守護者達の誇り
ナハトの手の上で、小さなトカゲがもぞもぞと動いていた。
全身が透き通った黒色で、それは光を受け生み出された影のような色彩だった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「「「ひゃほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」
悲鳴と歓声が同時に上がった。
とりあえず、歓声を上げた不届き者には全員に風魔法で目潰しをくれてやった。
目が、目がぁああああ、と叫ぶ冒険者に背を向けてナハトは黒装束の少女に布を被せて、黒い影の生物を宙に放った。
トカゲを放ったその先にはナハトが生み出した紅蓮があった。地獄の釜というべき業火に放り込まれたトカゲは一瞬で蒸発するように燃え尽きた。
「今のは、一体なんじゃ?」
ニグルドがナハトに問うた。
「影魔法――影間に潜む追跡者、か。ふむ、アイシャの言葉は正しかったようだ」
「ふぇ?」
アイシャが目を見開いて驚いていた。
「ここにいる者達では手に余る、ということだ。敵はそこそこの使い手だということが今分かった。ギルド長よ、既にこの街は発見され、刻一刻と狙われていることだろう」
ナハトの言葉をニグルドは冷静に把握する。
調査を行っていたつもりが、影の生物は今の今まで逆に情報を与えていたと言うことなのだろう。間違いなく、失態である。
フウカとカイトが沈痛な表情でうな垂れていた。
彼らは何も気づくことなく、むざむざここまで敵を案内していたようなものなのだから。
だが、ギルド長は、自らの失態だと考える。ハウスマンを派遣したことは最善だとは思った。だが、それさえも、想定が甘かったというべきなのだろう。
ナハトは暗くなる面々のうち、ギルド長にだけ聞える声で言う。
「別にお前達は何もせずともよいぞ。今回に限り私は動くと決めているからな。だから、お前達が何もしなくとも私一人ですべてを片付けてやってもいい」
ナハトは何でもないように言う。
その理不尽なまでに尊大な自信に、ニグルドは気圧されそうになった。
決して、偽りを口にしているようには思えないのだ。
きっと、彼女はその言葉を有限実行するという確信があった。
ニグルドは先日降った竜を思い出していた。当初、ナハトを呼んだ一番の理由は、あの強大な魔法を使ったのはナハトなのか、そうであれば使用した理由は何なのか、聞き出すためだった。だが、そんなものは既に聞く必要はなかった。
目の前の少女は、言葉を裏付ける力を持っているのだ。あの竜も彼女が粗相をした者への報復をしたに違いない。
そんな少女がすべてを片付けるという。
本来、命を懸けて街を守るべきニグルドたち冒険者に、指を咥えて見ていろとナハトは言ったのだ。
だが、本当にそれでいいのか?
ニグルドの中で、言葉にならない混沌とした思いが駆け回る。
現役の頃はA級という冒険者の中でも最高峰と呼ばれる実力を持ち、今はギルドを収める長として、この街を、ギルドの仲間を、家族を、市民を、魔物の脅威から守ってきた誇りがニグルドにはあった。
ニグルドが幼き頃は冒険者ギルドはもっと小さな組織だった。貴族からの命令には逆らうことなく便利屋として使われ、金に釣らた者が騎士の代りに魔物の脅威を打ち払う捨石のような存在だった。それは、貴族たちが自らの名誉を守るための行為として冒険者ギルドを利用していただけで、決して家族を、市民を守る行為ではなかったのだ。
その頃にはまだあった外周のスラムの人々や、周辺の小さな村々は、見殺しにされることも多くあった。貴族達にとって守るべきは交易都市という拠点であり、その中身はどうでもよいものだったのだ。
だから、ニグルドが変えた。
腕っ節だけを武器に、力なき者こそ守れる組織に、一歩でも、一歩でも近づこうと努力した結果、今がある。
そんなニグルドに賛同してくれる友もいた。
そんな友だけを働かせ、生死不明に陥っている今がある。
にもかかわらず、誰かに手綱を預けたまま、のうのうとここで見ていろというのか。
全てが終わるまで、安全な場所にいろというのか。
そんなことは、ニグルドの矜持が許さない。
心に湧いた憤怒を活力に、ニグルドは声を張り上げる。
「聞けぃ! 我がギルドに集いし、冒険者諸君よ! 今、交易都市は、ワシ等の故郷は未曾有の危機に陥っている! この期に及んで隠し立てはせぬ、敵は恐らく泉に封じられていた古代魔族であろう!」
ニグルドの声に、ギルド全体がさーっと静けさを増した。
古代魔族というその名称に、冗談だろ、あり得ねー、と小さな声が恐怖となって伝播した。
ナハトはそんなニグルドを楽しそうに見る。
「ワシ等は今、決断の時を迎えておる! 即ち、戦うか、逃げるか、単純かつ明瞭なただの二択じゃ!」
ニグルドは、ギルドを見渡す。そして、鋭い瞳を冒険者達に向けた。
「ギルドからは依頼を出すが、強制はせぬ! 諸君等の意思こそが何よりも優先される!
この街を、ギルドを、家族を守りたいと願う者は自らの意思で剣を取れぃ!
逃げるもの、戦うもの、どちらを選ぶも諸君等の自由だ。自由こそ冒険者である証明だ。ワシはただ、自由に、己の意思でこの街を守りたいと思って今のギルドを作ったのじゃから、そこを崩すつもりは毛頭ない!
いいか、よく聞け、我が子らよ。腕っ節しか取りえのない、馬鹿共よ。
どちらを選んだものにも等しくワシの言葉を告げる。
その命を無駄にするな! かけがえのない命を無駄にするな! 決してじゃ! 金を稼ぐ前にまず命を、命を賭ける前にまず力を、諸君等に伝えた我がギルドの教えは、諸君等の命を守るとワシぁ信じとる!
決断の時じゃ、我が子らよ!
ワシは諸君等の長として、決して無駄死になどさせぬ! 決して、命を捨てるような戦場には送らぬ!
だからこそ、ナハト殿――」
冒険者達を見ていた視線がナハトへと向いた。
そして、冒険者達から驚愕の声が上がった。
ニグルドは、ナハトに向かって真っ直ぐと頭を下げたのだ。
「――無力なワシ等に力を貸して欲しい」
ニグルドの言葉もまた、偽りなき本心からの言葉だった。
事態の解決を約束するような言葉には飛びつかず、己の意思で、考えで生み出した結論に、ナハトは素直に好感が持てた。
それに、ナハトの意思は、アイシャに説教され、約束をした時点で決まっていた。今さら頼まれる必要はないといえる。
「私からも頼む、ナハト殿」
クリスタがギルド長に並んでそう言った。
その流れは、大きな意思は、次々と広がりを見せた。
「「「お願いします!!」」」
気づけば、いつの間にかギルドの皆が、ギルド長に並び、頭を下げていた。
彼らもナハトの実力はまざまざと見せつけられていた。
それはまさしく希望だった。
ナハトが蒔いた小さな希望に、思いが一つとなって集中していた。
そんな視線を受けて、当の本人であるナハトはというと――――だらしないほど緩みきった、子供のように無邪気な笑みを、満面の笑みを浮かべていた。
それはまるで悪戯が成功した子供のようで、加えてクラス委員に推挙されて喜んでいるそんな微笑みだった。
「くくくく、くあはははははは、ふーはははははははははははははははははは、安心するが良いぞ、お前たち――」
ナハトはただ喜びだけを感じていた。
何せ、ゲーム時代においては、傲岸不遜なナハトの言葉に心の底から頼りきろうとする人間は誰一人としていなかったのだから。それも当然で、周りにはナハト以上の強者も多くいた上、皆が皆、子供を守るようにナハトを見ていた節がある。
例えば、双子のネコミミ少女たちならば、
『あははー、またスイッチ入ってますね、ナハトちゃん』
『前、ですぎないで。心配だから』
とでも言うのだろう。
無気力で効率主義者だったあの男ならば、
『あー、何でもいいですけど、さっさとしてくださいねー』
なんて言って、
『貴様、姫に対して何たる口の利き方!』
『ご安心を、姫は我等親衛隊がお守りいたします!』
などと、親衛隊が突っかかるに違いない。
そこにはナハトに対する庇護が大きくあって、ナハトを信頼はしているものの、頼るという感情は希薄なものでしかなかった。ナハトにとってそれは喜ばしいものではあったが、もっと欲を言えば、こう、なんというか、もっともっと皆に頼って欲しかったのだ。それは、自己顕示欲の高いナハトらしい願望だった。不可能と知っていて、発した言葉の通りに事を運ぶことこそ、ナハトの願望であった。
だからこそ、ナハトは調子に乗った。
物凄く、気分がよくて、本来は必要でないだろうそれをナハトは取り出してしまっていた――
刹那、暗闇が訪れた。
広間を覆っていた全ての光が――ナハトが纏うそれに吸い込まれたのだ。主の裸身を誰に見せることなく、闇の衣がナハトを覆った。
古代級防具――原初の深闇が獰猛に光を喰らった後にはただ先の見えない暗闇だけが残った。
そんな闇の中で鼓動が聞えた。
生物のように宙を流動する漆黒の衣がナハトの身を包み込んだ。宵闇の抱擁がナハトの私服だとすれば、原初の深闇はナハトにとっての戦闘服だ。天女が羽衣を纏うが如く、ナハトは闇の中に袖を通した。
そしてもう一つ、ナハトは装備を取り出していた。
闇に満ちた空間が、七つの光を持って再び照らされた。
透明な球体の中で、薄い虹色の光が揺れ動く。
七元世界の宝珠
それこそが、ナハトの持つ武具だった。
だが、一見しただけではそれを武器とは思わないだろう。まるで真珠のような球体は武器というよりは宝石とでも形容した方が正しいのかもしれない。
ふよふよと空を舞う宝珠の輝きが、ナハトを中心として渦を巻いた時、再び世界に光が戻った。
困惑と驚愕が合わさった視線がナハトに向けられていた。
いや、集められていたというべきか。
自由意志を持っているかのような闇を纏い、神々しい宝珠を浮かべた今のナハトは、五大神の生き写しだと錯覚した者さえいるほどに、幻想的な美しさがあった。
だが、そんな神秘的な光景とは裏腹に、やはりナハトは容姿が象る年齢相応の笑みを浮かべ続けていた。
「――――このナハトちゃんがいる限り、勝利は確定したも同然だ! お前たちはただ、自らの力量に見合う相手だけと戦うが良い。経験値と金儲けの絶好の機会と思い魔物狩りへと洒落込もうぞ!」
かつて、仲間を背に狩りにいった。
あの時はゲームの中であったが、ゲームの中であってもナハトは確かに命を賭けていた。
だから、彼らの気持ちは少しだけ分かる。
不安も、恐怖もほんの少しは理解できる。
だからこそ、ナハトはいつものように、先陣を切るのだ。
小さな背に、確かな希望を乗せて。
ナハトは今、興奮の絶頂にあった。
だが、後になって後悔する。
興奮と歓声に身を任せ、つい口走ってしまった言葉を、言わなければよかったな、と。
「よしよし、では褒美として、最も活躍した者には私が膝枕をして頭を撫でてやろうではないか!」
何気ない一言だった。
空気が凍って、再び大歓声が上がった。欲望の声が渦巻いて、ナハトはむさ苦しい男共の下劣な言葉すら楽しんでいた。
いつも、冗談で親衛隊に言っていた言葉のつもりだった。
そんな言葉が、小さな少女の才能を開花させる切っ掛けになるとは、ナハトは思いもしていなかった。




