手品の種
暗闇の中に、月明りが降りる。
張り詰めるような静けさは、死を連想させる不気味ささえ含んでいるように思えた。
二つの月に彩られる跳ね橋の先に、悠然と屹立する城門。
エストールにおいて、最も優美かつ堅牢な王城に一人の少女が降り立った瞬間。存在感の中心が入れ替わった。
広大で、豪華絢爛を体現したかのような王城がただの背景でしかなくなったのだ。
夜空に浮かぶ月の明りが照らし出すものは、もう城ではなく少女だった。
ナハトは空に浮かぶと、人間が人間を相手にするために拵えたであろう壁を、堀を、門を、意にも解さず乗り越える。
気配を探り、巡回の兵士をあっさりとまくと、窓の一つを魔法で開きその城内へ侵入を果たす。
廊下に出れば、柔らかな絨毯が敷かれた道と目を楽しませる調度がナハトを向かえた。
そんな平和すぎるお出迎えに思わず失笑する。
少なくともゲーム時代の城はこう優しくなかった。
侵入者を魔力の質で判別するという設定の罠は当然のように備えられていたし、芸術品で目を欺き毒牙を嗾ける仕掛けもあった。大したことのない調度を見ていたのは、そんな仕掛けがないか少しだけ期待したが故だった。
まして、ギルドが管理する城であれば、一人で侵入した愚か者を即排除してくることだろう。一歩でも踏み込めばその時点で侵入を察知され警報が響き渡るし、強制転移や守護獣の津波に歓迎されること間違いなしだ。
「拠点にするには粗末過ぎるな……」
それが率直なナハトの感想だ。
平和な道を一切の迷いなくナハトは歩く。
すれ違う兵士には少しだけ幻を見て貰い、辿り着いたその場所には一際荘厳な扉が出迎えた。
謁見の間へと続く灰青色の重々しい扉にナハトは片手を添えて、一瞬だけ力を込める。細腕から伝わる信じられないほど大きな力に揺れるような音がした。STRは無振りだが、カンスト直前まで育てたレベルが支える基本能力値が重い扉をあっさりと開いてしまう。
零れでる暗闇、それを照らす微かな光源に惹かれる様に歩を進めた。
磨き上げられた大理石の床に、薔薇のような絨毯が道を作っていた。装飾が成された円柱の柱が立ち並び、一歩を踏みしめる度に不可思議な空気の重さが圧し掛かってくるようだった。
金があしらわれた高低差の少ない階段が積み上げられた壇上に、誰も座っていない空虚な玉座がぽつんと取り残され、その上部には獅子をモチーフにしたエストールの紋章が飾られる。
何を成した訳でもなく、ただそこに在るだけで価値を持つだろう空間だ。
だが、ナハトの視線はそこには向かない。
暗闇を照らす豪奢なシャンデリアに紛れて、光を放つ何かがあった。
幻術だろう魔法で、隠されてはいるがナハトの龍眼がそれを見逃すことはない。
紋章を刻まれた布地の裏に隠れるように、中空に浮かぶ球体。
その輝きだけでも十二分に幻想的だ。オーロラのように移ろう光の奥には、散り行く儚げな幻影としてかつての世界、その情景が流れているのだ。
それは、龍の住まう秘境であったり、死者の彷徨う古城だったり、おもちゃと人間が共に暮らす機械仕掛けの都だったり、天空に浮かぶ都市であったり、海賊が蔓延る大海であったり、海底に沈む遺跡であったり、深雪に覆われた洞穴であったり、巨人の住まう霊峰であったり、悪魔が墜ちた地の底であったり、外界との接触を禁じられた箱庭であったり、孤独に時を刻む塔の奥深くだったり、始まりを告げる広大な城砦都市であったり――
そしてそれらの景色の終着点とでも言わんがばかりに、ほんの一瞬だけ――光を失った城が映り込んだ気がした。
ナハトは哀愁さえ漂う儚げな笑みで、ただその一点だけを凝視していたのだ。
「はは――誰の物かは知らないが――ああ、随分と懐かしく感じるな――――」
久方ぶりに見る宝玉に、そっと手を伸ばそうとしたその瞬間――
ドパンっ!
――と、そんな乾いた銃声が遮った。
超音速で飛来する弾丸をナハトはのんびりと見定めて、そして避わした。
青い燐光を纏った彗星のような銃弾は、堅牢な内壁を幾度もぶち抜いて、夜空の彼方へと消えていく。
「パパのものに、気安く触らないでほしいな――」
静かに威圧する幼い声が響き渡る。
声だけではない。
柱の影から覗いたその姿も、まるで幼い子供のようだった。
クリクリとして愛らしい瞳が薄い明かりの中で映える。小さな背丈と同じ位長い緋色の髪は思わず目を引く美しさがあった。
だが、発している気配の濃さはただの子供が持てるものではない。
呼吸を奪い、死を彷彿とする鋭い殺気を発しているそれが子供のはずがない。
それこそ、人をあっさりと凌駕した、化物が持つ気配と同じだ。
この世界で出会った中でも一、二を争う強者だ。火竜ではおそらく相手にもならない。あの、颶風竜、アルハザードと同格と言ってもいいほど強大な気配だった。
だが、それでも。
それでもナハトが脅威を感じ取るには幾分か足りない。
むしろ、ナハトが警戒したのは彼女が手にしている武器の方だった。
ナハトはゆっくりと見下ろして、わざとらしくため息を零すと共に言う。
「何だ、迷子か――」
「まいごちがぁあああああああああう! あんたねぇー! 今、あたしを子ども扱いしたよね! したでしょ!」
「ふむ、お嬢ちゃん――お名前は言えるかな? ママの場所は分かるかな?」
「またぁあああ! 子供扱いすーるーなー!!」
何処かで聞いたことのある幼女の言葉にナハトは笑った。
白と赤の妙に露出の多い巫女服は見覚えのある伝説装備だ。だけれど、それ以上に目を引く装備を幼女は手にしている。
「反逆の黒銃字か――子供のおもちゃにしては、少々物騒だな」
見間違えることはない。
神への反逆を起こすためにあしらえた黒の十字架が天を貫く。
それはまさしく古代級装備だ。作り方が確立している量産品ではあるが、古代級の装備には変わりない。他の装備とは隔絶した力を秘めている。
だからこそ、打ち出された銃弾をナハトは避けた。
まともに喰らえば、ダメージを負うことは間違いない。
「あんた、何者? 何でパパがくれた装備のことを……? ううん、それだけじゃない。私の妖精の隠れ家をあっさりと見破るし、銃弾より速く動くし…………只者じゃないのは分かってたけど……」
「ふむ、私の名はナハトだ――敬愛を込めてナハトちゃんと呼ぶが良い」
質問の答えは至極単純だった。
幼女の隠蔽よりもナハトの魂感知が優っていた、それだけだ。
「エリン・アイレン・スカーレットよ、お姉さんとお呼びなさい」
上から目線でエリンが言った。
「そうか、ならエリン――」
無論、ナハトは取り合わない。
「私がお前に聞きたいことは一つだけだ――そこにある誓いの宝珠は誰のものだ?」
声が、堕ちる。
まるで、天から降るように。
その響きは、重力が倍加したかのように重く圧し掛かることだろう。
誓いの宝珠。
ナハトは異世界喫茶では一ギルインに過ぎず、ギルドの製作者の証である誓いの宝珠を持っていないし、持とうとも思わなかった。
煌々と存在を示す宝珠を見定めながら、ナハトが続ける。
「随分とふざけた使い方をしてくれるじゃないか――もしもこの世に持ち主がいれば、激怒していることだろうな」
だけれど、烈火を秘めたナハトの言葉を受けたエリンの反応は、ナハトの予想をあっさりと裏切ることとなる。
「ぎ、ぎるどおーぶ?」
「は――――?」
時がピタリと止まったかのような、一瞬の静寂。
目の前に立つエリンは心底意味が分からないとばかりに首を傾げていた。
「ま、まさかとは思うが――あれが何かを知らずに扱っていたのか…………?」
「ぅぅう――勿論、知ってるし。あれだよね、そうあれ……七つ集めると何でも願い事が――」
「それ以上いけない!」
説明になっていない説明をしだすエリンをナハトは同情するように見た。
「だってパパがくれたものだし……寂しくなったらお父さんを思い浮かべるんだぞ、としか言われなかったし……」
毒気を抜かれる、所ではない。
気を張っていなければすっ転げていたかもしれない、そんな脱力がナハトを襲った。
呆れに、呆れ、一周回って感心すら浮かべそうになる。
だが同時にどこか納得がいった。
確かにそれがどういうものか理解できていれば、こんな使い方をしようとは思わないだろう。
いや、そもそもこんな能力が備わっているなんて、持ち主も把握していなかったのではないかと思う。
何せ、ナハトでさえティナに手がかりを教えられるまで、考慮さえしなかったのだ。
「成程な……滑稽というべきか――それとも、愚かと罵るべきか――だがまあ、この茶番はそろそろ終わらせるがいい。お前の父もそれを望むだろう」
「どういうこと?」
「誓いの宝珠には元々何の力もないただの道具なのだよ――その役割は、結成、管理、記録――この三つの権能を持ってギルドを治める。それだけの道具、だった――」
だけれど、その力が増したのだ。
ナハトの力と同じように。
ゲーム時代の常識が崩れ、解説文として刻まれた文言がそのまま現実になったかのような力の増大がそこにはあった。
ゲームではない現実をナハトは過小評価していたのだ。
「今、お前たちが使用している権能、いやお前が父に教えられた力の使い道こそが、記憶の領域と呼ばれていたギルドオーブの力だ」
かつて、リアルワールドオンラインの世界では、キャラクターの管理は化物染みた演算速度と容量を誇る運営の中央サーバに依存していた。
プレイヤーが操る全てのキャラクターは誕生から死を迎えるその瞬間まで、全ての行動が情報として保管されているのだ。初めてモンスターを討伐した瞬間も、仲間と悪ふざけをした瞬間も、レイドボスを討伐した瞬間も、ゲーム内で結婚をした瞬間も、大切な時間全てを運営が保管していた。
だからこそ、それを引き出す手段が用意されている。
その一つが、ギルド結成による記憶の領域だ。
ギルドメンバーは自身のキャラクターから、SSや動画を媒体として、自らの軌跡を切り出すことが出来た。
ギルインは仲間内で許可があるものに関しては、思い出を共有できるようにされている。
それは、次世代型の情報管理機構と言っていいだろう。かつてはプレイヤーが自分たちでアプリを組み込んだり、動画撮影ソフトを組み込むことで初めて思い出の保管が可能だったが、今では何時でも、何処でも、それを引き出せるシステムが確立していたのだから。
思い出を振り返る『素敵な力』、それがこの街を覆っていたものの正体だ。
ティナから切っ掛けを与えられたナハトは根拠を探った。
と、言うより、根拠は最初からすぐ傍に転がっていたのだ。
最初――つまりナハトがこの街に立ち入った瞬間だ。
あの時感じた明確な違和感――あまり大きいあの敵意を、それこそアイシャだろうが一般人だろうが、感じてもおかしくはないだろう違和感を、誰も感じていなかった。
ナハトだけが感じていたのは何故か。
その答えは、推測の域を出ないが、ギルドと組み合わせることで納得ができた。
ナハトとアイシャの違い――つまりそれは、ギルドに所属しているか、いないか、である。
おそらくだが、当時のギルド長が他のギルドとの抗争を想定して、他のギルインを特別強く警戒した結果、侵入者に対する感知が反応したのではないかというのがナハトの推測だ。当時も、ギルド戦の度に互いの城を攻め立てていたのだから、支配領域に探査が走るように設定されていても不思議ではない。
もしも、この都市を覆う力が記憶の領域だとすれば、効果を齎す領域を規定する必要があった。
記憶の領域は、自らが支配する領地でなければ実効できないのだ。
当然、エストールを領域に含めたいのならば、その地の支配者になるか、支配者が領地を献上する必要がある。選んだのはおそらく後者だ。王の妻を蘇らせるとでも嘯いて、エストールの都をギルドオーブが管理する支配領域に含んだことが、夢の始まりであるのだろう。
だからナハトは真っ先に、王の居そうな場所へと足を運んだのだ。
「誓いの宝珠の力は増大はしていたが、その力の本質は何も変わっていないのだな――」
拡大したのは効果の対象と媒介の拡張に過ぎない。
かつて徹が画像や動画を通して過去を見たように、人々は人形を通して過去を覗き見たのだ――かつてのギルド員のみという制限は取り払われ、領域内の人間が望む限り、ギルドオーブは過去を映したのだ。
だから、それは嫌悪すべきものではなかった。
ただ、その扱い方に納得がいかないだけで、アイシャを責めるべきではなかったと今なら思える。
「その力はギルド長一人のものではない。仲間達のものでもあるのだよ。お前のパパとやらは、大切な家族を仲間と認めたからこそ、それを託したのではないのか?」
寂しい思いをさせるからこそ、せめてもの誤魔化しになればと、そう思ったのではないかと思う。
だから、本来の用途さえ伝えぬまま家族に手渡したのではないだろうか。
「…………さあ? どうなんだろうね――パパはあれでけっこーてきとーな性格してたしね――でも私は過去の想いよりも今を生きているかもしれない家族を優先しようと思うし、そこに後悔はないよ――ま、肝心のリノアちゃんは見つかんなかったし、やっかいなのに目をつけられたし、そろそろ潮時なのかなー」
葛藤するような声色のエレンにナハトは思わず反応する。
「ッ! リノア、だと……? それはあの、赤髪で一本角の生意気魔族のことか?」
「あら? リノアちゃんを知ってるの? あの子、私の姪っ子なのよ――あの子を見つける手段があるって言うから、ギルドおーぶだっけ、まあそれを貸してあげたのよ」
いや、冷静に考えればそうおかしなことではない。
これだけの装備を持つのだから、こいつの言う父とリノアの言うお爺様が同一人物である可能性は大いにあったのだ。
だが、それでもその事実はナハトに衝撃を与えた。
「…………ふむ、ならばもう少しちゃんと姪を教育すべきだぞ?」
ナハトはせめてもの皮肉にそう言っておいた。
「いやはや、面目ないですなー。でも、あの頃は皆、大変だったから――ううん、言い訳だね…………」
「――危うく、殺す所だったぞ?」
ナハトが挑発するようにそう言った。
無論、無益な殺生をするつもりはなかったが、状況次第ではどう転んでいたか分からないのは確かだった。
「――リノアちゃんに何かしたなら、あたしがあんたを壊してあげる」
二丁の拳銃が、ナハトの心臓へと向けられた。
冷えた空気が黒い銃口から溢れ出たような気がした。
錯覚とは口が裂けても言えないだろう濃密な死の気配が辺りをうめる。
そんな状況に笑みさえ浮かべるナハトの思考は現状とは全く別のことを考えていた。
「レンジ・シノハラ――いや――――」
「…………?」
疑問符を浮かべ、首を傾げそうになるエリンの傍で、ナハトは一人考える。
「悪堕ち大天使という名に心当たりはないか?」
「…………それ、ほんとに人名? あたしは、そんな恥ずかしい名前の人に心辺りはないわ」
本人が聞いたら、どんな顔をするのだろうか――そう思うと愉悦が深まる。
「ふむ、そうか――もしかしたらとは思うが、まあいずれ分かることだろう」
そう言って、ナハトは動いた。
点と点が、その座標が入れ替わったかのような、そんな錯覚。
瞬間移動とも言える、瞬間の間にナハトは誓いの宝珠を手のひらに収めていた。
「ちょっと、何してんのよ!」
文句をこぼすエリンに対して、ナハトは嗜虐的に笑む。
「迷惑料としていただこう、と言いたいところだが――私は心優しく、寛容だ――ゲームをしようじゃないか、エリンよ。もしもお前が一撃でも私に攻撃を当てれれば、返してやる」
そう、条件を突きつける。
異論も反論も許さないと言わんがばかりに。
「さあ、かかって来るがいい――あの人が残したものの力を私にも見せてくれ――――」




