魔大陸へ
魔渡大社の奥深く。
幾何学模様が乱立する円形の不可思議な扉の前で、シュテルが全身を使ってヒユキに抱き着いていた。
「ほら、シュテル行きますよ」
「ぅぅぅ、もうちょっとぉー」
別れを惜しむシュテルは一向に離れようとしない。
「ほら、シュテルちゃん。また何時でも来ていいから、ね」
「そうそう~、お母さんに頼んだら~、きっとすぐに連れてきてもらえるよ~」
ヒユキがシュテルの頭を撫で、そんなヒユキの言葉に重ねてハルカが言った。
シュテルはしぶしぶ、ヒユキに絡めていた手足を解いて地面に足をつける。
「うむ、何時でも連れて来てやるさ――和の国は過ごしやすく、実に有意義な休暇だった。世話になったな」
「いえ、こちらこそ本当にお世話になりました」
「ふん、最後の最後でどこかの誰かさんがまたやらかしてくれたけどね」
憎まれ口を叩くヨゾラにナハトは笑う。
「美味かっただろ?」
「…………ノーコメント」
そう言って、そっぽを向くヨゾラ。
「まあでも、ありがとね、ナハトちゃん。また何時でもハルカの元に帰ってきてくれていいからね」
「っ! もう、ハルカさん!」
「あはは、勿論アイシャちゃんもだよ、何時でも来てね」
「…………はぁ、また遊びにきますね」
別れは何時までも尽きないが、そろそろ進む時間だろう。
ナハトは絶大な魔力を要求する扉に触れ、力を込める。
前回の転移で、和の国とエルフの里の扉は把握している。
後は、残された場所に道を繋ぐだけである。
「…………ほんとに行くの……?」
心底嫌そうな顔でフィルネリアが言った。
「もともとそのつもりだったからな。しかっりと案内を頼むぞフィルネリア」
「すみません、フィルネリアさん、よろしくお願いします」
「おねがいしますぅー」
ナハトたちの声に、フィルネリアはため息を一つ。
やがて、覚悟を決めたのか、ゆっくりと顔を上げたフィルネリアが言う。
「分かったわよ…………じゃあついて来て……でも、絶対大人しくしてね、暴れないでね!」
「努力はしよう」
「…………」
何かを諦めたかのような顔で、沈黙するフィルネリアがゆっくりと歩きだし、扉をくぐった。
「では、行くとしようか、アイシャ、シュテル」
「はい!」「あいっ!」
三人仲良く手を繋いで、ナハトたちは扉を抜けた。
ほんの数舜、暗闇に閉ざされる視界。
それはすぐに解放され、人工的な明かりが照らす広い空間にナハトたちは立っていた。
――だが、そこにいたのはナハトたちだけではなかった。
「…………あれ……これ、なんか凄いデジャブが…………」
ナハトたちを取り囲む大勢の魔族。
整備された空間で、各々の武器を向け、警戒していますと言わんがばかりにナハトを見てくる。
「おでむかえ?」
シュテルの声が、場違いに響いた。
この場所自体が軍事施設なのだろう。ナハトたちが立っている下には巨大な魔法陣がある。
和の国でも使ったサキュバスの得意とする幻覚の魔法陣だ。まだ、起動はしていないが、相当な年月と力が込められたこの魔法陣であれば、発動する魔法にアイシャやシュテルでは抵抗が難しいかもしれない。
「ふむ、ではここは私が――」
不安そうなアイシャの言葉を受け、ナハトが盛大に動こうとしたのだが、
「「ナハト様(あんた)はじっとしていてください(いなさい)!!」」
見事にはもる二人の静止に、項垂れるナハト。
「フィルネリアさん、これって…………」
「じっとしてて……多分、きっと、だいたい、大丈夫なはずだから…………」
「全然安心できないんですけどっ!?」
警戒する魔族たちの中、フィルネリアが一人前に出る。
「…………はぁ、もう、物騒な真似してないで、いるんでしょ! さっさと出てきてよ、お姉ちゃん」
そうフィルネリアが言うと、整列する魔族たちの奥から、露出の激しい女性が歩いてきた。
「も~、相変わらずフィアちゃんは不愛想で口が悪いんだから!」
「…………久しぶりに会った妹への歓待がこれなんだから仕方ないわよ」
フィルネリアが残念サキュバスだとしたら、目の前の女性は正統派のサキュバスだ。
腰をくねらせ歩くたびに揺れる巨大な二つの果実。理想と思えるほど整った体に、長く飛び出た尻尾。全身で色香を発しているような女性である。
アイシャがその瞳で、ナハト様は見ちゃダメです、と言っている気がする。
「まあ、幾ら家族でも警戒はしちゃうよね――底知れない魔力の主を先導するフィアちゃん、洗脳でもされてるんじゃないかって――」
「サキュバスを精神支配って…………まあこいつならやりかねないけど…………」
「失礼だな」
「できないの?」
「ふむ――やろうと思えば、可能だな」
そんなナハトの返答に警戒心を顕わにする魔族たち。
「ナハト様はもう黙っていてください!」
アイシャに強く言われ、小さくなるナハト。
仕方がないので、ここはフィルネリアに任せようじゃないか。
「まあ、私は支配なんかされてないし…………もしされてたら、さっきみたいなバカげた会話できるわけないでしょ」
「それもそうね、でもまだ弱いわ」
話すたびに、くねくねと色香を発するフィルネリアの姉。
たゆんと揺れる素晴らしい至宝を凝視していると、何故かアイシャに足を強く踏まれた。
「どっちみち、お姉ちゃんが何をしたって無駄だから――余計な怒りを買う前に、事情を聞いて」
「これ、エリン様をふらつかせた最高傑作なんだけどなぁ」
「無駄なことは、魔力を感じたお姉ちゃんも分かってるでしょ」
サキュバスは落ち込むように下を向いて、思考を纏めて再び顔を上げた。
「はぁー、分かった――フィアちゃんの言うことだもんね――もういいわよ、後は私がどうにかするから、皆解散~」
散り散りになって持ち場に戻る魔族たちを見送ったフィルネリアの姉は、艶やかな笑みを浮かべた。
「さてと、それじゃあ――」
ワキワキと手を動かし、後ずさりをするフィルネリアへサキュバスが飛ぶ。
「――ひっさしぶりやな~! 元気しとった? おっぱいおおきなったかぁ? んー、ええもみ心地やなぁ、我が妹ながら」
「ちょ、やめっ! おねえちゃっ、あんっ、いやぁ――」
「おほっー、ここがええんか、ここが」
「あんっ、あ、もう、ほんと、やめっ――やめんか、この変態っ!!」
「あべしっ!!」
フィルネリアの拳が盛大にめり込む。
地面に倒れビクンビクン震えるサキュバスは、なんというか、完全におっさんであった。
「もう、ひどいやんか! 久しぶりに姉妹会えて、スキンシップや言うのに」
「どこがよ! …………二度と触るな、色ボケ姉貴……!」
「サキュバスが色にぼけんで何にぼけるん? そんな初心やけん、サキュバスの癖にいつまで経ってもしょむぐぅうぅぅぅ――」
「はぁ、はぁ…………もう、黙ってて、お姉ちゃん……」
盛大に絡み合い、コントを続ける二人のサキュバス。
このまま見ているとアイシャの怒りを買いそうなので、一歩を踏み出し、ナハトは話を切り出した。
「さて、まずは自己紹介といこうか。私の名はナハト。親愛を込めて、ナハトちゃんと呼ぶが良い」
「――第一独立特務魔導大隊隊長、セフィリア・クロリスです。そこにおるフィルネリアちゃんのお姉ちゃんやで」




