それぞれの死闘(2)
広がっていた戦場はたった三体の魔物の登場で一気に狭く閉じこんでいた。
味方の骸を道にして歩く異形は、歩を進める――たったそれだけで、兵が慄き道を開ける。
気まぐれに一太刀振るえば人が飛ぶ。
鮮血だけが草原の緑を染めていった。
「さて本番のようだな――サシャ、ガレン、アル――」
「はい」「おう」「分かってるぜ」
クリスタの指示を受け、ガレンとアルが飛び出した。
悠然と待ち受ける喰人鬼ウーノにまずはあるが短剣を投げ付ける。
「武技――飛翔する刃」
左右から同時にウーノへと迫った短剣に、目で追えないほど速い剣閃が走りぬける。
鞘に収められていたはずの二振りの剣は何時の間にか抜刀が完了していた。
ことり、と力を失った剣が地に落ちた。
「はっ、上等――武技、爆進突っ! 」
一直線に加速したガレンの剣が光を帯びて、剣を振った後の隙、ウーノの腹目掛けて迫っていった。
苛烈に進むガレンと違い、ウーノの動きは酷く緩やかだといえる。
だが、それは決して彼の動きが遅いわけではない。
動きに無駄がないだけで、むしろその動きは信じられないほど速かった。
「遅イナ」
ガレンの剣先が胴に触れそうになった瞬間、ウーノは体を引いて一回転するように刃を避けた。そのまま回転の力を利用し、右手に持った剣でガレンを薙ぎ払うかのように刃が振るわれる。
「ぐっ……重っ……」
辛うじて、剣の腹で受け止めるガレンだが、圧倒的な魔物の力に弾き飛ばされ、吹き飛びながら地面を転がる。
《敬愛なる信徒が祈る――小さき者に癒しの加護を――神聖治癒》
《氷獄の地に罪人は落ちる。絶え、消え、失せ、贖罪となせ――魔法技、氷剣乱舞》
サシャの治癒がガレンに飛ぶと同時。
中空を漂う七つの剣が意思を持ってウーノを襲う。
「ほう、さっきヨリも随分とタノシそうだ――」
刹那、ウーノの瞳が見開かれた。
濁った眼は空より迫る七つの剣を確かに捉えていた。
二振りの剣が振られること四回――上下の二閃、光の如く残滓を描いて振り抜かれたすぐ後で、加速するように二閃が弧を描くように重なる。
初撃で二つを壊し、三本を回避し、次撃で二つを壊す。
「アーツ、弧ゲツ四センだったか、人間の技モ中々に使えル――っ!」
だがそれすらもクリスタにとっては囮に過ぎない。
一瞬で肉迫したクリスタが二本の細剣を突き出した。背後からは先ほど回避した氷の剣が迫る。
この挟撃の形こそクリスタの望む理想の展開だ。
「斑火っ! ぐっ――!」
それは目で追えぬほど速い突きだった。
七つの剣が遊びに思えるほど鋭い。
二振りの剣で捌くものの、速度は圧倒的にクリスタが上だった。
「素早いな――ダガ、いさサカ火力が足りぬわ――」
ウーノが取った手段はただの力押しだ。
肉体能力の差を十全に活かし、刺突を食らいながらも前に出て、刃を振るう。
ウーノには微かなダメージしかない。一方で、この華奢な女は一発でも刃が当たればそれで終わりだという確信がある。
「見縊るな、化物風情が――氷結の花咲き開け――魔法技、氷花剣凛」
銀の細剣が氷を纏った。
肉を抉り取ったその先に氷の薔薇が刺々しく咲いた。
「がぁあああああああああああああっ!」
「A級冒険者、氷帝、クリスタ・ニーゼ・ブランリヒター。貴様を殺す者の名だ。冥土の土産に覚えておくといい」
クリスタは戦場の傍で佇む少女のほうを見て、安堵の吐息を漏らす。
どうやら自分は、ここで全力を尽くせば事足りるようだった。
◇
「はわわわわ………………」
「グルルルル………………」
アイシャがグリフォンの圧倒的な巨体に脅え震えている一方で、グリフォンもアイシャの発している強大な魔力に脅えていた。
最もアイシャには、目の前のグリフォンが獲物前に獰猛に笑んでいるように見えているのだけど。
「あ、あのー、クリスタさん、ピンチ、超ピンチなんですけど、私――!」
だが、クリスタはチラリとアイシャを見ただけで、すぐに自らの戦いに戻ってしまった。
「そ、そんな――」
勿論、彼女の激しい戦闘を見れば、余裕が少ないことも分かるのだが、見捨てられるとは思っていなかった。
これは、まさか裏切り。
ナハト様の膝枕を独り占めするための戦略ではないのか。
勿論アイシャと違いクリスタにはグリフォンが脅えている事実を認識していて、援軍の必要はなしと思ったからこその行動だった。
だがそれを知る由もないアイシャにとって、クリスタに不穏な空気を感じ、一層魔力が迸っているのだが本人にその自覚は全くなかった。
「グルル……………………」
一層小さくなるグリフォンに同情するように水の大精霊がアイシャに告げた。
「脅えてるわよ、あの子――どうするの?」
「ふぇ、あの、え、喋って、あれ?」
全身が水で構成された美女だ。小人達と違って、かなり扇情的な格好をしている。身体は水だが、素っ裸である。アイシャは戸惑いながら精霊を見た。
「そりゃ喋れるよ、これでも水の大精霊――ウンディーネの分裂体なんだから――おいしそうな魔力に惹かれちゃった、テヘ。よろしくね、精霊の子よ」
「あの、その、こちらこそ、よろしくお願いします」
アイシャは戸惑いながらも、自らに力を貸してくれた精霊に応える。
「はい、お願いされました。で、あれどうするの?」
「えっと、戦わずに済むならそれが一番――あ、でも、ナハト様のお膝のために犠牲に……はっ! 私はなんて非道なことを……」
アイシャは獰猛な笑みを浮かべたかと思うと、すぐさま首を振った。
「忙しい子だねー、青春だねー」
何処かババ臭い笑いと共にそんなことを言う精霊。だがその表情が一瞬で不機嫌そうに歪んだ。
「んじゃ、あっちの人間はどうする?」
精霊は人の感情に機敏に反応する。
善悪を見極める直感を有しているのだ。代償にされる魔力は精霊によって好みが激しく変わっていて、必然的に精霊魔法は使い手を選ぶ。アイシャは半耳長族の魔力を持っていたからこそ彼女を呼べた。
そんな彼女もまた人の魔力を見て、判断していた。
少なくともあれらは自らの契約者にしたくない、ウンディーネはそう直感する。
「ふぇ?」
聞えてきたのは騎馬のかける音。その姿は間違いなく味方である騎士だった。
だが――
「アイシャ殿、増援に参りました――」
そう言うと同時、魔道騎士団の団員が、振り上げた剣を騎馬より降ろした。
「増援? 随分とまあ、笑わせる――」
気がつくとアイシャの知らぬ所で、小さな戦いは終わった。
三つの首は水の刃に斬られて飛んだ。
「――おっと、すまない契約者よ、うつけは早々に退場してもらった」
結局ナハトの備えも余計なお世話に終わっていた。
アイシャは自らの力だけですべての境地を抜け出していた。もっとも、たった三人しか現れなかった理由は、グランディアが大半を切り捨てたからなのだけれど。
「はわわ、一体何が――」
アイシャは戸惑いながら呟くのだった。
◇
「がぁっ……バカな…………!」
倒れ伏す一体の魔族。それをニグルドは冷たく見下ろしていた。
「なんじゃ、ハズレを引いたかのぅ」
血と肉に塗れた戦斧が地面を割断した後だけが残っていた。
「そのようですね、ギルド長――では止めは私が――」
《――炎よ、天上より地に現れし業火よ、我が前の敵を焼き、礎と成せ。炎魔法、弔いの業火》
息も絶え絶えの鬼トレスは業火に包まれると、存在がなくなったかのように灰となって消えていった。
「なんじゃい、イリナ。横取りはよくないぞ?」
「貴方もナハト殿の膝を狙っていたというならば、今すぐに自首して、その首を切取られればいいと思います」
「冤罪じゃ! それに、即死刑とか! 弁明をさせてくれい」
「却下します、変態死すべし」
イリナと会話しつつも、ニグルドは戦場を見渡して、中央と左翼を見る。
どちらも拮抗と言った所だろうか。
「ワシは中央、イリナは左翼じゃ。応援にいくぞぃ」
イリナはそんなニグルドの言葉に頷こうとして、できなかった。
異変はイリナだけでなく、戦場全体が一瞬で把握した。
何せ、空に浮かんだそれは、自らの姿を隠すことさえできないであろう巨体なのだから。
紅い翼は羽ばたくだけで風を生む。引き起こされた風は鋭利な刃のようだった。
獰猛な口にびっしりと詰まった白銀の牙、それらは少し奥に隠れているように見えた。
代りに、その口元が深紅に染まった。
「火竜――まさか――」
冗談だ、と誰もが思った。
誰もが現実逃避を行った。
それを一体誰が馬鹿にできようか。
口元に生まれた業火は、ニグルドがかつて見た火山の噴火口のように見え、人が扱う魔法などと同一視などできない。
ああ、でもそういえば、ごく最近、同じような魔法を見た気がする。
交易都市に落ちた稲妻。
それとまさに同じなのだろう。
最も、攻撃範囲は制御されたナハトの魔法と比べようもないだろうが。
「っ――! ギルド長、後ろに――」
イリナは冷静だ。
危機を見てすぐに防御魔法を展開している。
だが、それにどれだけの意味があるのか。
一条の光が走り抜けたとき、戦場は地獄となり果てた。




