言葉なき意思
薄汚い牢の中、下着だけの姿で牢に放り込まれる二人の美女と二人の男。
それはAランクにして二つ名持ちの冒険者、氷帝クリスタ・ニーゼ・ブランリヒターのパーティである。
ガレンはパーティーの前衛を勤める戦士で、孤児院出身の冒険者だ。彼には剣の才能があった。それだけを武器に冒険者として生活を送り、孤児院に仕送りし、そんな人柄を知られて氷帝に、正確には彼女の親友にして学友、サシャに誘われてクリスタのパーティに入った。
サシャは王都の学院に通っていたクリスタの学友である。貴族であるにも関わらず平民のサシャにも平等に接するクリスタに一方的に惚れこんだのがパーティに加わった理由である。愛の神、エアロスに仕える神官でもあり、パーティの回復役を勤めている。
そして最後は犬の獣人、アル。獣人の特徴である鋭い嗅覚と優れた五感でパーティの斥候を勤めるベテラン冒険者だ。王都で依頼を受けるうちに親しくなり、自然とパーティに加わった仲間だ。経験が豊富な一番の年長者だが、獣人は人よりも寿命が長いので四十を越えるレンだが見た目は二十にも届いていないであろう少年のように見える。
王都でも指折りの冒険者チームであり、自由交易都市に拠点を移した後も実力どおりの功績を挙げていた。
だから、今回の指名依頼も容易く達成できる難易度でしかなく、誰も心配などしていなかった。
何せ、異名持ちの冒険者など王国に十人いるか、いないか、なのだ。
デュランがいなければクリスタを除く三名でも盗賊は殲滅できたであろう。まして、クリスタが全力で魔法を使えば、洞窟ごと冷凍保存することも容易かった。
だが、全てはいなければの話であり、現に今、彼女達は拘束されていた。
魔鋼を加工した足枷、腕枷はBランク冒険者とはいえ、力ずくで振りほどけるものではない。だから、クリスタを除く三名はそれだけで拘束されていた。
だが、クリスタは通常の二倍はありそうな手枷、足枷を嵌められた上、魔法陣の上で拘束を受けている。加えて、奴隷の魔法を封じる魔封紋が刻まれた首枷をしている。
クリスタに関してはそこまでしなければ、拘束しておくこともできないのだ。身体強化の魔法を行使すれば、素手で魔鋼をひん曲げ、魔法陣を力ずくで破り捨てて、牢を壊してしまうことだろう。
「ねー、ガレン。力ずくで破ってよ、その手枷」
サシャがもう何度目か分からないが、ガレンに言った。
「だから、結構頑丈なんだよこいつ。盗賊が持ってるものにしちゃ上等すぎる。半月ぐらいありゃ少しずつ留め金曲げれそうな気もするが、すぐには無理だー! あー、腹減った……」
「嵌められたな」
アルが冷静に言う。
「あんの糞貴族、何が市民のためよ――絶対裏で通じてたでしょ!」
指名依頼の主を憎憎しげにサシャが罵る。
だが、罠であったとしても盗賊程度ならば問題なく粉砕できる、それがパーティの結論だったのだ。誰も責めることなどできないし、責めては自分を、自分のパーティを否定することになってしまう。
だからそれらはただ自分に向けた愚痴でしかない。
「すまない、私の想定が甘かった」
抑揚のない冷たい声が響いた。
氷帝の由来にもなった無表情と冷たい音色。それはただ莫大な魔力、それも氷と親和する特殊な性質に感情が引っ張られ、冷静さを保っていられるせいなのだが、初対面で聞けば氷のよう、と誰もが思うことだろう。クリスタには人並みの感情はある。だが、それが表に出ることは滅多になかった。
「いや、クリスタは悪くないよ! 盗賊退治を選ぼうっていったのは私だし」
サシャが間髪いれずにいう。
「そうだよ、俺も反対しなかった!」
ガレンが叫ぶように言う。
「最大限の警戒はしていた。それに誰も予想できないだろう、あのデュランがこんな所にいるなんてな」
そう、全てはあり得ざる偶然が巻き起こした悲劇にしか過ぎない。
「しっかし、マジ化物だよなデュランは……壁役が二秒で落ちたんじゃ、クリスタもまともに戦えるはずねー、ちくしょう」
ガレンは戦闘が始まって二番目に早く倒された。
接敵して、二秒。剣を弾かれ、盾ごと斬り崩された。
一流の領域、B級の戦士でも、それが限界だったのだ。
「はは、なら俺はもっと役にたってねーな。斥候の癖に目の前に現れるまでデュランの気配に気づけなかった……あれは盗賊系の武技も確実に修めていた」
レンがお手上げとばかりに言う。
「そんな、私は回復魔法を発動する前に意識を失いましたよ? 役立たずは私です」
三人の話題は捕まっている事もあって、酷く暗い。
結局デュランと戦えたのはクリスタだけだったのだ。
「「「はー」」」
牢の中はまるでお通夜だ。
サシャ達の運命は決まっている。奴隷として売られるのだ。救援がきたとしてもデュランがいるので意味はない。
既に牢の中には諦めが満ちていた。
たった一人を除いて。
「誰だ」
声を上げたのはクリスタだ。
音を聞いたわけでも、匂いを感じたわけでもなく、五感は何も反応を示していない。
だが、声は口からこぼれた。
それは、強者の本能が第六感として反応したに過ぎない。故に獣人であるレンよりも早く反応した。
「――うむ、確かにいるな――それも、中々にそそる格好で――アイシャは誰か欲しいか?」
ナハトが厳かに言う。
その台詞はまるで商品を閲覧する買い物客だ。
援軍か、などと期待した一同は再び警戒感をあらわにした。
「もう、ナハト様。ちゃんと助けてあげて下さいよ、デュランさんも後で解放するつもりだと仰ってましたし。後、ナハト様は色々と見ちゃ駄目です」
「何故だ、女同士だぞ。それにあっちの青髪の奴は中々に美しいぞ? それに、デュランは好きにしろと言っていたのだぞ?」
「屁理屈は駄目ですよ? えへへ、ナハト様には私(だけ)がいれば十分なんですから!」
若干、冷たい目をしたアイシャがナハトを睨んだ。
それに、思わず気圧されたナハトが口を噤む。
「味方、なのですか……?」
サシャが不安そうに言う。
「さて、まあ、冗談は置いて置こうか。囚われの人間は綺麗な牢にいる奴隷と、汚いほうにいる性奴隷共か。取りあえず、この悪臭をどうにかするか、このままでは話もできん――空気創造」
トラップの一つ、真空部屋の対処として使われた風魔法だ。
汚い空気を押し流すが、すぐにまた汚染されることだろう。
「ナハト様の従者、アイシャです。捕えられた冒険者の方々ですよね。すぐにお出ししますのでご安心くださいです」
そう言って、アイシャはどこかにあるだろう牢や腕輪の鍵を探し回っていた。
「私達はA級冒険者パーティ、氷の茨です。盗賊討伐にきて、このざまです。お恥ずかしながらお助けくだされば幸いです」
サシャが代表してそう言った。
「そんなことより、あの化物は、デュランはどうなったんだよ!」
急に現れたナハトたちを不振に思ったのか、横からガレンが吼えた。
そもそも、デュランがここにいる限り、交易都市の戦力ではどう考えても救援に来るなど不可能なのだ。だからこそ、ガレンもナハトを強く警戒した。
「ん、ああ、今頃落ち込んでるじゃないか? まあ、そんなことよりもだ――――貴様らは弱いのか?」
ナハトは無邪気な子供が遊んでいるように、牢をつんつんとしながら聞いた。
「はぁ? 話聞いてなかったのか、俺らはAランク冒険者パーティだっつってんだろーが!」
「こら、ガレン! すみません、その、多分それなりに強いとは思います……得にクリスタは格段に強いです……」
サシャがガレンを諌める。
今は目の前にいる不可思議な少女、ナハトがすべてを握っているという事実がある。
不快にさせるわけにはいかなかった。
「ふむ、A級パーティというのがどれ程かは分からんが、デュランとやらに敗れたなら、やはり、なんというか、しょぼいな……」
別に嫌味を言ったわけではなく、ただ本当にそう思ってしまったから口からこぼれただけだ。
ナハトになってからは、かつての相川徹のように日本人らしい遠慮は欠片もなかった。
「はぁ? お前なめてんのか? ぶっ殺されてーのか、ぁあ゛!」
「こら、ガレン!」
口では注意するがサシャも内心では不快だった。
デュランは所謂例外で、サシャにもB級冒険者として、そしてAランク冒険者パーティとしての確かな実績があるのだ。それを否定されると、心の内には怒りが湧くのは当然だった。
「はは、不快にさせたのならすまない。さて、悪いが貴様らは後回しだ、まずは――」
ナハトは四人が閉じ込められているほうではなく、放心したように死んだ目をしているほうの奴隷を見る。
ボロい牢の鉄格子を、爪で一閃し、返す刃でもう一閃。
それだけで、バターのように鉄が切れた。
「「「はぁ!?」」」
囚われた三人の声は無視したまま、ゆったりと牢の中へと立ち入った。
中にいたのは、十人程度の女だ。皆裸で年齢も十歳くらいの奴から、四十くらいまでいる。
皆が皆、希望を捨てた死人のようだった。加えて、いたるところにある裂傷からも体が無事とは思えない。中には小さな魂を抱えた者もいた。
幾人かは微かに動いたり、助かったの、なんて言っているが、小さな子供や妙齢の女性など動かないものもいた。
「さて、生きたいなら出ろ。楽になりたいなら痛みなくあの世に送ってやる。っと、その前に、回復系統は苦手なんだが――癒しの風。これで、動けるだろ」
全員分のポーションもあるが取り出すのがめんどくさいので、ナハトが扱える唯一の回復魔法、風系統の治癒魔法を発動させた。
「嘘、傷が――」「温かい」「お尻の穴まで」「膜は戻ってくれないか、残念」
などと、それなりに回復できた奴もいる。
適当に服と下着をストレージから取り出して渡すと、嬉しそうに着込んでいた。
問題は一向に動かない二人。子供と、二十程度の女性だ。
「死にたいのか?」
「ぅ、あぅ、う――」
子供のほうはそうでは無い。小さく首を振っている。
ただ警戒しているだけか。美少女であるナハトの姿にさえ、少女は恐怖を抱いているように見えた。
まだ十を越えたぐらいの年齢の少女だ。
不思議なことに、必死に口を動かして、空気を吐き出しているにも関わらず、声がほとんどでていない。必死に何かを喋ろうとして、それでも失敗に終わっていた。
きっと言葉は、正確には悲鳴はいつしか発するだけで暴力を生むことを知り、自然と失っていったのだろう。
「――よしよし、ほら、もう大丈夫だぞ」
ゆっくりと頭を撫でて、優しく抱き上げる。
ナハトは基本的に上位者として振舞うが、慈愛を持っていないわけではない。
半分が龍であっても、もう半分は人。
同族を助けることは進んではしないが、目の届く場所でくらいならばやってもいいと思っていた。
「うぅ、あー、いー、ぁ、ぅ」
少女の意思は、言葉にしなくとも思念として、魂が発しているのだ。必死になってまでお礼を言葉にせずともナハトには伝わる。
「ああ、よく頑張ったな。後はお姉ちゃんに全て任せな」
抱き上げた少女に、柔らかさと肌触りがこの上なく良い白熊ガウンを着せて背中に担いだ。
「さて、最後の一人だ。お前はどうする?」
牢の隅で、壁に背を預けた一人の女。その体はまるで抜け殻のようだった。
「…………」
返事はなかった。
傷が治ろうと、心までは治らない。
目に光はなく、意思をまるで感じられない。それは何かを悟るような、それでいて諦めたような瞳の色だった。
きっと、もう――
世の中は残酷だ。生きる方が辛い現実など平和だった日本にもあったのだ。ましてこんな異世界ならば幾らでも存在するだろう。
死ぬほうがいい、そっちのほうが楽だと彼女が望むならば――せめて魂を掌る龍として安らかに送ってやるのが、ナハトの善行だった。
「もう、いいのか?」
「…………」
女性はゆっくりと目を閉じた。
それが答えなのだろう。
「そうか……なら、せめて安らかな眠りを――永遠の眠りぉ?」
魔法の発動が、遮られた。
それを為したのは、背中にいた小さな少女である。
弱々しい力で背中を引っ張られたのだ。
「ぁ、ぇ。ぁ、め」
「駄目、なのか? でも、もう――」
「け、て、ぅ、ぁ――こ、ぉ、ぁ、わ、ぁ、け、ぅ、ぁ、ん」
(助けてくれた、今度は私が助ける番、か)
二人の間には、辛いながらも助け合った思い出があるのだろうか。
ナハトには動かせなかった女性の心を、この子供ならば動かせるかもしれない。
そんな一縷の望みにナハトは少しだけ、力を貸す。
「そっか、じゃあ頑張れ――魂魔法――――魂同一化」
一つの魔法はただの架け橋。
小さな希望の糸に過ぎない。
言葉を失った少女と、口を閉ざした女性、二人をナハトの魔法が繋いだ。




