お仕置き
――取ったっ!
桜にとって、それは確信だった。
主に賜った桜の持つ短剣は茨の波紋が広がる特質級装備である。岩さえもバターのように切裂くその短剣は高い攻撃性能を持っている。加えて、少しの傷を負おうものなら、劇毒に蝕まれて死に至る。かすり傷でさえも致命傷なのだ。不意をついて、刃が少しでも触れるだけで、桜の勝利は確定する。
だからこそ、慎重に慎重を重ね、最高のタイミングでの一撃を放つ必要があった。ナハトがリノアと会話し、その装備に気を取られ、リノアを警戒した瞬間こそが絶好の機会であったのだ。
隠蔽状態から突如として現れた桜の存在に気づかないまま刃を振りぬけた時点で、ナハトの死は確定した未来であった。
桜の瞳に感情の色はない。
ただ主の命のまま敵を殺す、それだけだった。
だが――剣先がまさに触れようとしたその瞬間。桜は自らの瞳を疑ってしまいそうになっていた。
何故ならば、この絶対絶命の状況に置かれてなお――――目の前の少女は口角を吊り上げ、笑っていたのだから。
「っ――――!」
最初に感じた違和感は指先。
茨の短剣を持つその手に痛みが走った。
次いで、凄まじい喪失感が襲い来る。
そして、気づくことになる。
命を奪う側であった自分が、いつの間にか奪われる側に陥った現実に。
「な――――!」
それは恐らく同時だった。
桜が勝利を確信した瞬間と、ナハトの纏う闇が獲物を認識した瞬間――結果として、原初の深闇の獰猛な牙が、桜の非力な腕を食いちぎっていた。
美麗な肌に隠された機械仕掛けの破片が飛び散ると共に、綺麗な腕が宙に舞った。
咄嗟に身を引いた桜は、辛うじて右手一本という軽微な損壊ですんだといえる。
流動する闇は桜の破片を食いちぎって、飲み込むと、獣のような牙を隠し、再び衣としての形態に戻った。
「桜――! 何が……くそっ! よくも私の桜を――よくもぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」
激情を顕にしたリノアが弾丸のように駆け出して、ナハトへと迫る。
「いけません! お嬢様!!」
桜は未だに自分が何をされたのか理解していなかった。
このナハトという人物は、あまりにも得体が知れない。
不意打ちは確実に成功していたのだ。にもかかわらず、触れることさえできなかった。あの瞳はまるで、その程度かと言わんばかりに、尊大な自信から見下されているようにも思えた。
正面から突撃を仕掛けるのはあまりに無謀であった。桜はリノアの剣術の腕を知っているが、背筋に走った怖気が拭えず、リノアへと叫び声を上げていた。
――一方でナハトはその瞳に今度こそ、リノアと桜の二人を映していた。
「竜魔法――天より降る雷竜」
雷雲から雷の竜が振る。
轟く破砕音に対抗するが如く、リノアは雄叫びを上げた。
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおお――縛り付け、魔法技――分裂する茨剣っ!!」
魔力を帯びた青い刀身が七つに分かれると、ナハトの放った竜目掛け、切裂き、縛り付けるように剣閃が走り抜けた。
剣撃と魔法が、歪な音を反響させてぶつかり合う。
雷鳴が分散するように青い光を周囲にばら撒き、剣に秘められた魔力が霧散しては輝きを放つ。
目を見開くことさえ難しい、そんな激しい交錯は、僅か数秒の出来事だったのだろう。
「っ――はぁ、はぁ――」
猛烈な光が収まっていく中で、リノアは剣を地面に突き刺しながら辛うじて立ち上がっていた。
服は所々が焼け焦げているが、それ以上に損傷を貰ったのはリノアの手のひらだろう。
肉が焼け、真っ赤に晴れ上がっているように見える。
剣を握るだけで激痛が走りぬけていることだろう。
その身体は小刻みに震えていた。ゲーム時代でいえば、状態異常麻痺を負っているのだ。
ゲーム時代であれば、多少のダメージなど無視して突貫し攻撃を仕掛けるのが定石だが、現実には痛みが存在する。これもまた学ぶべきことかとナハトは思った。
「っ! お嬢様っ!」
雷雲が晴れ、五体満足でいられているリノアに、桜は駆け寄ろうとしたが、ナハトがそれを許すことはなかった。
ナハトは竜魔法を使い終わると同時に、既に別の魔法の発動準備を行っている。
正面からナハトの魔法を打ち破ったリノアは見事だといえるが、ナハトからすればそれはたった一発の魔法に過ぎない。せめて、一瞬で消去するか、回避する実力がなければ、新たな魔法を生み出す猶予を与えてくれているに等しかった。
魔法職に時間を与えてはならない。
これはゲーム時代から変わる事のない鉄則と言える。
桜は主を心配するではなく、主が魔法を受けている隙にナハトに攻撃を仕掛けることこそが正解だった。
最も、竜魔法はド派手である。
雷の竜に食われそうになる主の姿を見て、心配するなというほうが無茶なのだろう。
「やはり七元世界の宝珠は不要だったか――」
呟くと共に、リノアと桜に向けて魔法を放った。
「氷撃魔法――絶氷の牢獄」
顕現したのは氷の大地だった。
荒れた大地が氷雪の地にとって変わった。森の入り口近くの広間は今日だけで二回もその姿を変えてしまったことになる。
吐き出す吐息が白くなる。
空から降る極細の結晶は、あまりにも美しくナハトでさえ目を見開いて眺めてしまった。
「くっ、そっ!」
「お嬢様っ!」
だが、ナハトの魔法は決して美しいだけではない。
氷の大陸に正方形の部屋が象られる。それがつも幾つも続いていて二人の罪人を取り込んだ。向かい合うように出現したため、ナハトの立つ位置はちょうど回廊の真ん中とでもいうべきだろう。正面の牢には氷に繋がれた桜が、向かい合うようにリノアが縛り付けられていた。
絶氷の牢獄は広範囲を巻き込む魔法で攻撃能力が低い代わりに移動不可の状態異常を与える魔法だ。だが勿論、高位の敵には通用しない場合が多い。本来の用途はそういったモンスターが召喚した壁役の雑魚敵を動けなくするための魔法だといえる。桜が片腕と武器を失っていなければ、またリノアが万全の状態であれば通じなかった可能性もあった。
二人が戦闘不能に陥ったのを見て、ナハトはゆっくりと桜を見た。
「なるほど、流石の私も相手が無機物であれば気配は探れぬか――」
ナハトが桜の隠蔽を見抜けなかった理由は二つあった。
一つは、その身に纏う装備だ――幻影迷彩の服、伝説級の装備にして、職業が暗殺者である者限定の装備である。能力は決して高いとはいえないが、危険感知や看破から身を隠す高い隠蔽効果を秘める装備だ。一度それを纏い、隠れれば、ナハトの龍眼にさえも映ることはない。
だが、それだけならばナハトの魂魄探知を欺くことは難しい。
ナハトは凡そ、生きる者全ての魂を見出すことが可能なのだから。
彼女が人であれば、ナハトは間違いなく不意打ちを貰いそうになることはなかっただろう。
今回は偶々原初の深闇の自動迎撃が発動したおかげで無事だったが、彼女のレベルがナハトと同等であるか、その手に持つ武器が同じく古代級のものであれば致命傷を受けていたことだろう。
だけれどそれはナハトに余裕がなかったことを意味しない。
桜の敏捷はナハトにとって遅すぎたのだ。
魔道人形のレベルは五十で固定。少なくともゲーム時代は固定だったはずだ。
レベルが百近く離れている時点で基本能力値にかなりの差が生まれることからも当然といえば当然なのだが、ナハトにはコンマ一秒の時間があれば、回避を選択することも可能であったのだ。
「ふむ、随分と希薄だが確かな熱がある――魔道人形の魂も確かに把握した。次からは気をつけるとしよう――」
そうは言いながらもナハトは内心ではかなり反省していた。
リノアを見て、二人という報告との食い違いからも警戒はしていたが、リノアの装備の質や強さが凡そ理解できたからこそ、慢心して油断していたのだ。
龍眼で見た限り、リノアは凡そだがレベルは五十から六十、そんな相手を襲い、殺めるのはどう考えても弱いものいじめである。ゲーム時代に低レベルのプレイヤーキルを行えば、瞬く間にお尋ね者になり、報復を受けることだろう。そんな常識からも、ナハトはどこか真剣に戦いに望む姿勢を疎かにしたのかもしれない。これならば、何時かの洞窟での戦いのほうがましだとさえ思えた。
「さて、大人しくなったところで話を聞こうか」
ナハトがそう告げると、手足を拘束され動けなくなったリノアが唯一動かせる顔を動かし、屈辱を噛み締めナハトを睨みながら呟いた。
「くっ、殺せ……」
まるで漫画のような台詞だった。
ナハトはやれやれ、とばかりに肩をすくめる。
「私としてはお前の装備と、そこの魔道人形について詳しく聞きたいのだがな――なぜ、リアルワールドオンラインの装備を貴様たちは持っている?」
ナハトは語気を強めて言った。
氷雪大陸のクエストで貰える特質装備、水晶樹の茨シリーズは戦士系のものが多くナハトは全く手をつけていなかったが、それは確かに、ナハトの持つ装備と同じ、リアルワールドオンラインの装備だった。それどころか、桜にいたってはイベント、人造人形の反乱で一人一体のみ手に入れることのできる魔道人形である。名前も、いかにも日本人が名付けたような名前だ。
ナハトの中では既に確信があるが、やはり事情を知るものから聞いておきたかった。
「お前なんかに、話すことはなにもない――殺せ――」
頑として、強情な態度を崩すつもりはないようだ。
リノアの瞳は、憎悪に囚われているように見えた。
まるで、目の前にいるナハトさえも、見えていないような瞳だった。
「そうか…………ならば殺してやろう――」
リノアが覚悟を決めたように瞳を閉じた。
主の危機を見て桜の発した絶叫が、厚い氷の壁に反響して響き続けた。
だが、ナハトは、コツ、コツと氷の床に音を響かせリノアから離れた。
不可思議に思ったリノアが目を見開いたとき、ナハトは桜の傍に立っていた。
「ただし、まずはこっちの人形の首を刎ねるとするか」
「なっ――!」
ナハトは断頭台の如く拘束した桜の首に、鋭利な爪を近づけた。
「待てっ!! 待って! 何で! 桜は関係ない!」
先ほどまでとは打って変わり、少女は狼狽しながら必死に声を荒げていた。
「関係ない? お前は何を言っている? 戦いを挑み、私の首に刃を突き立てようとしたものがどうして関係ないといえる?」
糾弾するような強い声音でリノアに言う。
リノアは瞳に雫をため、大粒の涙を堪えながら必死に言葉を探していた。
「違う! 桜には私が命令しただけ! 彼女は私の命令に逆らえない! だから責任は私にしかない! 私を殺しなさい!」
だが、ナハトは鋭い爪を覗かせたまま、口を開く。
「それを決めるのはお前ではない。勝者である私だ。いいか、よく聞け、愚かな少女よ。戦に負けるということは即ち、大切な何かを失うということだ。そのリスクを負ってなお叶えたい思いが、願いがあるからこそ戦いを起こしたのだろう? その覚悟があったからこそ、お前は戦いを引き起こしたのではないのか?」
それはナハトにとって馴染みのある感覚であった。
体力全損決着のPVPでは片方が消去されるまで戦いは続く。未知なる体験や装備を求め強敵に挑み、逃げることもできずに死ぬこともある。ギルドの対抗戦で負けてアイテムを失ったこともあったのだ。
何かを得るために戦うことは、多くのものを犠牲にする覚悟と共にあらねばならない。
その意味を、ナハトは彼女が最も大切にしているであろう従者の命をもって語りかけた。
「で、も……駄目、桜は駄目――桜だけは――えっぐ……お願い、何でも言います、何でもします、だから桜だけは、助けてあげて――」
「お嬢様――」
桜の魂の色が少し濃くなったような気がした。
ナハトいつにもまして厳しくリノアに告げた。
「戦争とは、その悲しみを誰かに押し付ける行為だ。今お前が胸の奥で感じている苦しみを他者に強要する行為だと理解しろ。お前にも事情があるだろう。憎しみもあるだろう。魔族を差別する現状に反感があるのかもしれない。私はそんなお前の事情を知らないし、お前の選択を全て否定するつもりもないが、それでもお前に言えることがある――
――お前にとって最も大切なものはなんだ?
それをもう一度じっくりと考えるがいい」
ナハトは魔法の拘束を解いた。
氷雪が消え、氷の大地は、存在していなかったかのように消え去った。
陽光を受けてキラキラと輝く氷の結晶の残滓が、粉雪の如く降り注いだ。
遅れました。
第一章が終わるまで毎日投稿したいのですが、途切れるかもしれません。




