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乱入竜

 ジュウ、と。

 何かが焼ける音がした。

 太陽を直視したかのような光が目を焼きかけて――真っ赤になった景色から逃げるように瞳を閉じて、熱さが引いてからアイシャは再び瞳を開けた。

 

 信じ難いことに、そこはもう草原ではなくなっていた。

 パチリ、パチリと火が飛び散る。

 緑といわず岩石までも溶解して、ドロドロに溶け込んだ砂と赤熱した岩は、大河のように流れるマグマと化していた。


 ジュウ、と。

 再び音がした。

 

 鼻腔を壊すような、吐き気を催す臭いが漂う。


「…………うっ……」

 アイシャは口元を押さえて蹲る。

 その音は、人の肉が焼ける音だ。熱せられた地で、漂う熱気で、肉が、肺が、内臓が、焼け、消し炭となるそんな音。


 悲鳴が耳を劈いた。

 絶叫が、絶叫が、絶叫が、絶叫が、絶叫が――アイシャの耳にはそれしか聞えない。


 誰かの悲鳴が、嘆きが、戦場を満たしていた。

 火竜の吐息ブレスはアイシャに向けて放たれた。

 だが、被害はアイシャではなく、その周囲こそが甚大だった。

 焼け、爛れ、時間と共に消えていく、そんな命が戦場のいたる所に見受けられる。

 辛うじて無事だと言えるのは、クリスタを中心とした高位の冒険者と魔道騎士団マジックナイツの一団だけ。魔物も人も関係なく、全てが燃えて亡くなっていく。


「な、ん、で…………なんで……こんな……」

 

「ごめんね、契約者さん――分裂体じゃこれが限界――」

 アイシャのその身には傷一つなかった。

 それはまずナハトが与えた防具の魔法耐性、属性耐性がずば抜けて優れていたからだ。火竜の吐息ブレスの凡そ半分程度は防具の耐性だけで弾いていた。

 もう半分はウンディーネの水膜が断熱してくれていた。

 アイシャが右手に装着していた課金アイテム、身代わりの腕輪はまだ砕けていない。


「ありー、おっかしいっすねー。死んでないっすよ。加減しすぎちゃいましたかねー」

 暢気で、甲高い念話が広がる。

 破壊の限りを尽くした者の声とは到底思えないが、この状況で口を開く者は、この火竜以外に存在しないだろう。


「でーもなんか拍子抜けっすね。姉上が見逃したって言うから、どんな異常イレギュラーかと思っていたっすけど、小さいっすね。せっかく姉上を見返すチャンスだと思ったんすけどねー。あ、でも、俺っちの吐息ブレスに耐えるってことはやっぱ小さくても特異点であることに変わりはないっすよね――と、いうわけで死んでくださいっすよ――」

 鬱陶しいほどに、軽い声だ。

 それがまた、アイシャを苛立たせる。

 アイシャたちは誇りをかけて戦っていた。命を懸けて、己の信念で戦っていたのだ。

 それなのに、急に現れた部外者が我が物顔で踏みにじって、失われなくていい命を奪っていった。

 

 ふざけるな!

 アイシャの怒気が魔力に混ざり、体を巡る魔力が深く、深く、色を落として、夜色に染まっていった。

 その色は、まるでナハトの持っている、魔力のようで、アイシャはそれを全く制御できていない。


「なんで……ですか――――なんで、こんな酷いことを……」


「はい? 何を言ってるんっすか? 酷い? 何がっすか?」

 その言葉には、悪意など全く篭っていない。ただ頭に思い浮かべた疑問を発しているかのようで、一層アイシャを苛立たせる。


「何で、皆を巻き込んで! 私が目的なら、私だけを狙えばいいのに――なんで! なんで、こんなっ!」


「狙ったっすよ? あんただけ、俺っちは狙ったっす。他は余波っすよ? まあ、ちっぽけな人間は簡単に死ぬっす。そんですぐ増えるっす。大切なのはバランス、世界の調停を掌る観察者の竜として、その職務を果たす上で、十万や二十万、人が死んだ所で関係ないっすよ? どうでもいいっす。魔物も同じっす。ここにいた不幸を恨んで欲しいっすね」

 これが、神と同じとされる竜の言葉だった。

 それが正しいのかどうかアイシャには分からない。

 だけど、どうしようもなく怒りが湧いた。

 よく分からないが、怒りが湧いた。

 これが、こんなものが、こんな景色を生み出す行為が正しいなんて、アイシャは絶対に認めない。

 アイシャの主は絶大な力を持っているが、その力は敵にだけ振るわれてきた。弱者には力を分け与え、気まぐれに手を差し伸べることもある。ちっぽけとか、どうでもいいとか、そんなことは決して言わないだろう。人や魔物を同じ命として見ていた。尊んでいた。アイシャというちっぽけな命を、大切にしてくれた。

 だからだろうか。

 理不尽な火竜の暴力を、アイシャが許せないと思ったのは。


「ふざけるな! そんな理由で、そんな下らない理由で死んでいい人達じゃなかった! 失っていい人達じゃなかった! 穢して良い戦いじゃなかった! 彼らはナハト様が見出した人たちなのに、貴方なんかが奪っていいものじゃなかった!」

 少し前までは、アイシャも神様だと認識していたはずの竜に随分と大きな口を叩けるようなったものだとアイシャは思う。半分は勢いだ。もう半分はナハトこそがアイシャにとって絶対となっているせいなのだろう。


「訳分かんないっすね――とにかく、死んじゃってくださいね、俺っちのために――」

 振り下ろされた、強大な手――それを手と呼んでいいのか。

 鉤爪のような鋭い爪の一本が、アイシャの体と同じ大きさだ。

 手が振り下ろされる。それだけで、アイシャはその場に立っていられなくなる。圧倒的な体格差。それが力の差だと告げているように思えた。

 風圧に潰され、へたり込むアイシャは力いっぱい叫んだ。


「ぱ、パンプキン、パンプキン!」

 振り下ろされた竜の手が、二本の槍に阻まれて宙に浮いた。


「「ケヒヒヒヒ、トリックオアトリート?」」

 アイシャの傍に浮かんだ二対の南瓜頭の小悪魔パンプキンデビルがアイシャを庇うように立ち塞がった。ジャック・オ・ランタンの頭部に黒いマントを羽織るそれは、木で象られた四肢を持ち、ランタンと三又の槍を手に抱えていた。

 アイシャの装備、かぼちゃパンツの特殊能力である。


「ふぇ……はれ……すーすーします……」

 防御能力を全て失う代わりに、二十四時間に一度、二体の守護獣、パンプキンデビルを召喚する技能を持つ。そのレベルは五十――高い体力と火耐性を持つ存在である。特質系ユニークの装備の付随能力としては、破格なほどレベルの高い召喚獣である。が、基本的に欠点があまりにも酷すぎるため対人戦では役に立たない装備なのだ。


「「ケヒヒヒヒ、トリックオアトリート?」」

 

「な、なんっすか、こいつら――」

 唐突に現れた二対の召喚獣に戸惑いながら、そう答えた瞬間。獰猛に歪んだかぼちゃの口が火に包まれた。


「「トリック!!」」

 実はこの召喚獣、質問を受けたときに食品系アイテムの内、お菓子に分類されるものを一つでも渡すと敵対行動を取らなくなる不良品なのである。

 イベントの報酬だったこともあり、その性能はプレイヤーには知れ渡っているため、まさに使えない子の筆頭であった。勿論相手がモンスターであれば利用はできるのだが、知能値の高い一部の敵にもお菓子を渡され買収される可哀想な味方モブである。


 だが、異世界において地球の文化を理解したものがいるはずもない。アイシャも分かってはいない。それでも二体のパンプキンデビルは火竜に向かって猛攻を開始した。

 その隙にアイシャは夜色の魔力を練り上げた。


「無理させちゃってごめんなさい、もう一度力を貸して、ウンディーネ!」

 アイシャは張り切ってそう告げるのだが――


「あ――ごめん、それ無理――」

 予想外の回答に思考が止まった。


「へ……?」


「いやー、私たち精霊は魔力を選ぶ種族なの――だから、その、歪な魔力は使えないよ、うん……」

 アイシャの魔力は今、龍の従者に引っ張られ、ナハトと同じ龍のものになっていた。

 だから、精霊が操れる領域をとっくに離れてしまっていたのだ。


「じゃ、じゃあ、どうすれば――」


「さあ? 逃げるのが一番かね――分裂体じゃなくても、流石に竜種相手だと分が悪いと思うんだけどねー。あ、ごめんね、契約者さん。時間だからそろそろ帰るわ――」

 そう言って、水の象る人が消え、水滴が落ちた。


「ふぇええええええええええええええええええええええええええ!! じゃあ、どうすれば――」

 クリスタさん、ギルド長さん――そう声を出そうとして口を噤んだ。

 火竜の狙いはアイシャだけ。そうであるならば、また巻き込んで、被害を出して欲しくなかった。

 戸惑うアイシャに声が届く。


「あー、もう、結構痛かったっすよあの槍――爪の間に刺さっちゃったっす! でもまあ、手品はこれで終わりっすか?」

 竜の牙に悪魔が刺さり、もう一体も頭部を砕かれ倒れ伏していた。

 せっかく稼げた時間も、アイシャは無駄にしてしまっていた。状況は最悪と言っていい。

 何か、何か、ないのだろうか。

 アイシャが戦う術。

 死ななくてもいい方法。

 必死に探すが見つからない。

 魔力が幾らあったとしても、それを利用する術がない。


「無いんっすね。じゃ、死んでくださいっす――」

 アイシャなど、牙の一本でも突き刺さればあっさりと絶命するだろう。そんな強大で、恐怖の象徴である口が開き、牙が迫った。

 脳裏に浮かんだのは走馬灯。

 父との暮らし。 

 二十年の思い出。

 それ以上に、たった一ヶ月にも満たないナハトとの生活が頭の中を巡っていった。

 

 嫌だった。

 あの日森の中を彷徨って死に瀕した時以上に、死ぬのはどうしても嫌だった。

 もう少し、できればずっと、ナハトの傍にありたいと思った。

 だが、容赦なく牙はアイシャに突き刺さっていて、腹が裂けるその代わりに、ナハトから受け取った腕輪が弾けとんだ。


 そこから先は覚えていない。

 無意識に体が動いていたような気がする。幽体離脱をしたかのように飛び出て、加速した意識の中で、身体は別の何かが動かした、そんな感覚だ。

 何時になく物がよく見えた。竜の牙の本数まで数えることできるほど、世界がゆっくりと流れていった。

 アイシャは自らの瞳に薄っすらと、金色の円環が現れたことに気づいてはいなかった。

 ただ無意識に――右手に集めた漆黒の魔力を、竜目掛けて、投げ付けていた。


「んぎゅあああああああああああああああああああああああああああっ!」

 閃光と爆発。

 爆発と言っても火が出たわけではなく、黒い波動が広がったというべきだろうか。衝撃波は凄まじく、空で破裂したにもかかわらず、赤熱した地面を抉り取っていった。

 莫大な推進力に押されてか、空に巨体が舞い上がる。


「いったぁー! このクソ! よくもやったっすね! もう怒ったっすよ! 今度は手加減しないっすからね!」

 初めて竜が悲鳴を上げた。

 明確なダメージを与えたのだ。

 だが、それは逆効果だったのかもしれない。

 怒りを覚えた火竜は、再び口を開いて、あの地獄を生み出した吐息ブレスを撃つ、つもりなのだ。


「私……何を…………でも、もう駄目、みたい――」

 身体は動いてくれなかった。体中の魔力を失って、眩暈がして、意識が薄れていくような感覚だ。もう、一歩たりとも動ける気はしていない。

 

 ごめんなさい、ナハト様。


 さようなら。


 一滴の涙が、アイシャの頬をつたっていって――


 太陽の如く収束した炎の塊がすべてを飲み込み無に返す、はずだった。

 


「消せ、原初の深闇ダークネス

 

 怒りに満ちた調べが伝う。

 そんな声は。

 アイシャの大好きな、その声は、


 ――涙が地に落ちる前に、確かに耳に響いたのだった。



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