報告
「で、なんなのよ、あの女」
いかにも不機嫌ですといいたげな表情で、メアが言う。
老いを知らぬ吸血鬼は美女が多いと言われるが、メアはその中でも群を抜いていた。
庇護欲をそそられる小さな肢体が、黒塗りのドレスから覗いている。嗜虐的で、勝気な瞳はフィルネリアを睨みつけて離さない。
「……あの……その、えっと……なんなんでしょうか……ほんとに…………」
知れるなら、そんなことは自分が一番知りたい。
それがフィルネリアの本音だった。
仮面の魔導士の暴走によって、敵対関係にあったエルフの里に突如として現れ、里を覆う呪いを一瞬にして払うと、破軍であるガイルザークが率いる魔王軍が撃破された。
異変に気付いて助けにきた、というよりは、事実を知る者全てを殲滅しようとした仮面の魔導士の暴走を打ち倒し、三天や魔王様にしか開けない扉をあっさりと開いて、好き勝手に移動して、動くたびに厄介ごとに首を突っ込んで、その度にただでさえ少ないフィルネリアの睡眠時間を削る魔物である。
なんで、あんな奴が厄介者として辺境に送られたはずのフィルネリアの前に現れたのか。
神様に文句の一つでも言ってやりたい気分なのだ。
「何よ、この私に隠し事をする気? いい度胸ね――」
そう言って、フィルネリアを見るメアの瞳が深く染まる。
「っ――! あぅ……」
「あら、流石に夢魔なだけあって強情ね――」
ナハトはメアの魔眼をまるで意にも介していなかったが、あれは完全に例外だ。
破軍の中でも姉と並んで精神支配や魅了を得意とするメアの魔眼は高い抵抗を持つフィルネリアでさえ揺らがせてくる。
「ほら、いい子――」
つま先立ちをして、距離を詰めたメアの細い指先がフィルネリアの頬に触れる。
すると、かっと、体が熱を帯びて、瞬く間に頬が紅潮する。
魅了のせいだ、と理性は叫ぶ。
それ以上に、ナハトのことなど何も知らない、と叫びたくなる。
だが、そんな思考も全て捨てて、この気持ちよさに流されてもいいんじゃないかと思えてしまうほどメアの魅了は強烈であった。
(……ていうか、なんでいつもいつも私がこんな目に…………あー、もう、腹立ってきた……!)
立場も弁えず、溢れ出る怒りを叫びそうになったその瞬間、
「はい、そこまで。ダメだよ、セフィリアの妹ちゃんをいじめちゃ」
響いた声と共に、不可視の小さな壁が触れていたメアの指とフィルネリアの頬を分断した。
「むぅ……カグヤ様、邪魔しないでよ。一度味わってみたかったのに、サキュバスの血」
「はぁ、メアは可愛いけど節操無しだから恋人ができないんじゃないの?」
「ぐっ……いくらカグヤ様だからって、言って良いことと悪いことがあるんですよ! あ、でもでも、カグヤ様なら私の恋人になってくれてもいいんですよ?」
「お断りします」
「即答っ!? あー、もうっ! どいつもこいつもなんでこの私の誘いを断るのよ!」
我儘で、欲望に忠実で、好戦的で、強い。
いかにも魔族らしい魔族であるメアと付き合う猛者はそうそういないだろう。
「はぁ、で――カグヤ様は知ってたんですか、あのナハトとかいう女のこと」
「さあ? クラナおばあちゃんは知ってたみたいだし、なんか戦いたくてうずうずしてたし、そんな相手に手を出すなんてバカじゃん」
「言ってくださいよ!」
「言わなくてもやばそうなのくらい分かるじゃん。てか、言った所でメアは手を出したでしょ?」
「……ぅぅ、だって美味しそうだったんだもん…………」
美味しそうなのは見た目だけで、絶対毒があるとフィルネリアは思う。
「ま、あのナハトとかいう人とフィルネリアちゃんの間に何があったかはゆっくりと聞くとして、せっかくの女子会だし恋バナでもしよっか」
緊張しっぱなしなフィルネリアを気遣ったのか、カグヤがそんなことを言う。
「そう言えば、いつもの御供二人がいないじゃん。ま、あいつらまずそうだしいっか」
「堅苦しいんだよね、シロウもギアンも――あ、そう言えばフィルネリアちゃん――」
破軍の頂点に立つ魔王の血族がフィルネリアを見た。
ごくりと喉をならしてしまったフィルネリアにカグヤは言う。
「夢魔なのに経験ないってほんと?」
「は――? えっ!? な、な、なっ! なんで――」
「うっそぉー! それマジ? じゃあ、猶更美味しそうじゃん!」
「ち、違います! ちゃんと、その、えっと…………ていうか、誰に聞いたんですか! その根拠のない話!」
「あはは、情報元は秘密だよ」
心当たりなど一人しかいない。
(あんのクソ姉貴、いつか絞める)
「ちょっと、フィルネリア。あんた、今夜暇?」
「暇じゃないです、忙しいです、バカな姉と迷惑な客人の対応をしないといけないので! そんなことより、あいつのことをお話しますので、この話は終わりです!」
「「えーー」」
幾ら破軍の二人とは言え譲れないものはあるのである。
大切なのは一に仕事、二に仕事、だから仕事の話をすべきなのだ。
「ふーん、じゃあ一応敵ってわけじゃないか……でも、まだどう転ぶかも分からない――」
フィルネリアがナハトのことを報告すると、カグヤは神妙な面持ちでそう言う。
そしてすぐに、
「うーん、話の通りの実力なら味方に引き込みたいし、魔王様の敵にならないよう動く必要がある。なら、うん、これからもフィルネリアちゃんには頑張って貰わないとね」
なんて言う。
「……え……い、いや、あの、私じゃなくても、もっと対応できる人が…………」
本音を言えば、報告をすれば、ナハトの扱いが破軍や三天の方々に移るかも、と期待しなかったわけではない。
それ以上に緊張と敗戦の追及に怯えてそれどころではなかっただけで、平穏無事にナハトの担当から外れたいとは常に思っている。
だから、カグヤの言葉は余りにも残酷にフィルネリアへ突き刺さった。
「メアとかルナーナにやらしたら二秒で関係悪化だろうし、セフィリアちゃんになら任せられそうだけど、ガイルザークの代わりもやって貰わないとダメだろうから無理だよね。手が空いてて、面識があって、融通が利いて、大人の対応ができる人材、フィルネリアちゃん以外にいるわけないじゃん」
そう言ったカグヤの瞳は何時になく強い。
面倒事をこっちに押し付けるな、とでも言いたげなカグヤを前にすれば、一部隊の参謀でしかないフィルネリアに拒否権はないのだった。
「ふん、あんな奴のことなんか別に気にかけてやんなくても、今頃クラナ様にボコされてるわよ!」
「と、二秒で降伏した誰かさんが申しております」
「カグヤ様っ!」
心底不満げなメアだが、ナハトのことを嫌というほど知ってしまったフィルネリアは想像することさえできなかった。
あの理不尽極まる化物が、誰かに敗北している姿など。
ネタキャラ転生の二巻が2月10日に発売します。
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