緑の軌跡(2)
エルフの恋は、炎のように熱く、激しいものなのだ、と。
いつだったか、族長様が言っていた。
フローリアの弟子であるユリスも七十年近くの片思い――それも、当人には全く気付かれない恋を続け、劇的な告白と共に結ばれた。
命を燃やすかのように火を呼んで、愛する者を守るために戦ったユリスの恋は、まさに炎そのものである。
それに比べれば、自分の恋は火でも、熱でもない。
例えるなら、底の見えない深い穴。
そんな穴の中へ、瞬く間に吸い込まれ、落ちていった。
理由をつけようと思えば幾らでも思いつく。
命を救われた、だとか。
虎の子のポーションに、高価な薬、その両方を惜しげもなく使ってくれた、だとか。
落ち込んでいる時には親身になって話しかけてくれた、だとか。
思わず泣いてしまうと胸を貸してくれた、だとか。
ほとんど動けない自分を懸命に介護して支えてくれた、だとか。
だが、そんなことがどうでもよく思える程、
「お、もう大分良くなったみたいだな。よかったよかった」
ただ、ローランドの声を聞きたい自分がいた。
感情に裏表があることなど知らないような無邪気な笑みだ。フローリアが回復するたび、嬉しそうに笑ってくれるローランドの笑みをもっと見たいと思う自分がいる。
この人のために、生きたいと思う自分がいるのだ。
これが恋なのだと、そう心が叫んでいた。
四百年越しの初恋なのだ、とそう言えば――きっと族長様なんかに、ちょろい、なんてバカにされるのだろう。
だが、それでも、この気持ちを言葉にするのならば
「――あなたが好きです」
それ以外にない。
一度自覚をすれば、エルフは積極的になるものなのだ。
自分の意思で動けるようになるまで回復すると、すぐに思いを伝えて、半ば襲うようにフローリアはローランドへ迫った。
「ちょ、え、ま――」
何分初めてのことである。
気恥ずかしさは確かにあった。
だが、どの道、動けなかったときに全部見られてしまっているのだ。だから、開き直ってローランドを襲った。
ローランドが抵抗しようと思えば、簡単だろう。
フローリアは病み上がりなうえ、ほぼ切断状態にあった右手は癒えた今でもピクリとも動かないのだから。
だが、抵抗するどころか、フローリア以上に気恥ずかしそうにしているローランドは満更でもなさそうだった。
顔だけは良い、なんて皮肉られた容姿にこの日ほど感謝したことはない。
暗い宿の一室で、二つの身体が重なった。
◆
死に瀕したあの時、ローランドが駆けつけてくれたことは、フローリアの人生において一番の奇跡だ。
パーティの生命線ともいえる回復薬を躊躇いなく使うローランドでなければ、フローリアは助かっていなかったであろうし、
「まあ、ご祝儀ってことにしておいてやる」
「バカ、アホ、カスのローランドはともかく、貴方は何も気にしなくていいわよ――むしろ、あいつを抱え込んでこれから苦労するだろうから、応援するわ――頑張りなさいよ」
彼のパーティメンバーでなければ、パーティの資産を食いつぶす原因となったフローリアが受け入れられることもなかっただろう。
紅一点のベリンダは二十歳の若さにして百の年を重ねた耳長族に並ぶほどの魔力を持っていた。
感情的な一面はあるが、それ故に情には厚い。
魔力の鍛え方や魔力回路の広げ方を教えると、瞬く間に仲良くなれた。
貴族で、槍使いのルドウィンはパーティの財布や交渉を預かる影のリーダーだ。
祝儀と言って、回復薬だけでなく、ローランドと共に住む場所を交易都市の傍に用意してくれたことは、幾ら感謝してもし足りない。
「これで、借りが一つ返せた――何かあれば、また頼れよ――」
「ふん、あたしは貸しにしとくから、いつか返しに来なさいよ――」
多くの人に支えられ、新しい居場所で、ローランドとの間に子をもうけることができた。
フローリアの手の中で元気に泣く小さな命は、フローリアが生きた証そのものだった。
無様に生き残り、浅ましくも生にしがみついたフローリアが正しかった証明だった。
愛する夫に肩を支えられながら、愛しい娘を抱き、動きの鈍い右手で撫でる。
これ以上ない幸福。
だけれどそれは、別れの時がすぐ傍にまで迫っていることをを暗示しているのだった。
◆
剣と剣がぶつかり合う。
産後の運動を兼ねて、ローランドと剣を打ち合う。
フローリアの夫は、才能の塊だった。
片腕とはいえ、魔力で十全に強化したフローリアとまともに剣を打ち合えるのだから。
それも、ほとんど魔力を持たないローランドは純粋な身体能力と技量だけで、それを可能としているのだ。
「ぐっ、ぬっ、ぐわっ――」
吹き飛ばされたローランドが盛大に倒れ込む。
仮に、ローランドがフローリアの十分の一でも魔力を持っていれば、立場は逆となっているはずだ。
「ぬぐ……俺の嫁さん強すぎだろ……父親としての威厳が…………」
なんて落ち込むローランドだが、そもそも、四百年の時間を守り人としての鍛錬に充てたフローリア相手にたった二十年の時間しか生きていないローランドが技量で迫れること自体が異常なのだ。
きっと、彼は人一倍戦の神に愛されているのだろう。
「で、どうなんだ、右腕は――剣の支えにするには十分なように思えたが――」
フローリアはぼんやりと動く右手を幾度か、開いて、閉じる。
「まだまだね――アイシャを撫でてあげるので精一杯だわ」
癒えてなお動かない右手には、微かな光が集っていた。
その身に精霊を宿らせて、意思を通わし、操作する。
精霊の右腕――そう呼ぶべきフローリアの右手は半ば魔力で再構成された別物と化していた。
意思で動かせるようになるまで一年と半。
実戦で使えるようになるまで、長くとも数年だろう。
だから、フローリアは口を開いた。
「…………あのね、あなた――」
覚悟を決めたフローリアが言うよりも早く、
「行くんだろ? 知ってるよ」
何でもないようにローランドが言った。
「っ――なんで――」
「分かるよ、もう一年以上一緒に暮らしてんだぞ? お前があの日からずっと、故郷を按じてんのは分かってるさ。だから、ずっと、また戦えるようになったら故郷に戻るつもりだったんだろ?」
見透かしたように、ローランドは言った。
「…………いつもいつも、あなたはずるいわ――」
拗ねたようにフローリアが言う。
ずっと、フローリアは幸せに葛藤していた。
悲劇の後に訪れた幸福、だが今もなお里は苦しみの中にあるのだろう。
フローリアは守り人だ。
里を守る第一人者がそこにいなくてどうするのだ、と。心のどこかで声が上がる。
戦えないことを言い訳にしていた。
ケガをして、後遺症が残って、その治癒に使う時間をアイシャとローランドと過ごせて嬉しいと思う自分がいて、苦しくなる。
「ごめんなさ――」
「どあほう!」
「――ぃたっ」
フローリアの言葉を遮る様に、優しくでこを叩かれた。
「なんも間違っちゃいねーよ! 幸せになりたいことも、幸せでいたいことも、間違ってなんかいねー! でも、それでも、お前に心残りがあって、それを解決しなきゃ、本当に心から幸せになれねーってお前が感じてるなら、悔しいけど、見送ってやる」
微かに震える声で、強がりながらローランドはそう言った。
幸せのままでいたいと願うフローリアの気持ちが間違っていないと、声を上げてくれる。
お前を幸せにできなくて悔しい、と声を上げてくれる。
いつもそうだ。
大切なことは、全部教えて貰ってばかりだった。
これ以上を望むことが申し訳なく思うほど、フローリアはローランドに幸せを貰っているのだ。
「だから約束しろよ! 必ずここに戻って来るって。俺も約束する。お前が返ってきて、家族三人で心から幸せに暮らせるようになるまで、必ずアイシャとこの場所を守る」
「――うん、うんっ、うん! 約束、する――絶対二人の元に帰ってくる――だから、ちょっとの間、留守にするね」
「おう、待ってるさ、いつまでもな」
そう言って、いつものようにローランドは笑った。
マグコミにてあまねかむらぎ先生のコミカライズが始まりました。
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web版も更新していきますので、自宅待機の暇つぶしにして貰えれば嬉しいです。




