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お風呂で始動

「ナ、ナハト様……本当に、その……はずさなきゃ、駄目……ですか……?」

 アイシャは羞恥に塗れた顔で最後の砦に手をかけていた。

 だが、後一歩、進むことができない。顔に表れた羞恥が真っ赤に頬を染めていた。

 

「駄目だ、それがマナーというやつだからな」


「な、なら私はお先に失礼しま――」

 そう言って駆け出そうとしたアイシャをナハトの手が掴む。

 アイシャがどれ程抵抗しようと、ナハトの手が外れることはない。

 力の差も、技量の差も明らかだった。


「まあ、そう連れないことを言うな。お互いの親睦を深めるためにも、裸の付き合いといこうではないか」

 湯煙が満たした浴室で、ナハトは一糸纏わぬまま立ち上がった。

 幸いというべきか、不幸というべきか、立ち込めた湯気のせいでアイシャの瞳にはナハトの純白の肌は見えても、本当に大切な部分は見ることができなかった。

 

「はぅ――っ!!」

 言うや否や、ナハトの巧みな指さばきで、アイシャを包んでいた最後の砦――一枚の白いタオルが奪い取られた。

 同じく裸になったアイシャを見て、流石のナハトも若干の羞恥に顔が赤くなる。小さな子供のように思っていたアイシャだが、それでも微かに女性らしい部分が存在している。

 まじまじと正面から見据えるのは同性といえど、罪悪感が心に浮かぶ。それはきっと、徹の残滓が感じたのであろう。

 視線を逸らして、再び湯船に浸かりこみ、水面に映る自分の顔を見て、徹の残滓がさらに顔を赤くさせた。

 

「さあ、アイシャも来い――気持ちいいぞ――」

 風呂に浸かる感覚も、随分と懐かしいものがある。

 東方の湯浴みの風習を交易を深める内に取り入れたのが、この宿だった。

 水の魔石と保温魔法を惜しげなく使った檜の風呂は、何時かの日本を髣髴とさせる香りがした。この湯船を利用するだけで、一晩宿に泊まるのと同等以上の料金を請求されるのだが、ナハトにとってはかなり満足のいくものだった。

 流石に温泉とまではいかないが、人が五六人は足を伸ばせるほどの広さがある。ナハトがこの場所の存在を知った途端、無駄に手に入れた金を惜しむことなく使って、この湯船を貸し切ったのだ。それは誰にも邪魔をされることなく、アイシャとお風呂に入るためでもある。随分と強引に過激なことを考えられるようになったものだと感心すら浮かべてしまいそうだった。

 

 恐らくゲーム時代の経験がそうさせているのだろうとは思う。ナハトのギルドホームにも温泉は備えられていたし、様々なバフが得られる公衆浴場もゲーム内には存在していて、よく仲間と一緒に浸かっていたのだ。勿論女湯で、何処からともなく差し込んだ濃い光と異常なまでに濃い湯煙に囲まれての話なのだけれど。だが、そのおかげで、アイシャと一緒に入っている現状でもナハトはそれなりに落ち着いていた。

 アイシャも、恐る恐る湯船に足を入れて、目を見開くとすぐに腰を下ろした。


「ふぁーーー、ん~~~。気持ちいいですね、お風呂というものは……こんな心地よさ、初めてです――」

 水浴びやお湯で体を拭くなど、この世界の人間が普段している清潔行為と違って、風呂に浸かるということは一風変わったものである。

 温かい湯船は体を清潔にする目的もあるが、筋肉をほぐして肉体を癒し、心の緊張を休める一時にもなる。そんな気持ちよさを日本人であるならば知っていることだろう。

 アイシャにもここ数日で色々と変化が起こった。

 死に掛けて、ナハトの従者となって、竜に会い、盗賊を殲滅し、本来は一生めぐり合うことのなかった身分の人間と会い、さらにはそんな奴らに絡まれる。疲れるのは当然だろう。

 それらを癒す意味でも風呂は最適だと思ったナハトの気遣いだった。


「ナハト様と出会って、たくさんの初めてを体験できて――アイシャは幸せものです――」

 そう言って笑うアイシャの頭をナハトは慣れた手つきで撫でた。

 それは真っ直ぐ言葉を投げかけてきたアイシャに対して、気恥ずかしくなったナハトの誤魔化しでもあった。思えば最初からアイシャは裏表の少ない、そして自分を偽ることのない綺麗な色を持っていた。だからこそ、今みたいに、本音をさらっとこぼしてしまうのだ。

 アイシャは小さな両手で、幸せをすくう様にお湯を手のひらに溜めた。

 ナハトはそっと湯気に隠れた天井を見上げて、口を開く。


「『俺達の見ている世界は狭い』」


「ナハト様?」

 アイシャがちょこんと首を傾げる。


「私の仲間が口癖のようにそう言っていた。きっと、アイシャも見ている世界が狭かった、それだけさ。ちょっとした切っ掛けで色んなものが変わって、色んなものを知れただろ? そうやって広い世界をこの目で見ることが私の楽しみでもある」

 かつて、ゲームの世界で未知を模索したように。

 それがナハトが旅をする目的だった。


「私は恵まれていますね。きっと、村の皆は――いえ、多くの人が小さな世界を見て、終わってしまうのですね――」

 手のひらの上のお湯をそっと湯船にかえして、アイシャはそう呟いた。


「はは、それは決めつけだ。勿論、全ての人間が、なんて理想論は言わないが、普通に生きていける人間には切っ掛けが与えられる。アイシャが村を出て私と出会ったのも小さな切っ掛けだろうし、村での生活が嫌で盗賊になることを選ぶのもまた切っ掛け。不幸の傍には小さな切っ掛けが転がっているものだ。選ぶのは当の本人なのだから、アイシャが周りに同情をするのも間違いだし、同情しますと言うのもまた間違いだ」

 少し難しいか?

 なんて、しっかりと頭を回転させて考える小さな少女にナハトは微笑した。


「何となく、分かります――たぶんですけど……」

 不安そうにアイシャが言って、ナハトはそれでいいと頷く。別にナハトは考えを押し付けるつもりはなく、アイシャには広く、そして深く物事を考えられるようになって欲しいだけだ。

 何時かのように、自分が悪い、自分のせいだ――違っている自分が全て悪い、と考えては欲しくなかった。


「狭い視野は差別を生む。憎しみを生む。勘違いを生む。でも――それが己の全てだから誰もおかしいとは思わない。だから人は何時も争いをしている」

 アイシャが村で迫害を受けていたとしても、それが当たり前だから誰も、本人すら含みながら、何もおかしいとは思わなかったのだろう。

 アイシャは普通の人より生長が遅く頭が悪い。

 アイシャは耳が尖っていて普通と違う。

 アイシャは偏食で、普通に美味しいご馳走を食べられない。

 だからおかしい。

 誰も、普通を疑わない。

 普通って、何?

 そんな疑問を抱くことができない。

 そんな人間に、アイシャには成長して欲しくない。

 ナハトの小さなエゴが口に出そうになって、やめた。

 アイシャは思考が遅いだけで、意外に思慮深いことをナハトは知っている。だから、考えて結論を出すのは彼女自身だろう。 


「すっごく、悲しいこと、ですね……」


「そうだな――」

 ナハトがそう言うと、アイシャは慌てながらナハトに向かって笑いかけた。


「で、でも、私はナハト様と出会えました。だから大丈夫です! 一杯幸せを貰って、しっかりと色んなものを見て考えるようにします。だから、大丈夫です! ナハト様に心配はおかけしません! ――――いつか、恩返ししないとですね。でも、私にナハト様が望むことができるとは思いませんけど」

 そう言って、えへへとアイシャは少しだけ落ち込んだ笑みを浮かべた。


「そう言ってくれるだけで私は既に満足だ――――だが、もしもアイシャが恩返しがしたいというなら、傍にいろ。アイシャが望む限り私の傍にいるがいい、それが何よりも優る恩返しとなるだろう」

 そう言うと、アイシャは子供らしい笑みを、心からの笑みを浮かべて、生意気そうに言った。


「ナハト様が嫌っていっても、離れませんよ?」

 そんなアイシャの言葉にナハトも挑発的に笑った。


「ぬかせ、アイシャがもう嫌だと言っても、離してやらないからな」

 そう言って、ナハトはアイシャを抱き寄せ、二人で笑った。

 湯煙の中で、楽しげな声だけが反響した。

 そろそろ上がるか、と考えていると、扉の外から声が届いた。


「ナハト殿、私だ――入浴中すまない。失礼とは思ったが、少し聞きたいことがある。ギルドまで来ていただけないだろうか?」

 響いてきたのはクリスタの声だった。

 相当慌てているのか、抑揚の少ない声にも微かな焦りを感じられた。

 ナハトはゆっくりと伸びをして――


「じゃあ、行こうか、アイシャ」

 そう声を発したのだ。


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