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枯れた世界樹

 大樹が連なり傘を開くかのように葉を広げていた。

 梢の隙間から入り込んだ光の柱が、金色の輝きをもたらし鮮やかに降り注ぐ。辺りからは獣の鳴き声が頻繁に木霊している。ここはさながら迷宮のような密林だった。

 

 ジェラリアの森。

 ナハトが生まれ落ちたヨルノ森林よりもなお広大で、一度入ると巨大な目印があるとはいえまず迷う、そんな場所だ。エストールの冒険者でもその入り口付近から先へと進む者はまずいない。それどころか高額の依頼でもない限り森に近づこうとさえしないだろう。


 そもそもそこは、古代から耳長族エルフの領土と認識されている。

 他種族との関わりを嫌う閉鎖的なエルフとの交流が途絶えてから、もう何十年と時が流れているのだ。

 馬鹿げた魔力を持つエルフ達を下手に刺激する必要はなく、無理をして危険地帯に足を踏み入れる者もいない。近づいてはならないと、暗黙の了解のような認識が人々の間にはあった。

 そう、だからここには誰も近づかない。近づかないはずだった。


 ただ一人――いや、その二人を除いて。


「うむ、見事なまでに深い森だ。どうだアイシャ、ここは一つピクニック気分におやつタイムと洒落込むとするか」


「…………あ、あのナハト様……おやつって、そんな悠長な! さっきから五月蝿いくらい獣の声が響いてますし、さっきもこーんなにおっきな蛇さん踏んじゃいましたし! もう、なんなんですかこの物騒な森は!」

 手をこれでもかと広げ、身振りと共にアイシャは言う。

 激情した蛇に襲い掛かられ、思わず尻餅をついてしまったアイシャは未だに不機嫌そうだった。

 蛇の牙など、エストールでダメになった婦女子の正装メイドふくの代わりに新調した《妖精の緑衣》の前では意味をなさないのだが、そう言う問題ではないらしい。

 アイシャが着込むそれは薄い緑光を纏う露出の多い戦闘衣だった。肩口から太ももにかけて、アイシャの綺麗なラインが出ていて美しい。歩きながらも、度々アイシャに目を奪われそうになってしまう。


「ははっ。そう言ってやるな、アイシャの母の故郷だろう。少し自然が豊かなだけさ」

 そう、ナハトが言った瞬間。

 茂みの奥から、グルルっ、と低い唸り声が響いてくる。


「ひっ! 豊か過ぎますよ! どっちかって言うとアイシャがおやつになっちゃいますよ!」


「そう脅えるな。高だか獣の一匹や二匹、もし襲いかかってくるようなことがあれば――アイシャを食べようなどと分不相応な思いを抱いたことを後悔させてやるさ」

 そう言って、ストレージから水滴を弾けさせる瑞々しい桃を取り出す。

 空中に放り、深紅の爪を閃かせ丁寧に皮を剥き、木の串に突き刺してアイシャに差し出す。


「ほら、食べるだろ?」


「…………」

 無言のまま、こくん、と頷くアイシャを見てナハトも満面の笑みで桃を渡した。

 

「はぁ、食べますよ……食べますとも……」

 半ばやけくそで、果実を口に運ぶアイシャ。

 小動物のように頬を膨らませてもきゅもきゅと咀嚼するアイシャを微笑ましそうにナハトは見る。

 自分では不機嫌ですとアピールしているつもりだろうが、時折はぅ、だとか、甘~い、だとか口から声が零れているのを見ると、そんなに悪い気分ではないのだろう。


「それにしても、何でエルフはこんな危険な場所にずっと住んでいるのでしょうか?」

 心底不思議そうにアイシャが言う。


「さてな。だが、アイシャ。お前がそれをいうのか? アイシャもエルフなんだから、こういった森が落ち着くとか、自然に囲まれたいとか、そう思うものじゃないのか?」


「アイシャは平穏な村暮らしでしたから仕方ないんです。それにエルフと言っても半分だけですし……」


「ふむ、そういうものか――だがまあ、危険も旅の刺激スパイスだろう。折角なのだから楽しめばいいさ」

 退屈と戦っていたナハトにとっては、これ以上にない贅沢にさえ感じる。

 だが、アイシャはそう思ってはいないらしい。


「うぅぅ、無理ですぅ。はぁ、エルフの里に着けば、少しは安全なのでしょうか……」

 儚げに、アイシャが視線を上げて、それを見上げた。

 そして同時に肩を落とす。

 自らの願望が、いかに希望的観測なのか理解したのだろう。


 ジェラリアの森に立ち入れば――何処にいようとそれは目に映る。

 それほどまでに長大で、あまりにも巨大な一本の樹。

 エストールで世界樹と呼ばれていた大樹は、圧倒的な存在感を持って森の中央に聳え立っていたのだが――


「…………なんで、枯れちゃってるんでしょうね……」


 ――これでもかと広りを見せる世界樹の枝には、たった一枚の葉さえ存在してはいなかった。


「世界樹が落葉樹だった、などという話は私も聞いた事がないな」

 冗談めかしてナハトが言う。  

 この森は寒冷でもなければ、乾季に襲われているわけでもない。

 それに自然に対応するため、などといった理由を自然そのものを創造する世界樹に当てはめるなど笑い話にもならないだろう。


「うぅぅ、なんか不吉ですね……」


 そんなアイシャの呟きに、ナハトも頷いた。

 アイシャの直感はよく当たるのだ、現に今も――


 ナハトは先を歩くアイシャの服へと手を伸ばし、掴む。


「ふぇ?」


 気の抜けるような声を発し、体勢を崩したアイシャを持ち上げるように後ろに引いた。

 驚くほど軽い少女の体重を感じると同時に、気配を巧みに殺していた一匹の獣が、茂みを飛び越え、アイシャに牙を突き立てんと襲い掛かってきたのだ。


「ふぇえええええええええええええええええっ!?」

 

 がちん、と。

 アイシャの眼前で空を切った獣の牙が鈍い音を立てた。

 ナハトとは違い、うまく抑えられていないアイシャの魔力を感じ取ってなお襲い掛かるとは、中々に狂暴な獣である。


 重々しい足音と共に二メートルを優に超える巨大な体躯が姿を見せる。風に乗って、白い毛並みが優雅に揺れていた。純白に輝く魔力を走らせ、迫りくるそれをナハトは酷く愉快そうな笑みで向かえた。


「白虎、と呼ぶには些か迫力に欠けるな――まだ子供なのか――」

 ナハトの知るそれとは違い、随分こじんまりとした白い虎を見る。

 獲物を食い損なったせいか、白い虎は威嚇するような声を上げて、ナハトへ襲い掛かろうと姿勢を低くしていた。


「ふぇ……あれ、今……牙……目の前……ふぇええええええ……」

 アイシャにとっては危機一髪だったのか、力のない悲鳴が零れていた。

 面白そうなのでアイシャには何も言わなかったが、少しお遊びがすぎたかと思い直す。


「グァルルッ!」


 再び雄叫びを上げたと思うと、地を抉り、凄まじい速度でナハトの前に白い虎が迫る。

 ナハトはアイシャを抱えて、回るように身を翻すと白い虎の突進を避けた。

 

 勢いに任せたまま後方へと過ぎ去った虎は巨体に似合わぬ俊敏さで眼前の木に足をかけると、空中で器用に反転して、木を蹴りだし再び襲い掛かってくる。

 急激に方向を変えることで対応を難しくさせる攻撃だ。一流冒険者でも容易く貫かれるであろう虎の爪が、ナハトの身体を貫いた――かに、見えた。


「ふっ――残像だ」

 

 置き去りにした言葉と共に、貫かれたナハトの影が霧散する。

 稲光のように移動し、一瞬で虎の後方に現れたナハトは悠然と立ち、嘲るようにポーズを決める。


「かっこつけてないで早くなんとかしてくださいッ!」


「…………男なら、一度は言ってみたい台詞なんだがな……」

 

 振り回されるアイシャに余裕はないらしい。

 時に茂みを利用し、また時に大樹を利用し、森の中を二転三転しては牙や爪をつきたてようと迫る虎だが、ナハトにそんな児戯が通用するはずも無く、最小限の動きだけで荒々しい虎の猛攻を避け続ける。


「私もアイシャも後衛だが、行く行くはこれくらいの回避性能は身につけないとな」


「むーりーでーすーってばー!」

 高速移動を繰り返すナハトに振り回されるアイシャ。

 そのせいで乱回転する洗濯機に放り込まれたような感覚を味わうアイシャに落ち着いて周囲を見る余裕は当然ながらない。

 

 だが、落ち着けばアイシャでもどうとでもなる相手だとナハトは思う。

 なにせアイシャはあのイズナを相手に一勝しているのだから。

 エストールを旅立つ前、ナハトはなにかとアイシャに引っ付いていた邪魔者――もとい、イズナと共に過ごしていた。


 当然、彼女と過ごす日々の中でその力も見たし、できる限り強化もしておいた。

 正直に言えば、百回戦えば九十九回アイシャは負けるとナハトは思う。それくらい、異常なほどに彼女は強かった。

 だが、肝心な時に――あの日にアイシャは一勝をもぎ取ったのだ。己が信念を貫いた先で、少女の心を救ったのだ。

 だからナハトはアイシャに不満などあるはずもなくただ満足している。


「めーがーまーわーりまーすー! ちょ、止まって、とまってくださいナハト様~!」


 ナハトは一息に大きく跳躍して距離を離すと、アイシャをそっと地面に立たたせた。

 今にも倒れこみそうなアイシャは気持ち悪そうに口元を小さな両手で押さえていた。


「ほら、アイシャ。気持ち悪いのは分かるが、ぼーっとしていると危ないぞー」

 ナハトがのんびりとした口調で言う。が、状況はと言えばとてもではないがのんびりとはしていられない。

 風の魔力が込められているのか、薄い緑光を放った虎の爪が、アイシャの目の前にあるのだから。


「ひっ!」

 生意気にも、弱者と認識したアイシャのほうから仕留めるつもりなのだろう。

 無論それを見過ごすナハトではない。

 回避に専念していたナハトが、初めて微かな魔力を練り上げる。


土精魔法アースマジック――大地の怒りアースラース

 獰猛な笑みをナハトは浮かべる。

 それを見て、というわけではないだろうが猛進していた白虎が突如として急停止した。次の瞬間、魔力の浸透した大地が呼吸をするように音を上げ、生物のように流動する。

 

 飛び出したのは、人の拳を象った強大な土の塊だ。

 本能で危険を察知したのか急停止した白虎は大きく横に飛び、大地から勢いよく飛び出した拳型の土塊を間一髪で避けたかに見えた。

 だが、初撃が避けられた瞬間に再度魔力を込めたナハトの魔法は拡大する。

 一瞬にして無数の鉄拳を生み出すとともに、先ほどとは比べ物にならない速度で白虎へと襲い掛かった。


「きゃんっ――!」

 

 容赦なく殴りつけられた白虎は悲鳴と共に、吹き飛ぶ。

 痛々しく折れ曲がった爪の断片が弾け飛び、鮮血が地に染み込んだ。

 

「はぅ。す、凄いです」


 感嘆の声を上げるアイシャには、仕方のないことだが実戦経験が足りていなかった。その凶悪な見た目と、野生の獰猛さに気圧されて我を忘れているのでは戦えない。


(でも、今はまだそれでもいいさ――悲鳴を上げるアイシャは抜群に可愛いからな)


 竜を相手取った時といい、イズナの時といいアイシャが見せた意思の強さを、その可能性をナハトは噛み締めるようにアイシャを見た。

 いずれは、ナハトの助けなど借りなくなる日が来るのかもしれない。それはそれで、なんというか寂しいと思わずにはいられない。


「ガァルルルルルルルルルルルルルッルッ――!」

 

 静寂を打ち破るように、一際強い雄叫びが上がった。

 吹き飛ばされてなお一層強い敵意を向けてくる白虎。

 ナハトの知るそれは、破邪の密林という場で出現するレベル六十程度の敵だったと記憶している。まだ幼子故にそれほどまでのたいした実力はないようだが、乗り物程度には使えるかもしれない。


「どれ、ここは一つ――獣の躾け方というものを教えてやろう」

 

 殺すだけならば簡単だ。アイシャの命を奪おうとした罪は重いが、子猫のような存在を無理に捻り潰す必要はない。

 それなら、アイシャの成長のために一役買って貰おう。無論、拒否権はない。

 それに何より、ナハトはアイシャの前で久しぶりに格好をつけたくなった。


 体勢を低くし、飛びかかろうと力を込める白虎とは対照的に、ナハトは力を抜くように佇んだ。

 そして、優しげに手のひらを向ける。

 開いた手を、『待て』、と指示するかのように向けるだけ。

 

「――ガァルル…………」


 だが、獣は一声呻くように鳴くと、ピタリと動きを止めた。

 否、止めざるを得なかったのだ。

 あまりにも馬鹿げた魔力の奔流が、まるで脅すように白虎に圧し掛かっているのだから。

 そんな魔力が、脅迫しているのだ。


 一歩でも動けば、


 ――殺す――


 そう宣告していた魔力が、やがて姿を象り顕現する。

 それは、巨大な鉤爪だった。

 幻と呼ぶには余りにも現実味を帯びてしまった魔力の幻影が、龍の爪となりて白虎を握り潰さんと顕現していた。


 そうなって、初めて強者であった白虎は後悔したことだろう。

 襲うべき相手を間違えた、と。

 自らの死をすぐ傍に置いて初めて、目の前の存在が決して逆らってはならない相手だと知ったことだろう。

 

 輝かしい白虎の魔力が、押しつぶされ一層弱々しく色褪せていく。

 絶対強者の手の内で、逃亡さえも許されず、命をただ握られる。

 そうなってからの白虎の行動は、あまりにも迅速だった。


「――にゃ、にゃーーん」


 即ち、命乞いと服従である。

 仰向けに寝ころがって、腹を見せる。

 そんな白虎に満足し、ナハトは大きく頷いた。


「私はテイマーではないので大して強くはならないだろうが――ほら、アイシャ、乗り物ができたぞ。折角なのだから名前をつけてやるがいい」


「ふぇ!?」


 急に振られたアイシャは、えーっと、うーんと、などと頭を抱え、戸惑いながら口を開く。


「じゃ、じゃあ――た、タマで」


 そうしてタマが仲間になった。

 

 

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