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龍の従者

 アイシャは今年で二十を迎える。

 だが、その容姿はどう見ても七~八歳の子供でしかなかった。

 耳長族エルフは長寿で有名な種族だ。

 そして、千年は生きるとされる耳長族エルフにとって時間の流れは、人のそれとは根本的に異なっている。

 たかが二十年では、ゆったりとした成長を送るアイシャにとって、肉体的にも、精神的にも、成熟するのは無理な話なのだ。

 良く眠り、自然との感応性を高めながら、体を巡る膨大な魔力を少しずつ己のモノにしていく。

 これがエルフにとっての第一次性徴であり、要する時間はおよそ四十年から五十年。

 それを終えて初めて身体の成長たる第二次性徴が訪れる。

 また四十から五十年をかけてゆっくりと成長し、人間で言う二十歳程度の容姿になると、時間が止まったかのように、肉体は成長を止める。そして、寿命を終えるまでほとんど老衰はせず、千年を生き抜いた者でも人間で言う三十か四十程度の若々しい姿で一生を終えるのだ。

 

 第三開拓村、フロリアにおいてその事実を知るものはアイシャの父だけだった。

 同年代の子供が、まだ幼かった頃は良かった。

 子供の中でもボーっとしていることが多い変わった子、おとなしく、積極性のない子供、そんな扱いで済んだのだから。

 だが、十を越える頃になると、身体能力の差は隠しようがなかった上、学習能力の差も如実に現れていた。

 いつしかアイシャは、


「出来損ない!」


「呪われてんだろ! 呪い子だ!」


「化物なんだろ、そうなんだろ!」


 子供達にそう言われた。

 学のある者などいない開拓村においても事情を知る大人達がいなかったわけではない。曖昧な認識でも、彼女の違いが種族の違いだと、そう認識できていた者も少ないながらいた。

 だけれど、アイシャを擁護する者は誰もいなかった。

 

 

 偏食。

 それが、アイシャを冷遇したもう一つの理由であった。

 それは、耳長族エルフの血を引いて生まれてきたものの宿命なのだろう。

 獣の匂いが耐えられないのだ。肉はどう頑張っても口に運ぶことすらできない。家畜の乳も臭くて飲もうとは思えなかったし、卵も駄目。結局アイシャがまともに口にできたのは穀物、豆、塩と野菜のスープ、それと滅多に食卓に上がらなかった果実だけ。

 生長が遅い上、食べられる物も限られていて、仕事も覚えず、寝てばかりいる厄介者、それがアイシャの共通した認識だった。

 だけど、それでも――


「大丈夫、アイシャはゆっくり、自分のペースで大人になればいい。それまではパパがちゃんとアイシャを守る、約束だ」


 そう、父が言ってくれたおかげで、アイシャは十九と数ヶ月、生き抜くことができたのだ。

 元冒険者である父が、村の警護、狩り、開拓、どれにおいても優れた者であったからこそ、彼女は生きられたのだ。

 父親が優しかったからこそ、飢饉に陥っても売られることは無く、誰かに心を傷つけられてもなお、アイシャは真っ直ぐ成長することができた。

 

 だがそんな幸運は、唐突に崩れ、無くなってしまった。

 伝染病。

 村人の三分の一を蝕んだ伝染病に父が侵され、床に伏した。

 働き手を失った一家の末路は酷いものだった。

 少ない蓄えをすり潰して、必死に父の看病をして、それだけで過ぎ去っていく時間。

 日に日に蓄えは無くなり、食卓は寂れていった。

 誰も手をかそうとはしてくれなかった。父に助けられたことは一度や二度ではないのに、誰も――誰も助けてはくれなかった。

 それどころか、病の原因は呪い子の家からだ、などと噂されるようにもなった。

 

 アイシャは直感的に理解した。

 誰も何もしてくれないのは、自分が嫌われているからだ、と。

 自分のせいで、父は誰からも助けて貰えないのだ、と。

 それは半分が正解で、もう半分は間違いだ。

 誰かを気遣える余裕のある村人など、何処にもいなかったのだ。

 その上で、苛立ちを紛らわせるために、不幸をアイシャに押し付けたに過ぎなかったのだ。


 父の病状は良くならない。

 小さな開拓村には、医者の一人すらいやしない。

 今際の際の父の言葉は――


「……ごめんな、アイシャ――父さん、お前を守ってやれなくなっちまったみたいだ――約束、破っちまったな――――お前とも、お前の母さん、フローリアとの約束も守れなかった――――すまねぇ、愛してるぞ、アイシャ――」


 父が亡くなって、アイシャは捨てられた。

 アイシャを引き取ろうとする者は誰もいない。

 当然だ。

 ただでさえ余裕のない状況で、仕事もできない、飯も食えない、そんな厄介者を引き取る者などいるはずがなかった。


「そっかぁー、いいお父さんだったようだな」


「……ふぇぐ…………えっぐ、お父さん――ふぇーーーん、おとうさぁああああああああん!」

 話し終えたアイシャは突っ伏して泣きだしてしまった。

 きっと、生にしがみ付くあまり、感情を押し殺してしまっていたのだろう。

 アイシャが過酷な環境で己を見失わず、こうして彼女と出会えたのは今はなき彼女の父のおかげだろう。


「泣きたいときは泣けばいい。好きなだけ涙をこぼせ――なに、遠慮するな、あまりないが胸くらいは貸してやるぞ」

 ナハトはそっと空を見上げた。

 見知らぬ世界で、初めて出会った少女――アイシャとの間には、運命を、不思議な縁を感じずに入られなかった。かつてナハトが出会えた仲間たちのような不思議な縁だ。


 ナハトがいなければ、失われていたであろう小さな命。

 過酷な現実に立ち向かった高潔な魂を、ナハトを強く抱きしめる。

 月が雲の狭間に消えてはまた現れて、幾度となく繰り返し、やがて泣き声は小さくなっていった。


「なあ、アイシャ――よければ、私と来ないか?」

 落ち着きを取り戻し、思慮のある瞳を取り戻したアイシャにナハトは告げる。


「…………で、でも……私はその、ナハト様のお役には、たてないです。力もないし、物覚えも悪いし、好き嫌いも多いし…………」

 

「ははは、別に戦力が欲しいわけじゃない。私は記憶力には自信があるし、お前の好きそうな食料も数多く持っている。だから何の問題もない」

 ナハトは少し申し訳なさそうに頭をかいた。


「それに、アイシャを助けた時に使った龍の従者は君を縛っている部分がある。私はアイシャの位置が常に分かるし、アイシャはきっとこれからの成長で私の影響をうけるだろう――いやか?」

 ナハトは知らず知らずの内に不安そうな表情を浮かべていた。

 アイシャはそんな顔もできるのか、と一瞬だけナハトを見て、すぐに慌てて否定した。

 

「い、いえ。そんなことは、むしろ光栄です、でも――」

 

 アイシャは自身が無能であることを知っている。

 そのせいで、父に迷惑をかけ続けていたのだから。

 何の役にも立てない厄介者として、ナハトの傍にいたくなかったのだ。

 そんなアイシャの心境をナハトは容易に読み取った。

 そして、一際明るく笑った後、少し意地悪をするようにアイシャに告げる。


「私はアイシャがいてくれないと困る。どうやら私はかなりの寂しがりやでな、話し相手が欲しいんだ――それもアイシャのような美少女なら一層な」


「び、美少女……! はぅ!」

 それに、龍の従者によって、アイシャはこれから強くなるだろう。元からかなり大きな魔力も感じた。体に馴染んでいないので、まだ扱うことはできないだろうが。それでも、僅か数十年、時間の問題であるとさえいえる。


「だからアイシャ、私と来い――私にはお前が必要だ」

 そう言ってナハトは手を差し伸べた。

 だがアイシャはそれどころではなかった。心臓が激しく脈を打ち、涙を隠すために下げた顔を上げることができない。

 アイシャの内に爆発的に広がった一つの感情。

 それは生への打算や喜びなどではなく、ナハトに必要とされることへの純然たる歓喜だった。

 誰かに必要とされること、それはアイシャの人生において初めての経験だった。

 誰もがアイシャを疎み、蔑んだ。

 誰もが不要としてアイシャを捨てた。

 否定され、不要と規定される。

 それが、アイシャの全てだった。

 なのに、ナハトはアイシャを必要だと言うのだ。

 お前が必要だ、と。

 それは、歓喜。

 それは、至福。

 新たな自分をアイシャは確かに見出した。

 形容できない感情の奔流に押し流され、胸の内側から全身に至るまで、言いようのない快感が突き抜けるように走った。

 知らないはずの言葉が不思議と頭の中で象られた。それはまるで、たった今、この時のためだけに、成長を加速させたかのようだった。

 そんな思いの丈の全てを吐き出すように、アイシャは吐露した。


「ああ、私の主様――アイシャは貴方様に、永遠の忠誠を誓います」

 跪いて、差し出した手の甲にキスをするアイシャ。

 どうしてこうなった。

 ナハトは呆然と、跪くアイシャを見つめるしかできなかった。

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