それぞれの死闘
それはまさに地獄絵図というべき光景だった。
空気を押しのけ降る氷塊は一つ一つが軽く十メートルを越えていて、低位の魔物は理不尽な重量差になす術もなく圧死という末路を辿った。
肉が潰れ、飛び散るはずの鮮血は肉体から飛び出た瞬間に凍結する。
深紅に包まれた氷柱が、陥没した大地に幾つも幾つも残っていた。
戦場のいたるところに降り注いだ流星氷雨はたった一発で甚大な被害を生み出したといえる。
実際、三千近くいた魔物の軍勢は約三分の一が戦闘不能に陥っていた。
仮にこれが人同士の戦いであれば、恐慌状態に陥った軍は規律など保てないまま、敗走となったことだろう。
だが、喰人鬼、ウーノの顔に焦りはなかった。
雑魚共は回避もできずに死んでいるが、彼にとってはただそれだけのこと。
魔族となり、名を与えられたウーノや、鬼のドゥエ、トレスには焦りなど微塵も浮かんでいない。むしろ、強敵を前に、自らの力を試し、更なる力を得る機会として血を滾らせているほどだった。
また腐魔女を中心とした魔法部隊はそれなりにだが、対応はしていた。火魔法を集中的に浴びせ、何とか被害を最小限に抑えようと努力していた。
そんなウーノのいる最後尾に三つの氷塊が飛来した。
それらをウーノは暗く濁った瞳で見ると、両手に持った長剣を抜き放つ。
二つの剣は、武器であり魔法を発動する媒介でもあった。
「妖ジュツ――斑火!」
紫の火が氷塊を包んだ。
禍々しい炎は爆発的な熱を発し、一瞬で氷塊を蒸発させた。
白い霧が空に昇って消えていく。
喰人鬼も、その系譜は小鬼と同じだった。小さな鬼が進化を重ね、鬼となり、人を好んで喰らった姿が今のウーノだった。
妖術は鬼の得意分野である以上、その上位種であるウーノもその扱いには長けていた。
多くの軍勢を失ってなお、ウーノは自らの勝利を疑うことはなかった。
◇
「まさか……これほどとはな――」
前線からは大きく離れた戦場全体が見渡せる比較的高地な本陣にて、ニグルドは圧倒的な破壊を撒き散らす魔法を目にし感嘆の声を上げた。
「ですね……流石は二つ名持ちのA級冒険者――魔法に長ける騎士を名乗るのが若干恥ずかしくなりますな――」
「だが、これでは終わらぬか―全軍に告げよ、この機に乗じて早々に決着をつける。前線を食い破れ――」
グランディアが頷き、風魔法を扱う伝令が全軍に伝わった。
それを合図に、肉迫し命を奪い合う戦争が始まる。
最前線に並び立つ歩兵が鎧の音を響かせて進軍を開始した。
魔物の軍勢もまた同じである。
二軍は徐々に近づいて、軍として纏りきれていない魔物たちがバラバラに飛び出していった。
それを騎士が各個撃破していくのだが、中には人間の筋力を超える魔物が混ざりこんでいる。
軍団としての錬度では騎士が上、個々の強さでは魔物が上、前線は奇妙な均衡を保っているといえた。そうした均衡は前線に立つ冒険者のおかげでもあった。ゴブリンやオークなどの中にも優れた個がいる。そういった面々を冒険者が積極的に相手をしていたのだ。
血が舞い散り、一人、また一人と傷を負って、死闘が続く。
そんな中、戦いは激しさを増した。
騎士と魔物の斬り合いに、魔法が混ざり、飛びあうようになったのだ。
この世界の戦は、前衛の歩兵が時間を稼ぐうちに魔法部隊が詠唱し、その魔法を持って敵を殲滅するというのが基本であった。魔物が多く並び立つ場や、冒険者が押している場所を中心に、より多くの犠牲者を生み出せるよう魔法が飛びあった。
「がぁっ!」「ぐっ!」
「ギュァアアアアアアアアア!」
騎士と魔物たちの悲鳴が重なりあった。
地水火水、様々な魔法が飛び合った。騎士団のほうは火系統が多いが、魔物の放つ魔法は一見すると火に見えない濁った炎や薄暗い氷など、強力なものが多い。
それを防ぐことができたのは、一流の冒険者パーティぐらいだ。得に前衛で斬りあう歩兵隊には防ぐ術がなかった。
魔法使いの錬度としては魔物の方に分があった。それは、腐魔女といった高位の魔物がいるせいでもあった。
左翼に近い前線に立ったヘンリは舌打ちをこぼす。
「ちっ、数が多いな――近寄れねーか!」
安全圏で魔法を放つ腐魔女を仕留めようと試みるも、中々に近づけない。
目の前に立ちはだかる魔物共を薙ぎ払いながらも、ストレスは溜まっていくばかりだった。
「カイトぉ! ギルド長からの指示はまだか!」
声を荒げるヘンリにカイトは静かに答えた。
「まだ、もう少しかな――とはいっても、短期決戦のつもりだろうし、騎兵隊が荒らしに来るのも時間の問題だろうね。早まった行動を取らないようにね、僕達がしくじると犠牲者が増えるよ」
「分かってら――だが、あんの糞魔女は俺が斬る。邪魔すんじゃねーぞ!」
ヘンリの声にカイトは苦笑しながら頷いた。
◇
開戦から一時間といった所だろうか。
この世界の戦は武技と魔法の存在で、大規模な被害が出やすく、短期決戦の様相を呈することが多い。
ニグルドは流動する戦場を見て、右翼が少しだが押し込みかけている状況を把握している。
中央、左翼も大部分はこちらが押していると言っていい。
だが、それを食い止めているのが敵の魔法だろう。
報告にあった腐魔女の部隊であることは間違いなかった。
「出て、きませんね――」
グランディアが訝しげに言った。
それは、ニグルドも思っていたことだった。
「飛竜を警戒していたのじゃが、この状況になっても仕掛けてこぬのはナハト殿のほうに向かったのか――グリフォンも、本陣からは動かぬのならば、ここで戦を決めてしまおうかのぅ」
ニグルドが警戒していたのは、空からの奇襲である。
飛竜に跨った魔族が本陣や魔法部隊に侵入してきたときのために、魔道騎士団や騎兵を温存して、即座に増援に向かわせるようするつもりだった。
だが、戦局は既に決まりかけているにもかかわらず、敵は仕掛けてこない。
このままでも問題はないが、後一押しで、戦としての趨勢は決まるだろうとニグルドは判断した。
「いざという時のため、魔道騎士団は温存じゃ――騎兵隊二百を持って、前線を荒らせ――後は冒険者たちが戦を決める!」
それは事前に打ち合わせしていたことでもある。
遊撃に回している冒険者には頃合を見て大物を狩れという指示を与えていたのだ。
その機会を今生み出す。
がっちりとした鎧を馬と人両方が纏った騎兵は、対魔物において一枚目の切り札だった。
左翼から回った二百の騎兵は、馬身一体となって草原を駆け抜ける。
敵は人と違って馬を止める壁や槍衾などを用意しない。
そうであるならば、騎兵の突進を前線の魔物が止められるはずもなく、一気に前線はバラバラに穴が空くようになった。
だが、魔物にも全く対策がない訳ではない。
馬よりも巨大なオークや、やはり腐魔女の魔法は鎧ごと騎兵をなぎ倒す部分もあった。
だが、確かに大きな隙間ができた。
そこへ、冒険者たちが走り抜けていく。
皆が皆、C級やB級の冒険者パーティたちであった。
対魔物のスペシャリストと言ってもいい。
「好き勝手バカスカ魔法を打ちやがって! 会いたかったぜ、こん畜生目――武技――水薙ぎっ!!」
ヘンリの持つ長剣が鬱憤を晴らすが如く、銀線を閃かせた。
それを合図に、冒険者たちが上位魔物の魔法隊を次々に打ち払って行った。
「決まりましたかね」
グランディアがそう言う。
戦場はもう、誰がどう見てもこちら側の完勝といえた。
敵の前線は崩壊し、逃げ惑う者も出てきている有様だ。
通常の戦争ならば相手が降伏しない限り殲滅戦をして終わりと言ったところだろう。
「ふむ、グランディア殿は根っからの軍人であるのう」
ニグルドの口調は決して責めているわけではないが、グランディアの言葉を否定していた。
そう、これは人同士の戦ではなく、対魔物の戦争であるのだ。
「全軍に後退の指示をだせい!」
「は――?」
理解できないとばかりに声を出すグランディアだが、ニグルドは有無を言わさず指示をだした。
「戦局既に決しておる――だが、本番はこれからじゃ!」
ニグルドがそう言うと同時に、右翼が弾けとんだ。
人が石ころのように空を舞ったのだ。
そこに立っていたのは一体の魔族。
右翼にも、一人の魔族が降り立つ。
その存在感に気圧されてか、訓練されているはずの軍勢が微かに後退した。
そして何よりも目を引いたのは戦場の中心。空を羽ばたくグリフォンと、その背に乗る次元の違う魔族の姿だろう。
それは今までの相手とはまるで違う。文字通り、強さの次元が異なっていることが誰の眼にも明らかだった。
ニグルドの隣でグランディアが生唾を下した。
「右翼はワシとイリナが、中央のグリフォン共はアイシャ殿とクリスタたちが受け持つ。全体の指示はグランディア殿が、左翼は魔道騎士団が中心となって討ち果たせ――気を引き締めよ! これからが本当の戦いじゃ!」




