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決戦を前に

 エストールの中央区。

 王城と、それらを囲うように優美な高級住宅が揃い立つそんな街中に、繊細な庭園の広がる貴族の邸宅があった。

 そんな、邸宅の正門が突如として――


 ――切裂かれた。

 

 バラバラになった木片が、ゆっくりと崩れ落ちる。

 そんな中で――こつん、と。

 たった一歩を踏みしめる足音が何時になく重く響き渡った。


「来たのね、いらっしゃいとは言わないけれど、待っていたわ、とでも言っておこうかしら――」

 誰に向けているのか分からなかったアナリシアの声がアイシャに、そしてティナに向かった。

 その口調は高飛車で、傲慢で、最早かつてのような演技をするつもりはないようだ。


「イズナは、何処ですか――」


「せっかちね。急く女は嫌われるのよ?」

 アイシャの威圧を軽く受け流したアナリシアが言う。


「それにしても、面白い組み合わせね。貴方が無事に生きていることには素直に驚かされたわ、ティナ――私が壊す以前に、貴方に植え付けた愚者の心臓は砕け散ったはずなのに、一体どういう手品かしら?」 

 穏やかそうに話してはいるが、やはり不機嫌なのか彼女の表情はどこか苛烈だ。

 だが、むしろ文句を言いたいのはティナの方だった。

 

「ぅぅう――貴方のせいで、私は一生ナハトさんの奴隷なんです…………白金貨三百枚なんて、絶対払えないです……ぅぅ、ぐすん……」

 涙目でそう語る言葉の意味をアナリシアは理解できていないのか、きょとんとして首を傾げる。

 ティナの身に何があったのか、そしてどうしてアイシャと共に行動しているのか。

 それは、ほんの少し前の出来事であった――――






 



「さて、アイシャ――黒幕に会いに行きたいのだろう?」


「は、はい。イズナを取り戻したいです。あの人の傍には置いておけない」


「そうか――」

 そう言ったナハトの表情が少しだけ変化したのがアイシャには分かった。

 だが、それはほんの少しの間だけ。

 すぐにアイシャに向かって優しげに微笑むナハトがそこにいた。


「では、まずは私の奴隷の元へ行こうか」


「ど、奴隷なのですか――ま、まさか性どれ――ぁう…………」

 よからぬ事を想像したアイシャのデコをナハトが小突く。


「――そんな訳ないだろう――ま、奴隷のようなもの、か――」

 そう言っていたナハトに案内された場所は、孤児院だった。


「あ、ナハトちゃんだ! おかえりなさい!」


「おかえりなさい!」


「ナハトちゃんあそぼー!」


 と口々にナハトを迎える子供たちがそこにはいた。

 今度は口を尖らせるのはアイシャの番だった。

 アイシャでさえ、ナハトにそんなに気さくに振舞えないのに、失礼なやつめと一瞬思って、ずるいなーと後から思う。


「はは、まあ待て――ティナはいるか?」

 

「おねえちゃん? うん、礼拝堂にいると思うよー」

 

「そうか、いい子だ――」

 ナハトがそう言って子供の頭を軽く撫でた。

 

「ナハトちゃん、そっちの子供は? 新しい仲間?」


「むー! アイシャは子供じゃないです! これでも、ナハト様の従者なんですから!」

 と、憤り胸を張る。

 確かに、目の前の少女はアイシャと大して背丈は変わらないが、アイシャはこれでも二十歳である。

 子供ではないのだ。

 断じて、子供ではない。


「アイシャは私の大切な相棒パートナーだ。アイシャちゃんと呼んでやれ」

 と。

 そんなナハトの言葉に、アイシャは歓喜して、照れくさくなって、でもやっぱり嬉しくて微笑んだ。


「うん、よろしくねアイシャちゃん」

 アイシャとしてはお姉さんと呼ばれたいところだが、主を差し置いてそんな要求ができるはずもない。

 不思議と自然に浮かべられた笑みと共に、アイシャは子供たちの声に答える。


「はい、よろしくお願いします」


「さて、私たちはティナと会ってくる。その間は、人形ゴーレムたちとでも遊んでな――」

 そう言うと、再び子供たちは散り散りになって去っていった。

 

「ゴーレム、ですか……」

 アイシャも気にはなっていた。

 この孤児院には何故か全身甲冑の護衛が立っていたり、子供と遊ぶメイドがいたり、知識を教える先生がいたり、剣術を教える指南役がいたりと、それはもう、明らかに孤児院の領域を越えたものがあった。

 それらが楽しそうに子供たちと遊んでいて、ちょっとだけ不可思議に思えてしまった。

 でも、すぐに予想はつく。

 敬愛する主がここに住み着いているとすれば、常識など二秒で吹っ飛ぶであろうことは、それはもう容易に想像できたのだ。


「アイシャを待っている間、少し時間があったからな――私も人形遊びと洒落込んだのさ。今は子供たちの遊び相手だ。なにせこのナハトと共に過ごした子供なのだ、将来は立派になって貰わねばな――」

 と、自信満々に言うナハトを見て、アイシャも笑う。


(ああ、やっぱり――ナハト様はナハト様だなー)

 と、気まぐれに大きな優しさを残す主を敬愛した目でアイシャは見ていた。

 そこでアイシャは考えてしまう。

 どうしても、考えてしまうのだ。 

 不幸に囚われ、縛り付けられた少女が、あの女ではなくナハトに出会っていれば、きっとアイシャの様に救われていたのではないか――と。


「あ、ナハトさんお帰りなさい」

 そうこうしている内に礼拝堂へと辿りつき、そんな二人を一人の少女が出向かえた。

 そこにいたのはアイシャから見ても、美しい女性だった。

 アイシャよりもかなり大人の魅力を秘めた女性だった。

 そんな愛らしくも大人なびた女性を見て、アイシャは不安に駆られる。  


「……な、ナハト様――アイシャはもう、用済み、なんですか…………」

 気がつけばそんなことを言っていた。

 勝ち目がない。

 特に胸部において。

 それに、アイシャのセンサーが言っている。

 あの胸部は、まだまだ成長中であると。

 発展途上であると。


「――――は?」


「だって、そこにいるティナさんは! な、ナハト様の性奴隷で、アイシャはまだ夜のお相手さえできてませんし――」


「「――――はい?」」

 ナハトとティナの声が重なる。


「な、な、な、何を言っているんですか、この子は!?」


「ぅぅぅ――こんなのあんまりです――泥棒猫です――その乳半分よこせです……」

 アイシャの暴走は止まらない。

 やはり、離れていた時間はアイシャを不安にさせるには十分すぎたようなのだ。


「違うぞ、アイシャ――奴隷と言う言い方が悪かったのか――まあ、何だ、ただの知り合いだ」


「ひどいですよ、ナハトさん! 私にあんなことまでしておいて!」

 ティナは決して悪意でそう言ったのではないだろうが、その発言がアイシャをさらに暴走させる。

 まさに、火に油だった。


「あんなこと!? ナハト様、一体何をしたんですか!?」

 

「だから違うと言っている――ティナ、お前も少しは言い方を考えろ――はぁ――」

 ナハトは一つため息を零すと、アイシャに全てを話した。

 それは、ティナの身の上であり、彼女との出会いであり、二人が襲撃を受けた時の話だった。



 






「かはっ……なんで…………!」

 戸惑いを零すティナの心臓をナハトの手が深々と抉る。

 突き抜けた純白の腕が、紅く鮮血されていた。 

 意識が霞んでいるのか、それともナハトが胸を貫いたせいかティナはそれ以上うまく言葉を発することができないようだった。


 だが、ナハトの手は止まらない。

 貫いた右腕で、機械仕掛けの心臓を引き抜いた。


「かふっ…………!」

 喀血したティナの返り血を浴びながら、ナハトはすぐにストレージから回復薬ポーションを取り出した。

 それもただの回復薬ポーションではない。

 共有ストレージから取り出したのはナハトの持つ回復手段の中で最上位に位置する秘薬。

 特級ポーションである。

 スットックは常に百個を保っているそれは、かつてレイドボスなどを相手取るときのみに使用していた課金アイテムである。


 リアルワールドオンラインにおいて、回復アイテムの連続使用はできない。当然ながら服用には待機時間クールタイムを要するため普通のプレイヤーは持っていても一つか二つ、それこそ非常事態に扱う物だ。


 それを、彼女の傷口に振りかける。

 その効果は一瞬にして発揮された。

 傷口に水滴が触れた瞬間。淡く、優しげな光が傷を無くした。

 それはまるで時間が巻き戻ったかのように、傷口の一つさえ残さず完璧に、ティナの傷を癒してみせた。

 変化は表層だけでない。

 苦しげだった呼吸は不思議なくらい穏やかになり、体の異常という異常が消えたのかどこか血色がよくなっているように見える。常態異常は全て癒せるが、増血作用も効果に含まれているらしい。

 そして何より、失われていたはずの心臓が、再生した。

 再び、どくん、と律動を刻む音色を聴いてなのか、ティナが理解できないとばかりにこちらを見ていた。


「一体……何が…………」


「ふむ――こちらの世界で効果を見るために実験してみたが――心臓は問題なく再生したようだな」


「……あはは…………実験台ですか、私は……」

 まだ夢見心地なのか、ティナはどこか焦点の定まらない瞳でナハトを見ていた。

 この世界のどんな治癒魔法でも、失った心臓を復元できるものなど存在しない。

 心臓に受けた致命傷であれば、その場で最高位司祭の回復魔法を施せば可能性はあるだろうが、彼女が心臓を失ったのは先月のことだ。なのに、ここには再び律動を刻む心臓がある。

 それは回復というより、回帰なような気がして、動転するのも無理はない。

 ナハトは仕方なく彼女に現実を告げる。


「さて、ティナよ。私はお前に非常に貴重で、もう二度と手に入らないであろう秘薬を使ったのだ」

 嘘は言っていない。

 かつては一個三百円だったが、今は有り得ないほど貴重であり、もう二度と手に入らない。

 後九十九個持っているが、二度と手に入らない。


「……は、はい」

 コクリと頷くティナにナハトは告げる。


「さて、じゃあ価格設定といこうじゃないか」


「へ…………」


「いやー、まさか教会の巫女ともあろう者が、人様の大切な秘薬をただで貰おうなどとは思わないよな?」

 白々しくナハトは言う。

 そんなナハトの笑みにティナは気圧されていた。


「…………あ、あの……」


「まあ、今回は私の独断ということもある。だから多少は値引きしてやろう」

 少しだけ希望が湧くような発言にティナが生唾を飲み込んだ。


「確かかつて王国のオークションで取引された回復薬が白金貨三百枚で競り落とされていたという記録があったな――それは万病を癒すとされ、幼い頃酷い火傷を負って死に瀕した王女の傷を癒してしまったとか――無論、私のポーションのほうが効果は上だが、そこは目を瞑ろうじゃないか」

 ちなみに、金貨二枚というのが騎士に取り立てられた者の平均年収と言っていい。教会から支給される巫女の給金も少し色がつく程度で大差ない。最も、ティナはほぼ何もせずに受け取っているので、冒険者として活動すればその倍は稼げるだろう。

 そして、白金貨一枚は金貨百枚分の価値がある。

 分かりやすく言えば、大体金貨一枚が百万円程度、白金貨一枚が一億程度と思ってくれればいいだろう。無論、現代日本と比べれば物価が異なるので、正確にとはいかないけれど。


「白金貨、さん、びゃく、まい…………かふ……」

 健康になったはずのティナが何故か再び喀血して倒れこんだ。

 口から魂が抜け出ているような有様を見てナハトが言う。


「だが、お前が私に支払いを勘弁してほしいと願えば、それを叶えよう――いや、これでは聞こえが悪いか――お前が自らの命を救って欲しいと私に頼めば、対価など求めることはないぞ?」

 

「それは…………」


「さあ、どうする、ティナよ?」


「わ、私は――――」










「という訳だ――ティナは私に別のお願いをしたからな。私の借金奴隷ということだ」


「わ、私は、なんて早とちりを……」

 恥ずかしそうに俯くアイシャにナハトは笑む。


「と言っても、別に私は金銭など必要としない。私に金を払うくらいなら子供たちにうまい飯を食わせるが良い。だから、借金の分は働いて返して貰うさ――私のお願いを聞いてくれれば、その内無くなるだろうから、安心するといい」

 ナハトがそれで良いと決めたなら、アイシャが口を挟むことは何もない。

 きっと、よりよい結果になっているのだとアイシャは勝手に理解する。

 

「ぅぅ……じ、人体実験は嫌です……」

 

「大丈夫です! ナハト様は心の広いお方ですので」

 アイシャはそう断言した。

 

「ですが、もしナハト様に体で返済などと考えるようなら――その時は――ふふふ――」

 ティナを引き寄せ、その耳元でそう囁く。


「あ、有り得ませんよぉ。そ、その女の子同士でなんて――」


「――なら、何も問題ありません」

 アイシャはそれっきり、にこやかにティナと接することができていた。


「さて――では、本題だ――」

 そうナハトが切り出す。

 それからティナとアイシャは不可思議なこの都のことを説明された。

 アイシャは自分が逃避している間に、全てを暴いてしまっていたナハトを見て、肩を落としそうになった。

 遠いな――と。

 そう思ってしまって。

 何時になれば追いつけるのか、その横に立つことができるのだろうかと、そんなことを考えてしまった。


「ティナ――お前は一度黒幕の女に飼われていたらしいな。ならば、奴の屋敷も分かるだろう。そこまでアイシャの案内をしろ」


「は、はい――任せてください」


「それにしても魔族、人形、魔眼、火竜の巫女、開発特区、侵攻か――少し、情報が足りないな――」


「――――?」

 疑問符を浮かべるティナにナハトは言った。


「――奴もそれなりに意図があるのだろう――だが、きっとお前の考えは変わらぬのだろうな――」

 どこか信頼にも似た視線をナハトはティナへと送っているように見えた。

 一息を置いて、悠然とナハトは言った。


「――今晩を夢の終わりにするとしよう――――」









 ――そうして二人は、この場にいた。

 導かれるように。

 手を引かれるように。

 

「イズナは何処ですか?」


「はぁ――貴方がいると、ゆっくりお話もできないわね――最奥の部屋にいるわ、好きにして良いわよ?」

 アイシャはそんなアナリシアの言葉に戸惑った。

 あれだけ無茶苦茶を言っていた癖に、急に態度が変わったからだ。


「貴方に手を出すほど無謀じゃないの――だから好きになさい。あの子が貴方と共に居たいというならそれも止めないわ――」

 警戒、されているのだろうか。

 アイシャにはよく理解できなかったが、それでも良いと思った。

 イズナともう一度会話できるなら、それで良いと思ったのだ。


「――あ、それともう一つ――あの子が貴方についていくようならなら、一言だけ伝言を伝えなさい――」

 アナリシアは抑揚のない声でアイシャに告げる。


「―――――――――――さい、とね」


 発せられたその言葉にアイシャは驚愕し、頷いた。

 アイシャが広間へと走り抜けて行った後に、アナリシアがティナを見つめた。


「うまくいかないものね――いえ、うまくはいってたけど、対処できない化物の介入だし、どうしようもないかもね」

 知っていても、対応できない。

 そんな者がアイシャの裏に居るだろうとアナリシアは思う。


「でもまだ一応修正はできる――協力してくれないかしら、火竜の巫女ティナ。貴方もこの国が大切なのでしょう?」

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