、声を上げてしまいそうな突風が吹き抜けた。


「覚悟しておけ――私の家族に手を出した事を、必ず後悔させてやる」


 まだ見ぬ敵に、ナハトは静かに宣告した。

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