友情の意味
光の渦に全てが消える。
何もかも消えて、イズナの手には何一つとして残らない。
だって、それは仕方のないことなのだから。
偽物だから。
偽りだから。
誤魔化しだから。
言われるまでもなく。
言いようがないほどに、その通りだ。
イズナの手には何もない。
あの日からずっと、何一つとしてなかった。
だから、消えて無くなるのは当たり前なのだ。
父も、母も、姉も、友達さえも、イズナにとっては酷く遠い。
――貴方に出会わなければよかった――
そうすれば、現実を知らないままでいれたから。
自分が一人ぼっちだって気づかされずに済んだから。
――貴方に出会わなければよかった――
二人の時間を知らなければ、一人の孤独を知らなくて済んだから。
確かなものと不確かなもの。
そんな違いを知らなくて済んだはずだから。
――貴方に出会わなければよかった――
貴方が一人じゃないことを知らずにいたかった。
そうすれば、私が唯一無二の特別になれる気がしたから。
孤独の牢獄から抜け出せる可能性があるような気がしたから。
でも、もういいんだ。
父と母は生き返った。
それで良い。
お姉ちゃんは何時も優しい。
それで良い。
友達なんていなかった。
それで……良い…………
偽りでも、それがないとイズナは生きていけないから。
――貴方に出会わなければよかった――
それはまるで物語の一幕のように劇的で。
だからこそ、それは偽りでいいのだ。
彼女はイズナの傍にいてくれないのだから。
大切なのはイズナではなく彼女の主様なのだ。
嫌いだ。
嫌いだ。
大っ嫌いだ。
「…………私なんて、大っ嫌いだ」
「――――そっか、私は大好きだよ」
それは弱りきったイズナが生み出した幻聴――――ではなかった。
「……なん……で……」
零れ出した声を追う様に、双眸を向けたその先に、少女がいた。
吹けば飛んでしまうのではないかと思える儚げな少女は、
身に纏うドレスを黒ずむまで焼き、
殴打した全身から血を流しながら、
それでも小さな足で地を踏みしめ、
真っ直ぐとイズナの瞳を見据えていた。
◇
見るも無残に粉砕した屋敷の跡地。
そこは、隕石でも落下したのではないかと疑いを抱くほど、深く深く破壊されていた。
だけれど、少女は確かに立っていた。
見れば、焼け焦げたメイド服の奥に、薄っすらと輝く鱗がアイシャの身を庇っていたのだ。
「嘘……アイシャ……その瞳……魔眼……?」
砂煙の中でさえ、凛と輝く金色の円環がアイシャの瞳を覆っていた。
両の手のひらからは何とも形容し難い夜色の光が灯る。
「――ごめんなさい、この力はうまく制御できないんです……ちょっとだけ痛いかもしれないけど我慢してください――――」
足を踏み、音が鳴る。
それはまるで神を謳い、降ろす所作のようだった。
技能――常夜の戒め。
アイシャの足元から、黒い鎖が這い上がった。
彼女が歩んだ道より生まれ、容赦なくイズナに襲い掛かる。
「はぐっ! この鎖、何で、消えないっ!」
それは魔法ではない。
正確に言えば、魔法系統技能ではないのだ。
アイシャが呼び出した鎖は、かつて竜を封じ込めていたと伝えられる拘束具そのものであり、龍の巫女が持つ技能である。
天鎧の輝きも、魔眼の輝きさえも抑え込み、ただ暗い世界が這い上がってくるかのようだった。
そして真の異常がイズナへと襲う。
「……嘘……何これ……目が……」
イズナの魔眼に陰りができていた。
彼女は右も左も分からないのか、拘束された体を必死に揺らす。
状態異常――盲目。
常夜の戒めの真価は、縛りつけた相手を一時的に盲目状態にすることにある。
魔眼はあくまで瞳に依存した能力である、とアイシャは教わった。
ならば、その瞳自体を見えなくすれば、その能力は封じることが可能だった。
「《――偉大なる龍に奉納し奉る――輪廻を掌りし夜の王――我が身に宿りて力となせ――》」
歩を進める。
舞踊り、両手を広げて旋回し、距離がなくなる。
回り、巡りて、その身を晒し、拳を握る。
「技能――神がかり――」
身を包む昏い光。
滅び行く世界の前兆のような輝きがアイシャの両手に収束した。
「ごめん、痛いよ――」
深く沈みこむように姿勢を落としたアイシャの体がぶれる。
もし、イズナの視界が通常通りであったならば驚愕したことだろう。
地面を滑空しているかのように加速し、一瞬にして接敵したアイシャは、両の手から紅い軌跡を引いた。
「っあ――かふっ――――」
光り輝く鎧に容赦なく亀裂が走る。
弾き飛ばされたイズナが苦悶の声を上げた。
ナハトが特殊なこともあって忘れがちだが、龍系統の職種は基本的に万能職である。状態異常を扱うことも可能であるし、魔法以外の攻撃手段も存在する。
それが龍技だ。
物理攻撃の代名詞であり、戦局に合わせて様々な武技が存在しているのだが、ナハトはレベル上昇で取得できる技能だけしか取得していない。
アイシは一時的にナハトの力を借り受けているだけなので、やはり物理攻撃手段は乏しいと言える。
「…………アイシャ……!」
イズナは憎憎しそうに呻きながら、立ち上がる。
皹割れた鎧が光を帯びると、再び輝きを取り戻す。
手に持った弓を構え、切っ先をアイシャに向けて弦を絞る。
(やっぱり――足りないか――)
イズナを止めるにはこれじゃあ足りない。
金色に包まれた瞳が線を残して揺らめいた。
アイシャは静かにイズナを見据え、体に魔力を巡らした。
二者の魔力が色めき合う。
それはまるで光と闇を対比したような光景だった。
どうせなら、アイシャが光となりたいところだったが、見た目などどうでもいいかとすぐに思った。
それどころか、敬愛する主の力にけちをつけること事態不敬だと思い直す。
それは、アイシャだけが与えられた力だった。
アイシャを助けてくれた力であり、孤独の牢獄から少女を連れ出せる優しい力でもあった。
「――――イズナ――!」
荒れ狂う魔力をアイシャは死に物狂いになって制御する。
鋼の意思で。
揺らがぬ決意で。
今にも暴走してしまいそうな魔力をアイシャは魔法に変える。
思えば、これがアイシャの使う初めての魔法だった。本音は教導書にそって指先に火を灯す所から始めたいなと思うのだけれど、我侭を言っている暇はない。
それは、アイシャ一人では到底発動できない高次元に位置する魔法だった。
(ナハト様――力を貸してください――)
地を魔法陣が埋め尽くした。
ばちり、と。
漏れでた稲光が明滅を繰り返した。
吹きすさぶ漆黒の風は天に運ばれ、暗雲が立ち込めると同時に、暴威は空より訪れる。
「――竜魔法――天より降る雷竜」
「……魔法なんて通じなっ……!」
イズナの言葉は続かなかった。
瞬く星は、天より降りる雷竜の進行を阻むことができなかったのだ。
アイシャはイズナの魔眼に対抗できる、と確信があったわけではなかった。
だけど、根拠はあった。
かつて、この力を引き出した時に大精霊は言っていた。
その魔力は扱えない、と。
人間よりも遥かに魔力の扱いに長けた秩序の担い手さえ匙を投げたのだ。幾ら精霊魔法さえ吸収するイズナとは言え、この力はとっくに人間が扱える領域を超えてしまっているとアイシャは思った。
ナハトと違って、破魔の星眼は二次職までのありとあらゆる魔法に有効である、という事実を知っていたわけではないからこそ、それは一種の賭けだった。
だがアイシャは、主の力にならば己が全てを賭ける覚悟がある。
「っぁあああああああっ! 打ち抜いて、そうきゅうっ!!」
引き絞られた光の矢が、竜を仕留めんとばかりに空へと昇る。
差し迫る光の奔流に、竜の牙が容赦なく喰らいついた。
稲光がエストールの空に走り、轟音だけが辺りを埋める。
微かな拮抗は、一秒か、それ以下のほんの短い時間だった。
咆哮のような音共に、地に落ちた竜は、大地を崩して少女を飲み込む。
轟音が去り、嘘のように消えた暗雲の中から月明りが射し込んだ。
周囲は戦争跡地の如く、見るも無残に破壊され、そこが貴族の邸宅だとは到底思えない惨状となっていた。
草木は勿論、鉱物まで赤熱し、溶け出していく世界の中で、イズナは大の字で倒れていた。
だけれど、その身には殆ど傷がなかった。
定める瞳――龍眼によって制御された魔法はイズナの鎧を打ち抜いた所で、その威力の大半を周囲に向けて霧散させていたのだ。
やがてアイシャの瞳から円環が消え、消耗した体を引き摺って、アイシャはイズナの元へと辿り着いた。
ようやく声が届く場所に辿り着けたのだ。
「――ねぇ、イズナ」
アイシャはゆっくりと、思いの丈を口にする。
「私はね、酷いことも言うと思う」
倒れ伏すイズナに声を届かせる。
「間違ってると思うことは、間違ってるよって言いいますし、イズナの全てを肯定することはしないと思う」
人形も、あの女も、ずっとずっとイズナを肯定してきたのだと思う。
貴方は正しい。
貴方はそのままで良い。
そういう態度を取っていたのだと思う。
だから、少女は逃げたのだ。
夢の彼方へ。
でも、やっぱりそんなのは違う。
アイシャの大切な人は、辛い思いをしながらアイシャにきちんと告げてくれた。
間違っているよ、と。
そう言ってくれたのだ。
だからアイシャも口にするのだ。
間違ってるよ、って。
ちゃんと、言葉にして伝えるのだ。
「アイシャが間違っている時もあると思います。だからそんな時はまたいがみ合って、正しさをぶつけあって、こうやって喧嘩するんだと思います――それが――」
アイシャは言葉を区切り、改めて少女の瞳を見る。
夜空のように美しい、アイシャが見惚れた瞳を見つめる。
「――それが、友達なんだなって、アイシャは思います」
おずおずと。
脅えるように、イズナが口を開こうとしていた。
アイシャは静かに、言葉を待った。
「…………アイシャは……まだ私の友達でいてくれるの……?」
「はい、アイシャはイズナの友達です」
「…………いっぱい……我侭言ったし……酷いこともしたのに……?」
「それくらいどんと来いです。私のほうがお姉さんですから、甘えてくれていいんですよ? 甘やかすことはしませんけど」
不安そうなイズナに今度はアイシャが言う。
「私もイズナに酷いことをしたし、言いました――それでも、イズナは私の友達でいてくれますか?」
「…………私でいいの……?」
消え入るような声だった。
不安そうな声だった。
そんな少女の不安を払拭するように、
「イズナじゃなきゃ嫌です」
アイシャはそう、断言した。
二人の距離を埋めるように――
「仲直り、しませんか?」
アイシャが手を差し出した。
「…………うん……! うん……! うん!」
差し出した手が強く強く握り返された。
宝石のように煌めく雫が、頬を伝って何度もこぼれた。
少しだけ雨模様な少女の瞳が晴れ渡るまで、アイシャは何度も何度も雫を拭った。
抱きつくように、アイシャにしがみ付く少女を、今はこのままでいいかと抱きしめ返す。
そうなってみてようやく、アイシャは気づいてしまったことが一つあった。
「……イズナ、裸んぼうさんですね」
崩れ落ちた鎧の下は当然ながら裸だった。
幸い、ここにはアイシャとイズナの二人だけ。
イズナはそれを自覚しても、意にも介していないようだった。
それどころか――
「…………アイシャになら、見られても平気……」
何故か嬉しそうにさえして、そう口にしていた。
背筋に走った寒気は、きっと夜だからに違いない。
アイシャは今だけはいいか、と思い直し、小さな少女を抱きしめるのだった。




