ナハトの噂
決闘都市ギルフィアは今、一つの話題で持ち切りだった。
曰く、決闘に乱入した一人の美少女が、破軍十二将を二人同時に相手取り、円形闘技場諸共薙ぎ払ってしまった、と。
だからこそ、当初の目的であった名を売る、というナハトたちの目標は大いに達成されたと言えるだろう。
予定とは若干、ほんの少し、極々僅かに、異なってしまったが、ナハトのとった行動は正しかったはずなのだ。
「なのになぜ……私は土木工事をしているのだ…………」
赤熱する溶岩地帯と化した闘技場に、一人佇むナハトは不満を口にする。
「ナハト様がバカをやらかしたからです」
何時にもまして冷たいアイシャの声が、結界を隔てた観客席から響き渡る。
「私は普通に戦っただけなのだが…………」
「どうして普通に戦ったら闘技場がマグマになってしまうのですか……どうせ、戦ってるうちに楽しくなって、調子に乗って、盛大にやらかしたのですよね」
見てきたように言うアイシャにナハトは黙る以外の選択肢がない。
「シュテルをおいってったママがわるいもん、ね~、パパ」
「はい、なのでナハト様はしっかりと責任をとってくださいね」
どうやら、ここにはナハトの味方は存在しないらしい。
二人は観客のように、お茶とお菓子を片手にナハトを見ているだけで、手伝ってはくれないらしい。
仕方がなく、マグマとなった大地を氷魔法で冷やしつつ、割れてぐちゃぐちゃになってしまった地面を土魔法でならして固める。
盛大に残留した魔力がしつこく抵抗をするせいで、ナハトも時間をかけて闘技場を直していかなければならないのだ。地味な作業はどうしても面倒に感じてしまう。
「まったく、誰がこんな厄介な事をしたのか」
「ナハト様です」
「おねえちゃん、泣いてたんだよー、ママめっ!」
シュテルの言葉が胸に刺さる。
事態を把握したフィルネリアはそれはもう恨めし気な瞳のまま号泣し、魔族の面々に見事な土下座をしていたのだ。
幸い、騒ぎが大きくなることはなかった。
領主であるクラナが、
『見事な戦いでありんした』
と、一言称賛すれば、魔族は歓声を上げて盛り上がって、ナハトの存在を受け入れてしまったのである。どこまでも単純な生物である。
最も、それなりに力のある破軍十二将やクラナに対してはそのままでいられるはずもなく、今もフィルネリアが懸命に説明と謝罪をしているところであろう。
鬼の形相を浮かべるアイシャにも、ちゃんと責任をとってくださいね、と釘を刺されてしまい、ナハトの逃げ道は塞がれたのである。
地味ながら高度な魔法を行使して、修復作業を続けるナハトに、
「…………ナハト様は戦士であられるのではないのですか……?」
監視という名目で見守っていたラミアの戦士、ルナーナが言った。
「ママはすごーいまほうつかいなんだよ!」
「…………魔法使い……軟弱な魔法使いに一撃で……あはは……わたくしなんて…………」
茫然自失で呟くルナーナ。
「むぅぅ、ナハト殿は某とも正面から打ち合っていたが……まるで本気を出してはいなかったのですな…………」
傍らでナハトを見ていたアガムも悔しそうに呻く。
ナハトはハンデをつけていたが、決して手加減をしていたわけではない。その上でナハトに傷を負わせたアガムはむしろ称賛されるべきであろう。
「ナハト様は色々と理不尽なので……その、比べない方が賢明です……」
アイシャがしみじみと言う。
「中々に楽しかったぞ、胸を張るが良い」
なんて上から目線でアガムに言いながらも手は動かし続けるナハト。
数十分の時間は取られたが、悲惨だった闘技場もまともな地面が広がる程度には復元されていた。ここまでやったのなら、もう最後まできっちりと仕事をこなそう。来た時よりも美しく、は日本人の基本なのだから。
「――どれ、おまけだ」
ナハトが大地を踏む。
それだけで、磨かれたように整地された白色の地面が広がった。
ルナーナを吹き飛ばして風穴が開いた壁には、戦士の像を埋め込む形で修復していく。同時に、辛うじて機能している防護結界に干渉し、魔力を込めて再構築もしておく。
淡い光が渦巻くように広がって、星のように流れて消える。
ものの数分で、美しき光景を取り戻した闘技場を満足そうに眺めたナハトはアイシャの傍まで軽く跳ぶと、満面の笑みで言う。
「さて、つまらない作業も終わったことだ。私にもお茶を入れてくれ、アイシャ」
◇
肉食獣に睨まれる小鹿のように震えながら、フィルネリアは裁定の時を待っていた。
和の国で見たような畳の間が広がる一室で、向かい合う獣人の少女こそ、クリムゾンの現領主であり、三天の一角、クラナ・リュート・クリムゾン、その人だった。
今は亡き初代魔王の血を濃密に受け継ぐその少女は、紛れもない怪物である。それも気まぐれなエリンや温厚なノアと違い、好戦的で力の信奉者とさえ思える振る舞いをすることが多々あるのだ。
その性格上、ナハトの乱入にそれほど腹を立ててはいなさそうだが、応対を間違えれば首が飛びそうな状況に変わりはないのである。
慎重に、言葉を選んでフィルネリアは現状までの説明をした。
「なるほど――ガイルザークは負けて、リナリアは裏切でありんすか――」
どこか悲哀の篭る瞳で、呟くクラナ。だが、それも束の間。すぐに、覇者が纏う威厳が浮かぶ。
フィルネリアは緊張のあまり唾を飲み込んだ。
心臓の鼓動だけが響く一拍の間。そしてゆっくりとクラナが言う。
「報告ご苦労様――もう行って構いんせんよ」
「へ…………あの、罰は……」
「お主は罰せられたいのでありんすか? 随分とまあ、変わった趣味をお持ちだこと」
少女の姿には似合わない妖艶で、嗜虐的な笑み。
フィルネリアは戸惑いながらも口を開いた。
「…………えっと、ほんとに、いいんですか……あいつ色々やらかしてますし、私が連れてきてしまったのも事実なのですが…………」
フィルネリアの言葉にクラナは笑う。
「そも、実力あらば戦いに臨むは必定。それを否定するなど魔族失格でありんすえ。咎むべきことがあるとすれば、闘技場を破損させたことでありますが、それも修復するとのこと――ならば、何も問題はありんせん」
クラナの決定に異を唱えることなどフィルネリアに出来るはずもなく、一礼の後退室する。
一人になったクラナは、息を吐き出して、自らの尻尾を枕にしながら盛大に寝転んだ。
「あれがお姉ちゃんが言ってた化物かー、成り行き何だろうけど、おじさんの仇も討ってくれたんだ」
嬉しそうに、楽しそうに、クラナは言った。
「まだ全然分かんなかったけど、強いことだけは分かる」
にんまりと笑みを浮かべ、天井に向かって呟くクラナ。
その笑みは、見た目に似合う純粋なものであった。
「色々と問題もあるんだけど、そんなことよりも――」
我慢なんてできないと、そう言わんがばかりにクラナの体が震えた。
「――あー、もう! 戦ってみたい!!」
◇
「いやー、あれはもう凄いなんてもんじゃねーんだよ! こんなちっこい女が、ルナーナ様をぶっ飛ばしちまうしよ、アガム様と殴り合いして勝っちまうんだぜ! 今日の試合、見てて正解だったなー!」
酒場にて、グラスを片手に男は言う。
ギルフィアで話題となっている謎の少女、ナハト。実際に、試合を見ていたものが自慢話をするかのように大声で語るのだ。
「さすがに盛りすぎじゃねーの?」
「いやいやマジだって! 闘技場もさ、なんかこう燃えちまって、クラナ様が戦った跡みたいになっちまってよう!」
「俺も見たぞ、やばかった! 傍にいただけで死ぬかとおもったぜ」
「くは、臆病者がいるぞ! 俺ならんな女、軽く握り潰しちまうっての」
「お前ができるならアガム様がやってるっての…………とにかく、だ! 俺はもう、ナハトちゃんのファンになっちまったぜ!」
嘘だと語る者や、実際に見たと反論する者。口々に盛り上がる中、誰かの手から零れ落ちたグラスが、高い音を響かせた。
「ねぇ、貴方――! 今、ナハトって言いましたか!?」
「あん? なんだい、仮面の嬢ちゃん、あんたも興味があるのかい?」
「ええ――詳しく、教えていただけますか」
噂が広がる酒場の床を、零れたワインが赤く染めた。
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