枯れ草色のハーフエルフ
「ああ、やっちまった……」
思わず自責の念が心を埋めるが、それは何というか、一瞬前までは深い悔恨だったのだ。
何せ、水産資源が多く眠るであろう泉をあっさりと無に帰してしまったのだから。
殺してしまった生物の数も数え切れない。
それを思うと、人間であった頃の徹ならば、立ち直るのにかなりの時間を要しそうなものだ。
だけれど――感情の起伏はすぐに収まってしまった。
後悔していないわけではない。
だが、どうでもいいか、という念の方が強いのだから、余りに唐突な心境の変化に動揺を隠し切ることはできなかった。
「でも、何でだ…………?」
仮説はある。
この身体は転生体であり、ナハトの体だ。相川徹のものではない。
つまり、キャラクターであったナハトに、相川徹の自我が上書きされているのだろう。
だから、あんなとんでも現象を己の手で引き起こしても、動揺が薄いのだ。
ここに存在しているのはナハトであり、相川徹の意識は残滓として残っているもので、言ってみれば不純物のようなものなのだろう。
根拠もある。
それは。あの馬鹿げた台詞だ。
『闇の炎に抱かれて死ね――』
あんな言葉、流石に大学生になった相川徹が口にするはずは無い。
現実性中二病は高校時代に卒業したのである。
だが、ナハトならば――言いかねない。
かつて、ゲームの中のキャラクターとして夜音ノアに喋らせるとするならば、そんな言葉を入力したのかもしれない。
中二病要素もかなり詰め込んだキャラだ。
そう、今の自分がナハトであるならば、黒歴史確定の台詞を言ったとしても納得できるのだ。
「受け入れるべきなんだよな……いっそ、話し方も変えるか? あの、なんか仰々しくて、上から目線で、中二病患者みたいな、あれに……」
仲間内ではロールプレイの一環として、そこそこうけていたのだが、いざ現実でやると痛い子過ぎる。
だがナハトとなった今の自分は分かる。
心の内では、それを望んでいることが。
「勘弁しろよ…………つか俺、ずっと一人で喋ってるな……森だし、誰もいないから仕方ないか…………」
辺りは森だ。
強化された五感には周囲数百メートル程度の気配は正確に探れるが、獣しかいない。
これはあれだ、一人は寂しい。
ゲームをしている時はフレンドが多くいたし、ギルド『異世界喫茶』のメンバーも傍にいた。ナハトの拠点である無城もどこにあるのか分からない。むしろここは異世界なので存在していないまである。
リアルぼっちである。
言いようのない孤独を感じている辺り、ナハトはかなり寂しがりやなのだろう。
「誰か、人を探そうか……確か三次職の魂魔法に探知系の魔法があったっけ……」
そう思い至り、ナハトは一つの魔法を起動した。
「魔法効果範囲拡大――魂探査」
確か、解説文によると、生物の善悪を見極め周辺にいる全ての自我を持つ生物の根源を調べ上げる、だったか。
魔法の起動と共に、脳内には数多くの情報が交錯した。
その中でも、人の魂を探す。
すると――
「森の傍、濁った色が三つ――それと、真っ白なのが一つ、か」
幾つかの反応が確かにあった。
だが、どこかそれは穏やかでない。
濁った魂の持ち主が、清らかな魂を取り囲んでいるように思えるのだ。
もしかすれば、襲われているのかもしれない。
そうと、決まれば、身体は思考をするよりも早く動き出していた。
「楽しみだな」
まだ見ぬ出会いに思いを馳せ、ナハトはさらに加速した。
◇
蹴り上げた大地が陥没する。
高速移動は環境破壊が甚だしいと思い至り、ナハトは種族技能、今では体の一部とも言える、龍の翼を広げた。
それはまるで霧のような、影のような、幻影だった。
衣服のように纏わりついて、背中の一部分に集まると、実態なき翼は闇を纏って色をつけた。
リアルワールドオンラインにおける、竜と龍の違いは西洋竜、東洋龍といったものではなく、竜の上位種が龍という位置づけだ。ナハトの翼も西洋竜のものが強化され、収束された形だった。
「油断は禁物だけど、これは何か、力を抑える必要があるな――」
地面にめり込んだ足跡を見て、ため息が零れた。
そうしてナハトは黒々しい腕輪を取り出した。
呪具――弱化の腕輪。
決してそのまま使う装備ではない。何せこれは装備者の全ステータスを三十%ほど低下させるマイナスアイテムなのだから。ちなみに、これは特定のクエストをクリアすると、呪いが解け、強化の腕輪となって、各ステータスを5%ほど上昇させる腕輪になる。
おい、運営ケチりすぎだろ、と突っ込み待ちのようなアイテムで、手間の割りに効果が普通だから、結局ナハトはクエストを達成することなく、この腕輪だけが残った。
だが、今回ばかりは好都合であった。
そっと、腕輪をつけると、体に負荷がかかったかのような感覚が襲い、すぐに馴染んだ。
「クッ、私の右手が……や、やめろ、まだその力を解放するときではない!」
なんて言葉が自然に出てしまう辺り、もう認めるしかないのかもしれない。超絶美少女がやっていることだけが唯一の救いだった。
「初めて空を飛ぶけど、爽快だ――翼も、不思議と馴染む」
翼など動かした経験は当然ながら一度もない。
にも関わらず、何だ、この一体感は。
認めるべきなのだろう。
自らがナハトであるという事実を。
心が一体化すると同時に、体も確かに意識の中へ溶けて、一つとなった。
ちぐはぐだった魂が、曖昧だった意識が、統合されたのが分かる。
(俺は、ナハト、なんだな――)
ならば、彼女の意思を優先すべきだろう。
景色は流れ、徐々に暗闇の中へと突き進んでいるかのような錯覚を覚える。
「汚い魂――何をしたらこうなるのか」
厳かな言葉をそっとこぼす。
目標が龍眼の視界に収まる。
それら、ゴミ共を視認した瞬間、ナハトは一層高く、空へと昇る。
薄汚い笑みを浮かべ、枯れ木のように細く汚れた少女をいたぶる様に眺めるそいつ等に、慈悲など与えるつもりはない。
行き場のない呪いを、怨嗟を、飲み込んでいるような少女の瞳。
純白の魂が苦しそうに揺れているのが、魂魄龍の半身を持つナハトには分かる。
「良い、色だ。呪うな、少女――類い稀なる己が幸運に笑みを浮かべよ」
そんなナハトの言葉を聞いて、アイシャは力の抜けた体に鞭打ってでも、作り笑いを浮かべるべきかと思った。
だが、そんな必要はない。
ナハトの降誕を目にして、アイシャは既に――
――笑っていたのだ。
「ああ、それでいい。では、そちらのゴミ共は、早々に退場して貰おうか」
最も恐怖心の薄かった盗賊の一人、ギールは、お楽しみを妨害された怒りが心を生めて、現状を冷静に分析することさえできていなかった。
それどころか、ひ弱な女が一人増えただけ、数の有利も、武器も持っているこちら側が有利だと判断する。
「お、お前! いいぜ、俺好みの女じゃねーか――か、か、可愛がってやるぜ……!」
いや、それはただの現実逃避に過ぎなかった。
強がりを口にしなければ、殺意に飲み込まれそのまま呼吸を止めてしまいそうだったのだ。
この、圧倒的威圧を前にした者ならば、誰も彼を責めようなどとは思わないだろう。
だが、その言動はナハトを苛立たせるには十分すぎた。
「ほう、私を嬲るというか。犯すというか。面白い――では、こちらも相応の対抗させて貰おう。貴様の濁りに相応しい罰を用意してやろうではないか」
見えるだけで、強姦二、殺人三、集団強姦四、集団殺人七、暴行、窃盗、etc……
魂に刻まれた賞罰は、加味すべき相応の理由があれば刻まれることはなく、濁りも時間の経過や善行によって消えていく。
魂の浄化の傾向すら見えないこいつに――
「今を生きる資格はない、か――魂魔法――」
――亡者の獄門
魂魔法は魂魄龍の龍人を選んだナハトの得意魔法である。
生物の根幹である魂を時に縛り、時に裁き、時に導く、高次元の魔法。
取得理由は中二病を患った徹が実にかっこいいと思ったから、というどうしようもないものだが、今は不思議とこの力が好ましく思えた。
人の本質が良く視えるのだ。
宣告と共に空間に穴が空いた。まるで鍵穴を開くかのよう、差し込まれた暗い光。
それが門が開かれる合図となる。
円形の空間から飛び出る、無数の腕。
それは今は亡き、死者の嘆きだ。
「ひっ! 待ってくれ!! やめっ!! たすけ――」
亡者の手を振り払うように暴れまわるギールにナハトは冷めた視線を送るだけだ。
「確か、そう、お前は一度でも慈悲を請うた人間を助けたことがあるのか?」
どこかの漫画で読んだか、アニメで見たか、少なくともナハトとしての言葉ではないが、紛れもない本心だった。
「いやだぁああああああああああっ! 止めろ、止めろ、止めろぉおっ! 死に死に死に死に死に、死にたくねー! 死に……た……かひゅっ……」
亡者の腕がギールの胸を貫いた。
呼吸は止まり、声を出すことも許さない。
静かな抱擁がギールを地獄の底へと消していく。
「せめて、死者に弔われ、魂が漂白されるといいな――来世は、きっとマシな生き方ができることだろう」
金色の円環が光を伴い揺れ動く。
「さて――待たせたな、次はお前達の番だ」
死刑宣告を受けたに等しい盗賊たちは青ざめるを通り越して、真っ白だ。
呼吸は既に儘ならず、血の気が薄れ、その意識さえ失ってしまいそうなほどだった。
だが、ここで、意識を失えば、間違いなく訪れる未来は死だけ。
使わなかった頭をフル起動させて、なんとか生き延びる道を探さずにはいられない。
「待ってくれ! お、俺だって別になりたくて盗賊になった訳じゃねー! 仕方なかったんだよ! 領主の野郎には税をちっともまけて貰えねーし、馬鹿みたいに働いても搾取され何の成果も得られねー! 貧困に咽び、飢えに蝕まれる人生を変えるには誰かから奪うしか選択肢が無かったんだよ! 誰だってそうだろ! 自分が傷つくぐらいなら他人を蹴落としてでも無事でいてぇ! 奪ってでも腹いっぱいになりてぇ! 誰も何もしてくれねーんだ、だからよぅ、どうしようもなかったんだよ……!」
盗賊の言葉は嘘ではなかった。
彼らは元々複数ある開拓村の一つから、嫌々になって抜けたはぐれ者の集団だった。
その待遇は、今痩せ細り、動く力さえも失ったアイシャと同じなのだ。
そう思うと、アイシャは彼等を明確な悪と言うことが難しくなる。
平和な日本で生きていた頃の徹なら、そんな言葉に多少は同情を覚えたのかもしれない。
だけどナハトとなった今では、聞く価値も無い弁明だった。
「そうか、それは不憫だったな」
「な、分かってくれるだろう!」
何を勘違いしたのか、笑みさえ浮かべる盗賊に応え、ナハトもゆっくりと笑った。
まるで、友にでも笑いかける様に深遠に。
「ところでお前――初めて村娘を犯した気分はどうだった?」
「ああ――そりゃあ、格別で――」
言いかけた言葉を男が止める。
無意味なことだ。
「そうだろうな、楽しくてしかたないよな、お前の色がそう言っているぞ?」
「ッ――――!」
何せ、ナハトには淀んだ魂が視えているのだから。
「そうだな、不幸は、不運は、平等とは言えぬが大小に関わらず常に人生の傍にある。それに立ち向かう清らかな魂もあれば、道を外れ淀んだ魂もある」
ナハトは薄汚く汚れ、枯れ木のように痩せ細り、悪臭を放つ少女を抱きしめ、慈愛を持って微笑んだ。
「良く頑張った――もう大丈夫だ――」
緊張の糸が切れ、気を失った少女がナハトに寄りかかると共に、龍爪が闇の中を切り払う。
汚く咲いた二つの花には目もくれず、ナハトは少女を抱き続けた。
決して、恨みや怒り、そういった負の感情が存在していないわけはない。
にもかかわらず、少女の魂は何処までも透き通っていた。
「これは、運命かもしれないな」
ナハトの口から自然と言葉が零れるのだった。