因縁
まるで、噴火の予兆のように、紅に染まる空。
それは、決して忘れられない過去に見た光景だった。
地脈に流れる膨大な魔素が、怪物が発した憤怒の意思を受け、猛々しく昇る。
柄を握るケンセイの体が意思とは関係なく、震えた。
本能が、忌々しい記憶が、勝てない、と告げているのだ。
齢六十を数えても、みっともなく体は震えた。
己の死が恐い訳ではない。
周りに死が溢れることが恐いのだ。
それは、今から十二年前の出来事だった。
クサツの領主、ヒイラギ・ヨイチとの会談の場で、彼は言った。
『――怪物を討ちたい、力を貸してくれ』
ヒイラギの者は皆そうだ。
武家として、民のために血を流すことを誇りに思う一方で、身内の人間を誰よりも大切に思っている。家族のために、より多くの血を流そうとする。
ヨイチはコノハと婚約した時からずっと、和の国に住まう怪物――ヤマタを討ち果たす計画を練っていた。
才覚ある姫巫女を犠牲にするかのような、儀式の行使を忌々しく思っていた事もあるだろうが、いずれ生まれてくるだろう娘に重責に負わせまい、というのが本音だったのだろうとケンセイは思う。ヒイラギの人間は武家としての使命を決して厭うことはないだろうから。
相手が、怪物だということは、理解していた。
和の国の歴史は三界の主と共にあると言っても過言ではないからだ。彼らが気まぐれを起こせば魔獣は氾濫し、国が脅威にさらされる。大規模な討伐も、彼らの怒りをかわぬように、こそこそと隠れて行わねばならない。
それと、決して敵対するな、と和の国が積み上げてきた歴史は語る。
だが、果たして本当に、そうだろうか。
敵の強大さは理解できる。だが、和の国は二千年の時を経て、確実に進歩してきた。職人が積み上げてきた技術の粋を集め作られた魔撃砲を操る砲術兵、飼いならした飛竜を操り、上空からの爆撃を可能とする飛竜兵、磨き上げた技で魔力を付与した魔刀を振るう将軍家の精鋭たち、それら積み上げてきた力と、二十年以上もヤマタを観察し、対策を練ったヨイチの策。
勝機は十分にあると思った。
長きに渡る因縁に終止符を打つ絶好の機会であると、それこそが自分の最後の仕事であるとケンセイは思った。
魔獣は地脈の魔素(ルビ:マナ)を喰らい生きる生物であるが、肉を食べることもあれば、草木を食むものもいる。彼らにとっては、嗜好品としての意味合いが強いのだろうが、それぞれが好む食材に反応することは調査の結果判明している。
ヤマタの場合は酒であった。
酒の毒や、獣の肉に混ぜた毒などはものともしないが、酒の匂いをチラつかせれば、ある程度誘導が可能であることが判明していた。
作戦はシンプルであった。
活動が鈍くなる夜を狙って、フジ大山の北にある森林地帯を切り開く。その後に酒を使っての誘導を開始。ヤマタを誘い出し、酒に夢中になっている隙を狙って、上空から飛竜隊による爆撃。後に砲撃兵から魔撃砲による攻撃を加え、弱った所に将軍家の最精鋭である魔刀兵が近づき、首を狩る。大雑把に言えば、それだけだった。
精鋭のみを使った討伐作戦は、うまくいったように見えた。
圧倒的な火力の集中を前に、ヤマタはなす術もなく動けなくなった、とそう思った。
だが、土煙の中から現れた蠢く肉は、常人の努力をあざ笑うかのように蠢き続け、地獄が訪れた。
精鋭千、後方部隊二千、三千の兵のうち、生き残れた者はわずか百。
クサツは領主であるヨイチと後方部隊にて従軍していた息子を失い、ケンセイは半身を削るような傷をその身に刻んだ。
幸運なことに、ヤマタはクサツへ追撃を行うことはなく、何事もなかったかのようにフジ大山へと帰って行った。
後には、三界の主には決して手を出してはならない、そんな事実だけが残ったのである。
なのに、ケンセイの視界にはそれが映る。
空へと飛ぶ、ヤマタの首。
和の国の力を集めてなお届かなかったそれが、地に落ちて、大地を揺らした。
『大丈夫~、全部ナハトちゃんに任せとけば、きっとハッピーエンドが見られるから――』
能天気にそう言って、ナハトに協力しろとケンセイに言ったハルカの言葉が反響する。
『――疑り深いケンセイ様もすぐに分かるよ、ナハトちゃんたちは和の国の希望だってことが』
ああ、その通りなのだろうな、と。
ケンセイはそう思わされてしまうのだった。
◇
戦場は驚くほど静かだった。
二本の首を瀕死にまで追い込まれたヤマタは、激情してシュテルを襲うこともなく、とぐろを巻くようにシュテルの周りを覆い、二つの首がシュテルを睨みつけ、残る四つの首は遠くから様子を伺っている。
(おそってこないねー)
周囲全て、ヤマタの体に覆われ、一度離脱すべきだと思うシュテルだが、残る四つの首が、逃げ出したところ狙い撃ちにしようとしているせいで、中々動けずにいる。
「敵、くらいには思ってくれたみたい」
凡そ、外敵と言える存在などいなかったヤマタが、明確にシュテルを警戒しているからこそ、にらみ合いの状況が生まれていた。
シュテルにヤマタの体を貫く力があるからこそ、安易な攻撃を仕掛けてこなくなったのだ。
(おそくない? もうくび、二本もなくなっちゃたよ?)
手傷を負わせている分、にらみ合いはシュテルに有利ではないか、と冷静に分析していたその時だった。シュテルは奇妙なヤマタの動きに気がついた。
首を失った胴体が視界の端で、千切れた首を迎えに行くように蠢いていた。シュテルを睨むヤマタの首はそれを妨害させまい、と庇っているように思えたのだ。
何をするつもりだ、と思った瞬間。どす黒い魔力が惹かれ合うように立ち昇り、分断されていた首が徐々に再生しようとしていた。
「(なにそれずるい!!)」
思わず叫んだ言葉と共に、シュテルは飛び跳ね宙へと駆け出した。
すかさず襲い掛かるヤマタの首に水の槍を突き刺し、突き刺した槍を足場に開けた空に向かって跳ぶ。
「回復が早い、させないっ!!」
すかさず、生み出した槍を投擲する。
空を斬り、猛然と突き進む三本の槍。が、再生途中の胴体と首を守るように、残りの首がシュテルの槍を巨大な体で受け止めた。
「ぅぅー、邪魔ぁー!」
宙に浮かべた数多の槍を手当たり次第に投擲するシュテル。
それは焦りと苛立ちから思わず選択してしまった行動で。単調なシュテルの攻撃はヤマタの太い胴体に全て受け止められる。
それどころか、シュテルの槍を受け止める盾の役割の首とは別の首が口を開き、閃光のブレスがシュテルを襲う。
「っ!」
六つ首が、それぞれの隙を補い、連携してシュテルを襲う。
明確にシュテルを敵として認識したヤマタの連撃は、シュテルをして防戦に追い込まれるほどであった。このまま数十秒も過ぎれば、せっかく刎ね飛ばした首も再生してしまうことだろう。
そうなる前に、もう一本。
竜技を持って、首を狩る。
シュテルがそう決意した瞬間だった。
(あぶないっ!!)
警鐘が心の奥で強く響いた。
「っ! まさかっ! そっちも――」
瞳に映り込む、八本目の首。
それは、シュテルが竜技で大地に串刺しにした最初の首。
気がついた時にはすべてが遅く、シュテルを閃光のブレスが飲み込む、はずだった。
「(え――?)」
痛みに備え、手を交差したシュテルの眼前に、暗闇を引き摺る障壁があった。
閃光は大地を抉り、大気を飲み込み駆け抜けたが、シュテルにダメージはない。
《――まったくもう、一人で無茶しちゃダメですよ、シュテル》
「(パパっ!)」
《パパではなくママです、それかアイシャママでもいいですよ》
「もう、パパそればっかり」
お決まりとなったやり取りを、精霊が運ぶ。
アイシャの援護に助けられたシュテルは勢いよく距離を取った。
「あれ? パパ、何処ですか?」
《まだ内緒です、それよりシュテル、大丈夫ですか?》
「まだまだ元気! 大丈夫です!」
《じゃあもう少し――》
そんなアイシャの声が止まる。
刹那、光る閃光と響く轟音。
ヤマタが傍の山目掛けブレスを放っていたのだ。
「パパ……? パパっ!」
《――――っと、危ない。大丈夫ですよ、シュテル。逃げるのと隠れるのはアイシャの得意分野ですから》
「パパ…………」
悲しそうなシュテルの声に、アイシャは一つ咳ばらいをする。
《それよりもシュテル、もう少しだけ時間稼ぎをお願いできますか?》
「それは、勿論大丈夫です! このまま釘付けにしておけばいいんだよね?」
《はい、攻勢に出る時は合図をしますから》
「了解です、パパ」
アイシャの声が、力が、シュテルに大きな歓喜を齎す。
シュテルは心の奥底に湧く歓喜の念を笑みへと変えた。
《――あ、それとシュテル――狙うべきは回復をしている首じゃないですよ。一番動いていない首です》
「え? あ、はい――パパが言うならそうします」
シュテルはゆっくりと息を吐き出して、槍を構え静かに佇む。
(おちついた?)
「別に……焦ってないもん……」
(あせってたじゃん、だから交代)
実際、シュテルは倒したはずのヤマタの首が再生したことに戸惑い、焦りを抱いた。もう一人の自分と違って、不測の事態にはあまり強くないのだ。
単調な攻撃を続け、反撃を許し、アイシャに助けられてしまった。
アイシャの声を聞いて落ち着くことができたが、安易な大技に走りそうになったシュテルは明らかに焦っていたのだ。
「はあ……分かった、交代」
そう言って、シュテルは再びヤマタと向かい合うのだった。




