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再会

 その日は水の精霊の影響か、少しだけ霧の立ち込める朝だった。

 エストールに入ってから三日、空を飛んで少し速度を上げたおかげか、少しだけ早く都に辿り着いた。


 検問に人が並び、城壁に行列ができる。

 その列に、混じりながらナハトは考えていた。

 

 どう誤魔化そうかな、と。

 ナハトとアイシャは王国からの密入国者であり、身分証明する物は何もない。仮に王国民としての身分証明があったとしても戦時中の今は無意味だろう。

 そんな、ナハトの心配は杞憂に終わった。


「通ってよし」


「は――?」

 久しぶりに気の抜けた声が出た気がする。

 ナハトは旅人だと名乗っただけで、門番の男は税を受け取りナハトを通したのだ。


「いやー、お譲ちゃん、どっかの貴族だろ? 目的はやはり都の神秘か――いやー、最近多いんだよな、身分を偽って神の都にくる輩が――ま、お譲ちゃんらの願いが強ければ、叶うかもな――」

 門番は何を勘違いしたのか、最初から止める気などなかったらしい。

 陽気な声でそう言うと、道をあけた。

 一応、冒険者ギルドにとって重要人物であることを保障する『ミスリル証』をニグルドから貰っていたのが無駄になった。


「よかったですね、あっさり通して貰えて」

 アイシャが嬉しそうに笑った。

 人が多かったこともあって、その手はナハトに握られている。

 ナハトは上機嫌でエストールの都へと足を踏み入れる。


 大きく開かれた門の前。都と外周の境界線上を一歩踏み出したその時だ――

 違和感を感じた。

 外界とは明確に隔絶した何か。それは、心の奥底を無遠慮に覗かれたかのような感覚だった。

 空気のように掴み所のない手が、ナハトの背に触れたような気がした。


「っ――!」

 ナハトは思わず、アイシャを抱き寄せていた。


「ふぇ?」

 戸惑うアイシャを胸に抱き、金色の瞳がありとあらゆる場所を覗いた。

 周囲並ぶ人影、商人の馬車の中、遠方に佇む警備兵、外壁の上からその外に至るまで、蟻の一匹さえも見逃すことはないだろう。加えて、その魂を感知する。

 何処の誰かは知らないが、違和感を齎した何かがナハトの瞳を欺き隠れることなど不可能であるといえる。ナハトは己の知覚と技能スキルの全てを駆使して、敵の存在を暴こうとした。

 

 だが――何も見つからない。

 少なくとも、ナハトとアイシャを害しようとするものは存在していなかった。


「何だ……今のは……監視? 覗き見か?」

 敵がいないと仮定するなら、可能性はそれしかない。

 だが、ナハトは首を振る。

 現状でナハトを監視できる者など存在しないと言っていい。覗き込む瞳ピップアイなどの魔法ならば抵抗で弾けるだろうし、アイテムによるものならば、古代級エンシェント装備、実体の無い耳飾ボディレスイアリングが弾くことだろう。

 唯一、可能性があるとすれば、千里眼クレアボヤンス持ちのプレイヤーがいる場合だが、それならばナハトは監視されていることに気づけないだろう。できれば考えたくは無いケースだ。


「だとすれば、今のは一体――」

 だが、ナハトの思考はそこで止まった。

 胸の奥でアイシャがむずむずと暴れだしたからである。

 視線が思わず下を向いた。

 その先にあったアイシャの顔はお風呂上りのように火照っていて、腕や足まで、真っ赤に染まっていたのだ。


「……ナハト様……みんなが……見てます…………」

 人の往来が激しい場で、ナハトはアイシャを抱きしめていた。

 人々は足を止め、食い入るようにナハトたちを見ていた。絶世の美少女が激しく抱き合っているのだから、無理はない。

 中には軽口を叩いたり、口笛を鳴らしたりするものもいた。ナハトは注目されることに慣れているが、アイシャは堪えきれないほど恥ずかしいようだ。


「その、こういうのは、もっと人のいない場所で……」

 歓声が一層激しくなった。アイシャの弱々しい声はいつもナハトの琴線を揺らす。だが、それはナハトだけではなく、万人に共通する感覚なのかもしれない。

 続きは、続きは、と高ぶる声に、ナハトは少し応えてやろうかとアイシャに顔を近づける。

 アイシャは、

「え、え、え……」

 と戸惑っていて、少しだけいじめたくなってくる。

 木々の葉が紅葉する様に色を変えたアイシャの顔を眺めるのも悪くはないが、色ボケするつもりはナハトにはなかった。


「何か、違和感を感じなかったか?」

 ナハトは少しだけ尖ったアイシャの耳に口を近づけ、囁くように告げた。

 

「違和感……ですか……? いえ、何も……」

 アイシャも小さな声でナハトに言う。

 ついでに、近いです、近いです、と声が聞えてきたが、そちらは無視してアイシャを抱きしめる。

 まだ、危険がなくなったと断言できないからだ。

 だが、少なくとも彼女は何も感じておらず、ナハトだけが違和感を感じている。


「気のせい、なのか……」

 思考に耽るナハトだったが、アイシャはプルプルと身体を震わせていた。

 そして、腕に篭る力が少しずつ強くなっていった。


「も、もう――限界ですっ!」

 そう言うと、ナハトの手を振り払うように抜け出して、アイシャは離れ去っていった。

 野次馬の落胆の声と共に、ナハトも残念そうな顔をする。


「な、何でナハト様まで同調してるんですか!」


「そりゃあ、私のアイシャが離れてしまったからな――」

 随分と人が集まってしまって、アイシャがなんとも居た堪れない表情をしているので、仕方なくナハトは歩を進め街の奥へと歩いていった。

 

 野次馬から逃げ出して、再びアイシャと手を繋いで街を歩いた。

 戦時中だというのに、街は賑わっているように思える。 

 人の往来が激しいだけではない。活気のある笑みを浮かべているのだ。

 民衆にとって戦争など、勝っても負けても不幸の起こる悲劇でしかない。ましてその相手は長年の貿易相手である王国。不平不満が出て、表情が暗くなるのが普通だ。

 

 それにもう一つ気になることがある。

 この街には交易都市にもあった貧民街スラムがないのだ。

 勿論、貧富の差がない訳ではないが、一般市民の送るであろう生活の質は高い。おそらく、この善政が民衆の支持を保っている要因なのだろう。

 一般市民は衣食住が充実していれば、為政者に敬意を示すものなのだ。


「なあ、アイシャ、この街は少し変だな――いや、この国はと言ったほうが正しいのか」


「戦争をしているからでしょうか?」

 アイシャがきょとんとして答える。


「それもある――が、本質は別だ。人の営みに不純物が混じっているな。早めにここを出て、エルフの森に向かうとするか――」

 と、ナハトが言うと少しだけアイシャが俯いた。

 まだ、母のことに踏ん切りがついていないのだろう。


「軍隊さんにも攻撃されましたしね。って、今思うと、あれ間違いなく敵対行動ですよね!」


「ははは、正当防衛さ。手を出してきたほうが悪い」


「それは、そうですけど……やりすぎじゃありませんか?」

 アイシャは少しだけナハトを責めるような口調だった。

 いつもなら警告で済ませるナハトが容赦なく攻撃を加えたことを気にしてのことだろう。

 だが、それは勘違いだ。


「誰も殺していないさ――黒ずくめの軍団を見ただろ? あれは人じゃない、物だ。命を持ってなどいないさ。死霊系ではないように思えた。恐らくは、操作系の技能スキルだろうな。私も幾つか使えるが、あまり好きではないな――」


「ふぇ? あれ、人じゃなかったんですか!? だからですか、いつもより大人気ないと思ってました……」


「私はいつでも大人として思慮深く行動しているぞ?」


「なら人前で破廉恥なことは止めて下さいね」


「それは保障しかねるな」


「ナハト様~!」


 見聞しながら街を歩き、アイシャの疲労を少しでも取り除けるように良い宿を探そうとして、手を引いたその時、アイシャの足がピタリと止まった。


「アイシャ……?」

 ナハトの声にアイシャは答えなかった。

 いや、正確に言えば、答えることができなかったのだ。


 時間が止まったかのように、アイシャは呆然と佇んでいた。

 呼吸が止んで、心臓の律動までも止まってしまったかのように、微動だにしない。目を塞いで、また見開いて、疑って、首を振る。


「……嘘…………」

 水面に映りこんだ月に手を伸ばすかのような、酷く曖昧な声が零れた。

 視線の先には一人の男。ナハトにとっては誰かも分からないその男の目元は、少しだけアイシャに似ていた。

 男は嬉しそうにアイシャに手を振っていて、ナハトはそれをただ見ていた。


「おうアイシャ、随分と遅かったじゃねーか――お帰り」


「……なんで……お父さん……」

 瞳は揺れ、唇が震え、声は掠れ、その身を抱えて、アイシャはぺたんと座り込んだ。

 

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