報酬
川辺に近い森の中で、ありえないほど整地された地面が広がった。
縦横二十メートルの正方形は、上に建物を建設しても大丈夫なほど丁寧に揃えられていた。
驚くべきは作業に要した時間だ。
僅か二秒。
ナハトの土系統魔法が齎した結果である。
「薄々思ってたけど、規格外ね、貴方……ほんとに人間?」
失礼極まりない言葉を発したクリスタにもナハトは苦笑するだけだった。
「半分は、な。それに、人でもこの程度は可能だ。かつての私の友人は人の魔術師だったが、地形破壊魔法で山脈を消し飛ばして、その上でレイドボスを相手取っていたぞ?」
「…………それは人じゃないわ……」
クリスタ自身は何度も言われた言葉だったが、人に言ったのはこれが初めてだった。
「ま、それに驚くのはまだ早い」
そう言って、ナハトはアイテムストレージから宝石のような玉を取り出した。
名を、簡易テント作成玉。高級店の店売りアイテムで、FPなどに代表される疲労値の消費なく一夜を明かせる便利系アイテムである。
ナハトが中空にそれを投げると、煙が立ち昇り、大きな円形のテントが出現した。
遊牧民のパオに似ていて、しっかりとした作りをしていることは一目瞭然だった。
中に入れば、一層その凄まじさが分かる。
床には豪奢な絨毯に、木製のベットが二つ、敷布団が七つ、冷えた果実とグラスに注がれたジュースがコタツのような小さなテーブルの上で輝いている。
住めと言われれば、貴族でない限り是非とも、と返事をするくらいには豪奢であり、保温能力も優れている。
「「「はぁー!?」」」
当然、誰もが驚きを隠せない。
元性奴隷だった女性は、夢を見ているようにポカンとしているし、一流冒険者も思わず放心していた。
サシャやクリスタなど魔法を扱う人間が見れば、それが魔法によって生み出されたものではないと、一瞬で理解できる。
ナハトが気軽に使った二つの宝珠、それだけで、莫大な値がつくことは容易に想像できた。きっと、王族や貴族がオークションでとんでもない値段をつけるに違いない。
「ちなみにこれは使い捨て」
「「「はぁ!?」」」
な、なら、ぜひとも下さい、とか、是非とも絨毯を剥ぎ取らせて下さい、とか、色々と賑やかな声が飛び交う。
喧嘩するなよ、と言い残して、ナハトは再びストレージに手を入れる。
「アイシャ、私達はこっちだ」
さっきのはただの使い捨てアイテムに過ぎない。
ナハトはそれとは別に、動く家という持ち運び可能の拠点系アイテムを持っている。これは、レベル七十以上になったプレイヤーが無条件で受けられる共通クエストの報酬なのである。この動く家は少々特殊で、その中身やデザインを課金によって変化させることが可能なのだ。
ナハトの拠点は、小さな入り口を潜ると中は広い異次元空間となっていて、空は色鮮やかな星々が彩る夜空の部屋となっている。幻想的な星の明かりだけで、周りは少し薄暗いが雰囲気があってそれがいい。球状の空間は、宇宙の一部を閉じ込めたかのような場所だった。
透明な床は温かいだけでなく、座っているだけでMP回復量増加の効果があったり、ソファーには疲労軽減の効果があったり、素材を収納できる倉庫があったり、お金を預けておける金庫があったりと、重課金のおかげで、色々と充実している。
三次転職とこの動く家入手クエストは、七十レベルに到達したら真っ先に受けるクエストなのだ。
ナハトはアイシャを伴い動く家に入ると、中へ招き入れたクリスタに、席に座るよう促した。
「貴方、本当に何者? こういっちゃ悪いけど、神様だって言われても納得してしまいそうなんだけど……」
幻想的な空間に立ち入ったクリスタが少しだけ驚きを顔に出しながら言った。
「はは、面白い冗談だ。半分は同じ人だぞ? 気さくにナハトちゃんと呼ぶが良い」
そう、ナハトが言った途端、どす黒いプレッシャーがクリスタへと向かった。
そこには表情に影を落としたアイシャがナハトにしがみ付きながら、殺気に近い視線を向けていた。
「い、いや。遠慮しておこう。で、ナハト殿、私をここに呼んだ用件を伺おうか」
ナハトは相変わらず能面のようなクリスタの顔を、ゆっくりと見た。
少しだけ表情を引き締めて、ナハトは口を開いた。
「報酬を貰おう、貴様の命と、その仲間どもの命のな」
流石に何の財も持っていない奴隷達から何かを取り上げることはナハトはしない。
だが、彼らは一流の冒険者だ。
プロとして仕事をしている以上対価は要求させて貰う。
「了解した。できる限りのことはしよう。私はこれでもA級だ。貴族レベルの私財は持っている」
クリスタはあっさりとナハトの要求を受け入れる。断わる理由は何処にもないし、断わるほど恩知らずなわけでもない。だが、力があり、財があり、家があり、居場所があり、美貌があるナハトに一体何を報酬にすればいいのクリスタには思いつかなかった。
「金はいらんさ。あー、いや、もし街に入るために金がいるならそれは払ってもらうが、大金はいらん。私が貴様らに要求する報酬は二つだ」
この世界の通貨など、手に入れようと使い道などほとんどナハトにはない。
ナハトは足を組みながら、クリスタに言う。
「一つ、今回救出した奴隷共が自立した生活を送れるようになるまで最低限度の支援を行うこと。もう一つ、私がA級冒険者のお前が手も足も出ない相手であり、デュランを倒した少女であるという噂を街中で広めること、だ」
前半はただのお節介だ。
盗賊に捕まった女達がまともに生きていけるとは思えない。そこには社会復帰するための支援が必ず必要になるだろう。せっかく、このナハトが手を貸してまで助けた命だ。つまらぬことで死んで貰っては寝覚めが悪い。
二つ目は、無駄なちょっかいを回避するために講じる一手である。
ナハトは歩くだけで人を引き寄せる魅力がある。何せ見た目は超絶美少女であり、当然ながらちょっかいを受けることになるだろう。
ならばいっそ喧伝する。
ナハトが強大な力を持っていると周囲に知らしめる。
最初は冗談かと思って近づいてくるバカもいるだろうが、一組、二組とボコしていけば、周りも愚かな真似を控えるようになるだろう。
ナハトは己を偽ることをしない。
それはナハト自身を否定する行いであり、相川徹はナハトとして、全力で生きていこうと決めているのだ。たとえそれがトラブルを生むことになっても、偽りの中で生きていくことは御免だった。
「それだけか?」
クリスタにとってそれは報酬として成立していない。
まず、A級冒険者パーティの命の値段はそこまで安くない。A級にもなれば、彼らは一年で村単位の人間が一生を遊んで暮らせる金銭を稼ぐことができる。であるならば、一つ目に関してクリスタたちは手間がかかる程度で何も失うものはない。
二つ目に関しては論外だろう。冒険者は基本的に依頼に対しての報告義務を負っている。デュランのことも、ナハトのことも、依頼失敗、またその報酬をナハトが受け取るべきだと説明する気でいた以上、噂などあっという間に広がるのだ。
だが、ナハトにとっては、それだけで十分なのだ。
逆に、他に欲しいものなど何もないのだから。
「ま、そう身構えるでない。だが、お前がそれでは等価として釣り合っていないと言うのならば、もう一つだけ要求しようか」
ナハトはそっと、視線をアイシャに向ける。
不思議そうに首を傾げるアイシャから視線を逸らして、再びクリスタを見つめた。
「アイシャの母の情報が欲しい。名は確か、フローリアと言ったか」
「ッ! ナハト様、それは……」
驚愕に染まったアイシャが少し強い視線でナハトを見た。
「エルフの女性で、きっとアイシャに似て美人だろうな。お前の顔が利く限りでいい。情報があれば私に伝えて欲しい」
ナハトの言葉にクリスタは一つ頷いた。
勿論、これでも対価としては不十分だとは思うが、ナハトが後一つといった以上、これ以上クリスタのほうから不満を口にすることはない。
「了解した。我が名を持って約束しよう」
クリスタが動く家から出た後は、膨大な空間にナハトとアイシャだけが取り残される。
星が流れて消えていく。
そんな静かな輝きだけが場を照らしていた。
夜闇に映るアイシャの顔がナハトにははっきりと見て取れた。
「不満か?」
「……いえ、そんなことは…………」
口ではそう言っていても、アイシャは酷く不満そうだった。
彼女は母親の顔をほとんど覚えていないそうだ。
物心ついた頃には、父と二人で暮らしていた。
「母は嫌いか?」
「…………はい」
アイシャは母に捨てられたという認識を持っている。
それは当然なのだろう。
悲しいとき、辛いとき、同じエルフの血を引く者として一番傍にいて欲しい人間がいてくれないアイシャの悲しみは理解できないわけではない。
「だが、生きている可能性がある。肉親と出会える可能性がある。私にはそれがない――羨ましいものだ――」
それは相川徹だった頃の記憶の残滓だ。
一人暮らしをしながら大学に通っていた徹は結局両親に何も言うことなく死んでいる。
彼女と同様、父には何の恩返しもできていない。
両親には、何も伝えれていないし、何もできていない。むしろ、両親よりも早く死ぬなど、きっと最大級の親不孝に違いないのだ。
そんな思考が浮かんでしまったのか、ナハトの顔は少しだけ暗かった。
「ナハト様…………」
だが、彼女にはまだ肉親がいる。
それも彼女の父が愛した女だ。そうであるなら、ただ無責任にアイシャを放っておいたというのはまずあり得ないだろう。
「不満があるなら会ってから言えばいい。文句があるなら会って喧嘩をすればいい。経験する前に否定するのは勿体無いぞ、アイシャ。――まあでも、色々と悩ましいのも分かるさ。なに、時間はある。ゆっくりと整理するといい」
「…………はい」
ナハトはそっとアイシャを見つめた。
この世界に来て、得た大切な繋がりだ。
きっと、彼女と出会えたからこそ、徹はナハトとして前に進めるのだろう。
「アイシャ、一緒に眠るとするか」
真っ赤になって慌て始めるアイシャの姿をナハトは口元に笑みを浮かべて見つめていた。
◇
自由交易都市の中央区。
喧騒が止むことなく、人の出入りが激しいそこは別名中立区とも呼ばれ、冒険者ギルドなどの公共的な施設が多く集まる場所だ。
一際巨大な建物の最奥、ギルド長の執務室で、難しそうに頭を捻る男の姿があった。
「いかがいたしますか、ギルド長」
眼鏡をかけた少女が言う。
「…………むぅ」
だが、それに明確な答えを持っていない冒険者ギルド長――ニグルド・ハウルは沈痛な面持ちで頭を下げる。
「いかがいたしますか、ギルド長」
「……ぐぬぬぬぬ」
手元に並べられた無数の報告書を幾ら眺めたところで、良案など浮かぶはずもない。
「はよ決めろや、糞爺っ!」
眼鏡をかけた少女、イリナは手に持っていた分厚い本の角を容赦なく振り上げて、一切の慈悲なく振り下ろした。
「痛い、痛いから、勘弁して! ていうか、ワシこれでもギルド長だぞ、偉いんだぞ! なのにお前という奴は――」
続きを口にすることはできなかった。
容赦なく振り上げられた本がギラリと刃を除かせているからだ。
「分かった、ワシが悪かった。だから許して欲しいぞぉ! いえ、許してください!」
「では、いかがいたしますか。A級冒険者氷帝クリスタ・ニーゼ・ブランリヒターは盗賊討伐の依頼を受け、一週間がたった今現在帰還しておりません。また、ヨルノ森林での魔物が活発化しているとの報告が多数寄せられております。新人冒険者では既に七名の被害が出ており、報告された魔物も高位の鬼、腐魔女などが複数体森に現れたとされています」
まだ幼い印象の残るイリナは身に余る果実を腕で支えながら、冷静にニグルドに言った。
「前者はもうしばらく、A級冒険者を信じる。クリスタは常に冷静じゃ。トラブルが起こったとしても、自力で乗り越えるじゃろう。もう三日帰還せぬようならば、B級冒険者を斥候として調査させよ。そして森の件だが…………お前はどう見る?」
ニグルドは一流冒険者でも身震いするような鋭い視線をイリナに向けた。
だが、まるで動じる気配のないイリナはただ冷静な意見を述べる。
「考えられる可能性は二つ。強大な魔物の固体が現れ、深層の魔物が生きる場所を失った可能性。もう一つは、魔素が何らかの要因で溜まり、吸収した固体の活動が活発化した可能性」
「ふ~む、それだけならば、どうにか対応できるじゃろう。仲の悪いあの貴族も私兵を動かすことだろうしな」
「何か心配事でも?」
そんなイリナの言葉にニグルドは難しい表情を浮かべた。
「ただの勘じゃ――だが、嫌な予感がする――」
イリナは眼鏡の奥に瞳を隠した。
そして、馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、あり得ないであろう最悪の可能性を口にする。
「万が一、億が一の話ですが……古の封印が――泉の封印が解かれたとすれば…………」
魔物が活発化している現状も理解できる。
古代魔族と呼ばれる古き魔族は魔物と親和する能力を持つ者もいるという。
だが、今ではただの伝説だ。
口にして馬鹿らしくなってくる。
「もしもじゃ、もしも何らかの要因で解かれたとすれば、お前はどうする?」
「逃げます」
イリナは即答した。
「今自由交易都市にはA級が二人おる。ワシも元A級じゃし、お前さんもA級に劣らぬ。二つ名持ちのクリスタがいるとして、それでもか?」
「はい、自殺行為だと思います」
古代魔族の逸話は多くあるが、最も有名なのはドラゴンと刃を交える伝説だった。
実際現存する古代魔族と戦った経験を持つ者は、『出会えば死ぬ。俺は運が良かった』と言葉を残していた。
「そうか…………まずは森の調査じゃ。C級以上のパーティに森の探索をやらせろ。魔物の討伐もじゃ。加えて、ハウスマンを呼べ。あ奴に泉の捜査を命じる」
ニグルドの命を受け、イリナはそそくさと動き出した。




