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ナハトの憂鬱

 竜の紋章を刻んだ教会のような建物。その屋根に腰掛ける少女の瞳は酷く物憂げだった。

 風に晒された宵闇の抱擁ナイトブレスが夜空をばら撒くように、不定形に揺れる。


「はぁぁぁぁああああーーーーーぁぁ………………」


 長いため息をナハトがこぼした。

 きっと、今の儚い美少女のような、というより美少女そのものであるナハトを見れば、街行く人々はナハトに声をかけ、弱った所ワンチャンスなどと考えることだろう。

 それほどまでに目を引く姿だった。

 その振る舞いは、仕草は、庇護欲をかきたてる。

 瞳は虚空を見下げていて、腕は宙にだらんと落とされ、ちょっと真下から覗けば薔薇色の下着が見えることだろう。だがそれさえも、今のナハトにとってはどうでもいいことだった。


「……アイシャに…………嫌われたかな……」

 酷く弱々しい呟きだった。

 ナハトは何十回も、何百回も、同じ思考だけを繰り返していた。


「酷いこと言っちゃった…………アイシャ……怒っているよね、絶対……」

 魂を掌るナハトにとって、死は己に最も近しい領域である。

 それを侮辱されたのだ。

 思わず激昂して、強くあたってしまった。

 アイシャの気持ちを考えずに突き放してしまった。


「はぁ…………」

 それは自分に対する落胆の証だった。

 もっと、根拠を提示してアイシャを説得すればよかった。だが、現状では説明ができるほどの確かな証拠をナハトは持っていなかった。それは他の誰でもない、ナハトの落度だ。

 今現在も、どうやって操作された人形共に人格を与えているのかが分からないのだ。

 術者が使っているのはおそらく傀儡創造パペットクリエイト人形作成メイクドール、この世界の質的に、おそらくは後者だ。創造クリエイションが使えるとは思えない以上、死体など生物の残骸、骨、植物の木や鉱石、様々な部品によって人形を作っているのだろう。

 人形作成メイクドールも質的には二次職のものでしかないが、用いる素材がよければより良い戦力を生み出せる便利な技能スキルでもある。


 だけどそれらは、あくまで人形。創造もされていないただのガラクタだ。

 魂を持つ魔道制御人形オートマタとは比べることさえおこがましい。

 記憶を持って喋ることも、仕草を真似することもできはしない。記憶を操ることはナハトでも至難の業だ。魂魔法ソウルマジックの中には忘却の彼方メモリーロストのように、それらしい物はあるが、不特定多数の人形に過去の人間の人格を与えることなど到底不可能なのである。

 そしてそれらを可能にする技能スキルにも道具アイテムにも心当たりはなかった。



 魂の波動を感知できるナハトとは違い、それが魂なき物――人形であることをアイシャは分からない。

 ならば、疑いを持ち、反発をするのも当然だ。

 分かっていたのに、口からもれでたのは、突き放すような冷たい言葉。

 それが間違っていたとは思わない。ナハトは決して偽りを述べてはいないのだから。

 

 ――でも、他にやりようがあったとは思う。

 アイシャを追い込むような真似をする必要はなかったはずなのだ。


大罪悪魔召喚コール・シン――――嫉妬レヴィアタン

 ナハトが呟くと、地の底から這い出た闇の中に、一人の女が顕現した。

 透き通った大海のような長髪から、鼻腔を擽る甘い匂いが零れる。深紅の瞳には黒の円環が幾つも幾つも重なって、見る者を幻惑させる。両の腕から腰にかけて蛇が絡みつき、肉付きの良い肢体を際立たせるように纏わりついていた。


「お呼びですか、主~。随分と久しぶりだね。何かあったのかい? この僕を呼ぶなんて」

 ゲーム時代、召喚には様々なものがあった。

 天使、妖精、精霊、魔物、魔獣、人、動物、植物、幽霊、そして悪魔。

 多種多様な召喚術の中でも、悪魔召喚は他の技能スキルとは異なる仕様となっていた。

 悪魔は技能スキルを取得するだけでは手に入らない。

 召喚する悪魔を自らの手で獲得しなくてはならないのだ。


 悪魔は力によってのみ恭順を示す。

 誰の力も借りず、単独で討伐した悪魔とのみプレイヤーは契約を結ぶことができるのだ。

 最大の難点は、単独で、という所にある。

 これは一対一でも戦える戦闘型のキャラクターでなければ取得する意味のない技能スキルといえる。ナハトを作る以前に扱っていた補助、回復型のセカンドキャラクターなど、戦闘型ではない者では悪魔を従えることがこの上なく難しいのだ。


 必然的に、高レベルになればなるほど、その苦労は大きく、嫉妬レヴィアタンも元はレベル138のフィールドボスであり、単独撃破の難易度は高い。課金と究極宝具の力を借りても、死にかける場面もあった死闘だ。これ以上上のレベルの悪魔は相手取れないだろう。


「――仕事だ、レヴィ。私のアイシャを護衛しろ。ここは少しきな臭い」


「…………それ、わざわざ僕を呼ぶ必要あるの?」

 呆れたように、そして残念そうにレヴィが言う。

 瞳に浮かぶ仄かな落胆。

 この世界なら、大国でも容易く滅ぼせるだろう力が目の前の女にはある。召喚される悪魔はフィールドボスとしての性能は当然持っておらず、かなり弱体化して眷属となるのだが、ナハトの力が増大している今、彼女の力も計り知れないものがあるだろう。

 戦を求めていたのか、手のひらに碧い魔力が集っていた。


「念には念を、だ。それに、お前以外は人型も十分に化物染みているしな。アイシャに男を近づけることもできない」

 ナハトの手持ちの召喚獣の中でまともな女の人型を取れるのはレヴィだけだ。

 竜の来襲からアイシャを守れなかったナハトの後悔は深い。自重をして、失ってから後悔するのは御免だった。あの時も、悪魔をアイシャにつけておけば竜に遅れなど取らなかっただろう。

 突き放すような物言いの裏で、ナハトは誰よりもアイシャのことを心配していた。レヴィを派遣するなど過保護にもほどがあるのだ。

 それはナハトなりの償いだったのかもしれない。


「僕は女だけど、男にもなれるよ? だから、女の子でも美味しく食べれるけどね」

 まるでアイシャを食べようかな、とでも言いたげなレヴィの態度は果てしなく不快だった。


「――アイシャに手を出せば、殺すぞ?」

 吐き出した言葉は強く、鋭い。

 心の中にはどす黒い感情が満ちていた。

 そんな思いが具現化したような黒がナハトの手に集う。

 ナハトは自らの独占欲の強さを改めて感じていた。

 

「恐い、恐い、そこまで命知らずじゃないってば。それにしても、愛されてるね~、アイシャちゃん――思わず、嫉妬しそうになる――」

 昏い声が鼓膜を揺する。聞いただけで、心臓を握られるような音色だった。

 ナハトはほんのりと赤くなったレヴィにため息をこぼして、手の黒を消し、鬱陶しそうに手を振った。


「理解したなら行け――私は今、機嫌が悪い――」


「主様も嫉妬かい? 気が合うね」


「二度言わせるな、行け」


「はーい」

 一つ瞬きをすると、陽気な声が残り、レヴィの姿は消えていた。


「嫉妬、か」

 今日何度目になるのか、吐き出す吐息に重みが増す。

 レヴィの言動は間違っていない。ナハトはアイシャの父に嫉妬したのだ。

 幻影に過ぎない過去の存在が、今を生きるナハトよりもアイシャの心を掴んだことに苛立ちを覚えたのだ。


「なんと醜いことか――地獄に湧いた餓鬼にも劣る」

 

 反省はしている。

 だが、後悔はしていない。

 ナハトの言葉は残酷なことに全て真実なのだ。

 魂魄龍の従者でありたいのならば、死に囚われ、過去にしがみ付くことは許されない。

 

 だがきっと――

 いいや、間違いなく、アイシャは乗り越えるだろう。

 人形がらくたに騙されることなどあり得ない、と確信している。

 だから本当の懸念は、アイシャに嫌われていないかどうか、それだけなのだ。アイシャに嫌われると思うだけで、ナハトは心の奥が締め付けられるような苦しさがあった。

 思わず、必要のない呼吸を止めてしまいそうになるほどだ。

 

「アイシャ、忘れるな――お前は龍の――私の従者なんだぞ――」


 ナハトが一人黄昏ていると、なにやら周囲が騒がしくなってきた。

 辺りを見れば屋根に腰掛けるナハトを見上げる者が大勢いた。教会のような場にいたせいか、それらは皆が皆幼い子供だった。


「お姉ちゃん、変な人が屋根にぃー!」


「パンツ丸見えー!」


「あなた、だぁ~れ?」

 十数人の子供がナハトを見上げていた。この際見物料は勘弁してやろう。

 そんな子供達の騒ぎを聞きつけてか、その合間を潜り分けて、一人の少女がナハトの前にやってきた。あくまで周りと比較してだが、少しだけだが大人びている。


「皆、離れて!」

 そんな少女が鋭い声を発した。

 何かに脅えているような、それでいて立ち向かう澄んだ音色だ。


「な、何者ですか! て、敵ですか!? ……ま、まさか強盗? こ、ここは神聖なる竜の見守りし教会! て、手をだしてみなさい! 貴方は聖竜教会を敵にまわす事になりますよ!」

 ナハトは数秒前の思考を訂正する。

 おそらく、一番大人びていないのがこの少女なのだろう。現に、慌てているのはこの少女だけで、他の子供達は不思議そうに、そして楽しそうにこちらを見ていた。


「ふむ、門番は貴族とさえ間違ったが……お前は私を強盗と間違えるのか……」

 ナハトの姿を見て好意的に捉えない者は珍しい。そういう意味では、賢いとも言えなくはないだろう。

 だが、ナハトから見ればその少女はまるで、最初から何かを警戒していたようにも思えた。その手には用意周到なことに、一本の刀が握られていたのだ。


「ふぇ? え? き、貴族様! 申し訳ありませんっ!」

 と、また勘違いをした少女は、百八十度態度を代えて頭を下げだす。

 中々に面白い奴だと思い、ナハトは少女を見つめていた。


「貴族ではない、通りすがりの旅人だ――親しみを込めて、ナハトちゃんと呼ぶがいいぞ?」


「え、え、え、し、失礼しました、ナハトちゃんさん! わ、私は、火竜様に仕えし巫女、ティナ。ティナ・シルザードでございますです! ご用件はなんでございますか?」


「これといって用はない。――いや、なかったというべきか。ティナとやら、お前からは不思議な気配がするな」

 ビクンと、ティナの肩が揺れた。

 ナハトはそれを見逃さない。


「少しお話をしようじゃないか、巫女ティナよ」

 ナハトの瞳は、決して話を聞くような優しげな瞳ではなかった。

 ティナが一歩足を引く。

 それは、獲物を見つけた狩人のような瞳だった。


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