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自傷行為

 動物のものとは思えない、まるで極上の絹を編みこんだような毛並みの背中で、美少女エルフがすやすやと寝息を立てていた。

 疲労があったのか、それとも心労があったのか、無理やり気絶させたにしては、あまりに安らかそうなその眠りに、流石のアイシャもタマの愛席を取られたとは言わないだろう。


「随分と気持ち良さそうに眠っている――狂ったような激しい憎悪を抱いているようだが、お前たちとも毛色が違う彼女は何者だ?」

 ナハトがウルスにそう聞いた。


「彼女は暫定だが、今の守り人だ」


「守り人、ですか?」

 アイシャがおずおずと聞く。 

 初対面が原因か、それとも初めて会う同族にどう接していいのか分からないのか、若干緊張しているように思えた。


「ああ――世界樹の守護者、というのが正式な呼び方だが、その名の通り世界樹を守護する使命を与えられたエルフのことだ」


「たしかアイシャの母もその守り人だったらしいな?」

 ナハトの言葉にウルスは頷く。


「無論、誰でもがなれるわけじゃない。里で最も優れたる者が務めるのがしきたりだ。だから守り人は皆の憧れでもある。先代であるフローリア様は誰もが尊敬する素晴らしいお方だった。強大な精霊魔法を操り、知性に優れ、驕りを知らず、努力家で、我らのような若い者を指導してくれた――まあ、本人が聞いたら痒くなるから止めなさいって怒られることは間違いないだろうが」

 そう語るウルスの瞳には、憧憬のようなものが感じられた。


「今は長がいないからな、暫定ではあるものの彼女の実力も我らより高みにある。偉大なる精霊王の名前からつけられたシルフィーは、風の精霊王シルフィードと心を通わすことができていたのだから」

 できていた、か。

 そう語るウルスはどこか不安そうでもあった。


「世界樹の守護――」

 ナハトは枯れた世界樹を見る。


「――それは、アイシャの母がいても成し得ぬものだったのか?」


「…………」

 ナハトの言葉に、重々しい空気が流れた。

 アイシャもずっと、母の安否が気になっているのか、どこか落ち着かない様子が続いている。


「あれは……悪夢だった……」

 ウルスは震えるような声を、やっとのことで絞り出していた。


「そう、分かりやすく言えば貴殿が目の前にいるような感じだった……何もできず、何が起こったかも理解できず、いつの間にか意識だけが途切れて……次に目を開いた時には――全てが終わっていたのだ」

 身に襲い掛かる絶望を、なんとか鋼の意思で打ち払おうとするウルス。

 声を出すだけなのに、まるで戦場を歩いているような緊張感がそこにあった。


「我らエルフの里はたった一夜にして滅んだのだ――魔族の襲撃を受けて、な……」

 

「っ――! それで、ママはっ!?」

 魔族、という言葉にエストールでのことを思い出したのか、アイシャが叫び立てた。


「落ち着いて欲しい、アイシャ殿――エルフの里が襲撃にあったのは二十年前、もう少しで二十一年前だがおそらく貴殿が生まれる前の出来事であろう。そしてあの日生死不明だったフローリア殿は知らなかったが子をなしている。生きているだろうことは間違いない」

 今年でアイシャは二十を迎えると言っていた。なのでウルスの言葉の辻褄はあっている。

 ほっ、とアイシャが安堵の息を吐き出していた。


「我らはたった二人の魔族に敗北したのだ――古耳長族エンダーエルフである族長様と、歴代最高の使い手とまで言われていたフローリア様がいて、それでも敗北した…………」

 暗い。

 酷く諦めに満ちた声が聞こえた。

 あまりのレベル差に、戦うことを選べない戦士の悲哀がそこにはあった。無駄死には戦いではない、ウルスはそれを理解しているのだ。

 愛郷心も、同族への思いも、打ち消してしまえるほどの何かをこいつは見て、思い知らされたのだろう。見せ付けられたのだろう。

 

 圧倒的な力の差を。

 

 だから、ナハトは口にするのだ。

 不敵に笑んで、何一つ悩むべきことはないと言わんがばかりに。


「案ずるな、ウルスよ――そいつ等は私のアイシャを産み落とした偉大なる母に手をかけたのだろう? そしてあまつさえ、その故郷を壊そうとしたのだろう? たとえその結果としてアイシャが生まれたとしても、許せるものではないだろう。ならばそれは――――」

 ナハトは告げる。

 死刑宣告を告げる死神のように。


 ――私の敵だ。


 震えていた。

 空気が震えたのか、精霊が脅えたのか、それとも己が体が勝手に反応したのか、誰も理解しないまま脅えていた。

 無理もない。

 ナハトは明確な殺意さえその瞳に携えていたのだから。己に向けられていないと知ってもなお、条件反射で震えが押し寄せ、体が反応してしまうのだ。


「ははは…………どうやら連中は、触れてはならぬものに触れてしまったようだ……」

 酷く脅えていたはずのウルスが発した声には、最早先ほどまでの恐怖など一ミリも含まれていなかった。

 その、代わりに――心の底から感じたであろう同情が、これでもかと篭っていた。


「まずは里まで案内して貰おう。そしてアイシャの母がいついかなる時も安心して帰郷できるよう全ての異常をこのナハトちゃんが払い除けてやろう――だから安心しろ、アイシャ」

 鋭い声とは一転して、アイシャを撫でながらナハトが言う。

 ナハトの言葉は、本質的にはたった一人に向けられたものであった。


「はい! アイシャもお手伝いしますよ!!」

 力いっぱい拳を握るアイシャは、中々に頼りがいがあるように思えた。









 エルフの里へ向かう道は、まさに迷宮を進むような感覚だった。

 世界樹の下にある以上、隠れ里ではないだろうが、複雑に入り組んだ道なき道と酷く刺々しい植生は、歩き慣れず道を知らない者ではまず辿りつけないだろう。


 だが、妖精の緑衣を着込むアイシャや、曲りなりにも強力な魔物であるらしいタマにとってはあまり問題はないだろう。

 時折バランスを崩しそうになるアイシャをフォローしつつ、タマの背で眠るエルフの頬を突っつきながら進んでいると、少しだけ人の手が入り込んだ道が見えた。


「もうすぐエルフの里です」


 ウルスが言った。

 中腹からではぼんやりとしか感じられなかった世界樹の存在が真近になるとそれなりに大きく感じた。ナハトの知る世界樹ユグドラシルはそれそのものが広大なダンジョンであり、今だかつて誰も攻略できていないが故に、《未踏の七》と呼ばれる超巨大迷宮の一つだった。

 あの危険極まりないダンジョンに比べれば可愛いものだが、それなりに楽しい道中だったと思いながら歩を進める。

 そんな道中のことを思い出したのか、ふと気になって眠りこけている少女を見てナハトは口を開いた。


「そういえば――こいつは色々と訳ありのようだが、過去にお前と同じく何かがあったのか?」

 ウルスは神妙な表情を浮かべると、やがて少しだけ頷いた。


「詳しくは私から言うべきではないだろう。だが、彼女もまた大切なものを失っている。生き残りである我らは皆そうで、彼女はまだ若い。若かったときに、失ったのだ」


「それで、襲い掛かってきた、と。私が敵に――仇にでも見えたのだろうな」


「すまないことをしたと思う――だが、勘違いしてほしくないのだが、彼女は優しい子だ。そうでなければ大精霊が認めるはずもない。ただ、今のままでは――」

 そんなウルスの声を遮るように、


「――随分とお喋りだな、隊長」

 強い声がタマの上から響いてきた。

 視線は鋭くナハトを見据え、今にも飛び掛ってきそうな敵意を感じた。眠っていた時とはまるで別人だ。


「起きたかシルフィー」


「どういうつもりだなんだ? 何故敵と馴れ合っている?」


「ナハト殿は客人だ――そちらにいるアイシャ殿はフローリア様のご令嬢なんだからな」


「あいつが――フローリアの子? それにしては半端に思えるが、本当なのか?」

 鋭い視線がアイシャへと向く。 

 ビクンと震えたアイシャの頭をナハトは優しげに撫でる。


「さてな――証明することは難しいが、彼女の持つ巨大な魔力にあの人の面影を感じる。それに部外者が我が里のエルフの名を知ることなどめったにないだろう。何かしらの繋がりでもなければ、な」

 シルフィーは酷く濁った蒼玉の双眸でアイシャの姿を値踏みするように見ていた。

 随分と失礼な奴である。

 アイシャはビクビクとしながらも、逃げることなくシルフィーの視線を受け止めていた。

 

「ふんっ、仮にそいつがフローリアの子だとすれば、守護者の使命を全うできないどころか、落ち延びた先で暢気に子作り、か――随分とまあ、色ボケな守護者もいたものだな」

 心底馬鹿にしているかのように、シルフィーは吐き捨てた。

 ナハトの額に筋が浮かぶ。

 だが、ナハトが何かをいうより先に、アイシャが一歩前に出た。

  

「っ――! なんで、お母さんが悪く言われないといけないんですか!」


「はっ! 惨劇の夜に何もできず、族長と世界樹を見捨てて逃げ出し、あまつさえ子作りに励んで里を放置――これを愚かと罵らなくて何を罵れというのか。臆病風に吹かれた裏切者め」

 見下したように、シルフィーが言う。


「っ――!」


「いい加減にしないか、シルフィー!」

 息を吞むアイシャの横で、みかねたウルスが声を上げた。


「はっ! 貴様も同じようなものだろうが、ウルス! ユリスを見捨て、逃げのびた裏切りものの分際で!!」


「っ――!」

 憎悪を宿し、責め立てるようにシルフィーは言う。

 それを見て、アイシャが強く拳を握った。

 ナハトはアイシャが何かを言おうとしているので、静かにその勇姿を見守ると決めた。


「お母さんは、無責任なんかじゃありません!」


「はっ――何処をどう見ればそうなるというのだ?」

 威圧するような言葉にも、アイシャは微塵も怯むことなく、真っ直ぐとシルフィーを見ていた。


「そんなの知りません!」

 は?

 と気の抜けたエルフ達を置き去りにしてアイシャは言う。


「昔何があったとか、守護者だからこうすべきとか、そんなの知りません! アイシャのお母さんはアイシャを放ってどっかへいっちゃうような酷い人ですけど、アイシャが一番いて欲しいときにいてくれなかった最低な母親ですけど――それでも、誰かを――仲間を見捨てて自分勝手に行動する人じゃありません! そんな人を、アイシャのお父さんは好きになったりなんか絶対にしませんから!!」

 そんな根拠のない暴論を、確信を持って告げるアイシャに、ナハトだけが楽しげに微笑む。

 

「っ――! そんなの、裏切者を擁護するための詭弁だわ!」

 確かにそうかもしれない。

 だが、アイシャは確信を持ってそう告げていて、事実その通りなのだろうな、とナハトは静かにアイシャを撫でる。

 酷く穏やかに。

 ここに存在しないアイシャの母に代わって、愛情の全てを与えるように、優しく撫でるのだ。


 そうしてアイシャを撫でていたナハトの視線が――シルフィーに向けられた。


「下らんな――いや、稚拙と言うべきか――」

 吐き捨てる言葉も、向けられる視線も、それは酷く冷たかった。


「っ! どういう意味よ」


「呼んで字のごとく、稚く、拙い――自分ができなかったから人に八つ当たりか? まるで子供のようだな?」


「っ――! な、に……を…………」

 言葉を発しようしたシルフィーの口が閉じる。

 ナハトの射殺さんばかりの視線は、反論など必要ない。いや、許さないと告げていた。


「二十年前とやらに何があって、誰を殺されたかは知らんが――他人を責め、貶して、自分は正当化か? 恥を知れ、愚か者が」

 息を吞むシルフィー。

 ナハトはそれを路傍の石を蹴飛ばすような、酷くつまらない者を見る目をしていた。


「お前は何をした? 二十年も時間があって、何もできていないではないか?」

 枯れた世界樹がナハトの言葉を一層強くしていた。


「なっ――今の私なら――」


「――敵を殺せる、か?」

 まるで心を見透かすように、ナハトが言った。


「それで殺してどうする? お前の大切な何かを奪った相手を殺して、それでどうする? 大切な何かを守れなかったお前は、憎き相手を殺してどうするつもりなのだ?」

 見当違いにもナハトを殺そうとした分不相応の愚か者にそう告げる。


「そんなの――知ったことか!!」


「一つ忠告をするとすれば、復讐を果たすだけでは何も生まれたりはしないぞ?」

 どこかで使い古したような台詞を言う。


「そんな、綺麗ごとを――」


「――綺麗ごと? 違うな、ただの事実だ」

 

 ナハトの言葉は、何処までも何処まで、冷たかった。永久凍土のように、決して溶け出すことはない冷たさがそこに秘められていた。

 どこかで使い古された言葉は、ただの事実でしかないのだ。だからこそ、これ以上無いほどに残酷である。

 激昂するシルフィーに、ナハトは静かに言った。


「言っておいてやろう――お前の大切を壊した相手を、バラバラにして切り刻み、ぐちゃぐちゃに潰して、この世のありとあらゆる地獄を見せつけて、泣き叫ばせて、謝罪をさせて、殺し尽くしたとしても――お前の胸を締め付ける痛みは、心の奥に燃える憎悪は、微塵も晴れることはない」


 そんなことは絶対にさせないが、もしもアイシャを失ったとすれば――この世の全てを破壊したとして、ナハトの気は微塵も晴れないことだろう。

 大切なものを失う、ということはだからこそ残酷なのだ。


「じゃ、じゃあ――! いったい私に……どうしろって……いうのよ……! 殺すしかないじゃない! 仇を討つしかないじゃない! それが無駄だって言うなら……私が生きている意味なんてないじゃない……」

 弱々しくそう言ったシルフィーは、今にも泣きだしそうだった。


[……だってユリスがいないんだよ? 何処にもいないんだよ? じゃあ全部壊すしかないじゃない……私にそれ以外、どうしろって言うのよ……?」

 ナハトは偉そうなことを言いながらも、そんな彼女の知りたい答えを知ってはいなかった。

 アイシャのいない世界の先に、何があるのかなど想像もできないのだから。


「分からん。分からん、が――復讐の先にお前が何を見るか、それだけだろう。殺すだけの復讐など、復讐になってさえいない。最早それは、自らを自らの手で斬りつける自傷行為に過ぎないのだから」

 願わくは、君の勇気ある選択の先に――希望の未来があらんことを。

 そんな仲間の言葉を、ナハトは静かに思い出していた。

 


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