シュテルの実力
魔獣。
それは恵まれるが故に生まれた、和の国の弊害だった。
無数の地脈の集合地点。
その上に存在する大地は、海は、恵まれていた。大自然が芽吹き、動植物が溢れ、人が集まり、その恩恵を受けて繁栄した。だが、地脈に溢れる魔素の恵みは、惹かれ集う動物を、植物を、変貌させてしまったのだ。
通常の動植物とはまるで違う。
地脈の魔素を糧に生きる彼らは、領域を求める。
より多くの魔素を、より豊かな場所を――彼らは転々と求め、人にとっての災厄となった。
「恐いのか?」
「正直なところ……怖いですなぁ……わしは一度完膚なきまでに負けております故……」
ナハトの言葉に、ケンセイが言った。
「過去のことと割り切るつもりでしたが、中々どうして、逃げられぬものですな」
どこか覚悟の篭る音色で呟くケンセイがゆっくりと歩く。
「参戦するつもりなら一つ助言をしておこう――戦場では、アイシャの指示に従うと良い」
「ほっほっほ、助言ありがたく――では――」
古き時代に残る伝承は語る。
かつて和の国に存在していた王蛇と呼ばれる一つの種族。それが、領域を求め共食いをした。
一つの種が消え、怪物が生まれた。
怪物の名はヤマタ。
八つの首に、竜を宿す異常種だ。
和の国の民は、それを天災と定め、立ち向かうことを止めた。
力ある者を生贄に捧げ、慈悲を請うた。
力ある者は命を代償に、魔素を捧げた。
そんな負の連鎖を――たった一人の男が変えたのだ。
『捨てちまうのか? ――なら、俺が拾ってやる。今日からお前は、俺のものだ――』
扉は開かれ、運命は巡る。
「最も――どうやら主役は私ではないようだがな」
ナハトの双眸が見つめる先には、とびっきり大きな光が映り込むのだった。
◇
ピシリ、と悲鳴が上がる。
長大な氷塊に亀裂が生まれ、止まっていた時間が徐々に流れを取り戻す。
地の底から響く怨嗟の咆哮と共に、立ち昇る禍々しい魔力。
それらが全身から溢れると、ナハトの魔法によって受けた傷を包み込んでしまう。すると、肉が不気味に蠢いて、刻一刻と傷が埋められていった。
氷の下から這い出るその姿は、見るもの全てに恐怖を与えることだろう。
複雑に絡みあう黒い渦のような胴体から、八つの猛々しい首が覗く。それら一本一本が山に絡みつくほど長く伸びる。
全長を図る気にもならない巨体、敵意や殺意を隠そうともしない獰猛さ。
その姿はまさに、八つの頭を持つ竜だった。
(――最も、ママに言わせたらちょっと大きいだけの蛇、ですが)
そんな竜に比べ、あまりにも小さく、幼い、少女は笑う。
戦乙女のドレスを纏い、背に羽ではなく赤い何かを背負い、空を駆ける少女から小さな声が響き渡る。
「――おいで、無限槍」
その背から、火が昇る。
意思を持つかのように生まれた火は、形を変え、姿を変え、少女が持つにはあまりに長大な槍へと転じた。
(――まずは挨拶代わりだよ)
未だにナハトから受けた傷を癒しきれていないヤマタに向かって、シュテルは全力で燃える槍を投擲した。
放たれた槍は、彗星が如き尾を引いて、一寸のぶれもなくヤマタの巨体を貫いた。
「「「グルォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」」」
大気を震わす雄叫びが響く。
それは、痛みからくる悲鳴――ではなく、ただ敵意を向けられたことに対する怒りでしかない。
ヤマタの巨体からすれば、シュテルの槍はちょっと大きな爪楊枝程度のものでしかないからだ。
「うーん、やっぱりおおきいねー、ぜんぜんきいてないや」
(一つで駄目なら、数を増やせばいい)
シュテルの背にある赤い鞄。
見るものが見たら間違いなく、ランドセルじゃねーか、と叫びたくなるそれはシュテルが身に纏う武具だった。
かつて、親衛隊筆頭であるウィルが、究極宝具である『無限』を参考に生み出した武具。本人は失敗作としてしか語らない偽龍の円環シリーズの一つであり、無限の性質を得た伝説級装備である。
空に浮かぶは、見渡す限り、槍、槍、槍。
まるで雨のように、辺り一面を埋め尽くさんばかりの槍たちをシュテルは次々に打ち出していく。
ヤマタの巨体に次々と痛々しい火が灯る。
肉が焼け、黒ずむ瘴気が昇る中で、シュテルはもう一人の自分に聞いた。
「おもってたより、らくしょう?」
(油断禁物――っ、来るよっ!)
項垂れていた首がゆっくりと持ち上がり、シュテルと瞳を合わせるかのように正面で睨み合うと、ピタリと動きを止めるヤマタ。そして、赤く虚ろな眼が開かれた。
「っ! あ……、んっ……なにか、された?」
微かな違和感が槍を投擲するシュテルの手を止めた。
(麻痺だと思う、抵抗した。 それより――後ろっ!)
鎌首をもたげた首は一つではなかったのだ。
麻痺を付与するのとほぼ、同時。
背後から大口を開けたヤマタの首がすぐ傍まで迫っていた。
伸縮自在の体を縮め、爆発するかのように伸び出た首が、回避行動を取ったシュテルのすぐそばを飲み込んだ。
「あっぶな――ちかくでみるとすごくおっきい……ここまでとどくんだ」
空でバク宙をきめたシュテルが言う。
シュテルは地上から百メートルは空にいたはずだった。
なのに、そんな距離を一息で詰められた。
髪の毛が大蛇の息で浮き上がるほど傍にヤマタの巨体がいると、流石のシュテルもその迫力を感じてしまう。
「なら、もっとうえだね」
すり抜けた大蛇の背を蹴り上げて、シュテルは空へと舞い上がる。
空を縦横無尽に駆け、明らかに大蛇の首が届かないだろう上空に辿り着くと、今度は先ほどよりも一層大きな槍を目の前に呼んだ。
「おっきいの、いっくよーっ!」
掛け声と同時に立ち昇る技能の燐光。
槍に絡みつく紅蓮の火は螺旋となりて、真夜中の空を赤く染めた。
「りゅうぎ――かりゅういっそう(竜技――火竜一槍)」
全身をこれでもかと流動させ、投擲された赤い彗星は、空気の壁を破り捨て空に伸びていたヤマタの首の一つを貫くと、凄まじい破砕音と共に大蛇の頭を大地へと叩きつけた。
「ギュルォオオオオオオオオオオオオッッ!」
今度こそ、明確なダメージによる悲鳴が上がる。
大地に釘付けにされ、業火に包まれたヤマタの首が力なく倒れ伏した。
「やったっ!」
だからこそ、生じてしまったほんの少しの隙。
(バカっ! 油断しな――)
警告よりも早く、危険を直感したシュテルが空を蹴る。
刹那、空へと昇る閃光のようなブレス。
シュテルが一つかわした時には、残る六つの首からブレスが放たれていた。
(――竜鱗っ!)
回避行動を取るシュテルの裏側で、もう一人のシュテルが防御技能を発動させた。
空で交差する光の柱。
一つ、二つ、三つめまでは回避に成功したが、四つ目が鎧を掠め、五つ目で退路を塞がれ、最後のブレスがシュテルの小さな体を飲み込んだ。
「っぅ――! いったぁーっ!」
光が収まったその瞬間、驚愕を抱いたのはきっとヤマタのほうであろう。
小鳥のような存在が、ヤマタのブレスを喰らって平然としているのだから。
無論ダメージは負っている。が、シュテルが身に纏うドレスアーマー、銀翼の戦乙女は魔法防御に重きを置いていることもあり、ブレスの威力を大幅に減衰させていた。加えて、竜鱗による割合減少によって受けたダメージはさらに減っている。
無傷とまではいかないが、問題なく戦闘ができる。
すぐに倍返ししてやると思うシュテルだったのだが、
(油断、した――交代)
もう一人の自分は、納得していないようだった。
「えー、ちょっとけがしただけじゃん…………」
(ダメ、交代)
シュテルはパチリと片目を閉じる。
珍しく頑なな態度を崩さないもう一人の自分に、仕方がなく体の主導権を預けた。
意識の主導権が入れ替わると、シュテルは真っすぐに地上に向けて駆け出していた。
(うぇー、ちかづくのー?)
「当然。結び龍も無限に使えるわけじゃない。それに、龍騎士は近接物理職――近づいて、殴る以上の戦術はいらない」
表のシュテルは直感的に気がついていたのだ。
相対する存在が、格上であるという事実に。
だから、直接的な戦闘を避け、遠距離から一方的に攻撃を加えようと動いていた。
だが、シュテルのような近接職にとってダメージを与える一番の手段は、通常攻撃と技能を組み合わせた連撃にこそある。
敵に対空攻撃がある以上、得意分野で勝負すべきなのだ。
(はりきってるねー、なんで?)
「私だって…………ママとパパに格好いい所を見て欲しいもん」
シュテルが宙に手を伸ばす。
すると、背から青く流れ漂う水が槍の姿を象った。
無限槍が生み出す槍は、使用者の扱う属性に依存する。
「それに、シュテルが助けるから、お姉ちゃんを――」
落下の加速を利用して、シュテルは一息に大地を目指す。
駆け降りるシュテルを喰らうべく迫るヤマタの首。竜の姿をした頭から唾液が零れ、牙が覗く。
長大な顎を斜め飛びでかわし、うねる体を蹴り抜いてさらに加速する。捻じれた三つの首の狭間を抜け、シュテルは槍を真下に突き刺す。
「竜技――竜星落――!」
轟音と共に、水の槍が鱗を食い破って肉に突き刺さった。
目の前には、圧倒的な肉の壁。
アリと像か、それ以上か。それほどまでに、体格差がある。だが、ナハトの力を与えられたシュテルのSTRは化物に比肩する。
だから、怯むことなく槍を振るう。
肉を抉り、巨体を突き上げ、トンネルを掘るかのように、幾度も幾度も槍を生み出し、その巨体を突き崩す。
が、ヤマタもただダメージを負っているだけではない。
全身を鞭のように使い、シュテルを薙ぎ払おうと襲い掛かる。
その質量は、力は、圧巻の一言だ。
木々や大地が紙切れのように空に舞う。
目の前には壁があった。城壁が凄まじい速度で押し寄せている、そんなイメージを押し付けてくる巨体の暴力。
ここまで接近した以上、シュテルに逃げ場などあるはずもない。
ならば――
「――迎え撃つのみ」
静かに腰を落とし、ランスチャージの構えを取る。
シュテルが全力で大地を踏み抜けば、耐えかねた地に亀裂が走った。
「竜技――覇竜剛咆――!!」
眩い燐光が立ち昇る。
シュテルの小さな体から溢れ出る光は巨大な竜を象り、水の槍は強大な牙へと姿を変えた。
肉の壁に、竜の牙が食らいつき、咆哮がその巨体を貫いた。
胴体と離れ離れになった頭が空へと飛ぶ。
シュテルは加速の勢いのまま、山を駆け、躓きそうになるほどの勢いを必死に殺しながら、心底楽しそうに呟いた。
「あと六本!」




