プロローグ
竜の巫女が捧げる祈り。
加護の繋がりを通じた思いの先が、アクエリオンの湖畔に向かわなくなってから幾許かの月日が流れた。
祈りの向かうその場所は今はもう遥か遠く――
海が靡く。
流れに引かれ、水面が揺れる。
だが、不思議と波がない。
自然の息吹を感じない。
ありとあらゆる生命を感じない。
風が枯れる。
それは、吹くだけ。
何も運ばないし、運べない。
地が解ける。
抉れ、断裂し、ちぐはぐになってしまったそんな島。
そこは終末を遂げた場所。
戦いの傷跡と共に、ただ一人が眠る場所。
不意に、静寂を破るかのように鈴の音に似た不思議な音色が響いてきた。
死が満ちて、満ち足りていた場所だからこそ、そこに何故だか取り残されていた清涼な空気が異常だった。
そこには、浄化された土地が無理やり閉じ込められている。
たった一区画に過ぎない岸壁には、枯れる事のない枝垂れ桜と白い墓標。
そんな場所に、男はただ佇んでいた。
「お前も父の墓参りか――? 殊勝な態度だな水神――」
「死者に手を合わせる習慣など我らにはございません」
「ならば足を踏み入れるな――父の眠りの邪魔になる――」
「――ふふ、ご冗談を――一度酒杯を傾ければ何をしようと目を覚まさなかったあの男が竜の羽音程度で目を覚ますなど、それこそあり得ないことでしょう」
「何故、ここに?」
「警告を――」
暗闇を引き摺った男と、ダイヤモンドダストのような竜。
二者は静かに瞳を交える。
「言ってみろ――」
「それを使うことは、お止めなさい」
「…………」
「世界そのものを変革しかねない力など、この世に存在すべきではありません――」
「…………」
「返答は――?」
「…………一度だ……」
「…………見逃せ、と?」
「それで、全てをやりなおす――父上の意思を忘れる私ではない――」
竜の口が重く開く。
冷え切る空気と共に音が鳴った。痛々しく、氷が砕けていくようなそんな音だ。
急速な温度低下につられて世界が青白く染まっていく。
降り立った白銀の世界に、色鮮やかな細氷が降り注いでいった。
「無粋な真似はよせ――無意味な騒音を立てるのは申し訳ない」
場所を変えるように、男の姿が大海へと移ろった。
「この私にそれを見逃せ、と?」
確認するようにもう一度。
竜が冷えた声を伝えた。
「――人の問題に竜のお前たちが関わるな――我らには果たさねばならぬ宿願がある」
「――――それは、ただの復讐ではありませんか?」
「そうかもしれぬ――だが復讐で終わらせるつもりなど毛頭ない」
「そう、ですか――残念に思います――」
「ああ、酷く無念だったよ――」
光の柱が海面を割った。
まるで時代のうねりを伝えるが如く、死の孤島に竜の咆哮は轟いた。




