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黒幕

 父に別れを告げた、その翌日。

 アイシャは再び、二人だけの遊び場に、足を運んでいた。


 決意表明と決別のために勢い勇んで真っ暗になった外に出たはいいものの、自分の行き場が無かったことを思い出したアイシャが赤面しながら父であった人形の住む部屋に舞い戻ったのは秘密である。

 気まずい雰囲気で、人形の部屋を借り、何の警戒もしないままに眠りにつく当たりアイシャはまさしく、子供らしく抜けていると言わずにはいられない。


 人の往来の激しい表通りから、裏路地へ。

 ゴミのように廃棄された木片や貴金属が散乱し、野良猫が蠢く道を抜けていったその先に、何の変哲も無い一本の木が妙に特徴的な広間があって、そこを目指す。

 廃墟にも見える民家の連なりの先に、広間が薄ぼんやりと見えてきた。


 すると――ぎしり、とブランコが揺れる音が耳に伝わった。

 アイシャはもうイズナは来ているのかと思い、視線を向けたその先にはアイシャの知らない誰かがいて、イズナの席に腰を下ろしていたのだ。

 

「え……」

 思わず、そんな声が零れていた。

 それに、少しだけ、不快でもあった。

 

「いらっしゃい、待ってたわ」

 当惑するアイシャに、冷たい美しさを漂わせる美女がそう告げる。

 

「貴方は……誰、ですか……?」

 アイシャは何故か警戒するようにそう言う。

 優美で、穏やかそうな口調の女性を見ての反応ではないが、アイシャは反射的に警戒していた。

 何せその女は、物を見るような冷めた瞳で人を見ているのだ。

 アイシャはその視線から逃げるように、無意識に一歩、後ずさった。


「あら、イズナから何も聞いていないのね――私の名はアナリシア・レインフィル。レインフィル家の当主をやっている者よ」

 発している声の音色は酷く優しげだ。

 でも、アイシャは信じられない。

 言葉ではなく、その瞳がだ。

 価値の無いガラクタ同然とばかりにアイシャを見つめるアナリシアが、イズナの知り合いだとはどうしても思いたくなかった。


「お姉さんがいるとは口にはしていました」


「そ、ちゃんと聞いてるのね。よかった」

 よかった、と彼女は口にするが、きっとそれが本心からの言葉でないことは何となく理解できる。


「イズナは、どこですか……?」

 若干語気を強めてアイシャが言う。


「あの子は家で眠ってるわ――誰かに酷いことを言われて落ち込んでいるようだったしね」


「っ――! 何が、言いたいんですか?」

 アイシャの言葉に、アナリシアはわざとらしげに大きく肩を竦めて言う。


「別になにも――あ、でも一つだけ言うことがあるのだったわ――」

 掴みどころのない人だった。

 それ以上に掴む場所があるのかと疑いそうになるほど刺々しかった。


 脅すように細められた瞳が、アイシャを微かに睨みつけた。

 嫌な予感が背筋を抜けていく。

 アイシャは身構えるようにアナリシアの言葉を待った。


「――貴方、これ以上あの子と関わらないで貰えるかしら」

 

 それは、一方的で、高圧的で、アイシャの意思など一切考慮しないと宣告するような、命令だった。


「っ! 何で……」

 どうしようもなく一方的な女の宣告に、一瞬だけアイシャは動じた。

 だが、すぐにそれは、烈火のような怒りに塗り替えられた。

 だから、正面から反抗できたのだ。


「イズナと私は友達です。貴方には関係ないことです!」


「あら? 意外と物分りが悪いのね」

 激昂するアイシャを見ても、女はただ静かに、聞き分けの無い子供を諭すような口調で告げるだけだった。


「あの子は貴族で、今はレインフィル家の養子なの。本来貴方なんかが口を利ける相手じゃないわ。それに、あの子の保護者として心配するのは当然でしょう? 落ち込んだあの子を見て何もしないほうがおかしいというものよ」

 もっともらしい筋の通った正論だった。

 それらしい、理由でもあった。

 でも、アイシャは到底納得できない。

  

「違います! あれは……!」

 確かに少しだけ厳しい言葉を言ってしまった。

 でもそれは、アイシャがナハトに言われたように、イズナにも前に進む切っ掛けを与えたかった、それだけなのだ。

 アイシャが支えられたように、イズナを支えられないかと思ったからだ。


「聞き分けも悪い子ね。はっき言いましょう。レインフィル家にとって貴方は害にしかなりません。すぐに手を引きなさい。なんなら手切れ金でも用意しましょうか?」

 女はただ一方的に続ける。

 きっと、彼女の中では、それで話が完結している。


「これは貴族としての命令です。いいですね」

 だから、これで話が終わる。

 アイシャの入り込む余地は、何処にもないのだ。

 アナリシアはブランコから立ち上がって、去っていこうとする。

 

 アイシャは、それを瞳で追っていた。

 木枯らしのように吹きすさび、アイシャを震わせるだけ震わせたら、あっさりと消えていこうとするアナリシアをアイシャはただ見つめていた。

 やがて、視界からその姿が消えて、背後から足音が聞えるようになったその時。アイシャは大きく口を開いて、はっきりと言った。


「――お、お断りします」


 歩を進めていたアナリシアがピタリと止まる。


「どういうことかしら?」

 背後から聞えてきた声に威圧感が増した。

 いや、それはもう明確な敵意さえ含んでいると思える。

 

 だけれど、アイシャが怯むことはない。

 アイシャに取って大切なのは、目の前で発せられた誰かの言葉なんかじゃなく、イズナなのだから。

 崩れかけていたアイシャの心を、ほんの些細な気まぐれで支えてくれた本当は優しいあの小さな少女が大切で、そんな大切を守るためなら天上の世界に住んでいるとさえ思っていた貴族にだって堂々と反抗してやるのだ。

 

 怖くたって、向き合ってやる。

 恐れる理由さえ足りないのだ。

 いつの日か、竜を相手に向かい合ったアイシャなのだ。今さら貴族相手に何を恐れなければならないのか。

 いや、それはやっぱり誤魔化しで、根っからの村人な彼女は怖いことに変わりはなかった。

 だけれど、何もせずにいる方が、ずっとずっと怖いのだから、口を噤む必要などない。


「――身分なんかじゃ」

 アイシャは勇気を振り絞る。


「身分なんかじゃ私たちの仲を引き裂く理由になんかなりません――きっと、ナハト様ならそう言うはずです」 

 だからこそ、アイシャが引く理由はない。


「イズナは私の友達です――貴方の方こそ余計な口を挟まないで欲しいです!」

 少しだけ、間が生まれた。

 嵐の前の静けさとでも言うべきか。

 やがて、一瞬にして、静寂が失せた。

 それこそ、逃げ出すように一瞬で。


「――――そう」

 と。

 それが、何かが切り替わった合図だった。

 

「そう、じゃあもういいや――めんどくさい――」 

 まるで、仮面を外したかのように、声が変わる。

 投げやりで、鬱陶しそうで、乱暴な、そんな声だ。

 変わり果てた口調が、その瞳と噛み合っていて――それはもう、ぴったりと当て嵌まっていて、納得する。

 これが、この女の本心で、本当の姿なのだ、と。


 ついで、空気が変わった。

 張り詰めたその空気に触れて、息が苦しくなった。

 

「あー、もう、めんどくさ。はぁー、ま、話し合いで折り合いがつくのが一番だけれど、そっちのが楽なんだけど、まあ別に話し合いに拘る理由なんてないの――もっともっと、単純な――死別とか、いいと思わない?」

 それが何処に潜んでいたのか、アイシャには分からなかったが、建物の裏や、地面の中から、それらは現れた。

 ガチガチと歯切れの悪い金属音が鳴り響く。

 十を越える人形が、女の周りに立っていた。

 まるで、姫に従う従者のように。


「なっ! 人形っ!? どうして貴方が――もしかして――」

 

「正解。貴方の想像は半分くらいは正解よ。この人形を作ったのは私。貴方が仲良くしていた人形を作っていたのも私。可愛いでしょ、この子達」

 アイシャの言葉をあっさりと肯定して、胸を張ってそんなことを言った。

 つまり、父の姿を象った人形を作り出したのもこの女ということになる。

 それを、理解した瞬間。より一層激しい憤怒がアイシャの中に渦巻いた。


「貴方が! 貴方が私やイズナにお父さんを嗾けてっ! そのせいでイズナは今も――」


「はぁーあ、ほんとどいつもこいつもバカばっか。貴方の答えは殆どはずれ――てんで的外れ。融通の利かない力も考えものね、全く。貴方が望んだことを力が叶えた。勝手に私のせいにしてんじゃねーよ、糞ガキがっ!」

 糾弾するような言葉に脅えてか、それとも威嚇する人形の姿に脅えてか、アイシャは戸惑い、逃げそうになる。

 なんとか踏みとどまるアイシャに向けて、言葉は続けられた。


「あ、でも、イズナに関しては少しだけ当たってるわ、凄い凄い――」

 まるで小ばかにするように、そう言ってくる。


「貴方は、イズナの何ですか!? イズナに何をしたんですか!?」

 そんな質問に、アナリシアは――凄惨に笑んだ。


「私はあの子の大切なお姉さん。そうなるようにお膳立てしたから。あの間抜けで、大馬鹿者の大切な人。笑えるよね、笑えるでしょ、ほら、笑えよ!! ――あのガキは両親を殺した女を、お姉ちゃんって呼ぶんのよ? くふふ、何にも知らずに、知ろうともせずに、ありがとうって言うんだから――あは、あははははははははははははははは、面白くって、笑えるでしょ?」

 誰に恥じるでもなく、ただ楽しそうに。

 愉悦に浸りながら、そう言った。


 これは、駄目だ。

 どうしようもなく、駄目だ。

 そう、アイシャは確信した。

 これは、イズナの近くにいちゃいけないものだ、とそう結論付けたその時には、意思を伝えた精霊が容赦なく刃を放っていた。

 だが、それは庇うように立ち塞がった人形の腕を深く抉っただけで止まってしまった。


「物騒ね、人の話は最後まで――」

 だが、そこで再び刃が飛ぶ。

 それを女の人形が阻む。

 繰り返し、繰り返し、風の刃が襲い掛かる。

 アイシャはただ、それを排除しようと、精霊に頼んだ。

 だが、心が乱れていたせいか、精霊にうまく魔力を渡せない。

 冷静に、攻撃を加えれない。

 適切な状況判断がどうしようもなく欠如していて、単調な攻撃が続いた。


 何体かの、細切れになった人形の残骸が散らばる。

 だが、アナリシアは傷一つ負ってはいなかった。


「はぁ、はぁ――――」

 アイシャが肩で息をする。

 怒りのせいか、何時も以上に疲弊してしまっていた。


「落ち着いたかしら? それじゃあそろそろお別れにしましょう」


「貴方は、イズナに何をしたんですか? 何が、目的なんですかっ!? あの子は寂しそうなのに。ずっと一人ぼっちでいるのに――」

 少なくともアイシャはそう思っていた。

 彼女が否定しても、そう思った。

 そうでなければ、アイシャに話しかけてくれなかったはずだから。


「はぁー、じゃあおバカな貴方にもう少しだけ教えてあげる。一人ぼっちってのはね、都合がいいの。生物は生まれ落ちたその瞬間から常に闘争状態にある。それを理解しようとしない愚かな人間を利用して、私のものにするのに手っ取り早かったのが孤独だった、それだけよ」

 アイシャの前で、淡々とそう言った。


「だから殺した。昔は大戦の英雄とまで呼ばれていたのに、人間は愚かだから仕方ないの。大きな力は妬みや恐怖を生んで、歴史があっさりと、裏切り、差別する。だから嫌われ者を殺す人材は幾らでもいるし、殺し方も案外簡単。無力な母親の方を人質に邪魔者を殺して、用が済んだから母親の方も殺して、それをあの子に見せつけただけよ。後は弱りきったあの子に希望を与えてあげるの。縋れる何かをくれてやるの。それだけでほら、私の大切な大切な駒が一つ完成! 理解できたかしら?」


 そんな言葉に、悪意しか存在しない言葉に、懐かしさを一瞬だけ感じてすぐに否定する。

 アイシャにとって意味のない悪意は馴染みが深いが、意味の深い悪意は馴染みがないからだ。

 考えて、考えた末の悪意だ。

 素直に恐ろしいと思った。

 だがそれ以上に、一つ。 

 正直に思ったことを吐露するとすれば、それは――


「人間じゃない」


「違うわ、私こそが正しい人間の姿よ」

 

 アイシャの言葉を真っ向から否定して、アナリシア言葉を紡ぐ。

 それが、さも正論のように。


「あの子は一人じゃないと駄目なの――一人じゃないと都合が悪いの――だから――」

 

 ――死ね。


 そんな意思を受けて、人形が動いた。

 今度は防御ではなく、攻撃に転じたのだ。

 怒りに苛まれたアイシャがようやく冷静になった。

 そして、すぐに自らの失策に気づく。

 アイシャはここで待ち受けてられていて、さらには二つの歓迎方法を用意されていたのだ。


 気づくべきだったのだ。

 何故か精霊に魔力を渡しにくいというこの場の異常に――

 アイシャの背後から――正確にはその地面の中から、アイシャに抱きつくように等身大の人形が現れた。

 

 咄嗟に対応しようと、循環させていた魔力が乱れた。

 誰かに、あるいは何かに妨害されているような気がする。

 辛うじて、土の精霊が壁を顕現させてくれていたおかげで、背後からの奇襲だけは防ぐことができた。

 だけれど、不可思議な異常が収まることはない。

 

「精霊術師というより――エルフと戦うのは初めてじゃないの――だから対策済み」

 アイシャには何が起こっているのか分からないが、どうしようもなく危機迫っていることは理解できた。

 最初から逃げるべきだったのだ。

 ここに、それがいたことを認識した時点で。

 今になっては、アイシャが逃亡を選ばないように、そんな判断を削ぐために彼女は無駄な話をアイシャにしていたのかもしれない。


 だが、時は既に遅かった。

 次々と飛来してくる大小様々な人形を、融通の利かなくなった精霊魔法で止めるのには無理があったのだ。

 アイシャの限界はすぐに訪れて――刃物があっさりと小さな命を切裂く寸前に、異常が起こった。

 何が起こったかを認識することは難しいが、表記するだけなら簡単だ。


 人形がすべて壊れた。

 

 それはもう、あっさりと。

 何の抵抗もなく、粉々になって消えていた。

 そしてアイシャの目の前には、知らない誰かがいた。

 酷く露出が多い女性で、何故か体に蛇が纏わりついていた誰か。

 そんな女性だけが、状況を把握しているのだろう。

 彼女は可愛げに頬に手を当てると、ゆっくりと口を開くのだ。


「それは駄目だよ――でないと僕が主様に殺されちゃう」


 

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