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武家の宿命

 緋色の袴が風に揺れ、束ねられた少女の髪がふわりと靡いた。

 肌を多く晒さない、シンプルな巫女の正装はヨゾラの黒い髪色によく映える。

 

 急遽、変更になった神楽の代役。

 その準備のために忙しなく動く巫女見習いたちの喧騒が微かに聞こえてくる中で、ヨゾラは荒々しい足音が明確に近づいてきているのを感じた。

 そんな音に引かれて、瞑目していた瞳をぱちりと開く。


「――何か御用ですか、お母様」


 コノハは、怒りとも、悲しみとも受け止められる鋭い瞳をヨゾラへと向けていた。


「どういうつもりですか――」


「あら、なんのことでございましょう」


 ヨゾラは柔らかな微笑で、とぼけて見せる。


「こんな真似をしても無駄だと貴方も分かっているのでしょう。神楽の代役までは認めましょう――けれど、貴方には決して、大祭を務めさせません。いいですね!」


 これまでにも、ヨゾラがヒユキの代役を務めたことは幾度かある。

 ヨゾラとて巫女の修行を終えているし、ヒイラギの一人娘として知名度もあるのだ。突然のことではあるが、ヒユキの体調が優れないためと周知しておけばヨゾラが代役として神楽を舞っても、何も知らない民たちが混乱することはないだろう。

 だから、母もそこまでは認める。

 だけど、それではダメなのだ。


「今日、明日、であれば問題はないでしょう。ですが、日に日に魔獣の脅威は大きくなりましょう。それに、フジ大山だっていつまでも平穏のままでは済みません。ならば、逃げ出したヒユキの代わりを私が務め、予定通りにことを運ぶことこそが正しき選択だと思いますが――」


「なりません!!」


 コノハが声を荒げた。


「どうしてっ! 私は、貴方のために――なのに、なんでそんなに自分から危険を冒そうとするのですか! 私はもう、家族を、私の大切な子を――貴方を失いたくないのにっ!」


 いつも冷静で、周囲からは冷徹とも言われるコノハが、目尻に涙さえ浮かべながら感情のままに言葉を発していた。

 それは、ただただ愛しいヨゾラのための必死な思いやりであると理解しているし、そんな母の思いが心から嬉しくもあった。

 だけど、それでも――ヨゾラの決意は揺らがない。


「これは、武家の宿命なのです」


 きっとコノハだって分かっている。

 けど、それでも必死にそれを避けようと母は努力してきたのだと思う。

 他ならぬヨゾラのためだけに。


「ヨゾラっ!」

 じっと、優しげな瞳が強く、強くヨゾラを見る。

 

「押し付けてはならぬのです――おねえちゃ…………あの子は、武家の子ですらないのですよ? その宿命を彼女に押し付けては、きっと不幸になってしまう」


「ヒユキはきちんと納得して――」


「それは表面的には、でしょう」

 コノハの言葉をヨゾラは遮った。

 選択肢はないに等しかったはずだ。大領主である母の申し出を断ることなど、ただの孤児ができるはずもない。

 見かけだけは充実した生活を、地位を与えただけで、当の本人は武家の重荷にも、巫女の修行にも、苦しんでいたことを、同じ巫女として歩んだヨゾラは知っている。  


 聞かなくても分かる。

 彼女は逃げたくて、逃げたくて仕方がなかったはずだ。

 それでも強がりを口にして、使命を果たすと口にできる優しい人なのだ。

 

「あの子だって、守るべき民だったではありませんか! 今でも、武家である私たちが庇護すべき民ではありませんか!! ただでさえあの子は苦しみを抱えていて――なのに、これ以上あの子に重荷を押し付けるおつもりですか! 命を懸けろと仰るつもりですかっ!! それが、武家の為すべきことのはずないではありませんか!!」


 だからヨゾラはヒユキを姫巫女の座から引き摺り下ろそうと必死になった。

 民のために命を懸けるのは武家の役目なのだから。

 だからこそ――


「――大祭は私が執り行ないます。ご安心くださいお母様、ヨゾラはきちんと役目を果たし、無事にお母様の元へと帰ってみせます」


 そう言って、穏やかにヨゾラは笑ってみせた。


「…………ヨゾラ……」


 酷く辛そうな母の顔。

 だが、ヨゾラはそれ以上何も言わず、ただ一人、凛と前だけを見つめていた。














 太陽の光が届かない部屋を、青白い光を灯す和の国の照明だけが照らしている。

 四方にはただ簡素な壁があるだけで、なんとも殺風景なものである。

 だが、ただ白いだけの壁と襖が重なるこの部屋のつくりに、ハルカはどこか見覚えがあった。


(ここ、たぶん神教の寺院か、孤児院だよね)


 新しい場所を用意したのか、それとも古くなったものを再利用したのか。

 少なくとも、未だに自分はクサツの何処かにいるのだろう。


(だとすれば、問題はやっぱり――)


 ヒユキのすぐ傍で、瞳を閉じて座る男。

 力が抜け、自然体なまま座っているだけのハンゾウは、素人のヒユキでさえ理解できるほど神経を集中させている。

 ヒユキの動作を、呼吸を、考えを、読み取るためだけに、男は自らの感覚器官を働かせているのだ。


(どうすればいいのよ…………どうにか隙を作って、派手な魔法で騒ぎを起こせれば――)


 ヒユキは必死に考えるが、妙案は浮かんでこない。


(――いっそ、お花を摘みに行かせて、とか提案してみる……?)


 なんて一瞬だけ考えては見るが、この無愛想で不躾な男は平然とついて来そうである。

 隠密とは、当然ながら裏の仕事だ。

 その頂点に立つ男がヒユキが考える程度の手段で、油断してくれるとはやはり思えなかった。

 

 そんな、脱走手段を模索しているヒユキに、


「…………なぜでございましょう……」


 寡黙な男が、はじめて話しかけてきたのだ。 

 

「……貴方様は、姫巫女の役目を厭っておられたのではありませんか?」

 

「――そう、だったかもしれないわね…………」


 ヒユキはじっと俯いて、そして小さく首を振る。


「ううん、多分今も――弱い私は心のどこかで思ってるよ、このままここにいちゃえば、ヨゾラが全部やってくれるんだって……怖いことなんてしなくて済むのにって考えてる…………」

 

 ハンゾウは一ミリも表情を動かすことなく、告げる。


「――ヨゾラ様は、自らが使命を果たすことを望まれております」


「あの頑固者はそうなのかもね」


 ヒユキは微かに笑った。

 使命なんてめんどくさいものを望んでいる人がいる。

 言い訳するだけの理由も、状況だってある。

 

 ヒユキはもう神教の姫巫女として十分以上の名声を持っている。民には知られていない大祭の役目を投げ出したところで、生きていくことに不都合は生じないだろう。

 

 ならばもう、このままここにいるほうが命を繋げることになるんじゃないか。

 そうやって、自分の弱さを棚に上げて、逃げ出すことを肯定してもいいんだ、と思わなくもない。


 ――でもね――


「それじゃあダメだ、かっこ悪いもん」


「はっ――?」


 目の前の男の顔が、はじめて動いたような気がした。


「弱さに逃げるだけの私じゃ、恥ずかしくてあの子ともう遊べないよ――だから、うん、それはダメだ」


 ぽかんとするハンゾウはヒユキにとっても新鮮だった。

 こんな馬鹿馬鹿しくて、意味の分からない理由で命を賭けようだなんて、きっと今までの自分だったら絶対に思わないはずだった。


「それとついでに――少しだけ、守りたいものもできたしね――」


 でも、今のヒユキにとってはそれが全てで。

 だから、きっと、覚悟だってできているのだ。


「ハンゾウ、姫巫女の使命は私が果たします――だから、そこを退いていただけませんか?」


 ヒユキは真っ直ぐにハンゾウを見て、そう言った。

 寡黙な男は、少しだけ表情を緩め、そして静かに首を振った。


「――今の貴方様であれば、きっと何も問題などなかったのでは、と思わなくもありません。ですが、お館様亡き後、武家の主に最も相応しきお方はヨゾラ様だと確信しておりますれば――」


 ハンゾウもまた、覚悟の篭る瞳をヒユキへと向けていた。

 今更、道を譲る気などないのだろう。


「――ふーん、でも、後悔するかもしれないよ?」


 ヒユキは悪戯っぽく微笑んだ。


「逃げ出せると、お思いですか?」


「さーてー、どうだろう――まあ、私だけじゃきっと無理だろうけど――」


 ヒユキのそれは、本当になんとなく、であった。

 根拠なんて何処にもなくて――でも、なぜだか、予感がした。


 年下の、それも幼児と言っていいあの子に頼るのは、気恥ずかしくて、情けないことだと思うのだけれど。

 思えばずっと、あの子はヒユキが来て欲しい思ったときには、もう傍にいてくれた。

 だからきっと――


「シュテルちゃあああああああんっ!! たすけてぇえええええええええっ!!」


 声が響いた、その刹那。轟音と共に、天井が前触れもなく爆ぜた。


「むっ――!」


 警戒しても、もうどうしようもなく遅いのだ。

 瓦礫と共に、舞い降りる小さな小さな子供は、あたかも天使のように映ってしまう。


「あいっ! たすけにきたよー、おねえちゃん!」


 ――呼ぶと助けに来てくれるのだと、ヒユキは確信していたのだ。

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