合成魔法
時は少し遡る。
ナハトがヨルノ森林に侵入した頃、空に浮かぶ太陽はちょうど頭上にまで昇っていた。
ナハトとは違い、補給線を延ばしながら幾日も時間をかけ集結した千を超える騎士や冒険者たちが、馬蹄の音を響かせた。鎧がもたらす金属音は、人が集まる場所ほど際立って大きくなっている。
前衛に立つは七百の歩兵だ。そんな歩兵の後ろにローブを着込んだ魔法使いが陣取っている。右翼と左翼と明確にはいえないが、それぞれ歩兵の後ろには二百の騎兵と、百の魔道騎士団がいつでも突撃できるように、馬上で槍を構えていた。
それらは集団行動に慣れ親しんでいる騎士たちの秩序ある軍だった。
一方で冒険者は基本的には騎士に混じっていなかった。
彼らは基本的に遊撃である。集団行動と言っても、パーティ単位で動く彼らは、独自に魔物に攻撃を仕掛けるほうが効率よく立ち回ることができるとニグルドは理解していた。中には、先陣を切るために最も前線に立ったパーティもあるが、基本的に冒険者は遊撃に回っていた。
混成軍の将はニグルドとなっている。彼は軍勢を率いた経験も一度や二度ではない。非常事態にはいつも指揮をとってきた実績もある。
だが、本人としては最前線に立ち入りたい気分ではあった。
ニグルドの持つ強大な戦斧がギラリと光る。
その瞳には優しそうな初老の男性という印象は微塵もなく、あるのは獲物を見出した肉食獣のような眼光だった。
「う~む、血が滾るのぅ。若い連中が羨ましくもあるぞ」
「ははは、総大将がいきなり特攻は御止めください。貴方は後ろでどっしりと構えていただかないと」
そう答えたのは魔道騎士団の団長を務めるグランディアだった。
細い瞳と顎から伸びる長い黒髭が特徴の男だ。その風貌はまさに武人といったものだった。此度の戦で彼は混成軍の副将でもあった。
「とはいえ、ニグルド殿の力が必要になる場面が出てきましたら、指揮は私にお任せを――」
グランディアの言葉にニグルドは大きく頷く。
「ところで――鼠の様子はどうじゃ?」
「今はまだ――おそらく混戦に乗じてという所でしょうか――勿論、安易に近づけさせませんが、戦場は流動するものです。いざとなれば不慮の事故といたしましょう」
「うむ、クリスタには伝えておる――だがおぬしは良いのか? ワシに主の意向を伝えて?」
「ははははははははははは、いや失敬――ですがニグルド殿は少々騎士というものを見誤っていらっしゃる。騎士とは主に仕えるもの。エレオノーラ様は私の雇い主ではありますが仕えるべき主ではない」
この期に及んで私怨に走るエレオノーラに吐き捨てるが如くグランディアが言った。
と、いうのも先日の一件で、エレオノーラの評判はかなり悪くなった。民衆の間では竜の裁きが訪れたと噂されるようになり、それに脅える家臣も増えた。
グランディアからすれば自業自得としか言えないし、軽微な被害ですんだことに胸を撫で下ろすような気分だった。だが、エレオノーラは自らに忠実な魔道騎士団に命じて、戦争のどさくさに紛れアイシャを殺せと命令をしていた。
エレオノーラは政と商才については非凡なものを持っている。貴族としての統治能力も低くない。だが、一度欲望に目が眩めば、宝に魅せられた愚者に成り代わるのだ。
「そうか――情報提供、感謝する」
「いえいえ、私が報告などせずとも貴方は最初から警戒はしていたのでしょ? きっとそのナハトとかいう化物――失礼、ナハト殿も理解していることでしょう。内の馬鹿共がどうなろうと知りませんが、ナハト殿の逆鱗には触れたくありませんね――」
エレオノーラは古代魔族など軍を出させる口実に過ぎないと断言していたが、ニグルドから直接事情を伺ったグランディアは冗談とは捉えなかった。そしてそんな伝説上の化物と戦っているナハトとやらに喧嘩を売る行為など絶対に避けるべきだと思っている。
幾人かの部下には、不穏な動きがあれば切り捨ててよしとまでグランディアは伝えていた。
「さて――そろそろ、始まるようじゃの――」
ニグルドが馬上から、最前線を見渡した。
その瞳が捉えた先には、二人の少女が並び立っていたのだ。
「準備はいいか、アイシャ――」
肩や関節、太ももなどに所々露出のある蒼い軽鎧を着込んだクリスタが並び立つアイシャに声をかける。
「だ、大丈夫ですっ……」
緊張のためかやや硬くなったアイシャが答える。
何せ、アイシャにとってこれは初めての戦だった。
その手にはナハトが渡した世界樹の杖が握られている。不思議な光沢を放つ深く重い樹の杖をぎゅっと握ってアイシャはなんとか緊張を紛らわそうとした。
こんな所で躓いている暇はないのだ。
アイシャはナハトの従者である。
雲の上の存在に仕える従者なのだ。
ならば、この程度の重圧などに屈することなど許されない。
「すぅー、はぁー」
大きく深呼吸をして、戦場の空気を飲み込み、緊張と共に吐き出す。
目を見開いて、再びアイシャは口を開く。
「いきます――」
覚悟と共に言葉を発した。
アイシャは要領の悪い子供だった。人より言葉を覚えるのに時間がかかったし、文字を覚えるのにも十年近く時間がかかった。
そんなアイシャがすぐに魔法を使いこなすことなんて当然ながらできなかった。
ナハトの強大な魔法を見て、アイシャも練習はしたのだが、できたことは体に魔力を循環させることだけ。魔法の発動の入り口に立っただけで、それ以上先には思うように中々進めなかった。
無論今も練習はしているが、龍の巫女という強大な職業に支えられてなお、成長を終えていないアイシャはうまく魔法を発動させることはできなかった。
だが一方で魔力を巡らすことができたということは大きな前進でもあった。魔力というエネルギーを使って事象を書き換える、また生み出すことはできなかったが、そんな魔力を手のひらに集めることや捧げることはアイシャにも可能だったのだ。
「大いなる水の精霊様――お願いします、力を貸して――」
強大なアイシャの魔力に惹かれた精霊が、一人、また一人と現れた。それは常にくすくすと笑っていて、手のひらに乗りそうな小人のような姿をしていた。
それらが強大な水球を幾つも幾つも生み出していった。敵にも味方にも動揺が走り抜けるほどそれは大きな力の現われだった。
だが、当の本人たちは水遊びをしているかのように楽しげに笑うだけだった。
さらには一際大きく、流麗な女性が小人が生み出した水の中から現れた。彼女を中心として、百を越える水の塊が一瞬で宙を埋め尽くしてしまった。
アイシャは言わば動力としての働きだった。その動力から齎された力が、精霊の魔法という機械に流れ、強大な兵器が稼動したといえる。
それを見てクリスタが若干驚きながらも魔法を紡ぎ始めた。
《世界はやがて氷雪に染まる。大いなる自然の猛威にて命は等しく絶え消え行く。なれば、我が意にて終末を今ここに――》
――氷雪魔法、凍結する世界
それがクリスタが氷帝と呼ばれるようになる要因となった魔法である。
半径数百メートルの円を氷の世界に閉じ込める大規模破壊魔法だった。一度その範囲に囚われれば最後、生物の形をした氷像が生み出されることとなる。
だが今回は少しだけ用途が違った。
クリスタの狙った場所はアイシャの生み出した水球が浮かぶ空であり、巻き込まれた水球が一瞬で巨大な氷塊となった。
それはまるで空に浮かぶ星々のようで、光を結晶の中で乱反射するその輝きは戦場ではあるまじき神々しさをまざまざと見せ付けていた。
百を越えた水球が、全て氷塊へと成った時、それは流れ星のように、あるいは隕石の如く、天から降り注いだ。
「「――合成魔法、流星氷雨!!」」
圧倒的な重量を持つ氷塊が、魔物たちに向かって降り注ぐ。
絶望に満ちたそんな光景が、もう一つの戦いの始まりだった。




