戸惑いの親子
宝石のように輝く長髪がふわりと浮かび上がった。アイシャよりも少し薄い金の髪だ。
十人が十人、美人と断言するだろう美女に何故かアイシャが抱きしめられていて――しかも、豊かな双丘を顔に押し付けられて、息が苦しい。
なのに、アイシャは何故かその手を振り払おうとは思えなかった。
花開く笑みを浮かべて、涙をこぼすその女性は、心底嬉しそうにアイシャを抱いていて、アイシャはされるがままである。
そんな混乱の状況で、
「あー! フローリアだ!」
シュテルの声がどこか他人事のように響いたのだ。
(え、ふぇ、え――?)
泣き笑う女性と目が合う。
記憶の奥底で揺れる瞳の色が、そんな瞳から零れる涙が、霞がかった何時かの情景と重なって、何故か強く胸が痛んだ。
胸を刺すような強い痛みは、きっと動揺なのだろう。
狼狽する心がそんな動揺を口にする。
「――おかあ、さん?」
「うん……! うん! うん!! アイシャ――! ずっと、ずっと、貴方に会いたかったわ、私の可愛いアイシャ――」
あらん限りの感情を表現するかのように、アイシャを抱きしめ続けるフローリア。
戸惑いのあまり、何も反応することができないアイシャの目の前で――思い出したかのようにフローリアの目がシュテルに向く。
「――え?」
涙で濡れた目を擦り、思わず二度見をしたフローリアは、
「え? え? ええええええええええ!? ぞ、族長様? なんで、え――嘘、お化け!?」
ようやくシュテルの存在に気づき、盛大に叫んだ。
「ぶぅー! 久しぶりなのに、フローリア失礼!」
「え、え、え? 族長様、キャラ変えた? 腕も……付いてる…………やっぱり……ぅぅ、ごめんなさい、族長様……間に合わなくて……でもきっと、里は救って見せるから! だから祟らないで! 成仏してください!!」
「ぶぅー、生きてるもん! それに、フローリアもくちょう、変じゃん!」
不満げなシュテルを拝み始めるフローリア。
アイシャは何一つとして状況を飲み込めぬまま、呆然と取り残されていた。
(この人が――お母さん……?)
長く艶やかなプラチナの髪から飛び出した、つんっとした耳は間違いなくエルフのものだ。
女性らしい成熟した体に、羨ましくなる豊かな胸。アイシャと本当に血がつながっているのか疑ってしまうほどに、蠱惑的な人だった。
「って、こんなことしてる場合じゃない! 逃げるわよ、アイシャ!」
「ふぇ、え――ちょ、何を――」
アイシャの手を握って、慌てて駆け出そうとするフローリア。
「どうしてアイシャがこんな危険な場所にいるのかは知らないけど、他の魔族が来る前に、逃げないと――だから、速く――」
「ちょ、ちょっと! 待ってください――アイシャは――」
だが、アイシャが何かを言うよりも早く、フローリアはアイシャの手を強引に引いて、そのまま小さな体を抱き上げてしまった。
「――ごめんねアイシャ、話は後で聞くから――族長様の幽霊は……うん、まあ、一応ついてきて……!」
強引に抱き上げられたアイシャが駆け出そうとするフローリアを制止するよりも早く、
「まあ、待つが良い――そう心配せずとも、既にこの場は貴方にとって世界一安全な場所なのだからな」
そんな声が降り注いだ。
「ナハト様っ!」「ママっ!」
ナハトはその背にぐったりとしたルナーナを背負いながら――いや、引き摺りながら、悠然と空に佇んでいた。
「うむ、愉快な用事も片付いたが故に、アイシャとシュテルを迎えにきたのだが――何故かルナーナが飛んできてな、珍しい天気もあったものだ」
なんて惚けながらナハトは言う。
「っ――! 貴方はいったい何者――? 魔族、なの……?」
「ふふ、そう警戒しないで欲しいな。何処にでもよくいる普通の龍人だぞ、私は――」
圧倒的で、底知れぬ存在感を放つナハトがただでさえ訳の分からない混沌とした場に油を注ぐ。
「――初めまして、アイシャの母よ。私の名はナハト、気さくにナハトちゃ、いやナハトさん、いや婿殿、いやいや呼び捨て――むう、悩ましいが、まあ、好きに呼んでくれていいさ、お義母様」
「――――は? ……は?」
真っ赤に染まるアイシャはお構いなしとばかりにナハトは言う。
状況を飲み込めないフローリアはアイシャを抱えたまま、戸惑いの声を上げる。
「……お義母さん……? 誰が、誰の?」
にっこり、と。
誰も見惚れるであろう笑みを繕ったナハトが言う。
「貴方が、私の、だが?」
「認めません!! 大体貴方、女の子じゃないですか!!」
「ははは、真実の愛に性別など些細な問題さ」
「そもそも! アイシャが今何歳か知ってるんですか!? まだ二十歳ですよ! 人間なら二歳の子供なのよ!? 結婚なんて認めません!!」
「うむ、案ずるな。認めて貰えるよう何度でも、幾らでも私は努力しよう!」
「ぶぅー! みとめなきゃ、めっ! フローリア!」
「族長様っ!?」
「――――ていうか、いい加減降ろして欲しいんですけど…………」
混沌とした状況の中で、抱きかかえられたままのアイシャが不満げに言う。
「というか、それよりも! ルナーナさんは大丈夫だったんですか? その、ぐったりしてますけど」
フローリアの手を振り払ったアイシャが、ナハトの背で伸びるルナーナを見て言った。
「うむ、流石は私の龍技を耐えた女だ。回復薬を使うまでもなく、外傷はほとんど癒えているぞ」
「ほっ……そうですか! 良かったです!」
なんて嬉しそうに言うアイシャに戸惑う者が一人いた。
「え、アイシャ、その魔族と知り合いだったの……?」
「はい、というか、どうして急に襲いかかってきたのですか!?」
「え、だって……それは……アイシャが魔族に連れ去られているのかと思って…………」
「街を案内して貰っていただけです! 後でちゃんと謝ってくださいね!」
「……ぅぅ、だって、訳が分からないじゃない……フロリアでローランドと暮らしてるはずのアイシャが危険な魔大陸にいて、しかも魔族と観光してるなんて、意味が分からないわ…………」
「……そっちだって……いつの間にかいなくなってて! ずっとずっといなくなってて! 急に、目の前に現れて、意味が分からないですよ…………」
思わぬ再会に、距離が分からないのはお互い様なのだとは思う。
独り言を呟くように、壁に向かって不満を口に出すように、アイシャはそう言う。
「ふむ。まあ、予期せぬ再会で、二人とも話すべきことは多くあるのだろう――ならば、少し場所を変えようか」
ふと、辺りを見渡せば、嫌でも盛大に荒れてしまった大通りが目に映る。
がやがやとした魔族たちの喧騒はそう簡単には収まらないことだろう。駆け付けたフィルネリアと伸びていたルナーナを叩き起こして、悪びれることもなく慣れきった態度でナハトは事後処理を押し付けていた。
「いいの? 今の私はどう考えても、魔族の敵なのよ?」
「うむ、私はアイシャの味方だ。つまり貴方の味方でもある。既に決闘都市の領主と話はつけた後だからな。快適な宿を提供しようじゃないか!」
なんて誇る様にナハトは言うのだった。
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