決着の時
砂塵が舞う戦場は、凄惨の一言だった。
元は山地であったはずのその場所は、掘削されたかのような凹凸の激しい大地へと変貌していた。
周囲に溢れていたはずの自然は、凍結し、枯れ果てている。
生者の存在を否定する、絶死の光景が広がっていた。
「やった?」
最初に言葉を発したのはシュテルだった。
だが、そんな彼女の言葉は、この戦いに参加した全員の抱いた気持ちだっただろう。
静まり返った戦場で、シュテルがVサインを浮かべ、勝利の歓声を上げようとした瞬間だった。
「――っ! シュテル、まだですっ!!」
凄惨な死骸、肉塊にも見えたヤマタの体の奥底から、這い出てきた無数の蛇。
「うげぇー、きもちわるい――やだ、くるなっ!」
何十、何百、何千、何万、膨大な数の蛇が集い、巨大な球体を象った。
ヤマタの源流は王蛇と呼ばれる一つの種族である。
彼らは、自らの領域に収まりきらないほどその数を増やした。
領域を追われそうになった一匹が、傍にいた仲間に牙を突き立てた。共食いはあっという間に広がって、融合したかのように生まれたのがヤマタである。
その本質は、ただ一匹からなる一つの種族であり、無限に存在するかのような蛇、全てがヤマタなのだ。
赤い塊がそこにはあった。
浸み込んだ血の赤も良く目立つが、それ以上に――夥しい数の眼球が、血走ったような目で獲物を見据えていた。
「――立花流刀術――千本桜――」
ケンセイが迫り来る蛇の群れを切り裂く。
二刀を自在に操り、何十、何百と死骸は積み上げられた。
だが、それは最早波であった。
「っ――ぐっ――」
圧倒的な数の暴力は、ケンセイを一瞬で飲み込む。
「ケンセイさんっ!!」
噛みつかれる度、ケンセイの動きが鈍り、波に攫われようとしたその時。吹き抜けた暴風が蛇の群れを一瞬だけ退ける。
ケンセイは、一瞬の機を逃さず、刀を取り落としながら後退した。
「不覚……すまんのう、アイシャちゃんや…………」
後退に成功したとはいえ、眼前には蛇、蛇、蛇、である。
アイシャは限界まで魔力を酷使した後だ。魔力の回復を促すポーションを服用したが、それでも魔力は目減りしていく。
このままでは精霊魔法さえも、すぐに使えなくなってしまう。
「ぅぅ……これは……かなりピンチです……あんまり使いたくないのですが、パンプキンパンプキン」
風通しの良くなったスカートに葛藤を覚えるアイシャの前に南瓜頭の小悪魔が顕現する。
「…………噛まれれば毒を受ける。それに、あの赤い目を見れば徐々にだが動きが鈍る、気をつけられよ…………」
今にも倒れそうなケンセイの警告。だが、目をそらすことなどできないだろう。相手は何万匹にも及ぶ集団なのだから。
徐々に体の動きが鈍っていくのが自覚できる。累積型の状態異常は一度は抵抗に成功しても繰り返されるごとに体を蝕んでいく。
アイシャの体も限界が近い。
南瓜頭の小悪魔の合間を抜け、ヤマタの群体が襲い掛かろうとした瞬間だ。
「パパにてをだすなぁあああっーーっ!!」
必死にヤマタの群れを薙ぎ払ったシュテルが槍を投擲した。
「っ! シュテル――」
眼前にあったヤマタの群れが弾け飛んだ。
「パパ、だいじょうぶー?」
「はい、助かりました。ありがとう、シュテル」
「えへへ~」
アイシャの傍に降り立つシュテルが、頭を撫でろとばかりにアイシャに寄り掛かる。
アイシャもそれに応え、シュテルの頭を撫でるが、まったりしている余裕はない。
(――どうすれば、倒せるんだろう…………?)
アイシャとケンセイに向け、数多の蛇をけしかけてきたが、未だに巨大な球状体の蛇はその数を減らしているようには見えない。
追撃を仕掛けてこないあたり、相手も確実に弱体化していることは間違いないが、こっちはそれ以上に疲労困憊である。
止めを刺しに全力をかけたのだ。残った力は絞りカスもいい所である。
「まだ、戦えますか、シュテル?」
「あい、よゆう――――じゃないです……でもまだ戦えます……!」
強がるシュテルと冷静なシュテルがアイシャに言った。
敵の本体は、あの球状に蠢く蛇の群れの中心だ。何万匹もの蛇の甲冑を着込んだその先にある魔力が、群全体を動かしている。
せめて後一発、竜魔法が使えれば、と思わずにはいられない。
「ぱぱ……?」
だが、それ以上に問題なのは時間だ。
十分の時間制限まで、残された時間はもう僅かしかない。
そうなれば、堰き止められていた魔素がヤマタを癒し、アイシャ達の敗北が確定する。
どうする。
どうすれば良い。
アイシャは必死に答えを探そうとするが、見つからない。
焦燥感だけが心を埋める。
これはもう、最後の手段を使わなければならないだろうか。
きっと誰も幸福にしないだろう最後の選択肢。
――助けて、ナハト様、と。
そう言えば、全てが終わることは間違いない。
でもそれは、ナハトの期待を裏切ることになる。
シュテルの行動を、頑張りを、無意味にすることになる。
「ごめんね、シュテル――」
ああ、だけど。
それでも、シュテル一人に無理をさせ、危険の中に放り込むよりは何百倍もマシだ。
だから、アイシャは覚悟を決める。
《――ナハト様、助けてください!》
パパっ、と抗議の声が聞こえる。
ケンセイが、力なく項垂れる。
重々しい沈黙の先で、聞こえた声は――
《あ、あの、えっとこちらはヒユキなんですけど……その、あて先間違えてませんか?》
《ふぇ? ふぇええええええええええええええええええええ!?》
◇
《ふぇ? ふぇええええええええええええええええええええ!?》
アイシャの絶叫が響き渡る。
肝心な時に、声を届ける先を間違えることなどあり得ない。
では、何故アイシャの声が違う場所に送られたのか。
決まっている。
アイシャの魔法に干渉したのだ。
誰が、などと聞く必要はないだろう。
魔力を同調させ、人の魔法に干渉するなんて馬鹿げた真似、できる人物は一人しかいないのだから。
《あ、でも、ナイスタイミングですアイシャさん。連絡を取りたかったのです》
《ふぇ、それって?》
《見ていました、だからシュテルちゃんがピンチなのは分かります――だから、私にも戦わせてください》
神願祈祷術式によって堰き止める魔素は数十秒後には解放される。
そうなれば、勝ち目はゼロになる。
だから、堰き止めていた魔素が放流されヤマタへと流れる瞬間。今度はこっちが魔素を利用する。
神願祈祷術式を使って、魔素に干渉し、魔法を使うのだ。
普通なら、絶対にできない。
だけど、
《――そのための術式が、新しく加えられていました。だから、できるはずです!》
ヒユキの言葉を聞いて、アイシャの息がはっと止まる。
《――ナハト様――》
最愛の名前を、震える声でアイシャは言った。
《ふん、全部見透かされてるような気分でむかつくけどね》
《なんか~、全部手のひらの上って感じだよねー》
巫女たちはそう言うが、実を言えばそれは過剰評価である。
ナハトはレイドボスにギミックがあるなら、それを逆手に取った仕掛けの一つでも仕込むのはお約束というやつだろう、とそんな理由で手を加えたに過ぎないのだから。
《必ず成功させて見せます――だから、勝とうって! シュテルちゃんに伝えてください》
風の精霊が去った後、巫女たちは摩耗した精神を研ぎ澄ますように汗を拭う。
「いいの、大見得をきって――あいつの用意したものよ、絶対に生半可なものじゃないわ」
「実際~、今も死にそうだしね…………私たち……」
三人で、となれば少しは楽であることを期待した。
だが、魔素を僅かな時間堰き止めるだけで、尋常じゃない負荷は体を蝕んだ。
その上で、魔法の行使など、失敗する確率のほうが遥かに高い。
「それでも、やるのが姫巫女です。大切な人のために――シュテルちゃんのために、今度は私が戦うことを選びます」
◇
地の奥底に、再び魔素が流れ行く。
脈動する膨大な力。
ヤマタが勝利を確信し、魔素を吸い上げようとしたその時だ。
圧倒的な意思が悪寒と共に、伝わった。
龍脈を流れる魔素は、容を変えた。
余震のように、揺れる大地。
それは、徐々に勢いを増して。轟音を空に響かせた。
それは、怒りであった。
命を捧げ、祈りを捧げた巫女の怒り。
そしてそれは、希望であった。
小さな光を支えるために、とびっきりの思いを込めた和の国の希望を乗せた大魔法。
――輝く一等星の光に手を――
言霊と共に、光が溢れ。
十字を描くように、大地が牙を生む。
それはさながら竜の牙だ。為す術もなく串刺しになるヤマタの群体。
鳴動する地の底から、一際長大な大地の牙が顕れ、球体状のヤマタを貫き、空へと打ち上げた。
「無限槍!」
剥げ落ちた群体の鎧の先に、特大の宝珠を額に帯びたヤマタが見えた。
シュテルは躊躇なく、蛇の群れの中へと飛び込む。
槍を突き刺し、群体の奥深くへと逃げようとするヤマタへの道を切り開く。蠢く蛇が全身を不快に撫で、獰猛な牙がシュテルを傷つけるが、全て無視だ。
シュテルはただ、獲物を追う。
(右奥っ! 狙ってっ!)
「――っぁ――無限槍っ!!」
全身を蝕む状態異常。
毒の牙を打ち立てられながらもシュテルは突き進む。
体の自由は既に効かず、視界に宝珠を戴くヤマタを捕えた時にはもう、動かせるのは右腕ただ一つのみ。
霞む視界の中で、途切れそうになる意識の先で、シュテルは深紅の槍を突き刺した。




