別れと旅立ち
「な、な、な、何で教えてくれなかったんですかナハト様っ!!」
悲鳴に近い絶叫が、広間を走り抜けるように響き渡った。
食卓を囲むナハトは当然ながらクリスタの接近に気づいていた上、ノックの音も把握している。
知っていて、その上で制止の声を上げなかったのだ。
「そう恥ずかしがることではないだろう、アイシャ――クリスタは私にとっても、お前にとっても見知った相手ではないか。相手が見ず知らずの男でもあれば部屋に立ち入ることを許可しないが、彼女であれば問題なかろう――」
ナハトは呆然としていたクリスタを手招きし、座るように促しながらも、アイシャを見据えて告げる。
「――それに私達は食事をとっていただけ、そうだろう?」
アイシャは涙目のままナハトを睨みつけてはいたが、渋々頷くと、今度はクリスタを鋭い目つきで見据えていた。
「私達は食事をしていただけです――ええ、食事をしていただけですとも、分かってくれますよね?」
その瞳にハイライトは存在していなかった。
事を荒立てる気はないだろうクリスタはあっさりと頷いた。
「ああ、二人は食事をしていただけだ」
アイシャが微かに笑い声を零すと、クリスタも上品そうに笑う仕草を重ねた。
「さて、クリスタ。予想はつくが、ここに来た理由を聞こうか――ま、紅茶でも飲みながらゆっくりと話すが良い――」
ナハトは白いテーィカップに注いだ紅茶をクリスタとアイシャの前へと差し出した。
真っ先に紅茶に口をつけ、舌を火傷するであろう入れたてを味わいながら、そっと視線をクリスタへと向けた。
「以前の報酬の話をしに来た。唐突だとは思うが、近いうちに私は交易都市を一時的に空けなければならなくなる。その前にナハト殿に報告をと思ってな――」
「なるほど、近頃慌しいのはそのためか――」
ナハトはクリスタの言葉だけで現状を捉え、隣ではアイシャが小首を傾げていた。
ぱっちりとした瞳は、どういうこと、と聞いているように見える。
「アイシャ、お勉強の復習だ。王国貴族の三大義務は何だ?」
唐突なナハトの質問にアイシャは深く逡巡しながら答える。
「えっと、統治、課税、軍備、です――」
アイシャの答えにナハトは頷く。
「そう、貴族、特に封建貴族は領地を分け与えられる代わりに、課税と軍事力の提供を義務付けられる。統治は青い血の宿命とかなんとか。まあ、そう言う決まりごとが忠誠という名で残っているわけだ。で、ここ最近の街の様子を見て気づいたことはないか?」
「――――?」
小首を傾げるアイシャにナハトは続けた。
「商人が忙しなく動いていたとは思わなかった?」
「あっ、そう言えば、そう、かもです……」
アイシャはあまり気にしていなかったようだが、ナハトの知覚では隠していても隠しきれてなどいない。加えて、自らその事実を言い出す男までいたぐらいなのだ。気づかない方がおかしいとナハトは思った。
「商人が慌てて動くということは、何か仕入れなければならないものがあるということだ。商業の中心たる交易都市ならばその動きだけで大体の者が察する。少なくとも、この街での情報統制は難しいな。で、クリスタは貴族で、力を持っている。彼女が依頼の報酬を支払い終えていない状況でこの街を離れるというのだから、それなりの有事があったと思うのが自然だろう。
さて、では彼女の力を必要とする有事はといえば、答えはもう出ているようなものか――」
「――戦争、なのですか?」
情報を丁寧に咀嚼して、ゆっくりと時間を置いたアイシャが答えた。
「そうだ、先日南方のエストールが我が国に宣戦布告した。帝国との平和が保たれて五十年、エストールとはさらにその前から同盟国としての関係を築いていたのだがな…………私は実家からの要請もあり、戦争へと参加する――」
そう口にしたクリスタの表情は、無表情なだけに苦味を押し殺したかのような歪さが見て取れた。
不満とは違う。
もっと、単純な――そう、嫌悪を必死に隠しているかのようだった。
静かな沈黙に重さが増す。
奥歯を噛み締め激情を表に出さないまま、冷たい表情をするクリスタは、ややあって、いつもの毅然とした態度に戻った。
「すまない――それで、今回急遽、現状で私が調べ上げたことを告げに来たのだ」
クリスタはそう言うと、アイシャのほうに向いた。
「さて、率直に言わせて貰う。アイシャの母フローリアについて詳しいことは分からなかった。耳長族は排他的な種族だからギルドにも殆ど彼らの記録は残っていないかった――だが、分かったこともある」
クリスタはどこか確信めいた口調で言った。
「アイシャ、君の父親は、ローランドという名ではないか?」
「えっ! 何で……クリスタさんが……お父さんの名前を……?」
驚愕のあまり声を大にしてそう言ったアイシャに、クリスタは得心が言ったとばかりに笑みを浮かべる。
「やはりか――――ローランドは交易都市とエストールでは知らぬ者がいないほど有名な冒険者だった――小さな英雄、万年Cランクの落ちこぼれ、いや、最も彼に相応しいであろう呼び名は『お人好し』のローランドだったか――私は直接会った事はないのだがな――」
「嘘……お父さん……冒険者としては活躍できなかったって…………」
そんなアイシャの言葉にクリスタはくすりと笑う。
「三十四回――」
一息区切り、クリスタが続ける。
「――彼が犯した規則破りの回数だ――幾ら自由な冒険者でも守るべき規則はある。当然破れば報いがある。数回も重ねれば普通は除籍扱いされるのだがな。それでも彼は冒険者ギルドを追われることはなかったという。人徳の為せる業なのだろうな」
見習いたいものだ。
そうクリスタは自嘲するように言った。
「まずはアイシャ、君に伝えておかねければならないことがある。今回情報を集めた上で、彼を慕っていた者たちからの伝言だ――」
――生きていてくれて、ありがとう。
それはただの言葉だった。
だけれどそれは、不可思議な重みを持った言葉でもあった。
気がつけば、アイシャの頬に一筋の雫。
零した本人さえ意図せぬ涙が、感情を飲み込んで零れた。
「耳長族の女性のことを調べると、ある一人の男の名前が挙がった。それが、お人好しのローランド。Cランク帯では唯一二つ名を持つ冒険者だった彼は、二十を少し過ぎた頃に受けた依頼の最中、商隊護衛を仲間に押し付け、独断行動を取った後、エルフの女性を助け、そのまま突如として冒険者を引退した。彼の元仲間だった女性から、そのエルフ女性の名を聞いた。それがフローリアというわけだ」
クリスタは一口紅茶に口をつけると、そっとカップを置く。
「ローランドの死を聞いたのは彼女もごく最近だったようでな――酷く落ち込むと同時に、貴方のことを心配していたわ――村に行けば追い出したと言われ、激怒して村を焦土に変えかけそうになったとか。彼女だけでなく、多くの者がローランドについては知っていたわ。ギルド長もそう――ニグルドさんは少しだけ気づいていたようだけど、確信が持てたときは嬉しそうだった。
だからねアイシャ、辛い思いをしてきた貴方には知っておいて欲しいの。これは貴方の戦友として、私が貴方に伝えたいこと――
――貴方は疎まれるために生まれて来たんじゃない、祝福されるために生まれてきたんだよ――
最も、お母様の受け売りだがな」
少し気恥ずかしそうにクリスタは言う。だけれど、それは声の抑揚だけで表情は相変わらず動かない。
「祝福されるため……」
アイシャが反芻し、静かな部屋に小さな声が反響した。
クリスタはすぐに表情を切り替え、冷静に告げる。
「――本題だ、フローリアの居場所は掴めなかったが、ここよりも南方、エストールよりもさらに南にあるジェラリアの森に耳長族の集落があるという。付近と言ってもかなり遠いが、この辺りで記録のあるエルフの集落はそこだけだ。ローランドとフローリアが巡りあったのもエストールの南方での護衛依頼の時だと聞いている」
「ふむ、エルフの集落とはまた面白そうだな――実にファンタジーだ」
ナハトの瞳がパーッと明るくなった。
妖艶で、それでいて不気味さの混じる怪しい笑み。
だが、それは人の視線を引き寄せて離す事はなかった。
「だが、今は戦時中だ――直接エストールに向かうことはできないだろう。最も、戦争自体はすぐに終わるだろう。少し待てば――」
だがクリスタの言葉はそこで止まる。
ナハトの笑みが深まったからだ。
それはおもちゃを手渡された子供が、我慢できないとせがむような、そんな様態。見惚れるよりも先に、警戒心が刺激されることだろう。
「戦争など私を阻む理由にはならんな」
ただ、事実を告げるようにナハトは言う。
クリスタは諦めたように小さくため息をついた。
「はぁ……まあ、貴方ならそう言うと思った――じゃあ今度はお願いよ――――失礼を承知で言うわ、貴方は戦争には関わらないで欲しい」
「――ふむ、てっきり力を貸せとでも言うのかと思っていたが?」
「ははは、貴族としてはそう言うべきだろう。だが、私は貴方の力を知っている。貴族の中にはナハト殿の力だけを借りよう、利用しようと強攻策考える者もいるし、何とかして王国を好きなままでいて欲しいと懐柔策を取ろうとするものもいる。だがどちらにせよ私から言わせれば、貴方が参戦した時点でもう、それは戦争ではない――」
蹂躙だ、とクリスタは言う。
クリスタの懸念はナハトにも分かる。
例えるなら、ナハトは核兵器なのだ。それ一発で、戦局どころか終戦になる。使い方を間違えれば、自分達だって無事ではすまない。何千、何万の人間が武器を手に戦うような戦場にナハトは相応しくないだろう。
「かといって貴方に王国を好きでいて欲しい気持ちは私も同じだ。エストールに向かえば、貴方を裏切り者だと勘違いする輩もでてきそうだ。だからなおのこと、貴方にはこの戦に関わって欲しくない」
「――ふむ、善処しよう。まあ、安心するがいい。人の揉め事に首を突っ込むほど私は暇ではない。それに、私はアイシャと共にぶらりと旅をするのが目的だ。また、機会があればこの街にも立ち寄るだろう――情報提供には感謝するぞクリスタ。お前と出会えたことは中々に幸運だった――」
ナハトの口調は別れを告げるものだった。
随分と一つの街に長くいたものだと思う。ナハトの目的はあくまで旅の中にある。
だからクリスタの報告はよい切っ掛けでもあった。
旅の合間にエルフの集落を堪能し、アイシャの母を見つけるとしよう。
そうと決まれば、ナハトはすぐにでもこの街を去る決心をする。
「また何時か、会える時を楽しみにしている」
「ええ、私も貴方に出会えてよかったと思う――」
クリスタはそう言って立ち上がった。
「あ、あの、クリスタさん! あ、ありがとうございました! その、色々とお世話になりました!」
アイシャは慌てて立ち上がってぺこりと頭を下げる。
万感の思いを込めた一礼に、クリスタは微笑んでいた。
思えば、彼女の本当の微笑を見たのはそれが初めてだったのかもしれない。
「こちらこそ、世話になった――アイシャ、君に祝福があらんことを」
満開とは言えないが、それは、小さな蕾が必死になって開いたかのような精一杯の笑みだった。




