ユーリVSアイシャ
夕焼け空を背に向かい合う騎士と少女。
その体格差は歴然で、武器を携えた大人とおもちゃを手にした子供が戯れているかのようにも見える。
だが、違った。
模擬戦とはいえ、一度武器を手にした以上、二者の視線は鋭く、真剣そのものだ。
ナハトが提示した条件はお互いが二十メートルの距離を離した所から勝負を開始すること、それだけだった。
「なに、心配するな。どちらかが死にそうになれば、私が介入してやろう」
つまり、お互い気兼ねなく全力で戦えと言っていた。
小さな少女。ナハトの従者とやらを見て、ユーリは自らの優位を確信していた。
そもそも、騎士と魔法使いが一対一で戦えば、まず間違いなく騎士が勝つだろう。これは二者の戦闘の質が異なっているからだ。
即ち、騎士は一対一で戦うことに優れるが、魔法使いは多対多の戦いを得意とするのだ。壁役のいない魔法使いは鎧を着込んでいない戦士のようなものである。
ユーリはアイシャを見定める。
ぶれぶれの重心。へっぴり腰で、せめてもの護身にか古ぼけた杖を正眼に構えているつもりだろうが、それさえまともにできているとは言い難い。
その佇まいから見て取れるように、彼女が普通の魔法使いと比べても接近戦を苦手としていることは明らかだった。
距離は僅か二十メートル。
ユーリにとっては2秒もあれば詰められる距離だ。
普通の魔法使いならば、魔法の発動を許さず斬れる。だが、あの化物の従者である少女が普通であるはずなどない。
だからこそ、ユーリは気を引き締める。
どんなに優秀な魔法使いでも、一、二秒で発動できる魔法は一つが限界だ。だからこそ、ユーリの心は決まっている。
(一つ目の魔法を打ち払い、その後で昏倒させる!)
「さて、ではこのコインが落ちたときが開戦の合図だ」
ナハトはピンとコインを弾く。
回転しながらゆっくりと落下する金の硬貨が落ちていく――
コンマ秒の知覚がゆっくりとそれを映していて、吐き出した呼気と、小さな落下音が重なった時。ユーリは一直線に駆け出した。
緑を押しのけ地面が抉れる。
重装といえるだろう甲冑を着込んでなお、ユーリは疾風の如く加速した。同時に、アイシャも大きくバックステップをしながら口元を動かしていた。特徴的なのは、その文言を隠していることだ。口元を杖で隠し、魔法の種類を見極めるヒントを与えないつもりなのだろうか。
(さあ、何を仕掛けてくる――)
アイシャが引いた距離など、誤差の範囲でしかない以上、ユーリの取る選択は変わらない。
アイシャとの距離が僅か数メートルに迫ったその時。それはユーリの目の前に突如として出現していた。
「――っ!」
不可思議な風の嘶き。
目に見えないそれをユーリはほぼ反射で受ける。
「ぐっ――まさか、精霊魔法っ!」
足が止まり、体勢を大きく崩されたユーリの耳に、小うるさい笑い声が聞える。
人差し指程度の小人、手のひらに乗るであろうそれは薄く透明な身体をしている。ユーリも見るのは初めてだが、あまりに速い魔法の発動と特徴的な姿を見れば明らかだ。
魔力を選ぶ種族、精霊。この世の秩序の中に住まうとされる精霊。その力を借り受けることこそがアイシャの力だった。
それは確かに想定の範囲外ではあった。だけど、それでもこの程度ならば――
「――少々数が足りていないな」
目には見えないが音は聞える。
迫る刃の数は三つ。
威力は低くはないが、決して高いとも言えない。
ならば、受け止めて、弾き返すだけでいい。
先走って迫っていた一の刃を、半身を引いて回避すると同時に、再び加速する。
すれ違いざまに、迫る二つの刃は武技金剛を持って受け止める。
鎧に練り上げた気を込め硬質化させる金剛は、威力の低い風の刃程度ならば容易く受け止められる。
鈍い音が響き渡って、深紅の鎧が風の刃を弾き返した。
距離はもうない、これで――
「終わりです」
そう言って、アイシャに剣を振り下ろす。
刃ではなく腹で叩く。それでも高速で振るわれたユーリの剣は、常人が見切れるほど遅くない。普通ここまで接近された魔法使いは皆、頭を抱えて蹲ったり、目を伏せたりするものだ。
だが、目の前の少女は違った。
真っ直ぐと、ユーリの剣を見据えていたのだ。
その瞳はまるで迷いがなく、微塵の恐怖も感じていないように思えた。
いや、違う。確かにその瞳は恐怖に染まっていた。
だが、それでも少女には余裕があるように見える。冷静に敵を見定めて、何かと比べているような、そんな余裕。初めての人間ではこうはいかない。目の前で刻一刻と迫る刃から逃げないなんてことはあり得ない。
だからきっと、彼女はこんな景色を見たことがあるのだ。
それも、一度や二度ではなく、もっと膨大な数、迫り来る恐怖を知っている。それは確かな経験を持った人間の佇まいだった。
「ごめんなさいっ!」
アイシャの声が聞こえたのはそれが最後――余裕を持っていたはずのアイシャが何故か無防備にもしゃがみ込んで目と耳を塞いで蹲った。仮にこの一撃を避けたとして追撃は避けれないだろう。
だが、勝負を諦めたかのようなその行動は、攻撃への布石だったのだ。
「「「わ゛――――!!」」」
襲い来る膨大な光。ついで、波紋の如く響き渡った精霊の絶叫。
太陽が目の前に出現したのかというくらいの光は目を焼いて、耳を劈く精霊の声はご丁寧に風に運ばれて、知覚が壊れたかのように痺れた。
世界が暗闇に閉ざされたかのような錯覚。
戦闘において重要な視覚と聴覚を奪われて初めてユーリは気づいた。
自らが誘い込まれていたという事実に――
◇
アイシャは辛うじてこの場に佇んでいた。
(む、無理ですよ。あ、あんな強そうな人と戦うなんて……それに、剣おっきぃ……あんなの絶対痛いに決まってます……)
だが、アイシャの主は一度口にした言葉を齟齬にすることは無い。
そうであれば、アイシャはナハトの従者として、引くことはできない。
だけど怖い。
(ナハト様~)
縋るような視線を浮かべていると、ナハトは微笑と共にコインを弾いた。
最近、ナハトの嗜虐心が増してきている、とアイシャは心の底から思った。
宙に軌跡を残しながら、コインは緩やかに落下していく。
そんな数秒の時間で、アイシャはナハトに教わったことを頭の中で思い返していた。
(確か、えっと、対前衛職は、とにかく距離を離して――――って、嘘――はやっ!)
アイシャが跳び下っても無駄だった。倍、いやそれ以上に目の前の騎士は速かった。身軽な格好をしているアイシャよりも遥かに速い騎士を見て、アイシャはすぐに魔力を巡らして、精霊を呼んだ。
新たに心を通わせた風の精霊が放つ刃が、騎士へと襲い掛かった。
だが、見えないはずの刃を、不意打ち気味に後方から放ったそれを、騎士はあっさりと受け止めていた。
(嘘、嘘、駄目……?)
焦っていると、もう既に目の前に巨人のような男がいる。
振り上げた剣は、一呼吸もしていると、すぐにアイシャにぶつかってしまうことだろう。
そんな状況になった今でもアイシャは不思議と落ち着いていた。
怖い。
怖い、けど――竜の牙に比べたら、威圧感はそれほどでもない。
それに、動きも、攻撃も、確かに速いけど、アイシャは彼よりも速い人を二人知っている。
(さ、最終手段です――)
強くなりたい。
そう決めてから、アイシャはナハトに魔法職の戦い方を教わった。
そのたびに、ナハトはこう口にしていたのだ。
『いいか、アイシャ――魔法職はちょっと卑怯なぐらいが丁度いいんだぞ』
と。
アイシャはその教えをただ守る。
(光の精霊様、力を貸してください)
炸裂する閃光。
それがアイシャの切り札だった。
閃光と爆音で視覚と聴覚を奪い取る。
屈み込んでいたのはごく僅かな時間だけ。耳から手を離し、そのまま一回転するように転がって距離を稼ぐ。
「風の精霊様――力を貸して、敵を倒して――」
今度はアイシャがチェクメイトをかける番だった。
アイシャの魔力に引かれた精霊が薄く笑う。
淡い光を帯びた刃は、容赦なくユーリへと迫っていた。
「なっ――!」
だが、今度はアイシャが驚く番だった。
目も、耳も、機能していないはずなのだ。
だけど、ユーリは、瞳を閉じたまま気配だけを手がかりに、全方位から迫る刃を回避しては、受け止めていた。
「可愛らしい見た目に騙されました――随分とえげつないことをする。綺麗な花にはなんとやらですね……」
瞳を閉じたまま、ユーリはそう言う。
本当に――
本当に、気配を感じ取っているのだろうか。そんな、ナハト様じゃあるまいし。嘘だと言いたくなって首を振る。
そう思うアイシャの目の前で、確かにユーリはそれらを回避しているのだから。
「精霊は独特な気配を持っていますね――これならば私の未熟な知覚拡張でも十分に捉えられます――」
精霊は肉体に依存しない高次元の生命体でもある。故に、希薄な人の気配と比べると格段に捉えやすいことをアイシャは知らない。初撃を回避された大きな要因はここにあったのだ。
「何で、当たらない――じゃあ、これでどうっ!」
異変は地に起こった。
急激に落ち込んだ大地が凹んだのだ。そんな地面の下で小生意気な精霊が手を振っていた。
「ぐっ!」
がくん、と体勢を崩したユーリに向かって、風の精霊の刃が波状攻撃となって降り注ぐ。
「《其は頑強にして不落の城砦》魔法技、金剛壁――っ!」
徐々にだが、ユーリの反応が良くなっていくのがアイシャにも分かった。
視覚と聴覚を奪ってから、凡そ三分。閉じられていた瞼が微かに開きかけていた。
ここで終わらせなければ、体力のないアイシャが不利になる。
今は距離があるが、再び接近されれば、アイシャに打つ手はなくなってしまうのだ。
だから、アイシャは小手先の技を止める。
ここから先は、全力全開の力押しである。アイシャが唯一、目の前の騎士に勝ちうる要素を挙げるとすれば、それは持って生まれた魔力量の差だけなのだ。
杖が中空に浮かびあがり、アイシャは両手を合わせて、祈るように告げた。
「お願い、皆――力を貸して――」
浮かび上がる四つの球体。
それぞれに精霊が乗っていて――
地、水、火、風。
違う色に染まっていく。
強く、強く願うように想像したのは、かつてナハトが使っていた魔法だった。
本人が言うには、初級魔法を並べただけらしいのだが、アイシャからしたら絶大な威力であったことは間違いない。
最初に放った風の刃も実はそう。憧れた人の真似事なのだ。
何処までも何処までも、頂の見えない霊峰のように、果てしなく高いナハトの背を必死に追いかけた、いや追いかけ続けてきた今のアイシャの精一杯。
「これが私の全力です!!」
砂煙が舞い上がる。
光と光の衝突が色を増して、景色がそんな光に呑まれていった。
音が引いて、光が失せて、訪れた静寂。
それを打ち消したのは、リンという剣の音色だ。
大地に突き刺した一本の長剣が、ユーリの身体を支えていた。
「嘘……なら、もう一発!」
再び魔力を迸らそうとしたアイシャに、
「そこまでだ!」
ナハトが制止の声を上げた。
「ふぇ?」
思わず、気の抜けた声を出してしまったアイシャにナハトは微笑みながら言った。
「よく戦ったな――アイシャの勝ちだぞ、胸を張るがいい」
そんな言葉と同時に、パタリとユーリの体が崩れ落ちる。
アイシャの魔力は常人を遥かに凌駕していて、それを正面から受け止められる人間など殆ど存在しないと言っていい。
だから、ユーリは既に限界だったのだ。
最後の気力で踏ん張りをきかせ、剣を刺し、決して倒れることのなかったその様を、アイシャは素直に尊敬しながら見ていた。
きっと、アイシャもナハトのこととなれば、彼のように命を捨てて戦うことを厭わないのだろう。
そんな思いを再確認して、安堵と共に息を吐き出した。
緊張が解け、思わずその場に座り込む。
模擬戦ではあったが、アイシャにとっては初めての真剣勝負で――初めて自らの力で掴み取った勝利だった。
だから、つい、調子に乗って、ナハトを見る。
「が、頑張りました。ご褒美が欲しいです、ナハト様」
自然と上目遣いになったアイシャの瞳は、子供のように愛らしかった。
◇
「随分とこっ酷くやられたようだな、ユーリ」
荒れ果てた草原に、一人の女性が佇んでいた。
抉れた地面に、焼けた草原。
激しい戦闘があったことは一目瞭然だ。
勢い勇んでいた騎士共は、膝を抱えて震える始末。
近衛騎士の中でも、次期師団長候補であるユーリ・ラインベルトまで、ズタボロで疲労困憊な様子だった。
「――あはは、随分と恐ろしいお嬢様方だったよ…………」
ユーリは、倒れていた身体をゆっくりと起こし、いつつ、と呻きながらも座り込んで、女性を見据えた。
「やっぱり君の言うことはいつも正しいね、クリスタ――」
ユーリは苦笑しながらそう言った。
「まあ、この程度で済んで良かったというべきか――お前も無事のようだしな」
「無事って…………まあ、命はまだ有るみたいだけど……でも心配してくれたんだ、嬉しいな――」
そんなユーリの真っ直ぐな言葉にも、クリスタは動じない。
「ああ、心配したさ、王国のな――」
「それはちょっと、笑えないかな。でもこれで、国王様を説得しやすくなった」
ユーリが戦いを挑んだ一番大きな理由はそれなのだ。
実際に刃を交えて、その実力を把握すれば、あの賢王は必ずユーリの言葉に耳を貸す。中には王命に叛く者に罰をという者もいるだろうが、ユーリは王国滅亡の未来まで考えられることを実感している。
次期師団長候補で、王の信頼も厚いユーリがそれを伝えれば、もっと穏便で懐柔的な方策を進めることだろう。
「最も、肝心のナハト殿には相手にもして貰えなかったけどね――」
「相手をしてもらっていたら、今頃ここは屍の山だな」
「違いない――はぁ、疲れた――幾ら王命だからって、死に急ぐものじゃないね――国王様に文句言いたい、言わないけど……」
「は、だから私は言ったのだ、手を出すな、と。――さっさと起きろ、王都に向かうぞ」
「えー、僕、もう体が限界なんだけど、肩貸してよクリスタ~」
「自業自得だ、キリキリ歩け――」




