交易都市の二大貴族
自由交易都市にも貴族は多く存在する。
王都が政治の中心ならば、自由交易都市は商業の中心である。通商に携わる貴族はここを拠点にしていることも多く、平民貴族問わず通える商科学校も存在している。
そんな中、都市の実権を握る大貴族が二つあった。一つは、自由交易都市と名が改められる前の時代、一商業都市であった頃の有力者にして、王国に貴族として迎えられたヴァロワ家。もう一つは王都の公爵家の次男が源流となっているレンヴェル家の分家。
元々は商業者の自治都市だった場所に王家に近しい権力者が足を運んで実権を握ろうとしたのが始まりで、この二つの家が実質的に自由交易都市の権力者だった。二者が仲良く、ということは当然無く、各々が日々実権を握ろうと権謀術数を戦わせていた。
周囲に開拓村を作り出したのはレンヴェル家の策謀だった。
当主代理、エレオノーラ・ルティ・レンヴェル。王都にいることの多い夫に代わりレンヴェル家の実質的な当主を務めている女である。二代前から実施された自由都市周辺の開拓事業は表向きの政策として、浮浪者や働き場を失った者に、開拓と開墾の場を与え、小さな市場を作るという目的の下、二十四の開拓村が建設された。
だが、裏ではそこは工作要員の拠点としても使われる。自由交易都市での影響力は商人の多くを従えるヴァロワ家に劣る部分が存在するので、暗殺などの裏仕事や、王都からの依頼――例えば、魔女と呼ばれ忌み嫌われるクリスタ・ニーゼ・ブランリヒターの暗殺など、様々な裏仕事に利用される拠点としての顔を持っている。
エレオノーラは豪奢な調度品がこれでもかと置かれた自室で忌々しそうに報告書を読んでいた。
「伝説の傭兵も使えないものね――」
勿論デュランが報告にあった少女に敗れたとはエレオノーラは微塵も考えない。
ただ気まぐれな傭兵が戦場を求めて消えた、それだけだろう、と。
両手にこれでもかと嵌められた宝石の指輪が怪しく光る。
「ナハト、ね。絶世の美少女とかなんとか。ま、そっちはどうでもいいわ。でも、見たこともない宝石を着けた従者、こっちは中々面白そうね。殺して奪っちゃってもいいけど、取りあえず呼んでみましょうか――」
エレオノーラの下で跪いていた部下に告げる。
冒険者ギルドに、もっと言えば、検問自体に強い情報収集能力を持つエレオノーラはクリスタの帰還とナハトとアイシャという協力者のことを把握できていた。
「このアイシャとか言う小娘を呼びなさい。ついでに小娘の持っている指輪、税として徴収しましょうか。いいですね、私の名を使うことを許可します」
男が返事を返し、部屋を出る。
権力は人を盲目にする。
踏みつけたのがドラゴンの尾とも知らず、エレオノーラは楽しげに笑うのだった。
◇
夕暮の小鳥亭。
交易都市の中でもかなり高価な宿屋であり、貴族が利用することもある。そんな宿屋の三階、ナハトはギルド長の紹介状を持ってこの場の宿に泊まっていた。
ニグルドがナハトに紹介状を渡したのは余計なちょっかいを未然に防ぐためであった。ナハトは見た目はただの美少女でしかなく、内面の魔力を覗くか、存在感の違いを肌で実感できる実力者でもなければ、その力の大きさに気づくことはない。
安価な宿屋に立ち入ろうとすれば、無理やり部屋に連れ込もうとする傭兵や冒険者も存在するのだ。自由交易都市の治安は決して悪くはないが、貧困層まで監視の目が行き届いているかと言われればそうではない。戦争を商売にする人間や裏稼業を専門とする人間に加え、冒険者だって荒くれ者は多い。種族間でのいがみ合いや差別だって中にはある。
ナハトが余計なトラブルに巻き込まれ、機嫌を損ねてしまえば、この街は滅びるかもしれない、とそうギルド長にアイコンタクトをするクリスタの要望を受けて、紹介状が手渡されたのだ。
立地が高い場所にあり、建物自体もかなり大きく高いこともあり、夕暮に染まる街並みを一望することができることで有名な宿屋だった。人の行き交う大通りが段々と仄暗くなっていく夕日に照らされ、一日の終わりを告げているように思えた。
風情のある1コマを眺め、満足して眠るはずだった部屋の中、ナハトは床に正座していた。
「で、お話を聞かせて貰えますか、ナハト様」
おかしい。
いつもは謙っていて、甘えん坊で、可愛らしいアイシャが殺気を放っていらっしゃる。
ナハトは冷静に、落ち着いて言い訳を探す。
「いや、ほら、その――多分偶然だ。私は確かに泉を燃やしたが、それが封印の泉とやらかどうかは分からないではないか」
ナハトの動揺はアイシャにはばっちりと見抜かれていて、帰り道に何を慌てていたのか聞かれた。
最初は何でもないと言って突っぱねていたのだが、
『アイシャには……お話、して……貰えないんですね……』
なんて涙を浮かべながら言うアイシャに、ナハトは洗いざらい自白を余儀なくされたのだった。
「でも、現にナハト様がその泉をぶっ壊してしまわれてから、数日の間に色々と問題が起こっているようなのですが、偶然なのですか?」
責めるような鋭い瞳だ。
アイシャにはこんな顔もあるのか、などと感慨に浸る余裕はなかった。
やはり、
『魔法の実験してたらぶっ壊しちゃった、テヘ』
と可愛らしく言ってみたのが間違いだったのだろうか。
ナハトの仲間もとい、親衛隊なら姫の尻拭いは俺が、俺が、と喧嘩になるほど擁護してくれるはずなのだが、アイシャはちょっとしたお茶目を分かってくれないようだった。
「だ、だが、もし仮に、万が一、億が一、私のせいだとしても、あの程度の魔法で壊れてしまう封印に閉じ込められた魔族とやらはきっと雑魚に違いない。うん、何の問題もないではないか」
ナハトは自信を持って言う。
だが、アイシャの機嫌はさらに悪化しているようだ。
「そんなわけないじゃないですか! 古代魔族といえば、竜と同じく伝説にもなっている存在ですよ! ただ知恵を持っただけの魔人とはわけが違います。太古の時代に勇者と戦った災禍の魔王の末裔。強大すぎる力故に勇者の遺物で封じられた悪魔。お父さんにもアイシャが悪さするたびに言われました。悪いことをする子は古代魔族に連れ去られると! ナハト様はもう少しご自分の異常さを自覚して下さいっ! はぁ、はぁ……」
「う、うむ……分かった、私が悪かったから落ち着け、アイシャ」
「いいえ、ナハト様は分かってないです! もしも、ナハト様が解き放った者が古代魔族だとしたら、それも人間に恨みを持つ者だとしたら、自由交易都市は滅びる可能性もあるんですよ!? 分かっているんですか!」
ナハトとしては一都市が消えようとも何の問題もないのだが、貴重な情報源であるクリスタとせっかくの美しい拠点を失うのは少々であるが勿体無い。
だがそれ以上に、このまま私知-らない、といった態度を取るとアイシャの不機嫌が加速することだろう。
「分かった、分かったから。その古代魔族とやらは私がどうにかしよう。ついでに魔物とやらもどうにかしてやろう。ほら、何の問題もないだろう?」
ナハトの私は何も悪くないという態度に、若干ではあるが不満を抱くアイシャだったがこれ以上は流石に無礼かと思い口を噤んだ。
「はい、ナハト様も半分は人なのですから、ちゃんと責任を持ってくださいね」
小さな少女はすっかりと大人な風格を得ていた。
年下の子供に説教をされる状況に納得がいかないナハトだが、アイシャの言葉だからこそ素直に受け入れることができた。
元々身から出た錆である。甘んじて受け入れ、めんどくさいが後始末くらいはしようじゃないか。
そう思ったナハトが重い腰を上げようとした瞬間コンコン、と音がした。
乱雑にドアを叩く音だ。
アイシャもナハトも許可を与えていない。
にもかかわらず、その男は扉を開き、偉そうに踏ん反り返りながら部屋へと侵入してきた。
その背後には剣を携えた騎士が二人。アイシャが一瞬だけビクリと震えた。
「ふむ、ここで間違いないようだな。私はレンヴェル家が当主代理、エレオノーラ・ルティ・レンヴェル様が名代ローベルトである。我らが主のお言葉を伝える、平伏して聞くが良い」
己の分も弁えず、勘違いも甚だしい言葉を投げかける男の言葉を聞いて、アイシャの体が一層震えた。
「ふん、さっさと平伏せぬか、下民が。まあ良い、此度はそこの小娘、アイシャとかいったな。貴様を我が主がお呼びである。身元確認では開拓村の小娘らしいが、エレオノーラ様の物らしく、すぐさま屋敷へと来るが良い。そこのナハトとやらはかなりの強者とか、森の異変に関連して使ってやるので沙汰を待て、以上だ」
アイシャの額に浮かぶ汗。
それは決して、身勝手な男の台詞に恐怖したからではない。勿論相手が貴族だということも、男の後ろにいる騎士も怖いことには違いない。
だが、そんなことを気にする余裕など存在しないのだ。
噴火を目前にしたマグマ溜まりのように憤怒を抑えている主以上に恐ろしいものをアイシャは知らない。
舌なめずりをする野獣のような盗賊よりも、命の危機を感じ恥ずかしい思いをした竜を見たときよりも、圧倒的な重圧がすぐ傍にあるのだ。
アイシャだけが感じていた無言の重圧が――音もなく爆発した。
いや、耳を劈くような破裂音をここにいる誰もが幻聴として聞いたのだろう。
「っ――――!」
言葉は出なかった。
決してアイシャに向けられたわけでもないのに、震えが収まらなかった。
ナハトはベラベラと喋っていた男に、あえて威圧の大部分を向けなかった。代りに傍にいた騎士は泡を吹き、白目を向いて倒れ伏した。
建物が揺らぐ。
いや、建物だけじゃない。
地を伝って、何処までも、何処までも広がって、交易都市に住むすべての人間が、異常を察知し、呼吸を止め、動きを止めた。
それほどまでに、
圧倒的で、
絶対的で、
理不尽なまでに凄まじい、
威圧という名の龍の咆哮が、轟いた。
「な、ほまえ、わはひに、こんな、はひ…………」
呂律も回らず、何かを言おうとして失敗した一人の男は、ナハトの逆鱗に触れたのだった。




