五分間の攻防
夜の空を背景に、ナハトは宙に座り込む。
特等席のその先には、楽しそうに戦うシュテルがいて、ナハトもつられるように笑みを浮かべた。
「…………あんたは何もしなくていいの?」
蝙蝠の羽を広げるフィルネリアが、隣でそう聞く。
「言っただろう、無粋な真似はしない、と――アイシャもシュテルも全力を出せるいい機会なのだから。それに、私が抜ければお前の負担が増えるぞ、フィルネリア」
「…………ここにいなさい」
一瞬で手のひらを返すフィルネリアは額に汗を流しながら魔力を練り上げていた。
ナハトが対象拡大を手伝っているとはいえ、クサツ全域を覆う魔法の行使を続ける負担は尋常ではないだろう。
「いざという時の備えはしておくが、まあ必要ないだろう。なにせあそこには、私のアイシャがいるからな」
「…………はいはい、ごちそうさま」
「それに、私にはシュテルとアイシャの活躍を見守るという重要な役目がある」
そう言って、座り込んだままナハトは魔力を練り上げる。
ナハトにはもう一つ役目があるのだ。
クサツの民はフィルネリアの魔法でぐっすりと眠っている。ケンセイとコノハが選抜した治安維持部隊と討伐隊を除いて、全ての民が気持ちのいい夢をみていることだろう。
だが、その対象は内部だけだ。
シュテルとヤマタの激突を受け、混乱に混乱を重ね逃げ出そうとする魔獣たちの侵入を防ぐ術はない。討伐隊をそっちに回しても良いとは思うが、彼らに任せれば万が一が存在する。
(それに、アイシャももう少し手が欲しいと感じているだろうからな)
アイシャとシュテルが全力で戦える場を用意するのがナハトの仕事だ。
二人が戦い以外に意識を割くことなど、あってはならない。
「領域技能――不可侵なる魂魄龍の領域」
クサツを覆うように、広がる龍の波動。
浮かび上がる斑紋から、仄暗い光が昇る。
クサツの外周に、一瞬にして新たな領域が広がった。立入禁止を暗示する、龍の領域が。
「何をしたか気になるか?」
「…………別に……」
「そうか、聞きたいか!」
「人の話を聞きなさいよ!」
「まあそう大したものじゃない。魔力を代償に、一定の領域の立ち入りを禁止する結界のようなものさ。魔獣程度ならこれで十分だろう」
「…………あー、はいはい……さすがはナハト様です、とでもいいましょうか……?」
心底興味がないと言わんばかりに吐き捨てるフィルネリア。
無条件で称賛してくれるアイシャの声が恋しくなる。
ナハトはせめてもの腹癒せにフィルネリアの補助を軽く緩める。
「ちょ、やめっ! 解けちゃう、魔法、とけちゃうから!」
騒ぐフィルネリアを当然のように無視し、ナハトただ二人を見つめる。
「ちょっと、ほんとにダメだって! あー、もう、もっと私を労わりなさいよ、社会も、あんたもっ!」
苦労人のサキュバスを背に、
「頑張れ、アイシャ、シュテル――」
ナハトは笑みと共に、そう言った。
◇
ヤマタが放つブレスを、シュテルがすれすれの所でかわす。
シュテルもそうだが、ヤマタの遠距離攻撃手段は少ない。今のところブレスと状態異常を付与してくる不気味な瞳だけである。
十分な距離を取り、精霊魔法を使っての攻撃に切り替えたシュテルはいかに自分が無鉄砲に突っ込んでいたかを痛感していた。
アイシャの指示通り、一番動いていない首を狙うと、必ず盾の首が庇いに来る。守勢に回る首が多くなるほど、シュテルの攻撃は通りやすくなる。
「いまのはどう?」
(炎の効きが良い、水はダメ)
「じゃあ、あっちは?」
(土が一番かな、他は全部微妙)
首ごとに、属性への耐性が違うことにも、ようやくシュテルは気付き始めていた。
戦いには情報が大事、そうナハトが言っていた気がする。
実際、大火力の一撃に頼らずとも、地道な攻撃で優勢になっていた。
だが、それでも――
「「「――グゥォオオオオオオオアアアアアアアアアッ!!」」」
ヤマタの回復能力は圧倒的だった。
シュテルの攻撃は明確なダメージを与えていた。だが、ヤマタはそれ以上に傷を癒す。
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
繰り返し続けると、果てのない道を無意味に歩いているような気分になってくる。
だが、シュテルに焦りはない。
大切な人たちが、見守ってくれているから。
「けいかくどおりだねー」
(うん、でもパパのために、もっと、情報を集めよう)
◇
魔法職は卑怯なくらいで丁度いい。
補助職は味方が多いほど強くなる。
アイシャはナハトに教わった通り、戦っていた。
「ぅぅ、でもやっぱり無茶ぶりですナハト様――アイシャが指揮を取って戦えなんて…………」
一人、いっぱいいっぱいなアイシャはそうこぼした。
人と話すのも苦手なアイシャである。
巫女たちにお願いするだけで、緊張してしまうのがアイシャなのだ。当然、指揮を取った経験などない。
でも、やるしかないのだ。
四の五の言う前に、行動する。
それが、龍の従者である。
巫女たちの術式が発動するまで、後五分。
それはアイシャに残された最後の時間だった。
早急に、作戦を纏めなければならない。
《シュテル、八本の首――全力なら何本まで狩れる?》
「――――パパ? えーと、四本かな? でも、がんばればもっとたおせるよ!」
《ケンセイさん、ヤマタの首、一本任せて大丈夫ですか?》
「――――ほっほっほ、老骨に鞭を打ちましょうぞ」
《コノハさん、飛竜兵を貸してもらっていいですか?》
「――――それはいいけど、ヤマタの相手は厳しいわよ」
《大丈夫です、工夫しますから》
ぶっつけ本番、アイシャの思い付きの作戦。それも、はじめての指揮で、だ。
行き当たりばったりにもほどがある。
不安しかない、というのがアイシャの本音だ。
でも、アイシャの背をナハトが見てくれていると思うと、勇気が湧く。
愛しき主が見てくれていると思うと力が漲る。
アイシャはナハトの従者である。
それは、進む以外の選択肢がないということだ。
「そうじゃないと、ナハト様の隣に立つ資格なんてない!」
口に出した瞬間。
アイシャの瞳が深く沈んで、澄み渡る。
きっと、本当に覚悟が決まったのは今なのだろう。
≪皆さん、聞いてください、作戦を説明します》
シュテルを助ける。
そんなのは当たり前だ。
≪ボス戦に持久戦は不利です、だから――》
でも、それだけじゃダメだ。
弱いアイシャのままじゃダメだ。
それじゃあ、ナハト様の期待になんて応えられない。
≪――三人がくれる十分で、確実に仕留めます》
だから、アイシャは笑うのだ。
不敵に笑う主を真似て、太々しく笑うのだ。




