アイシャの覚悟
「…………ぷはぁ……び、びっくりしたー。まさか気づかれちゃうなんて…………」
アイシャは一人、緊張を吐き出す。
シュテルには余裕な態度を装っていたが、内心では心臓が飛び出るほどびっくりしていたのだ。火竜のブレスを髣髴とさせる閃光は、アイシャにとって恐怖以外の何物でもない。シュテルはよく一人であんな怪物に立ち向かえるものだとアイシャは思う。
『うーん、シュテルちゃんもそうだけど……余裕あるね、アイシャちゃん…………』
ヤマタを見たアイシャにハルカはそう言っていたが、実を言えば余裕なんてものはアイシャには存在していない。
ただ、アイシャは人より少しだけ異常事態に慣れ親しんでいて。
それでいて、覚悟だけが決まっているだけなのだ。
シュテルを助ける、その覚悟だけが。
「えっと……気配はナハト様の装備があるから多分大丈夫、熱は水の精霊様がなんとかしてくれるはず……じゃあやっぱり、さっきのは技能の燐光を察知されたのかな……」
小山の上に陣取るアイシャは風の精霊の力を借りて戦場を見つめる。
「ぅぅ……あれ……ほんとに倒せるのかな……いや、ナハト様は無理なことをしろとは絶対に言わない。皆の力があれば必ず倒せるはず…………」
きっと、今、一番冷静に戦況を把握しているのはアイシャだろう。
後衛補助職として、今ある戦力を掛け算し、冷静に勝機を見出すのがアイシャの役目だ。
アイシャはナハトから教わったことを思い起こす。
レイドボスは通常、六人のパーティが二つ以上集まって討伐に向かう敵とされている。膨大なHPは勿論だが、それぞれに独自の能力や特徴があり、ボス自体や戦うフィールドに何らかの仕掛けが存在する場合も多々ある。高レベルともなると固有能力と呼ばれる唯一無二の強力な技能を使用してくる。単独で挑むならレベル差は20は欲しい所だろう。
だから、シュテルだけで倒せる相手ではない。
ナハトの見立てでは、ヤマタとシュテルのレベルは同じくらいである、とのことだ。
先制でダメージを与えたナハトの魔法や手助けを行うアイシャを含めてもまだ厳しいのはシュテルのほうであろう。
「まずは、あの厄介な回復能力をなんとかしないと――」
ヤマタの特徴をあげるなら、一番際立つのはその異常な再生能力である。
シュテルに二つの首を刎ねられてから、わずか数分の間でほぼ完ぺきに回復してみせたそれこそが、ヤマタの特徴であり、能力なのだろう。
向かい合って戦うシュテルと違って、遠くから全体を俯瞰するアイシャは、ヤマタの様子がよく見える。そして何より、魔法職として、シュテルの何倍も魔力の流れに敏感なアイシャはヤマタの体を流れる膨大な魔力を逐一感知していた。
おそらく、龍脈から魔素を吸い取り、魔力に変換して傷を癒しているのだ。その証拠に、シュテルに刎ねられた首は、他のどの首よりも秘めている魔力が大きかった。
タネが分かれば、仕掛けが見える。
フジ大山を背に、最も動きがなく、ブレスを撃つだけで追撃をしない最奥の首。あれが、龍脈から魔素を吸い上げるタンクとして、また全身に魔力を送るポンプとして機能しているのだろう。
正攻法で行くなら、シュテルに指示したように龍脈に根を張る首を集中的に狙うべきだろう。
そうすれば、少なくとも今までよりはヤマタの再生を妨害できる。
「ただ、シュテルとアイシャだけじゃ力不足かも――」
今は龍脈に根を張る首は一本だけだが、おそらく他の首でも同じことは可能だろう。根を張った首はほとんど動けなくなるため、多くとも一本か二本程度が魔素を吸い上げる役目を担当するのだろうが、二人でそれを抑えきるのはやはり難しい。
だからアイシャは声を届ける。
共に戦うことを決意した、仲間の元へと。
◇
「…………もう、なんか驚き疲れたけど、凄いわね、お姉様のお友達」
疲れ切った声で、ヨゾラはヒユキにそう言った。
巫女服を身に纏い、荘厳な神願祈祷術式の上で、三人の巫女が宙に映し出された映像を見上げる。
ナハトが、愛娘の活躍を刮目せよ、と置いていった不可思議な瞳が戦場を映し出していた。
それは、驚愕するな、というほうが無茶な光景だった。
体格差何百倍、あるいは何千倍もあるヤマタを、小さな小さな子供であるシュテルが真っ向から挑み、その首を刎ね飛ばしているのだから。
「えへへ、やっぱり凄いな、シュテルちゃんは」
「何で嬉しそうなのよ…………」
ナハトが無茶苦茶であるということは、ここにいる三人も嫌というほど理解させられていた。
だからと言って、彼女の娘まで無茶苦茶じゃなくてもいいじゃないか、とそうヨゾラは思った。
「まあでも~、味方は強いに越したことはないよね~、ヨゾラちゃん」
「それは、あの化物みたいにってことですか、ハルカ様」
「いや~、ものには限度があるかな~、あはは…………」
ナハトの力――それは、子供の喧嘩に、武装した魔刀兵を投入するようなものだ。
その力を頼った瞬間、勝利も敗北も、曖昧に霞む。散々手助けをして貰っておいて言うのもなんだが、彼女の力に縋るだけでは、儀式から逃げ出そうとしていたヒユキよりも情けない。脅威に耳を塞ぎ、現実から逃げる民たちと変わらない。
武家は、その価値を失うだろう。
それはきっと、ナハトも理解しているのだろうとヨゾラは思う。
だから、全部、ナハトの掌の上だと思うと、忌々しくて仕方がない。
「そんな怖い顔しちゃだめだよ~、ナハトちゃんのおかげで~、こうして神願祈祷術式も新しくなったんだし~、いざって時に使えるように、しっかり術式に慣れないとだよー」
「分かっています、ハルカ様…………」
「そう言えばハルカ様、巫女として平然と参加していますが、その、体は大丈夫なんですか?」
術式を楽しそうに見るハルカを疑問に思ったヒユキが言う。
「ん~、ああ、大丈夫だよ~。ナハトちゃんが治してくれたから~」
ハルカは愛おしそうにその身を抱いて、そう言った。
「国中の医術師が治ることはないって言ってたはずなのに……そんな、あっさり…………」
「あはは、治されたハルカちゃんも~、夢じゃないかって思っちゃうよ~。こうして、もう一度魔法が使えるなんて――」
「でも、ハルカ様が一緒ならそれだけで心強いです!」
「ふん、本当は私一人で十分だったのに……」
「あはは、これは一人じゃもう使えないしねー」
「て言うか! 私たちは何時まで見てればいいのよ! あいつの娘も苦戦してるみたいだし、待機してるだけじゃ意味ないじゃない! 私たちだって魔法くらい使えるのに……」
ずっと見ているだけな状況に、いい加減やきもきしてきたのか、ヨゾラが言った。
「確かに、私たちはともかく、ハルカ様は絶対大きな戦力ですよね――ハルカ様はシュテルちゃんのお母様から何か指示されていないんですか?」
ヒユキがそうハルカに聞いた。
「さあ? でも、ナハトちゃんはもう手出しをするつもりはないんじゃないかな?」
和の国のために戦う小さな少女を見て、何もできていない現状に腹を立てるヨゾラ。それは他の二人も同じだろう。
懸命に戦うシュテルを見守るそんな中、
《あ、あの、えっと……ちょっと、いいですか?》
吹き抜けた風と共に、オドオドとしたアイシャの声が響き渡った。
「アイシャちゃん?」
いないはずの人物の声に、戸惑うハルカが聞く。
《あ、はい、アイシャです――今、大丈夫ですか?》
「大丈夫だよ~、ちょうど暇してたところだから~」
《えっと、その可能かどうか分からないのですけど――ヤマタの能力を封じるために、皆さんの力を借りたいんです》
アイシャの説明は簡潔だった。
ヤマタは龍脈から魔素を吸い上げ、回復能力を使用している。だから、神願祈祷術式を使って、魔素の流れを堰き止め、ヤマタの能力を封じて欲しい、とのことだ。
《できますか?》
アイシャの言葉に、三人の巫女は沈黙する。
元々、神願祈祷術式は、龍脈の流れを捻じ曲げる術式である。龍脈は数多の地脈の集合体であり、規模で言えばそれこそ何十キロ、何百キロと広がっているものだ。
本来は直線に流れていたものを、『く』の字のように曲げて、その間に築き上げた街がクサツである。捻じ曲げられた龍脈の上では大地が隆起し、自然が溢れ、その頂点にはフジ大山という和の国一の大山ができた。
だから、神願祈祷術式は龍脈の流れを止める力を持たない。あくまで、自然の流れを少しだけ変化させるものでしかないのだ。
「それは――」
「できます!」
ヨゾラの言葉を遮るように、ヒユキが言った。
「ちょ、お姉ちゃん! そんな簡単に――」
「なに、自信ないの? あれだけ大口叩いてた癖に」
「っ! できるわよ、余裕で、一人で! できるもん!」
なんて、ヨゾラを小ばかにしたようなヒユキの言葉にヨゾラは思わず叫んでいた。
《えっと、本当に大丈夫なんでしょうか?》
「ん~、まあ~、できるんじゃないかな。ナハトちゃんは一人でやってヤマタの怒りを買ったみたいだし~、三人がかりなら多分可能」
ハルカは一人、冷静にそう言う。
「ただ、本来の機能を大幅に超えての使用だから、もって十分かな。それに、準備に五分は時間貰いたい」
《――――分かりました。それで、大丈夫です》
ハルカの言葉を聞いたアイシャは、少し思考した後、そう言った。
《今から五分後――皆さんがくれる十分で、決着をつけます!》
そう言って、ふっと風が吹き抜け、再び静寂が訪れる。
「はぁー、安請け合いして、失敗しないでくださいね、お姉様」
「龍脈の流れを具に把握しなきゃだから~、一番大変だね、ヒユキちゃん」
「プレッシャーかけないでよ……でも、大丈夫――シュテルちゃんも頑張ってるんだから、私も負けないくらい頑張るよ――」
三人の巫女が陣に触れ。
神願祈祷術式が、起動した。
 




