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進むべき道は

 一人旅は不都合が多い。いや、はっきり言えばそれは無謀なのかもしれない。

 何から何まで一人でやろうとすればすぐに疲労が蓄積するし、見張りもいないので夜眠ることも儘ならない。

 どんな屈強な戦士でも、慣れない旅路は肉体と精神を磨耗させ、疲労に蝕まれた人間は小さな油断であっさりと死を迎えることがある。だから、一人で旅をしようとするのは一流の冒険者でもまずあり得ない。


 デュランは言わば例外だ。

 危険な旅路でも一人でこなせる。眠っていようと敵の気配は手繰れるし、一週間程度ならば不眠不休で動ける体力だって得ている。

 凡そ人間という人間の枠をはみ出しているからこそ、野生であろうと、盗賊の蔓延る旅路だろうと、戦場であろうと、当たり前のように順応して、生きていける。


 だけど、あの少女はそうでは無い。

 平気そうな顔をしていたが疲労は蓄積しているのだろう。いったい何時から一人旅をしているのかは知らないが、見た目以上に追い詰められていたのかもしれない。

 手負いの獣の如く、刃を向けてきたのだろうとデュランは思った。


(――だがそうだとしても、あれは普通じゃない)

 

 気配の消し方は勿論のこと、不意を打つための演技に、足を奪い取る迷いなき攻撃。

 鍛えたわけではないが、生き残る術を手に入れていた。

 それこそ、無残に死体となった傭兵かぶれの盗賊よりも、よっぽど熟練した盗賊だと思えるほどに。


(盗賊、か…………)


 私怨を向けるべき相手をデュランは思う。

 生きることは戦うことだ、と人は言いがちだがデュランにとっては、それは違った。

 戦うことこそが、生きることだった。

 闘争とは呼吸をするに等しい。戦場にその身を置き、安息の地を遠ざけ続けたその結果、戦場を移ろう鬼とまで揶揄された。

 デュランには、戦うことが必要不可欠だったのだ。

 そして、あの少女もまた、闘争の中で生きてきた者特有の匂いがした。


 デュランは何故か襲われた少女に振舞うべく、小さな短剣を手に料理をしていた。驚くべきことに、その手つきはこなれている。

 小鍋をかき混ぜながら、漂う匂いに満足して一つ頷く。

 ドライトマトをベースに煮込んだスープ。優しいトマトの甘味が体を温める一品だ。水浴びで冷えた体には丁度いいだろう。

 

 それだけでは物足りないので、道中で仕留めた魔牛のローストに、持ち運んでいる小瓶から香辛料を贅沢に使用したタレをかける。

 ジュッと、鉄板の上で肉汁が弾けた。

 芳しい肉の香りに、芳醇な香辛料の刺激が加わる。漂う香りに食欲が刺激されて止まない。


 食事に拘ると言えるほどデュランにポリシーはないが、どうせならうまいものが食いたいと思うのは当然だろう。

 そのためなら、一手間をかけるのがデュランの流儀だ。


「いい匂いー!」


 そんな香りに釣られたのか、少女の声が響いてきた。

 駆け込んできた少女の髪から水滴が軽やかに飛んで、デュランの頬に水滴がつく。


「ご飯ー、ご飯ー!」


 そわそわしていて、目の前の料理に喜びを表現するその様は、微笑ましいことに間違いはない。

 ただし――


「…………お前な……」


 ――服を着ていればの話だが。


「んー?」


 可愛らしく小首を傾げる少女は、有体に言ってしまえば、そう――全裸だった。

 汚れが洗い落とされた純白の肌が露わになっている。青みがかった毛並みは、絹のように柔らかそうだ。成長しつつある身体は、少女のものであると同時に、間違いなく女性のものだった。

 それらを惜しげもなく晒している。羞恥心など存在してもいないのか、むしろ見せ付けるように、嬉しそうにピョンピョン跳ねている。

 デュランは思わず頭を抱えそうになった。


 その姿は、驚くほど見違えていたのだ。

 思わず目を疑うほどに――いっそ、別人と勘違いしそうなほど変貌したネロがそこにいた。薄汚れた浮浪者のような子供の姿は影も形も残っていない。


「服を着ろ、服を……」


「でも、服なんてないよ? あれ、濡れちゃったし……」

 そう言って、ネロはぼろきれのような布を指差す。

 どうやら変えの服は一つとして持っていないようだった。


「はぁ…………ほら、これでも着てろ」

 そう言って、デュランは男物のシャツを放る。

 何も着ないよりかは遥かにマシであろう。

 

 ネロは無地のシャツを受け取ると、スンスンと少し匂いを嗅いだ後、勢いよく被りこんだ。

 その瞬間、デュランは己の過ちを悟ることになる。

  

 デュランの上半身を覆うそれは少女の全身をすっぽりと覆った。

 だが、衣服の上から小さな膨らみが隠し切れないほど主張をしていて、丸い体のラインもしっかりと浮き彫りになっていた。男ものの服を着れば、体付きの差異からか女性らしい部分がより強調されるのは至極当然と言える。

 上半身はだぼだぼで、肩から肘まで服が覆う反面、太股から下は少しだけ肉付きが落ちた足が盛大に晒されていて、何故だかより扇情的になっているように思えなくもない。

 だがまあ、ネロは料理に目が釘付けで、まるで気にした様子もないので、このままでいいのだろう。


「ねぇ、おじさん! 食べていい? 食べていい!?」


 キラキラと、一等星もどん引きするほど輝く少女の瞳が、これでもかと食欲を伝えてくる。


「駄目だ」


「なんでッ!?」

 この世の終わりとばかりに少女の顔が絶望に染まった。

 これはこれで、面白い。


「おじさんじゃない、お兄さんだ」


「こだわるなー。どうでもいいじゃん、そんなの」


「よくない」


「はいはい、お兄さん! ご飯ちょうだい、ね?」

 そう言って、よだれを拭いながら見上げてくるネロに、デュランは仕方なく言った。


「まあいい。じゃあ好きにく――」


「いただきます!」

 言葉を被せ、料理にとびついた慌しく料理を食らう。


「はぐ、はぐはぐ――んまー! んまー! げきうまー!」

 品性など求める気はないが、流石に手掴みで、顔を汚しながら肉を噛み千切る姿はなんとも言えない。

 

「んぐっ! んー! んー……ぅ……」

 おまけに慌てすぎて、喉につまったのか苦しそうにもがいている。

 仕方なく、水を手渡す。

 ネロは一息に飲み干した後、満面の笑みを浮かべていた。


「ぷはー、生き返る~! おじぃの料理よりおいしい! おじさん料理上手なんだね――」


「…………」

 幸せそうな笑みで食事を貪るネロをを見て、デュランは怒りと共に拳を握りそうになる。

 いっそ、きっちり躾けるべきかと思い至ったその時だ。


「んふふー、ありがとね、おじさん」

 

 少女が無邪気にそう言って、飽和していた心の渦が静かになって、消えて行った。


「あ、ああ――」

 ただ、呆然と。

 意識なき言葉が零れる。


「んー、どうしたの? おじさんは食べないの?」

 不思議そうにじっとネロが見つめてきた。


「いや、食うさ」

 だが、不思議に思うのはデュランのほうだ。

 図々しく、小生意気で、理解し難い、獣人の少女。

 殺気もなく、当然のように誰かを蹴落とし、自分だけが生きていこうとする生き方を抱えている一方で、何故か自然体で人の中に紛れ込んでくるこの生物を、いまいち把握できない。

 だが、それ以上に――


「ん?」


 揺れた、己の心が分からない。

 そう思ってネロを見ても、人懐っこい笑みを向けてくるだけだった。









「ふぃー。お腹いっぱ~い」

 結局、一人で出来上がった料理の大半を食らったネロが腹をさすりながら呟いた。


「なら、もう満足だろ――俺は行く――じゃあな――」

 そう言って、立ち上がったデュランの服をネロがちょこんと摘んでいた。


「ネロはまだ、お礼をしていないんだよ?」


「お前にできることはない」

 だが、デュランは事実を告げると共に突き放した。


「でも、おじぃが言ってたもん――恩には体で報いるんだって!」

 どこか必死に少女は言った。


「…………お前は今すぐその言葉を忘れるべきだな……」

 ついでにそのおじいとやらについても忘れるべきだとデュランは思わずにはいられない。


「俺はこれから七国に入る――あそこは内紛地帯だ。お前のような浮浪者は、王国にでも流れるといい。交易都市の近くなら、受け入れて貰えるかもしれんぞ?」


「んー? でもネロはリヴァティスの出身だよ? そこまでなら、案内できるけど?」

   

「別にリヴァティスに向かうわけではない」


「じゃあ何処に行くの?」

 そんな言葉に、デュランは思わず口を噤んだ。

 七国に向かう。

 それは戦場を求めてのことだった。

 あの日から黙りきって一向に何も言わなくなった加護のせいで、デュランにはいく当てもない。

 だから、戦える場所を探していたデュランが王国を出て七国へと向かうのは自然なことだった。


 王国の背で平穏を重ねる七国は幾つかの強国が、国家の統一を目的に内紛を続けている場所だ。

 帝国と軍国を頂点に、数多の国家が選神教の掲げる平和の下で、条約が結ばれ長く停滞が続くこの大陸で、最も戦火の灯る地域なのだ。

 だが、目的はあっても漠然としすぎている。

 だから、何処に向かうかなどデュランも知らない。  


「ねぇねぇ、何処に行くの? 何処に行くの? ネロ、この辺なら詳しいよ?」

 かつて傭兵として戦ったシドニスか、それとも戦火の激しそうな獣人国のリヴァティスか、はたまた暗殺国家と名高いソーラスか。デュランの行き先は今だ決まっていない。


「何処に行こうと俺の勝手だ」


「ネロもおじさんについていっちゃ駄目?」


「駄目だ」


「えー、なんで!?」


「何でもだ」


「理由になってないじゃん!」


「…………これも何かの縁ではあるか……ほら、こいつをやる」

 そう言って、デュランは金貨が数枚入った袋を投げ付ける。


「盗賊なんぞ好きでやるもんじゃないだろう。お前の事情に興味はないが、できることなら全うに生きるがいいさ――金さえあれば、お前はまだ十分引き返せる」

 だが、そんなデュランの言葉を理解していないのか、ネロは袋を弄んで、つまらなそうに見据えた後――大金の入った袋を返投してきたのだ。

 そして、その小さな口がゆくっりと動いた。


「――お金じゃお腹は膨れないよ?」

 

 それは、酷く冷たい言葉だった。

 歴戦の戦士が、思わず息を吞んで戦慄するほど、冷めた音色だった。

 まるで親の敵でも見るかのように金貨を見据えて、狂おしいほどの憎悪を瞳に置いて、ネロはそう言ったのだ。

 

「…………」

 デュランは、悲壮とも違う少女の顔を見て、口を噤んだ。

 金を渡すことで突き放そうとしながらも、否定され言葉を失ってしまった。


「…………そうか」


「そうだよ、だからネロは体でお返しするね」


「しなくていい」


「えー、なんでー!」


「お前、意味を分かって言ってるのか?」


「ネロは何でもできるんだよ? 狩りも得意だし、狩りも得意だし、狩りも得意だし!」


「はぁ……」

 デュランはひとつため息を零すと、そそくさと歩きはじめた。

 それは少し冷たい対応だったのかもしれない。


「あっ……まってよ、お兄さん……! 置いてかないで!!」

 震えるような声で、ネロが叫んだ。


「お願いだから……もう、置いてかないで……!」

 見れば、少女は泣いていた。

 意味が分からない。

 そもそも、デュランと少女は敵にも近い他人同士でしかないはずだ。

 なのに、何故か泣いていた。


 と同時に、それは卑怯だと思う。

 そんな、好き勝手に感情を吐露するのは卑怯だと思う。


「お願い……だから……一人にしないでよ…………」


「はぁ……近くの村まで送ろう……そこまでは一緒だ……」


「じゃ、じゃあ……ついて行ってもいいの……?」

 脅えるように、そう言った。

 叱られることを恐れるように、様子を伺うようにそう言うのだ。

 その顔を見て、デュランは認識を改める。


「好きにしろ……」

 結局は、ただの子供なのだろうか。

 心に湧いた微かな懸念を飲み込むように、デュランはそう言う。


「うん! ありがと、おじさん大好き!」


「おじさんじゃない。お兄さんだ」 


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