ヒユキの覚悟
盛大に崩れ落ちた天井。
そんな、天井であったはずの木材が乱雑に弾け飛ぶ。
ぱらぱらと舞う残骸や埃の中で、シュテルはこほこほと咳き込んだ。
「……うーん、ちょっときあい入れすぎちゃった? でも、ベストタイミング、だね!」
「けほけほ……あはははは、来てくれるって信じてたよ、シュテルちゃん」
ふわり、と。
軽やかに佇むシュテルへ、鋭く風を切る投擲物が二つ。
黒く輝く金属光沢、切っ先鋭き苦無が迫る中、シュテルは静かに腰を落とす。
止まったような時間の中で、シュテルの動作は見蕩れてしまうほど流麗だった。
たん、っと大地を踏み鳴らし、体と拳を引いて――回避するのか、それとも防御するのか、そんな仕草を見せたシュテルは――
「とーおーっ!」
――軽快な掛け声と共に、金属の塊を殴りつけた。
ギィィンっと、痛々しい金属音が響き渡り、苦無は跡形も無く拉げると共に、ベクトルが反転してしまったかのように方向を変え、二つの鉄塊が投擲者の頬を浅く削り取った。
危ない、っと遅ればせながら警告を発しようとしたヒユキはポカンとしている。
「…………えっと……手、大丈夫……?」
「だいじょーぶっ! ママからもらったぼうぐ、がんじょうだから!」
シュテルの格好は、ヒユキの目から見ればなんと言うか、異様であった。
本人は頑丈と言っているが、金属のような部分は腰周りと、足周りにしか存在していない。布面積も少なくお腹周りや腕周りには露出があるし、凄く動きやすそうなのだが、なんというか全体的に装飾がひらひら、ふわふわしている。
一言で言うなら、
「お洋服?」
それも、少し露出が多い感じの。
「うーんと、ドレスアーマー、だったっけ? ママのおともだちがつくったらしーよ」
なんて、暢気に会話しながらも、シュテルは鋭くハンゾウを見ていた。
「それよりさ、ヒユキちゃんをさらったわるもの、あいつだよね――やっつけちゃってもいいんだよね?」
シュテルの言葉には、いつものふわふわした感じは無く、少し、いやかなり不機嫌そうであった。
さすがのヒユキも、事ここに至っては誰を気遣うべきなのか、理解していた。
「えーと、手加減してあげてね?」
「ええー、わるものなのに?」
「いや、うん、その、そんなに悪い人じゃないんだよ?」
「むむむー」
高揚しているシュテルが不満そうにしていると、ぱちりと片目を閉じた。
「あっちのシュテルでは手加減できそうにないので、交代です」
ヒユキが小首を傾げる横で、タッタッタ、とシュテルがステップを踏んだ。先ほど見せた洗練された伝統武術が如き動きとは対照的な、軽やかな歩行である。
音が響いた、次の瞬間。
(――消えたっ!?)
少なくとも、ヒユキの目にはシュテルが消えたようにしか映らなかった。
数度、地を蹴ったシュテルは属性付与と風の精霊の爆発的な加速力に支えられながら地を蹴り――跳んだのだ。
気がつけばシュテルは空にいて、横薙ぎの剣撃が如き蹴りを放っていた。
そのあまりに馬鹿げた加速に、回避を念頭に入れていたであろうハンゾウが両の手を交差して受けに回っていた。
が、ハンゾウの受け、は一瞬にして打ち抜かれた。
ただの蹴り、のはずが爆音さえ響かせて、衝撃波が小さな部屋を震わせる。
ハンゾウは衝撃のあまり、両の足が地を離れ宙に投げ出されると、幾枚もの障子や壁を突き抜けて、吹き飛んでいった。
「…………シュテルちゃん……その……手加減…………」
呆然とするヒユキに、シュテルはすたりと着地して、ドレスの埃を軽く払う。
「しましたよ? 予想以上に強い人だったので、腕一本くらいしか壊せてないです――それに、反撃もされました――」
シュテルの左手には、何か酷く毒々しい針のようなものが掴まれていた。
「子供に毒つきの暗器を投げるなんて、まったく酷い人がいたものです」
なんていうシュテルに、
「…………」
ヒユキは何も言えなかった。
「それよりもヒユキお姉ちゃん――こんな辛気臭い場所に長居は無用です。さあ、早く抜け出しましょう――」
そう言って、シュテルはヒユキに手を伸ばす。
「……シュテルちゃん、口調変わりすぎじゃない?」
差し出された手を握りながら、ヒユキは言う。
「気のせいです――彼方と此方の縁を繋げ、結び龍――」
淡い光の発露と共に、空に不思議な道が描かれる。
見えなくても、何故か踏みしめることのできる空を、シュテルと手を繋いでヒユキは駆けた。
シュテルが盛大に開けた大穴から抜け出すと、空はもう茜色に染まっていた。
遠くに人の影がちらほらと見える。
一点を目指し歩く人並みは、未だに神楽が始まっていない事実をヒユキに教えてくれた。
「良かった、これならまだ――っ!」
シュテルと共に空に佇むヒユキに、投擲物が飛来した。
それは二人に触れる前に、小さく爆発して、煙を発した。
(毒――!?)
ヒユキが反応するよりも数段早く、シュテルは軽くヒユキの手を引いて、即座に煙から離脱する。
「――痺れ薬の煙幕ですね」
手を取り合う二人の前に、血を流し、片手をぶらんと垂れ下げたハンゾウが佇む。
「ハンゾウ……もう、よいではありませんか……貴方は十分に役目を果たしました……だからこれ以上は……」
「…………どの道、先のない命でありますれば、最後までヨゾラ様に忠義を尽くすのみ……」
ハンゾウは変わらぬ表情で、変わらぬ決意でヒユキを見る。
「…………貴方様の覚悟が本物であるのならば――古ぼけた老木の命など顧みる必要はありませぬ――踏み越えてお進みくだされ」
ハンゾウは、片手に短刀を構える。
その姿が一瞬揺らいだ、と思った次の瞬間――その体が七つに増えていた。
「凄い――影分身とは、驚きました――」
ヒユキの手を握るシュテルが、どこか楽しそうに口元を上げていた。
その仕草は、ヒユキの知るシュテルと全く同じに見える。
「それで、どうするのですか――ヒユキお姉ちゃん」
「覚悟は決まっています――」
ヒユキはもう逃げ出さないと。
胸を張るんだと決めている。
だから、ハンゾウが立ちふさがるなら超えていく以外の選択肢は無い。
だけど、
「――それは武家の覚悟なんかじゃない。私の覚悟だから――無意味な犠牲なんて許さない! シュテルちゃん、力を貸してくれる?」
「はい、もちろんです」
シュテルはヒユキの手をそっと離し、飛び出した。
七つの影がそれぞれ一糸乱れぬ連携を行っている。牽制、誘導、投擲、斬撃、不意打ち、それらを繋げて囲い込み、そして炎術にて止め――攻撃を向ける相手がシュテルだけということもあり、その攻撃は一切の容赦がない。
が、それでもシュテルには及ばない。
「武家の皆は本当にもう、どいつもこいつも馬鹿みたいに死のうとして――忠義のため? 使命のため? お家のため? 伝統のため? 馬鹿馬鹿しい――どんな立派な死に様より、汚く生き延びる生き様のほうが百倍立派に決まってるじゃない――」
シュテルの行動は、極めて単純だった。
殴る、殴る、また殴る、である。
飛来した呪符を、進路を限定する投擲物を、体重を乗せ振るわれた刀を、靴底に仕込まれた刃を、さらには業火に至るまで、全てを殴りつけ、なぎ払う。
七つに分かれた人影を、全て殴り払い――
「ヒユキお姉ちゃん!」
「――――眠りを誘う大雲っ!!」
肉体と精神に作用する、眠りの雲。
魔導の天才、イズミ・ハルカが生み出し、巫女の護身用となった魔法だ。
「ぐっ…………」
「――せいぜい生き恥を晒しなさい」
深き眠りに落ちるハンゾウを見て、ほっと一息ヒユキは空気を吐き出す。
そしてすぐに表情を引き締めた。
「シュテルちゃん、私行かないと行けない場所があるの――だから連れて行ってくれる?」
「それはダメです」
「うん、ありが……え?」
ヒユキは聞き間違いだと思い、もう一度。
「あのシュテルちゃん、えっとヨゾラの元に行きたいんだけど……」
「ダメです」
「なんでっ!?」
「ママが集合場所を決めていますので」
シュテルはヒユキの手を引く。
「ちょ――シュテルちゃん、私は――」
「大丈夫です、ママの所に行けば万事解決なのです」
「ちょ、え、ほんとに――? あっ、分かった、分かったから引っ張らないでぇー!!」
シュテルの小さな手は何故か振りほどくこともできず、ヒユキはただ情けなく引き摺られることしかできなかった。




