王前闘技場
魔族社会は弱肉強食だ。
その頂点に立つ魔王が秩序を築いているからこそ、確かな治安とルールがある。
そんな魔王の地位でさえ、力づくで奪い取って構わないというのが魔族たちの共通認識なのである。
だから、三天の位も奪い取って構わない。
クラナは常々そう口にする。
三天なんて仰々しい呼び名がついているクラナだが、元々は、
『やべぇ、俺の娘、マジ天使!』
などと騒ぎ立てていた父の言葉を伝え聞いた誰かが、天の使いに違いない、だの、天に比肩しうる、だの勝手に言い出して、時代の流れで何故か、三天なんて称号になってしまったものなのだ。
だから猶更、奪いたいならどうぞ、と思わずにはいられない。
クラナに挑もうとする魔族は数多くいた。
そんな魔族たちを選別するために、破軍の頂点であるカグヤは言った。
『私たち破軍を全員同時に相手して、傷一つ負わずに勝てるなら、三天に挑んでいいんじゃない?」
魔王の血族以外の人物で、その資格を十分に満たそうとしていた人物はただ一人。
リナリア・オルガニア。
クリムゾンの陪臣、その中でも最も過激な主戦派であるオルガニアの一人娘。
突然変異を起こしたかのように常人から乖離した圧倒的魔力の持ち主で、普段から魔力を抑制する仮面を身に着けていた不可思議な女だった。
クラナに挑むその直前になって、兄が介入して側近に引き上げた実力者だ。
兄以外の命令を受け付けない独立戦力であり、大陸において個人の裁量で動く権限を有していたリナリアは、亡き父の血族で固められた魔王軍の中では完全に異端者だった。
魔王を名乗る兄でさえ、
『うーん……まあ、命懸けなら倒せると思うよ』
相打ちを覚悟して挑む実力者であった。
だからこそ、兄は戦争を推進するリナリアを大陸に送ることで、魔大陸の秩序を保とうとしたのだろう。
(納得はしてた――でも、そんなの不完全燃焼だよ!)
長きの間、親族を除けばクラナの実力に拮抗するほどの相手はおらず、ようやく訪れた戦いの機会を奪われてしまった。
だが、それも、妹の身や立場を心配する兄の好意なだけあって否定もしずらい。
クラナの鬱憤はたまるばかりだった。
クラナにとって他者と高め合う闘争は何よりのご馳走なのだ。
かつて、圧倒的実力者であった父と何度も何度も模擬戦をして、コテンパンにされて、対策を考えて、鍛えて、鍛えて、鍛えて、挑む。
そんな日々こそが、クラナにとって最も輝かしい日々であった。
戦うことが好きだ。
だから、他の兄妹たちと違い、その機会を生む戦争には反対ではない。
だが、戦争よりもよっぽど魅力的で、輝かしい者が目の前にいる。
闇夜のように暗く、それでいて何故か深く輝く長髪。金色に包まれた双眸は、この世ならざる魔力を発し、ただ悠然とクラナの前に立っていた。
ナハト・シャテン。
父の遺した伝言板でやり取りをしていた姉が、
『多分だけど、パパの知り合い……かなりやばい……あー! もうっ! 思い出すだけでむかつく……!』
なんて言うほどまでに、一方的に敗北した強者なのだ。
その上、暴走したリナリアを打ち取ったとフィルネリアは言っていた。
(ま、お父さんの知り合いなら当然か)
かつての勇者も、父を破るほどの実力者だったのだから。
そんな存在と真っ向から戦える。
これ以上に嬉しいことなどない。
姉の話を聞いたその時から、クラナはこの邂逅を待ち望んでいたのである。
「じゃ、始めよっか」
父のくれたリボンで髪は結った。
制服のようなシャツに、リボン、パーカーに、ニーソックス。全部全部父に甘えて、貰った装備だ。
それに、一振りの剣。
準備は万端で、闘気も満ち満ちて、油断などなかった――はずだった。
「うむ、では――行くぞ?」
ぞわり、と。
本能が警告を発した。
直感に任せ、剣で、腕で、身を守ろうとしたその瞬間。
クラナは衝撃と共に、宙を舞っていた。
◇
懐かしい。
それが、クラナに王前闘技場へと案内されたナハトが抱いた最初の感想であった。
広い、長方形の空間にに並び立つ無数の柱。シンプルな石細工の空間。その中央に、浮かび上がる紋様があった。
それは、翼のように見えた。
天使のものかのようで、そうではなく。
悪魔のものかのようで、そうでもなく。
龍のものかのようで、そうでもなく。
かつて、ナハトのいた世界――リアル・ワールド・オンラインの世界で、始まりの神が持つと言われていた翼の紋様。
ゲーム時代に闘技場と言われる施設には、必ず始まりの神の紋様があった。
ゲーム世界の創造主である始まりの神の力は、ゲームの設定に深く根差したものだった。
闘技場の設定による、HP全損の無効化もその一つ。
ギルフィアの王前闘技場は、まず間違いなく大天使さんが作ったものだろう。
だから、この場の決闘では死者がでることがない。
「じゃ、始めよっか」
闘気を立ち昇らせたクラナが言う。
心の底から嬉しそうで、楽しそうなクラナを見て、ナハトもどこか楽しげに笑う。
実際、ゲーム時代を彷彿とさせる決闘に湧き立つ気持ちがある。
だが、それ以上に、ナハトは清々しい気持ちだったのだ。
「うむ、では――行くぞ?」
何せ、この場では、普段から細心の注意を払って行っていた、手加減をする必要がないのだから。
ナハトは極限まで鍛え上げたAGIの赴くままに地を蹴り抜き、世界を置き去りに一人加速する。
「龍技――神龍一閃――」
ゲーム時代にはほぼダメージ判定に影響を齎さなかった物理的な速度、そこに技能による攻撃値の加算、さらにはアガムとの決闘で使用した技能への魔力の上乗せ。
この世界で、ナハトが武器とできるようになった要素を掛け合わせ、放った一撃はあっさりとクラナの身を貫いていた。
閃光のように煌めく技能の燐光。
遅れて訪れた圧倒的衝撃が、大地を抉り、立ち並ぶ柱を崩す。
盛大に吹き飛んだクラナは、当然無事ではいられないはずだった。
「あはっ……! あははははははははははは、さっすがお父さんの知り合いだ! すっごい! 凄い! ああ、もう、たまんないっ!」
薄い緑色の光がクラナを包む。
クラナがツインテに髪を結った慈愛の髪飾りの救命効果が、ナハトの負わせた大ダメージを回復させたのだろう。
「崩れて、破鏡刃っ!」
クラナの呼びかけに応え、その手に持つ刃が無数に崩れていく。
輝きを放つ小さな刃は千にも及ぶ。
その全てが、攻撃力の低下を受けることなく、ダメージ判定を齎す理不尽。
かつて、虹の架け橋で攻撃隊長を務めていたとある漫画家が使っていた古代級装備、破鏡刃。
ナハトにとっても、間違いなく脅威と言える力である。
(幾ら娘が可愛いからって、なんてものを持たせているんだ、あの人は――)
連載が決まったので引退する、と。
そう言って、去っていったギルインの装備をギルマスである大天使さんが持っていることは必然と言える。
「ふふっ、うふふふ、あっはははは! さあ、存分にっ! 死合いましょう、ナハトちゃんっ!」
無数の刃が乱回転する剣を握るクラナが大上段に振りかぶる。
刹那。
反撃とばかりに迫る致死の刃が、ナハトを飲み込んだ。
ネタキャラ転生の二巻が2月10日に発売します。
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