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伝えたいこと、届けたいもの

「さて――私とお前の仲だ、レヴィ――遺言を残す時間をやろう」

 ナハトは一切の感情が抜け落ちた声でそう告げた。

 何時になく余裕の失われたレヴィは微かに肩を震わせていた。

 それもそのはず、ナハトの手には濃密な魔力の塊が集っていて、いつそれが暴威に代わるか分かったものではないのだから。


「ちょ、ちょっと待って! 落ち着くんだぜ、主様――街中で龍撃魔法とか、マジで洒落になってない!!」

 レヴィは光龍の楔に穿たれ、全身を雁字搦めにされるように縛り上げられていた。

 後一歩、ナハトが魔力を込めれば龍撃魔法が発動し、街の一つや二つ巻き込んで消し炭となるだろう。


「洒落? 洒落で済むと思うのか? 私は言ったはずだぞ、レヴィ――アイシャに手を出せば殺す、と――」

 光の楔に晒されるレヴィが懸命に首を振る。


「やだなー、主様……あれはほら、挨拶じゃないか――ホッペにチューは悪魔の間じゃ挨拶なんだぜ、知らないのかい?」


「お前は何処のイタリア人だ……それに、私はされたことがないぞ?」


「…………」


 街の時計塔、その屋根の上で二人の異形が向き合って、不気味な笑みを向かい合わせる。


「ったく、主様も人が悪いな――見てたんなら、助けてあげればいいじゃないか――」


「…………」

 今度は、ナハトが黙る。

 

「ま、僕がいる限り必要はないんだけどね――でも、きっと彼女が求めているのは僕の手じゃないんだよね――行ってあげないのかい?」

 ナハトがレヴィと入れ替わるように、歩を進める。


「言われるまでもない――」

 

「そうかい」

 呆れるように言い捨てるレヴィに、背中越しにナハトは言う。


「――レヴィ――アイシャに手を出した罰だ、もう一つ、仕事をして貰おうか」

 ナハトが大雑把に説明すると、レヴィは少しだけ愉悦を現し、頷いた。


「ああ、それは少しだけ僕好みの仕事だね――」

 そんな呟きだけが取り残されて、二つの影は消え去った。










「あー、もー、何処いったんですか、レヴィさん! 違いますからね、違うんですからね!」

 そう言って、辺りを見回しても、路地裏に人影はない。

 アイシャの声は小さく反響して、廃材に吸い込まれるように消えていった。


 そんな風に騒いでいたせいもあっただろう。

 だけれどそれ以上に、わざと気配を希薄にしていたナハトを捉えることは、まだアイシャにはできない。

 だから、すぐ傍に――それこそ、目の前に現れるまで気づかなかったのだろう。


「っ! ぁ――」

 

 全てを受け入れのみ込んでしまう黒の長髪が風と遊ぶ。太陽のように輝きを放つ金の円環が全てを見通すであろう双眸を支える。精巧で、この世の芸術全てが頭を垂れるであろうその佇まいに誰もが呆然と見惚れることだろう。

 視線を奪われてしまうだろう。

 抵抗さえ許されず、本能のままに凝視するのだ。

 

 だけれどアイシャの瞳は少しだけ違っていた。

 その瞳はまるで幻を見ているかのように朧気で。

 その身体は今にも手を伸ばしたいとばかりに打ち震えていて。

 不安そうに、戸惑うアイシャがそこにはいた。  

 

 そんなアイシャを今すぐにでも抱きしめてしまいたかった。

 だけれど、ナハトはかつての過ちに、歩みが止まる。

 何かを言おうとして口を開こうとするが、すぐにそれは閉じてしまった。


「や、やあ。久しぶりだな、アイシャ――」

 気がつけば、酷く曖昧で、たどたどしい声が零れていた。

 臆病風に吹かれそう言うしかできなかったのだ。

 

 距離にすれば、一歩とも、半歩とも言える僅かな間。

 それが、余りにも遠く、離れているように見えた。

 まるで切り立った崖を挟んでいるようにも見えた。


「――――さま……!」

 吐き出した声は、常人では聞き取れないほど曖昧で掠れていた。

 だけれど、ナハトは確かに聞いた。

 名前を呼んでくれる、彼女の声を。


 そんな声とほぼ同時だった。

 開いていた距離をアイシャが迷うことなく埋めたのは。


「ナハト様っ!」

 

 たった一週間。

 ナハトにとっては一瞬とも言えるほどほんの僅かな時間でしかない。

 あの日から失っていた温かさが伝わった。

 それだけが、何もかもが歪で、不安定なナハトを支える。 

 それだけが傍にあれば、ナハトはナハトでいられるのだ。


「……わた……っ……私……は…………」

 喉が震えていて、うまく声が出せていないようだった。

 そんなアイシャの言葉を遮るように、ナハトは言う。


「よく戦ったな、アイシャ――冷たいことを言ってすまなかった――私はお前を誇りに思うぞ」

 心から、賛美の声を上げるのだ。


「……ちがっ! ……違います……ナハト様……私はただ甘えていただけ……ナハト様の言葉は正しかったのに……本当は気がついていたのに……私が、弱いから――」

 悔恨に満ちたアイシャの告白をナハトは否定するように首を振った。


「違うさ、アイシャ――弱いのは私だ。お前の言葉を恐れて、たった一歩でさえ進めなかった私と、時間をかけてでも前に進んだお前。どちらが強いかなど口にするまでもない」

 苦々しく、だが嬉しそうにナハトはそう言う。

 言い訳をする余地もない。

 情けないのはナハトのほうだ。

 幻影に嫉妬し、下らぬ意地を張り、アイシャの心に脅えていた自分以上に情けないものなどない。


 だけれど。

 嗚呼――だけれど。

 アイシャがいる限り、ナハトは無敵だ。

 そう、確信できる。


「アイシャ、お前は私のものだ。それはあの日から、何も変わらない。一時の感情に流されて突き放す物言いをしてしまった情けない私だが、それでもお前は私の傍にいてくれるか?」

 ナハトの胸にこれでもかと顔を埋めていたアイシャが視線を上げた。

 潤んだ瞳で見上げるアイシャをナハトは正面から見る。

 

「この身は、心は――アイシャの全ては貴方様のものです。あの日の誓いは、一片の揺らぎさえありません」

 その音色は、どんな極上のオーケストラよりも耳を潤した。

 心を埋めたのは澄んだ歓喜。

 ナハトは全身の震えを必死で堪え、大切な従者を強く、強く抱きしめる。


「――お帰り、アイシャ」


「――はい、ただいまです。ナハト様」


 雲が流れ、何度となく空模様が変わっていく。

 何分か、それとも何十分か、アイシャを抱きしめ、身体の隅々まで調べ上げることで失われていたアイシャ成分を補給し終えたナハトが満足そうに彼女を解放した。

 途中で幾度も逃げようとした彼女をナハトが解放することはなく、今では肩で息をするまで呼吸が乱れたアイシャがそこにいた。

 無論、離れていた間にアイシャに万が一がないかを調べていただけで、他意はない。

 レヴィが信用できないことは明らかであり、身体の異常を確かめることは主としての義務だと言えるだろう。


「さて、ではアイシャの無事も確認ができたし、そろそろこの下らぬ夢物語に終止符を打つとするか」

 

「――はぁ、はぁ……あの、ナハト様――」

 ナハトの言葉を受けて、アイシャはどこか申し訳なさそうにそう切り出した。


「――お願いがあります」


「アイシャが私に頼みごとか――」


「いえ、その――図々しいことは分かっているんです、でも――!」

 ナハトはアイシャの言葉を手で制した。


「そうじゃない。私は嬉しいのだよ、アイシャ。もっともっと、もっともっともっと! 私を頼るが良いぞ、私に甘えるが良いぞ。私がアイシャの頼みを断わるはずがないではないか!」

 ナハトは満面の笑みと共に言う。

 それは、アイシャが思わず気圧されそうになるほど、暴力的な笑みだった。

 有無を言わさない。

 二言は必要ない。

 己の言葉こそが絶対だと言わんがばかりの物言いで告げるのだ。


「――さあ、アイシャの望みを聞かせてくれ」

 そんなナハトの言葉に一泊おいて、アイシャは言う。


「助けたい人がいるんです」

 ナハトはただアイシャの話を聞いた。

 アイシャがどれ程苦しい思いをして、どれ程勇敢に戦ったか、その物語を聞いた。


「ふむ、夜空に瞬く星か――なるほど、アイシャの気持ちは分かった」

 ナハトは笑う。

 いつものように楽しげに。

 

「夢が覚めれば、その少女は壊れることだろう。孤独は化物だ、蝕まれた人は死に向おうとする――それが望みになるからだ――それでも助けたいか?」


「イズナは私を助けてくれました。だから今度は、私が助けます」


「ならば一つだけ、良い事を教えよう――」

 ナハトはたった一つ、アドバイスとも言えぬだろう事実を伝える。

 そして、大きくなったアイシャの背を軽く押した。


「後は、アイシャ次第だ。何も気にせず、ぶつかって来い」

 そのための道くらいは、ナハトが整えてやろうと、そう思う。


「――はい」

 力強い音色と共に、アイシャの声が響き渡った。


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